新川県
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新川県(にいかわけん)は、1871年(明治4年)に越中国(当初は一部、のちに全域)を管轄するために設置された県。現在の富山県にあたる。
概要
1871年(明治4年)、第1次府県統合により、富山県(第1次)全域(かつての富山藩の領域=婦負郡および新川郡の一部)に、金沢県(かつての加賀藩の領域)の礪波郡と新川郡を併せて成立した。県庁は富山県時代の富山から魚津に移され、県名も郡名を取って新川県に改称された。
越中国のうち射水郡のみは七尾県に編入されていたが、1872年(明治5年)に新川県に編入された。これにより、旧・越中国が初めて1つの県となり、現在の富山県の領域と同じになった。その際に、県庁は富山に戻された。
1876年(明治9年)、第2次府県統合により新川県全域が石川県に編入され、廃止された(同9月には福井県嶺北も編入される)。その後、旧越中国内で分県運動が展開され、1883年、越中国4郡が石川県から分離され、富山県となった。
沿革
- 1871年(明治4年)11月20日 - 第1次府県統合により富山県(第1次)が廃止され、金沢県の一部を編入して新川県が発足。県庁を新川郡魚津(現在の魚津市)に設置。
- 1872年(明治5年)9月25日 - 七尾県のうち越中国を移管。県庁を新川郡富山(現在の富山市)の富山城に移転。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により石川県に合併。同日新川県廃止。
管轄地域
歴代知事
- 1871年(明治4年)11月20日 - 1871年(明治4年)12月18日:参事・坂田莠(前高崎県権大参事、前高鍋藩士)
- 1871年(明治4年)12月18日 - 1873年(明治6年)5月29日 : 参事・三吉周亮(元長府藩家老) - 坂本龍馬と親交があった。
- 1873年(明治6年)11月4日 - 1875年(明治8年)12月9日 : 権令・山田秀典(前土木権頭、元熊本藩士)
- 1875年(明治8年)12月9日 - 1876年(明治9年)4月18日:県令・山田秀典(前新川県権令)
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月、角川書店)
外部リンク
先代: 富山県(第1次) 七尾県の一部(射水郡) |
行政区の変遷 1871年 - 1876年 |
次代: 石川県 |