「文化」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruses}}
 
'''文化'''(ぶんか、{{Lang-la|cultura}})にはいくつかの定義が存在するが、総じていうと[[人間]]が[[社会]]の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。[[社会組織]](年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける([[身体化]])ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。もっとも文化は、次の意味で使われることも多い。
 
* [[ハイカルチャー]]のように洗練されたもの
 
* 象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン
 
* ある社会組織に共有されている[[価値観]]
 
  
なお、[[日本語]]の「文化」という語は[[坪内逍遥]]によるものとされている<ref name="hanashinoneta_p55">毎日新聞社編『話のネタ』p.55、PHP文庫、1998年。</ref>。
+
'''文化'''(ぶんか、{{Lang-la|cultura}})
  
== 文化の定義 ==
+
人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い。このように定義される文化は,言語,思想,信仰,慣習,タブー,掟,制度,道具,技術,芸術作品,儀礼,儀式などから構成される。これは [[E.タイラー]]の「文化または文明とは,知識,信仰,芸術,道徳,法律,慣習など,人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力や習慣の複合的総体」という古典的定義に由来する。この見方によれば,人類文化全体は個性的なまとまりをもった多数の個別の文化単位で構成され,個々の文化単位はある程度他の文化単位と重なり合っている。
=== 概説 ===
 
==== 古典的・日常的な文化 ====
 
[[ラテン語]] [[wikt:colere|colere]](耕す)から派生した[[ドイツ語]]の [[wikt:Kultur|Kultur]] や[[英語]]の [[wikt:culture|culture]] は、本来「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いを持つ。18世紀後半に、産業化を示す技術革新、生産性の向上、社会の官僚化といった人間の外部に相当するものとしての[[文明]]と対比される、人間の精神面での向上を示す言葉として位置づけるものとしての'''文化'''という意味で議論を展開したのが[[マシュー・アーノルド]]である<ref>{{Cite book|和書|title=民族誌的近代への介入—文化を語る権利は誰にあるのか〔増補版〕|author=太田好信|publisher=人文書院|year=2009}}</ref>。この定義では文化は[[教養]]と言い換えることもできる。英語やフランス語は、日本語・中国語・ドイツ語とは異なり、「文化」と区別される「教養」という語を持っていないので、その間の区分が明示的でない。
 
  
==== 人類学的文化 ====
+
それぞれの文化単位の間における違いは,物理的な居住環境や資源,言語,儀礼,習慣,道具の製造と使用などのさまざまな活動分野における固有の発展可能性の範囲,さらに社会の発展の度合いに起因する。個人の行動,価値観,理想,あるいは信仰は,その人が所属している文化に大幅に影響され,個人が複数の異なる文化のなかで暮したり,旅行したりすることもありうる。また,これらの個別文化のなかには地域や階層,少数民族集団などの下位文化 ([[サブカルチャー]] ) が含まれていたり,また主流の既成文化を否定する対抗文化 (カウンターカルチャー) が存在する場合もある。さらに今日では文化の主体をより小単位にして,企業文化や学校文化というとらえ方も広くみられる。
人類学においては、人間と[[自然]]や[[動物]]の差異を説明するための概念が文化である<ref>{{Cite book|和書|title=文化人類学入門|author=祖父江孝男|publisher=中央公論社|year=1979|series=中公新書; 560}}</ref>。
 
  
こうした定義の最初のものは[[イギリス]]の[[人類学者]][[エドワード・バーネット・タイラー]] (1871) の、{{Quotation|広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである|[[エドワード・バーネット・タイラー]]|Primitive culture<ref>{{Cite book|author=E.B.Taylor|title=Primitive culture: researches into the development of mythology, philosophy, religion, art, and custom.|publisher=Kessinger Pub Co|origyear=1871|vol=1|year=2007|pages=1|isbn=142863830X}}<br />翻訳: {{Cite book|和書|title=原始文化|author=E.B.タイラー|translator=比屋根安定|year=1962|publisher=誠信書房}}</ref>}}である。この文に続く[[進化主義]]的な議論は批判されているが、タイラーの定義は今でも基本的には正当性が認められている<ref>{{Cite book|和書|chapter=文化の変動|title=文化人類学|editor=村武精一・佐々木宏幹|author=村武慶|publisher=有斐閣|year=1991}}</ref>。
+
タイラーの定義はこのような個別文化の実態を体系的に考察するには広すぎることから,分析的に文化を再定義するさまざまな試みが行われてきた。行動様式の規則性の根底にある価値体系 (C.クラックホーン) に焦点を当てたり,文化を人間の行為に意味づけする象徴の体系 (C.ギアツ) あるいは観念の体系 (R.キーシング) ととらえようとしたり,さらに構造言語学や記号論の基本的概念を適用して,コードに基づいて記号の交換を行うコミュニケーションの体系 (E.リーチ) ととらえる見方もある。他方,文化を人間の自然環境に対する適応の体系と考え,技術,経済活動,生産組織を中心にして諸文化を考察する文化的唯物論(M.ハリス) や文化生態学 (J.スチュワード) [[新進化主義]] (L.A.ホワイト,E.サービス) の立場もある。
 
 
この定義は動物に社会が存在しないことが自明とされていた時代の定義であり、後に野生動物も社会を形成することが認められるようになると、新たな制約が加えられた。動物が使うことがない[[言語]]によって特徴づけるようになったのである。この場合、動物の音声[[コミュニケーション]]とは異なる特徴である[[再帰性]]や[[象徴]]性が強調された。[[クロード・レヴィ=ストロース|レヴィ=ストロース]]によれば、言語は文化の条件であるという<ref>{{Cite book|和書|title=構造人類学|chapter=言語学と人類学|author=クロード・レヴィ=ストロース|translator=佐々木明|publisher=みすず書房|year=1972|origyear=1958|}}</ref>。つまり文化は、それが非言語的なものであっても言語的な性質を備えている象徴的な事象と定義するもので、[[構造主義]][[文化人類学]]者によく使われる<ref>しかし大型[[類人猿]]が言語を学習できるということが知られるようになると、文化獲得における重要なイベントである学習を細分化して人間の学習(意図模倣)と動物の学習(単純模倣)をわけ、さらには教示の有無を問題にするという発想もでている。つまり動物が社会化のなかで獲得するふるまいは、単純模倣によってだけ獲得される伝統traditionであり、人間が言語や意図模倣、教示を通した社会化のなかで身につける文化という差異を創出して定義づけ、人間以外の動物には文化を身につけることは困難であるとするのである。</ref><ref>{{Cite book|和書|first=トマセロ, M.|year=2006|title=心ところばの起源を探る: 文化と認知|translator=大堀壽夫・中澤恒子・西村義樹・本田啓|publisher=勁草書房}}</ref>。
 
 
 
==== 社会学的文化 ====
 
出発点が近代社会とは異なる世界を記述するための概念であった人類学的文化は、やがて近代社会を理解するための学問である社会学にも取り込まれるようになった。社会学における文化の定義は人類学から大きく影響を受けているが、例えば[[タルコット・パーソンズ|パーソンズ]]は「ひとつの社会システムは、二つかそれ以上の諸社会の社会構造や成員や文化、あるいはそうした諸社会の構造、成員、文化のそのいずれかとかかわりあうことができる」として、一つの社会における多文化的な状況を記述可能にするために、社会システムと並立して正統性を担保するものとしての文化システムを定義づけた<ref>{{Cite book|和書|title=文化システム論|author=パーソンズ・T.(タルコット)|tranlator=丸山哲央|publisher=ミネルヴァ書房|year=1991}}</ref>。シンボリック相互作用論者、なかでも[[タモツ・シブタニ]]は、ある特定の[[集団]]ないしは[[社会的世界]]において、人々に共有されているパースペクティブ(認識枠組)を指すものとして文化を扱い、同じく、一つの社会における多文化的な状況(文化の多元的共在)の説明に有用な概念として捉えている<ref>Cf. タモツ・シブタニ著、2013年、木原綾香ほか訳「[https://www.webcitation.org/6G58bnpsF?url=http://archive.org/details/Shibutani1955ReferenceGroupsAsPerspectives パースペクティブとしての準拠集団]」''Discussion Papers In Economics and Sociology'', No.1301.</ref>。[[ユルゲン・ハーバーマス|ハーバーマス]]は文化 (Kultur) を「文化とは知のストックのことであり、コミュニケーションの参加者達は世界におけるあるものについての了解しあうさいに、この知のストックから解釈を手に入れる」としている<ref>{{Cite book|author=[[ユルゲン・ハーバーマス|Habermas, Jürgen]]|title=コミュニケーション的行為の理論|translator=[[河上倫逸]]ほか|publisher=木鐸社|year=1985-1987|origyear=1981}}</ref>。このように行為、あるいはコミュニケーションに利用されるストックというアイデアは、[[二クラス・ルーマン|ルーマン]]のゼマンティーク (Semantik)、[[ミシェル・フーコー|フーコー]]のアーシーブ(Archive) などとも関連性が深い<ref>{{Cite book|和書|title=意味の歴史社会学―ルーマンの近代ゼマンティック論|author=高橋徹|publisher=世界思想社|year=2002}}</ref>。
 
 
 
文化人類学者の[[クリフォード・ギアツ]]もパーソンズ由来の文化を採用しているので、現在では社会学的文化と人類学的文化の境目はあまり重要ではない。
 
 
 
==== 考古学的文化 ====
 
{{Main|文化 (考古学)}}
 
 
 
=== 文化を担う集団 ===
 
文化の[[概念]]は、通常、人間集団内で伝播されるものに対してのみ用いられるので、[[個人]]がただ発明しただけの状態では適用されることはない<ref>[[文化 (動物)]]の芋洗いの項目を参照</ref>。また、[[地域]]や[[集団]]、[[時代]]によって文化様式は大きく異なることがある。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の文化人類学者[[ルース・ベネディクト]]は、個々の文化はそれぞれの固有様式で統合されており、他の文化からの基準では本当の意味で理解することは困難であり、相対化と再帰的な検討が必要であるという[[文化相対主義]]を展開した。
 
 
 
文化は人間集団によって作られるが、同時に個々の人間も[[環境]]という形で、不断に文化に[[適応]]、[[学習]]させられていると考えられる。
 
 
 
日本文化や[[東京]]の[[下町文化]]、[[室町文化]]など[[地理]]的、[[歴史]]的なまとまりによって文化を定義するもの、[[おたく]]文化のように集団を構成する人を基準に文化を定義するもの、[[出版]]文化や[[食文化]]のように人の活動の種類によって定義するものなど、個々の文化は様々な形で定義、概念化される。
 
 
 
さらに小規模な集団にも[[企業]]の「社風」、[[学校]]の「校風」、ある[[家系]]の「家風」などがあり、これらも文化と呼ばれる。
 
<!--
 
=== 文化の特徴 ===
 
人間は他の動物に比べ、環境に適応し生存していくための[[身体]]的特徴が少ない。動物の場合、[[肉食動物]]には[[牙]]や[[爪]]があり、[[寒冷地]]に住む動物が獲得した厚い[[毛皮]]や皮下[[脂肪]]など、生存のための顕著な有機体的特徴・機能を持っている。これに対し人間は、生存手段を生物としての身体的特徴以外に持っている。狩りの際には[[狩猟]]のための文化、即ち狩の[[道具]]や獲物を解体する道具を用い、気候が寒冷ならばそれに適した文化、即ち[[体温]]維持可能な[[服装]]や[[住居]]・[[生活習慣]]を生み出してきた。このように、文化は有機体としての身体的特徴を発達した大脳の機能に基づく記憶や知識、思考などによって作り上げたものでカバーし、よりすぐれた道具を使うことで乗り越えてきた。文化のこの性質のために、人間は多様な[[環境]]に適応することができ、[[技術]]の[[進歩]]や社会体制・[[思想]]の変化などに応じ、新たな文化体系を生み出してきた。-->
 
 
 
=== 動物の文化 ===
 
現在、文化の定義は'''人間の'''という限定を用いなくても、動物が持たないものになるように定義づけられつつあるため、結果として動物は文化を持たないこととなっている。しかし野生動物の長期野外調査の蓄積によって、同種個体でも地域差が見られたりすることや道具を使用することは知られている。
 
{{Main|文化 (動物)}}
 
 
 
== 文化の発祥と伝播・変容 ==
 
ある特定地域の文化も、人々がそれを用いることが有益と判断すれば他の地域でも用いられるようになり、また伝播先の文化と融合して新たな文化を創造することもある。このような作用によって様々な文化が交じり合い、より高度な文化が創られてきたともいえるが、一方で自文化の変容に対しては反発もあり、各種の紛争の要因ともなっている。
 
 
 
例えば[[仏教]]は、[[インド]]で発祥し、宗派の分裂や各地の文化の影響もありつつ、中央アジア諸国や東アジア諸国など周辺地域へと伝播していく([[上座部仏教]]や[[大乗仏教]]も参照)。その後日本にも伝えられるが、当初はその受容につき激しく争われた(崇仏論争、[[仏教公伝]]も参照)。受容後は中国などからの影響も受けつつも、日本独自の宗派も発達し、[[神道]]との融合なども行われた([[神仏習合]])。
 
 
 
== 文化にまつわる議論 ==
 
=== 単一発展史観 ===
 
他の文化を貶め、自分の文化を至高とする思想は世界各地で見られるが、その偏見や差別を正当化するために、文化は異なる進歩の階層があり遅れた文化と進んだ文化が存在するという説が19世紀のヨーロッパの[[社会進化論]]を背景にとなえられた。現在遅れているように見える文化であっても、将来的には進歩するという考えである。[[植民地主義]]とともに、こうした遅れた地域を指導し、文化的に発展させる([[近代化]])ということが[[帝国]]の役割であるという独善的な考えが強く押し出された。このような観点から、人間を動物園の動物のように見せる催しが流行した([[人間動物園]])。
 
 
 
後に[[フランツ・ボアズ]]が[[文化相対主義]]の立場から猛烈に批判し、単一発展史観は現在では論じられることはなくなった。
 
 
 
=== 環境に対する適応としての文化 ===
 
文化人類学においてマイナー領域であるが、[[ネオ進化主義]]と呼ばれる立場([[生態人類学]])において、身体的な限界を越えて環境に適応するためのあり方として文化の生態的な側面が分析される。もちろん全ての文化的な行動について生態的な適応という観点から分析できると考えられているわけではないが、例えば[[マーヴィン・ハリス]]は[[カニバリズム]]を儀礼的な側面よりもたんぱく質の摂取という観点で考察する<ref>{{Cite book|和書|title=ヒトはなぜヒトを食べたか—生態人類学から見た文化の起源 |publisher=早川書房|series=ハヤカワ文庫—ハヤカワ・ノンフィクション文庫|author=マーヴィン・ハリス|year=1997|origyear=|translator=鈴木洋一}}</ref>。
 
 
 
=== 文化についての語り ===
 
==== 誰の文化なのか ====
 
[[女性器切除|女性割礼]]はしばしばイスラム教の慣習として語られるが、[[イスラム法]]や[[コーラン]]にはそのような記載はないことから、いくつかのイスラム国家では行われていない慣習であり、イスラム法学者によって非イスラム的な慣習であることが発表されている。実際に女性割礼を行いイスラムの文化であると主張していた集団が、イスラム法学者のそのような主張を聞くと、[[民族]]固有の文化であると根拠を切り替えて、多文化主義の立場から文化実践を継続することがある。
 
 
 
このように文化実践の主体の帰属先自体が、人々の都合によって変更される。
 
 
 
==== 文化の権利 ====
 
ある文化実践の由来や実態について、文献資料を用いる文化人類学者と現地の実践者の間に齟齬が生じることがある。
 
 
 
近代史研究は、自明とみなされてきた文化が比較的近年に「発明」されたものだということを明らかにしてきた。しかし「オセアニアンは過去における先祖の生活についての神話などを、現地の人々は政治的シンボルとして発明している」という文化人類学者の見解<ref>{{cite journal|author=Keesing, R|title=Creating the Past|year=1989|journal=The contemporary Pacific|volume=1|issue=2|pages=19-42}}</ref>は、現地の人々にとって「文化人類学者は祖先の文化をまったく知らず、自己規程の力さえ奪おうとしている」という傲慢な態度にほかならず、反発を受ける<ref>{{Cite journal|author=Trask, H-K|year=1991|title=Native and Anthropologist|journal=The contemporary Pacific|volume=3|issue=1|pages=159-167}}</ref>。
 
 
 
このような議論の極端な事例が捏造疑惑である。[[マーガレット・ミード]]はサモア人女性は性的に開放的であると議論した<ref>{{Cite book|和書|title=サモアの思春期|author=マーガレット・ミード|year=1976|publisher=蒼樹書房|origyear=1928|translator=畑中幸子・山本真鳥}}</ref>が、のちに調査した文化人類学者やサモア人から反論がされた<ref>{{Cite book|和書|title=マーガレット・ミードとサモア|author=デレク・フリーマン|translator=木村洋二|publisher=1995|origyear=1983}}</ref>。実際にミードが捏造をした、もしくは経験不足で嘘や冗談を見抜けず誤ったことを書いてしまったのか、サモアの文化そのものが変貌したのかについては議論が分かれている<ref>{{Cite book|和書|chapter=第5章 民族誌のメイキングとリメイキング―ミードがサモアで見いだしたものの行方|author=池田光穂|title=メイキング文化人類学|editor=太田好信・浜本満|year=2005}}</ref>。
 
 
 
また文化人類学者の横暴に対して現地の人々が反発したものとして、例えば南米の[[狩猟採集社会|狩猟採集民族]]の[[ヤノマミ族]]は他人を罵倒する言葉として、「人類学者(アンスロ)」が定着しているという<ref>{{Cite book|和書|title=民族誌的近代への介入|author=太田好信|pages=298|year=2001}}</ref>ことが挙げられる。
 
 
 
=== カルチュラル・スタディーズ ===
 
{{Main|カルチュラル・スタディーズ}}
 
文化人類学において、文化は人間の行為を媒介する象徴の体系である。しかし[[イギリス]]の文学研究者たちが、イギリス国内の[[マスメディア]]現象を批判的に分析するためにうまれた研究手法であるカルチュラル・スタディーズでは、均質であることの想定を許さない社会における文化を分析対象とするために、「ある社会において生活している人々の誰もが、等しく共有しているわけではない」という「社会認識」をもとに文化を位置づけた。
 
 
 
==== 未開文化の消滅 ====
 
人類学は、[[未開社会]]の貴重な文化が西欧文化や[[グローバリゼーション]]など外部の悪影響で消えつつあることを告発していたが、現在では他の文化を未開社会とみなす姿勢はもとより、真正・純正の文化がある・あったという思考自体が批判されている。クリフォードはこうした思考による記述を「[[消失]]の語り」として<ref>{{Cite|Clifford, J|year=1988|title=The Predicament of Culture: Twentieth-Century Ethnography, Literature and Art|location=Cambridge, MA|Harvard University Press|pages=17}}</ref>、文化が外部の影響を取り込みつつも新たな展開を示していくことを重視して記述する「[[生成]]の語り」<ref>{{Cite|Clifford j,|year=1988|title=The Predicament of Culture: Twentieth-Century Ethnography, Literature and Art|location=Cambridge, MA|Harvard University Press|pages=246}}</ref>と区別した<ref>{{Cite book|和書|author=太田好信|title=トランスポジションの思想 文化人類学の再想像|year=1998|publisher=世界思想社}}<br />クリフォードの分類については太田 (1998) の訳p.270を採用した。</ref>。
 
 
 
==== 混血文化としての観光 ====
 
外部からの影響によって、伝統的文化が変貌したり新しく創造されたりすることがある。その典型的な事例は[[観光地]]にしばしば現れる。例えば[[バリ]]の[[ケチャ]]は悪魔祓いの[[儀礼]]のときに行われるコーラスをもとに、映画『悪魔の島』(1955年)のBGMとしてドイツ人、[[ヴァルター・シュピース]]が創作したものであるが、これが[[ラーマヤナ]]の物語として現在の姿になり、それが現地の人々に受け入れられたものである<ref>{{Cite journal|和書|author=山下晋司|year=1992|title=『劇場国家』から『旅行者の楽園へ』|journal=国立民族学博物館研究報告|volume=17|issue=1|pages=1-33}}</ref>。他には[[アイヌ]]の民族芸能である[[木彫りの熊]]も、[[徳川義親]]が[[スイス]]土産を開拓村のアイヌに作らせたことが起源だとする説がある<ref>{{cite book|和書|title=大東亞科學綺譚|author=荒俣宏|publisher=筑摩書房|series=ちくま文庫|year=1996}}</ref>。
 
 
 
一方でこうした観光の[[クレオール]]的な性質に対して、しばしば反発がおきる。代表的な事例では観光地での商売上の慣行が実際の伝統的な文化と同一視されることを拒絶する民族運動として[[ハワイ]]の先住民運動がある<ref>{{Cite book|和書|author=山中速人|year=1992|title=イメージの楽園|location=東京|publisher=筑摩書房}}</ref>。
 
 
 
=== 多文化主義と文化隔離主義 ===
 
文化相対主義の政治的応用の一つとして[[多文化主義]]と文化隔離主義がある。どちらも文化を[[本質主義]]的に取り扱っているので、文化人類学者の議論とは隔絶がある。特に[[移民排除運動]]や[[排外主義]]を理論化する際に、「文化相対主義からすれば、お互い相容れない存在なのだから、祖国に帰るべきである」という形で援用されるのが文化隔離主義であり、人類学者から文化相対主義の地獄とされる。
 
 
 
=== 文化資本と社会構造 ===
 
[[ピエール・ブルデュー]]は、社会における支配階層は権力によって、文化の洗練さを規定し、そうして規定した洗練されたとする[[文化資本]]を維持する[[ハビトゥス]]を獲得することで権力を再生産するとした。
 
 
 
== ミーム ==
 
{{see|ミーム|ミーム学}}
 
ミームとは、文化を形成する情報であり、人の心から心へとコピーされる情報である<ref name="Brodie">リチャード・ブロディ『ミーム―心を操るウイルス』講談社、1998年。</ref>。ミームという言葉は、生物学者の[[リチャード・ドーキンス]]が作ったもので、ドーキンスはミームの例としてキャッチフレーズや服の流行をあげている。[[ミーム学]]という科学では、[[ミーム]]という概念を用いて文化を理解する。
 
 
 
ミーム学は、「ミームが自分の複製を作る」という視点で考察される。これは、ドーキンスの論じる[[利己的遺伝子]]が「遺伝子が自分の複製を作る」という視点で考察されることからの類推である(ただし利己的遺伝子のアイデア自体はドーキンス独自のものではない)。
 
 
 
遺伝子やミームのように自己の複製を作るものを[[自己複製子]]という。自己複製子は、自分のコピーを作る時に変異を起こすことがあり、多様化していく(DNAは、多くの場合正確に子孫に複製されるが、まれにコピーミスが起きる)。多様化した自己複製子は[[自然選択]](自然淘汰)によって、[[進化]]する。したがって、自己複製子であるミームも遺伝子のように進化することができ、この考察から、文化の進化する様子を分析することができる。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* イーグルトン・テリー著、大橋洋一訳『文化とは何か』松柏社、ISBN 4-7754-0100-9
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Sisterlinks|文化
 
|wikibooks=Category:文化
 
|commons=Category:Culture
 
|wikinews=Category:文化
 
|wikisource=Category:文化
 
|wikiversity=Category:文化
 
}}
 
* [[特別:検索/intitle:文化|「文化」を含む記事名一覧]]
 
* [[文化多様性]]
 
* [[文化相対主義]]
 
* [[多文化主義]]
 
* [[ハイカルチャー]]
 
* [[大衆文化]]
 
* [[サブカルチャー]]
 
* [[若者文化]]
 
* [[文化財]]
 
* [[世界遺産]] - [[文化遺産 (世界遺産)]]
 
* [[文化のダイヤモンド]]
 
* [[文化の型]]
 
* [[文化人]]
 
* [[風俗]]
 
* [[服飾]] - [[身体装飾]] - [[食文化]] - [[住宅]]
 
* [[芸術]] - [[文学]] - [[伝統芸能]] - [[芸能]] - [[祭]] - [[冠婚葬祭]]
 
* [[宗教]] - [[政治]] - [[経済]] - [[制度]]
 
* [[日本の文化]]
 
* [[文明]]
 
* [[エートス]]
 
* [[ミーム]]
 
  
 +
[[比較文化]]において,異文化を自分の文化の枠によって解釈したり評価することを自民族中心主義 ([[エスノセントリズム]] ) といい,一方,文化相対主義は自分の文化と異なる文化の理解と正しい認識に由来する比較研究方法である。文化の発達は,人間の学習能力や子孫へ知識を伝達する能力に立脚している。文化の内部や文化の間での変化は,生態学的および環境的な変化に伴って生じる。つまり,同じような文化の発達段階にある社会の間における文化的な特徴の伝播,文化変容,比較的個性的な人々による外国文化の修得,あるいは長い間における文化の要素の進化によって変化が起るのである。文化は,構成要素のパターン (文化の特徴,領域,類型) や組織の構造と機能 (社会組織,経済システム,教育,宗教と信仰,慣習と法律) の観点からとらえられる場合もある。また,近代的な都市文化と比較した非都市的文化や,近代的な産業社会と異なる農民社会ないし部族社会に,さらに分類する場合もある。
 +
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.bunka.go.jp/ 文化庁]
 
* [http://www.bunka.go.jp/ 文化庁]
139行目: 15行目:
  
 
{{世界の文化}}
 
{{世界の文化}}
{{Normdaten}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
 
{{DEFAULTSORT:ふんか}}
 
{{DEFAULTSORT:ふんか}}
 
[[Category:文化|*]]
 
[[Category:文化|*]]

2018/10/26/ (金) 10:24時点における最新版

文化(ぶんか、ラテン語: cultura

人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い。このように定義される文化は,言語,思想,信仰,慣習,タブー,掟,制度,道具,技術,芸術作品,儀礼,儀式などから構成される。これは E.タイラーの「文化または文明とは,知識,信仰,芸術,道徳,法律,慣習など,人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力や習慣の複合的総体」という古典的定義に由来する。この見方によれば,人類文化全体は個性的なまとまりをもった多数の個別の文化単位で構成され,個々の文化単位はある程度他の文化単位と重なり合っている。

それぞれの文化単位の間における違いは,物理的な居住環境や資源,言語,儀礼,習慣,道具の製造と使用などのさまざまな活動分野における固有の発展可能性の範囲,さらに社会の発展の度合いに起因する。個人の行動,価値観,理想,あるいは信仰は,その人が所属している文化に大幅に影響され,個人が複数の異なる文化のなかで暮したり,旅行したりすることもありうる。また,これらの個別文化のなかには地域や階層,少数民族集団などの下位文化 (サブカルチャー ) が含まれていたり,また主流の既成文化を否定する対抗文化 (カウンターカルチャー) が存在する場合もある。さらに今日では文化の主体をより小単位にして,企業文化や学校文化というとらえ方も広くみられる。

タイラーの定義はこのような個別文化の実態を体系的に考察するには広すぎることから,分析的に文化を再定義するさまざまな試みが行われてきた。行動様式の規則性の根底にある価値体系 (C.クラックホーン) に焦点を当てたり,文化を人間の行為に意味づけする象徴の体系 (C.ギアツ) あるいは観念の体系 (R.キーシング) ととらえようとしたり,さらに構造言語学や記号論の基本的概念を適用して,コードに基づいて記号の交換を行うコミュニケーションの体系 (E.リーチ) ととらえる見方もある。他方,文化を人間の自然環境に対する適応の体系と考え,技術,経済活動,生産組織を中心にして諸文化を考察する文化的唯物論(M.ハリス) や文化生態学 (J.スチュワード) ,新進化主義 (L.A.ホワイト,E.サービス) の立場もある。

比較文化において,異文化を自分の文化の枠によって解釈したり評価することを自民族中心主義 (エスノセントリズム ) といい,一方,文化相対主義は自分の文化と異なる文化の理解と正しい認識に由来する比較研究方法である。文化の発達は,人間の学習能力や子孫へ知識を伝達する能力に立脚している。文化の内部や文化の間での変化は,生態学的および環境的な変化に伴って生じる。つまり,同じような文化の発達段階にある社会の間における文化的な特徴の伝播,文化変容,比較的個性的な人々による外国文化の修得,あるいは長い間における文化の要素の進化によって変化が起るのである。文化は,構成要素のパターン (文化の特徴,領域,類型) や組織の構造と機能 (社会組織,経済システム,教育,宗教と信仰,慣習と法律) の観点からとらえられる場合もある。また,近代的な都市文化と比較した非都市的文化や,近代的な産業社会と異なる農民社会ないし部族社会に,さらに分類する場合もある。

外部リンク




楽天市場検索:


diq:Portal:Zagon