「新庄剛志」の版間の差分

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| 公式サイト = [http://www.lhsf.jp/ LHSF_COLONY]
 
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| 主な作品 = '''映画(製作総指揮)'''<br />『[[僕たちのプレイボール]]』<hr />'''音楽'''<br />『[[#音楽作品|第II章〜True Love〜]]』
 
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2018/8/10/ (金) 22:06時点における最新版


新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )

長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区出身の元プロ野球選手外野手内野手、右投右打)、タレント実業家クリエイター商品プロデューサー画家など)、地方競馬全国協会 (NAR) の馬主。元妻はタレントの大河内志保紺綬褒章受章(2007年)。

記録より記憶に残る選手」と称されることがある[1]愛称は「プリンス」など(後述)。

1993年阪神タイガース球団歴代最年少での先発4番打者としての出場を記録(2017年終了時点)。2001年より日本人野手投手以外)として初めてメジャーリーグベースボール(以下:MLB)へ在籍し[注 1]2002年日本人選手として初めてワールドシリーズへ出場。2004年よりの北海道日本ハムファイターズ時代の登録名は「SHINJO」であり、表記法をイニシャル以外でのアルファベットとしたのは日本プロ野球(以下:NPB)において初めてである[注 2]

2001年より2009年までは個人事務所・株式会社剛ゴーエンタープライズに所属し[3]アワーソングスクリエイティブと業務提携してタレント活動等を行う[4]2008年に株式会社レハサフ後述)を設立して2013年の会社閉鎖まで経営する[5]。タレント活動等のマネジメントを自社が行っていた期間を経て、以降のマネジメント契約先は、2012年プラファー、2013年よりエージェントオフィスタクト[5]2018年よりZE MANAGEMENT

2010年ごろよりインドネシアバリ島へ移住している。[6]

脚注

  1. イチロー外野手と共に。
  2. アルファベット表記とした例は、これまでD・J(ダグ・ジェニングス)をはじめとする外国人選手のみであり、日本人選手としては同年よりのG.G.佐藤(佐藤隆彦、愛称のイニシャル表記)と共に初めてとなる。[2]

  1. 【記憶に残るプロ野球選手】第4回・ブッ飛んだ言動! “超天然”な新庄剛志リアルライブ (2015年5月12日) 2017年6月7日閲覧
  2. 2006三洲田:42p - 45p
  3. ゼイヴェル、剛ゴーエンタープライズと提携して新庄剛志選手公認サイト開設(2012年7月16日時点のアーカイブ)Venture Now 2002年4月1日、2017年2月5日閲覧。
  4. 11月から芸能活動開始!?nikkansports.com 2017年1月2日閲覧(2006年10月28日紙面)
  5. 5.0 5.1 LHSF_COLONY新庄剛志オフィシャルウェブサイト 2018年7月24日閲覧
  6. 新庄剛志:引退後はバリ島でモトクロスバイクレーサーにMANTANWEB 2017年1月5日閲覧