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− | {{Infobox Musician | + | {{テンプレート:20180815sk}} |
− | |Name = 村下 孝蔵
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− | |Background = singer
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− | |Birth_name = 村下 孝蔵
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− | |Alias =
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− | |Born = [[1953年]][[2月28日]]
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− | |Blood =
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− | |School_background = [[鎮西高等学校]]卒業
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− | |Died = {{死亡年月日と没年齢|1953|2|28|1999|6|24}}
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− | |Origin = {{JPN}}・[[熊本県]][[水俣市]]浜町(仲之町通り)
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− | |Instrument = [[ボーカル]]<br/>[[ギター]]
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− | |Genre =
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− | |Occupation = [[シンガーソングライター]]
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− | |Years_active = [[1980年]] - [[1999年]]
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− | |Label =
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− | |Production =
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− | |Associated_acts = [[須藤晃]]
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− | |Influences = [[加山雄三]]<br />[[ザ・ベンチャーズ]]
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− | |URL = [http://www.murashita-kozo.com/ 村下孝蔵ホームページ]
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− | '''村下 孝蔵'''(むらした こうぞう、[[1953年]][[2月28日]] - [[1999年]][[6月24日]])は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]。「[[初恋 (村下孝蔵の曲)|初恋]]」「[[踊り子 (村下孝蔵の曲)|踊り子]]」「[[ゆうこ (村下孝蔵の曲)|ゆうこ]]」「[[陽だまり (村下孝蔵の曲)|陽だまり]]」などのヒット曲がある。[[熊本県]][[水俣市]]出身。[[水俣市立水俣第一小学校]]、[[水俣市立水俣第一中学校]]、[[鎮西高等学校]]、[[日本デザイナー学院|日本デザイナー学院広島校]]インテリアデザイン科卒業。
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− | == 人物 ==
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− | === 生い立ち ===
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− | [[1953年]][[2月28日]]、[[熊本県]][[水俣市]]浜町仲之町通りで、[[映画館]](村下興業社)を営む夫婦の第3子として生まれる<ref name="sponichi">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/06/kiji/K20110624001067080.html 365日 あの頃ヒット曲ランキング 【1983年6月】初恋/村下孝蔵]</ref><ref name="nikkan2008716 ">{{Cite news |title = 村下孝蔵さんの「初恋」は歌詞通りだった |newspaper = [[日刊スポーツ]] |date = 2008-7-16 |author = |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080716-384306.html |accessdate = 2015-10-14 |page = 22 }}</ref><ref name="shokutaku">{{Cite news |title = 『初恋/村下孝蔵』 食卓ON楽、2015-09-27 |newspaper = |date = 2008-6-20 |author = |authorlink = |url = http://www.hfmweb.jp/blog/shokutaku/2008/06/post_31.html |accessdate = 2015-10-14 |publisher = [[広島エフエム放送]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151014123829/http://www.hfmweb.jp/blog/shokutaku/2008/06/post_31.html |archivedate = 2015年10月14日 |deadlinkdate = 2017年10月 }}</ref>。最盛期の村下家は、水俣市と周辺に7軒の映画館を経営した資産家だった<ref name="be2009">『[[be (朝日新聞)|朝日新聞be]]』「うたの旅人」2009年2月14日</ref>。生まれて間もない頃の村下は泣くことが少なく、近隣の住人に「生まれたと聞いたけれど泣き声がしない」と不思議がられたという
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− | <ref>[[#落合2008|落合2008]]、14-15頁。</ref>。村下は、そのまま無口な少年に育った。姉によると、幼少期の村下は実家の営む映画館で一番前の席に座って映画を観たり<ref>[[#落合2008|落合2008]]、17-18頁。</ref>、一緒にラジオで歌謡曲を聴いたりして過ごすことが多かった<ref>[[#落合2008|落合2008]]、39頁。</ref>。
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− | [[1959年]]、父が[[鹿児島県]][[出水市|出水市本町商店街]]に新たな映画館(泉映)を建てると一家は転居し、1年ほどで水俣市仲之町通りに戻った(一年間出水市立出水小学校に通う)<ref>[[#落合2008|落合2008]]、50・62頁。</ref>。この頃、村下は姉とともに[[ロカビリー]]に夢中になった。村下は[[日劇ウエスタンカーニバル]]の映像を映画館で観て、歌手への憧れを口にすることもあった<ref>[[#落合2008|落合2008]]、63-65頁。</ref>。映画館の事務所には休憩時間にかけるレコードが置かれていて、村下は姉とともに聴き漁った<ref>[[#落合2008|落合2008]]、92-93頁。</ref>。村下は[[エレクトリック・ギター]]の音に興味を抱くようになり、[[寺内タケシとブルージーンズ]]を好んで聴いていたが、やがて「こっちのほうがすごい」と[[ベンチャーズ]]に夢中になった<ref>[[#落合2008|落合2008]]、93-95頁。</ref>。1965年、映画『[[エレキの若大将]]』で[[加山雄三]]の「夜空の星」を聴いたことをきっかけに「ボクも作曲する。歌う。エレキギターも持つ」と言うようになる<ref name="sponichi"/><ref name="shokutaku" /><ref>[[#落合2008|落合2008]]、122-123頁。</ref>。村下はかねてから両親に、エレキギターをせがんでいたが、「不良になるからダメ」<ref group="注">当時の日本にはエレクトリック・ギターの所持が少年不良化につながるという風潮があった([[#落合2008|落合2008]]、93頁)。</ref>、「弾けもしないうちから買ってどうする」といった理由で聞き入れられなかった。そこで村下は、加山のギターをモデルに[[ラワン材]]を使ってギターを自作した<ref name="sponichi"/><ref>[[#落合2008|落合2008]]、123-125頁。</ref>。ギターが完成すると三面鏡の前に立ち、加山の演奏スタイルを真似ていたという<ref>[[#落合2008|落合2008]]、125-126頁。</ref>。高校進学後の1969年、村下は憧れだった[[モズライト・ギター]]を父親から買い与えられた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、162-163頁。</ref>。父親は1967年に収益悪化のしていた映画館を廃業し<ref>[[#落合2008|落合2008]]、134-135頁。</ref>、新たな事業として温泉の採掘を行ったが失敗、その後は[[阿蘇市]]のホテルに就職し、母親とともに転居<ref>[[#落合2008|落合2008]]、164頁。</ref>。村下は、水泳部の特待生として[[鎮西高等学校]]に入学し<ref>[[#落合2008|落合2008]]、148頁。</ref>、寮生活を送った後、北九州市の短期大学に入学した姉と熊本市内で同居した<ref>[[#落合2008|落合2008]]、164-165頁。</ref>。
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− | === 高校を卒業後、広島へ ===
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− | [[1971年]]、高校を卒業した村下は得意の水泳で実業団・[[八幡製鐵所|新日本製鐵八幡製鐵所]]入り<ref name="sponichi"/><ref name="nikkan2008716" /><ref name="千葉紘子">[[千葉紘子]]『千葉紘子のコーヒーブレイク』[[毎日新聞社]]、1984年、267-269頁。</ref>。当時の部員によると、高校で実績を残した(1969年、中部九州大会平泳ぎ100メートル優勝<ref>[[#落合2008|落合2008]]、164頁。</ref>)とはいえ実業団の中では平凡な選手{{Refnest|group="注"|同年代の平泳ぎ100メートル種目には、ミュンヘン五輪で金メダルとなった[[田口信教]]がいた<ref>[http://wgen.kodansha.ne.jp/archives/24019/ 『熱討スタジアム』第157回 村下孝蔵『初恋』を語ろう 今週のディープ・ピープル 経田康×嶋田富士彦×沢田聖子] – [[週刊現代]] 2015/07/04日号</ref>。}}で、ギターが得意であったため宴会部長として活躍<ref name="nikkan2008716" /><ref>[[#落合2008|落合2008]]、172-174頁。</ref>。同年9月に同社を退職<ref name="nikkan2008716" />。落合昇平は寮生活を送る中、ギターを弾く時間がほとんどないことに悩んだのだろうと推測している<ref>[[#落合2008|落合2008]]、176-177頁。</ref>。当時父親は[[マツダ|東洋工業]]に転職して[[広島市]]に転居しており、音楽中心の生活を目指し村下も広島へ移った<ref name="sponichi"/><ref name="shokutaku" /><ref name="朝日広島201014 ">{{Cite news |title = 村下孝蔵 今も降る君の歌声-マイタウン広島 |newspaper = [[朝日新聞]]広島版 |date = 2010-1-4 |author = |page = 33 }}</ref><ref>[[#落合2008|落合2008]]、177頁。</ref>。
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− | 1972年、[[日本デザイナー学院|日本デザイナー学院広島校]]インテリアデザイン科入学。広島に来て間が無い村下には友達がなく、[[広島平和記念公園|平和公園]]で一人でギターを弾くことが多かった。『エレキの若大将』に憧れ、[[ベンチャーズ]]に心酔していた村下が、広島でエレキ・ギターを[[フォークギター]]に持ち替え、曲作りを始めた理由は、当時の広島は[[吉田拓郎]]のコピーをやる人が多く、フォークギターを持たなければ仲間が作れなかったためであった<ref name="be2009"/>。同年夏、僅か300枚の自主制作シングル「ひとりぽっちの雨の中」を発表<ref name="shokutaku" /><ref>[[#落合2008|落合2008]]、19-23頁。</ref>。同校卒業後[[ヤマハ]]広島店<ref>[http://www.yamahamusic.jp/hiroshima-s/ ヤマハ 広島店]</ref>に就職し、二年間、[[ピアノ]]購入契約で実績を挙げ<ref name="千葉紘子"/>、[[1975年]]からは[[ピアノ調律師]]として勤務する傍ら、[[法華クラブ|ホテル法華クラブ広島]]の[[ラウンジ]]で[[弾き語り]]のアルバイト等で地道に音楽活動を継続した<ref name="shokutaku" /><ref name="朝日広島201014 "/><ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12173137444.html 「八木経由 あのねのねまで支離滅裂テーマ」 雪待月2016-06-22]</ref>。
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− | 1979年、ヤマハを退社し自主制作レコード『それぞれの風』を発表<ref name="shokutaku" />。レコーディングの様子はテレビ番組(『青春音楽列島「それぞれの風」』)として放映された<ref>[[#落合2008|落合2008]]、44-45頁。</ref>。この番組のディレクターを務めた人物は[[中国放送]]の那須和男だった<ref name="be2009"/><ref name="朝日広島201014 "/><ref>[[#落合2008|落合2008]]、45頁。</ref>。那須は偶然観た村下の演奏に惹かれ、『[[たむたむたいむ]]』のパーソナリティーに村下を推薦するなど村下をバックアップしていた<ref name="be2009"/><ref name="朝日広島201014 "/><ref>[[#落合2008|落合2008]]、83-86頁。</ref>。『たむたむたいむ』で、当時まだ大学生だった[[西田篤史]]とコンビを組む<ref name="be2009"/><ref name="朝日広島201014 "/>。この頃の村下は第2期の[[広島フォーク村]]に参加するなど広島の音楽好きには知られた存在となっていた<ref name="shokutaku" />。村下は『それぞれの風』で[[ヤマハ]]主催のポピュラー音楽コンテストに応募したが、受賞はならなかった<ref name="shokutaku" /><ref>[[#落合2008|落合2008]]、34頁。</ref>。
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− | === プロとしてのデビュー ===
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− | 1979年、知人のライブハウス店主から勧められ、当時のCBSソニー(現在の[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]])の全国オーディション(第1回CBS・ソニーオーディション)に応募し、グランプリを獲得<ref name="shokutaku" />。しかしCBSソニーとしては、当時流行っていた[[山下達郎]]や[[南佳孝]]などの[[シティ・ポップ|シティポップス系]]のアーティストを探しており、フォーク系でそれなりに年齢も重ねていた村下の将来性を巡ってはCBSソニー社内でも意見が分かれた<ref name="shokutaku" />。プロデューサーとして村下の全作品を手がけた[[須藤晃]]によると「このオーディションで一番レコードが売れるのは村下孝蔵だ」と断言する者もいれば「[[フォークソング|フォーク]]はもう終わりだぞ。ラジオスターの時代じゃなくルックスの時代なんだ」と村下のルックスや年齢に難色を示す者もいた。ただ楽曲や声のよさは誰もが認めるところで、中国放送がバックアップしていたこともあり何とかデビューが決定<ref>[[#落合2008|落合2008]]、45-46、113-115頁。</ref>、[[1980年]]、27歳の時、シングル「月あかり」でプロデビューした<ref name="sponichi"/><ref name="nikkan2008716" />。同期合格者には[[HOUND DOG]]、[[堀江淳]]、[[五十嵐浩晃]]らがいた。プロになると決意した村下は、最高のギターを持っていたいという思いから馴染みの楽器店で[[マーティン (楽器メーカー)|マーティン]]D-45を購入している<ref>[[#落合2008|落合2008]]、32-33頁。</ref><ref>[http://www.kisada.com/pickers/ Picker's Friendship KISADA 木定楽器店 - 木定楽器店・音楽教室]</ref>。プロとなった後も、テレビ出演はせず、広島を拠点に地道にライブ活動を続ける<ref name="sponichi"/><ref name="nikkan2008716" /><ref name="千葉紘子"/><ref>[http://blog.goo.ne.jp/tom7313nanamad/e/a7fa0bab9d96ee4dc51b2690364e44d6 Ommo's: バンバンで、村下孝蔵さんと話す]</ref>。このためプロの歌手になったからと言って、デビュー直後に劇的な変化はなかった<ref name="shokutaku" />。
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− | [[1981年]]1月にリリースされた2枚目のシングル「[[春雨 (村下孝蔵の曲)|春雨]]」は、地道なプロモーションを重ねて、チャート最高位58位を記録、およそ3ヵ月半に渡ってチャートにランクイン<ref name="shokutaku" />。[[1982年]]発売の「[[ゆうこ (村下孝蔵の曲)|ゆうこ]]」は、チャート最高位23位を記録、約7か月半にわたってチャートインした<ref name="shokutaku" />。この「ゆうこ」のタイトルになっている女性は日本画家・[[船田玉樹]]の娘で、村下とこの時期に結婚しており、後にシンガー・ソングライターとなる娘をもうけている(1985年離婚、村下はこの後再婚)<ref name="chugoku2016618">{{Cite news |title = 思い出の八木復興エール 故村下孝蔵さん元妻と娘が演奏会 |newspaper = [[中国新聞]] |date = 2016-6-18 |author = |url = http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=257175&comment_sub_id=0&category_id=112 |accessdate = 2016-6-28 |publisher = 中国新聞(ヒロシマ平和メディアセンター) |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160628092206/http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=257175&comment_sub_id=0&category_id=112 |archivedate = 2016年6月28日 |deadlinkdate = 2017年10月 }}</ref><ref name="kobe201502">{{Cite news |title = 十七回忌にささげる『初恋』 村下孝蔵さん長女らがカバーCD |newspaper = [[神戸新聞]] |date = 2015-2-25 |author = |url = http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201502/0007769202.shtml |accessdate = 2015-10-14 |publisher = |archiveurl = http://megalodon.jp/2015-1014-2046-38/www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201502/0007769202.shtml |archivedate = 2015-10-14 }}</ref><ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0005162915.shtml 村下孝蔵さんの元妻と娘] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120705122847/http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0005162915.shtml |date=2012年7月5日 }}、[http://office-autumn.com/acohikiyuko/ アコーディオニストゆうこ]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12056808928.html 「父と村下孝蔵」 雪待月2015-08-01]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-11912429517.html 「亡き祖父の励ましと父の墓所についてのお願い」 雪待月2014-08-20]</ref>。同年10月、『[[夜のヒットスタジオ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])に初出演した<ref name="shokutaku" />。
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− | [[1983年]]、30歳にして発表した5枚目のシングル「[[初恋 (村下孝蔵の曲)|初恋]]」は、[[オリコンチャート]]で最高3位を記録する大ヒットとなる<ref name="sponichi"/><ref name="shokutaku" />。「初恋」は村下がバラードとして作ったものを[[編曲家]]の[[水谷公生]]がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった<ref name="ochiai2008-168">[[#落合2008|落合2008]]、168頁。</ref>。水谷はかねてから[[須藤晃]]に「もうフォークにこだわらなくてもいいんじゃないか」と進言していた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、167頁。</ref>。水谷は村下を、「でっかい人だった。人にゆだねる強さがあった」と評している<ref name="ochiai2008-168"/>。村下の元マネージャー嶋田富士彦によると、村下の楽曲は[[有線ラジオ放送|有線]]で強く支持され、地方では[[演歌]]に似た[[ヒットチャート|チャート]]変動を示した<ref>[[#落合2008|落合2008]]、128-129頁。</ref>。嶋田によると、村下の楽曲はフォークテイストでありながらもベンチャーズに由来する「切れ味の良いロック感覚」も持ち合わせていたが、音楽業界の中でもレトロな印象を抱く者の方が多かったという<ref>[[#落合2008|落合2008]]、129頁。</ref>。
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− | 「初恋」発売の前後に村下は肝炎を患い<ref>[[#落合2008|落合2008]]、143-144頁。</ref>、「初恋」がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった<ref name="ochiai2008-131">[[#落合2008|落合2008]]、131頁。</ref>。また、肝炎が原因で広島と東京の往復が出来なくなり、1984年末に生活の拠点を東京に移した<ref>[[#落合2008|落合2008]]、71頁。</ref>。同年秋から全国ツアーを開始したが翌1985年に再び体調が悪化し<ref name="ochiai2008-131"/>、入退院を繰り返した<ref name="ochiai2008-156">[[#落合2008|落合2008]]、156頁。</ref>。この時期に、広島から定年退職したばかりの父親も東京で暮らし始めた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、156-157頁。</ref>。1987年に全国ツアーを再開。この年に催した七夕コンサートは毎年の恒例行事となった<ref name="ochiai2008-156"/>。1988年、神奈川県川崎市の[[CLUB CITTA']]で行われたベンチャーズのライブにゲストとして出演。ベンチャーズと一緒に演奏するという夢を叶えた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、73頁。</ref>。
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− | 1989年、アルバム『野菊よ 僕は…』を発売。須藤晃によるとこの頃アルバムの売れ行きが落ち込みを見せ、村下にも須藤自身にも焦りが生じたという<ref name="ochiai2008-118">[[#落合2008|落合2008]]、118頁。</ref>。1992年発売のシングル「ロマンスカー」は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し<ref name="ochiai2008-118"/>、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った<ref name="ochiai2008-159">[[#落合2008|落合2008]]、159頁。</ref>渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという<ref name="ochiai2008-118"/>。この時期の村下は試行錯誤の末、「自分には"初恋"を越える曲はできんかもしれん」「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの。向こうからやってくるのよ」という境地に至った<ref name="ochiai2008-159"/>。
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− | === 逝去 ===
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− | [[1999年]][[6月20日]]、[[駒込]]の[[スタジオ]]で[[演奏会|コンサート]]の[[リハーサル]]中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は[[救急車]]も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「[[脳内出血|高血圧性脳内出血]]」と判明した直後、意識不明の[[昏睡]]状態に陥り、僅か4日後の[[6月24日]]に死去。{{没年齢|1953|2|28|1999|6|24}}。葬儀は[[6月26日]]に営まれた。夫人の希望により、出棺の際には村下が生前最も気に入っていた楽曲「ロマンスカー」<ref name="ochiai2008-118"/>がかけられた<ref name="ochiai2008-159"/>。[[7月3日]]には東京の[[渋谷公会堂]]でお別れ会が<ref>[[#落合2008|落合2008]]、195頁。</ref>、[[8月8日]]には広島市内の寺院において音楽葬が営まれた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、24-25頁。</ref>。戒名は「乾闥院法孝日藏清居士」、墓所は[[茨城県]][[稲敷郡]][[茎崎町]](現・[[つくば市]])の筑波茎崎霊園にある。
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− | == エピソード ==
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− | * ギターの腕前は、音楽関係者の間でも評価が高かった<ref>[[#落合2008|落合2008]]、114頁。</ref><ref>[[#落合2008|落合2008]]、180頁。</ref>。編曲家の水谷公生は「アマチュア的だが天才」と評している<ref>[[#落合2008|落合2008]]、168頁。</ref>。レコーディングで演奏することはほとんどなかった<ref>[[#落合2008|落合2008]]、116-117頁。</ref>が、コンサートでは披露していた<ref>[[#落合2008|落合2008]]、73頁。</ref>。特に[[ザ・ベンチャーズ]]から強い影響を受けており、ライブではベンチャーズの曲を演奏するシーンがよく見られた。アマチュア時代からバンドをいくつか経験していて、その中で「一人でもベンチャーズを弾けないだろうか」との思いから練習を重ねたという、[[アコースティックギター]]のソロ演奏でベンチャーズの曲を卓越したテクニックで演奏する「ひとりベンチャーズ」はステージの見所の一つとなっていた。[[さだまさし]]は「村下の弾く"ひとりベンチャーズ"は凄い。居ないはずの[[メル・テイラー]]のドラムが聞こえてくる」と語っている<ref>[[TOKYO FM]]「スーパーフライデースペシャル・[[坂崎幸之助]]のOpen-G」ゲスト出演時での証言。</ref>。
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− | * [[ザ・ベンチャーズ]]のメンバーとの交友が深く、特にベーシストの[[ボブ・ボーグル]]からは、自作のギターパーツ(ジャズマスター用のブリッジサドルで、ボブが真鍮を削りだして作った物)を贈られている。本人曰く「もったいなくて使えない」との事。後に村下の他界を聞いたボブは、ツアー中でありながら通夜に参列した。
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− | * 仕事がほとんどなかった1981年に[[中森明菜]]のデビュー曲の依頼が来て作成したが採用されなかった<ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12050580615.html 「中森明菜さん」 雪待月2015-07-15]</ref>。
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− | * 「初恋」がヒットしたとき、広島市の中心部・[[並木通り (広島市)|並木通り]]に『小さな屋根の下』という喫茶店を開いていた<ref name="朝日広島201014 "/>。この店は村下自身が1984年4月に、ファンたちが集まる店になれば、と夢見て作ったものだったが<ref name="朝日広島201014 "/>、その頃、村下は[[肝炎]]でもう広島と東京の往復が出来なくなって東京に拠点を移したため、やむなくその年の末に閉店した<ref name="朝日広島201014 "/><ref>[[#落合2008|落合2008]]、71頁。</ref>。同年に出したアルバム『[[花ざかり (村下孝蔵のアルバム)|花ざかり]]』に収録されている「[[花ざかり (村下孝蔵のアルバム)#収録曲|北斗七星]]」に歌われた『赤い屋根』は、この店とは別の、生前村下がよく通った喫茶店の名で、現在も広島市北部の[[安佐南区]][[毘沙門台]]にある<ref name="朝日広島201014 "/><ref name="kobe201502" /><ref>{{Cite web|url=http://www.h-buscenter.com/pdf/noriba/busbiyori-2017-win.6.pdf|format=PDF|title=バスびより 広島バスセンター60周年超特大号(2) Vol.15 祇園、中筋、緑井、毘沙門台エリア|work=|publisher=[[広島バスセンター]]|page=|accessdate=2018-05-08}}</ref><ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-11884813426.html カフェ「赤い屋根」 雪待月2014-06-27]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12172336197.html 「赤い屋根」 雪待月2016-06-19]</ref>。村下は当時結婚してこの店の近く、[[上安駅|上安]]、続いて[[八木 (広島市)|八木]]の[[広島市立梅林小学校|梅林小学校]]そばのアパートに住んでいた<ref name="chugoku2016618" /><ref name="kobe201502" /><ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12052428064.html 「ボイストレーニング」 雪待月2015-07-20]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12171136571.html 「何気ない日々でした」 雪待月2015-07-31]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12171136571.html 「安佐南区八木と村下孝蔵」 雪待月2016-06-16]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12171795178.html?frm_src=thumb_module 「6月19日」 雪待月2016-06-18]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12172508612.html 「ありがとうございました(続) 」 雪待月2016-06-20]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12172814668.html 「ありがとうございました(続) 」 雪待月2016-06-21]</ref><ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12174027688.html 「雨の命日」雪待月2016-06-24]{{Cite news|title =小山田浩子(芥川賞)×和田竜(本屋大賞) 広島ゆかり作家 新春対談|newspaper =[[中国新聞]]|date =2015-1-5|author =|url =http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=39505|accessdate =2015-10-14|publisher =中国新聞(ヒロシマ平和メディアセンター)|archiveurl =https://web.archive.org/web/20151014135928/http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=39505|archivedate =2015年10月14日|deadlinkdate =2017年10月}}</ref>。「初恋」の"校庭"という歌詞は、娘とよく遊んだ梅林小学校で思いついたといわれ<ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-12170390304.html 「皆様へ」 雪待月2016-06-13]</ref>、「初恋」を始め多くの楽曲がこの地で着想された<ref>[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-11914337570.html 「広島市安佐南区八木」 雪待月2014-08-24]、[http://ameblo.jp/404510yukorona24/entry-11957839559.html 「村下孝蔵カバーアルバムについて」 雪待月2014-11-28]</ref>。
| |
− | * 命日である6月24日は、「初恋」のワンフレーズと、[[梅雨]]の時期であることより、『'''五月雨忌'''』と呼ばれ、没後、2017年まで追悼イベント・ライブが行われた。
| |
− | * 前述のように中国放送と縁があったため、現在でも6月の命日前後に村下孝蔵を偲ぶ特別番組が毎年のように放送されていた([[2007年]]は[[6月23日]]、[[2008年]]は[[6月28日]]、[[2009年]]は彼の[[命日]]である6月24日、[[2010年]]は[[6月21日]]、[[2012年]]は[[6月23日]]に放送)。その際の司会は、生前仲の良かった[[西田篤史]]である<ref>[http://www.1350.jp/mura_sp4.htm RCCラジオ特別番組 村下孝蔵メモリアル]</ref>。
| |
− | * 村下の死去から14年を経た2013年、故郷水俣市の商店街『ふれあい一番街』に「初恋」の歌碑が建立され、商店街ストリートの名称もこれにちなみ『初恋通り』と改名された(2014年6月の商店街総会で正式に決定)<ref>[https://archive.is/20131118061257/http://kumanichi.com/news/local/main/20131117004.shtml 村下孝蔵さんにちなみ、初恋通り 水俣市に歌碑] [[熊本日日新聞]]([[アーカイブ|archive]]) 2013年11月17日閲覧</ref><ref>{{Cite news |title = 村下孝蔵氏の故郷、熊本・水俣に「初恋通り」誕生 |newspaper = [[産経新聞]] |date = 2013-12-13 |author = |url = http://www.sankei.com/life/news/131213/lif1312130003-n1.html |accessdate = 2015-10-14 |publisher = 産経新聞ニュース |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151014143427/http://www.sankei.com/life/news/131213/lif1312130003-n1.html |archivedate = 2015年10月14日 |deadlinkdate = 2017年10月 }}</ref>。
| |
− | *漫画家の[[吉崎観音]]は村下の従兄弟の息子である<ref>https://www.facebook.com/permalink.php?id=1547088012197610&story_fbid=1627569974149413</ref>。
| |
− | | |
− | == ディスコグラフィ ==
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− | === シングル ===
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− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル !! B面(カップリング)
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[1980年]][[5月21日]] || '''[[月あかり (村下孝蔵の曲)|月あかり]]''' || 松山行フェリー
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[1981年]][[1月21日]] || '''[[春雨 (村下孝蔵の曲)|春雨]]''' || 歌人
| |
− | |-
| |
− | ! 3rd
| |
− | | [[1981年]][[6月21日]] || '''[[帰郷 (村下孝蔵の曲)|帰郷]]''' || 未成年
| |
− | |-
| |
− | ! 4th
| |
− | | [[1982年]][[4月21日]] || '''[[ゆうこ (村下孝蔵の曲)|ゆうこ]]''' || 陽炎
| |
− | |-
| |
− | ! 5th
| |
− | | [[1983年]][[2月25日]] || '''[[初恋 (村下孝蔵の曲)|初恋]]''' || 丘の上から
| |
− | |-
| |
− | ! 6th
| |
− | | [[1983年]][[8月25日]] || '''[[踊り子 (村下孝蔵の曲)|踊り子]]''' || 冬物語
| |
− | |-
| |
− | ! 7th
| |
− | | [[1984年]][[4月1日]] || '''[[少女 (村下孝蔵の曲)|少女]]''' || 花れん
| |
− | |-
| |
− | ! 8th
| |
− | | [[1984年]][[9月21日]] || '''[[夢のつづき (村下孝蔵の曲)|夢のつづき]]''' || 似顔絵
| |
− | |-
| |
− | ! 9th
| |
− | | [[1986年]][[4月21日]] || '''[[かざぐるま (村下孝蔵の曲)|かざぐるま]]''' || 幸せの時間
| |
− | |-
| |
− | ! 10th
| |
− | | [[1986年]][[11月21日]] || '''[[ねがい (村下孝蔵の曲)|ねがい]]''' || とまりぎ
| |
− | |-
| |
− | ! 11th
| |
− | | [[1987年]][[5月21日]] || '''[[哀愁物語 -哀愁にさようなら-]]'''<ref group="注">[[中林由香]]とのデュエット</ref> || 美し過ぎるミステイク
| |
− | |-
| |
− | ! 12th
| |
− | | [[1987年]][[9月21日]] || '''[[陽だまり (村下孝蔵の曲)|陽だまり]]''' || 白い花の咲く頃
| |
− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1988年]][[7月1日]] || '''初恋ミニアルバム'''<ref group="注">初恋/踊り子/ゆうこ/少女/春雨を収録</ref> ||
| |
− | |-
| |
− | ! 13th
| |
− | | [[1988年]][[11月21日]] || '''[[風のたより]]''' || ネコ
| |
− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1989年]][[3月21日]] || '''初恋/少女''' ||
| |
− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1989年]][[3月21日]] || '''ゆうこ/踊り子''' ||
| |
− | |-
| |
− | ! 14th
| |
− | | [[1990年]][[6月21日]] || '''[[ソネット (村下孝蔵の曲)|ソネット]]''' || 禁じられた遊び
| |
− | |-
| |
− | ! 15th
| |
− | | [[1991年]][[3月21日]] || '''[[アキナ (曲)|アキナ]]''' || タカハシ
| |
− | |-
| |
− | ! 16th
| |
− | | [[1991年]][[11月21日]] || '''[[この国に生まれてよかった]]''' || 帰宅
| |
− | |-
| |
− | ! 17th
| |
− | | [[1992年]][[9月21日]] || '''[[一粒の砂]]''' || ひとりごと
| |
− | |-
| |
− | ! 18th
| |
− | | [[1992年]][[11月21日]] || '''[[ロマンスカー (村下孝蔵の曲)|ロマンスカー]]''' || ピンボール
| |
− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1993年]][[10月1日]] || '''初恋/ゆうこ/アキナ''' ||
| |
− | |-
| |
− | ! 19th
| |
− | | [[1994年]][[7月1日]] || '''[[つれてって]]''' || りんごでもいっしょに
| |
− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1995年]][[11月22日]] || '''初恋/踊り子''' ||
| |
− | |-
| |
− | ! 20th
| |
− | | [[1996年]][[6月21日]] || '''[[16才 (村下孝蔵の曲)|16才]]''' || あなた踊りませんか
| |
− | |-
| |
− | ! 21st
| |
− | | [[1998年]][[10月31日]] || '''[[同窓会 (村下孝蔵の曲)|同窓会]]''' || 素直
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === アルバム ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
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− | |-
| |
− | ! -
| |
− | | [[1979年]] || '''それぞれの風'''<ref group="注">自主製作盤。「ひとり暮らし」など一部の曲はプロデビュー後、発表された。没後、アルバム『[[純情可憐]]』において一部収録された。</ref>
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[1980年]][[7月1日]] || '''[[汽笛が聞こえる街|汽笛がきこえる街]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[1981年]][[4月21日]] || '''[[何処へ (アルバム)|何処へ]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 3rd
| |
− | | [[1982年]][[4月21日]] || '''[[夢の跡]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 4th
| |
− | | [[1983年]][[8月25日]] || '''[[初恋〜浅き夢みし〜]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 5th
| |
− | | [[1984年]][[12月8日]] || '''[[花ざかり (村下孝蔵のアルバム)|花ざかり]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 6th
| |
− | | [[1986年]][[7月2日]] || '''[[かざぐるま (アルバム)|かざぐるま]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 7th
| |
− | | [[1987年]][[10月21日]] || '''[[陽だまり (村下孝蔵のアルバム)|陽だまり]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 8th
| |
− | | [[1988年]][[10月21日]] || '''[[恋文 (村下孝蔵のアルバム)|恋文]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 9th
| |
− | | [[1989年]][[11月1日]] || '''[[野菊よ 僕は…]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 10th
| |
− | | [[1990年]][[7月21日]] || '''[[清涼愛聴盤]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 11th
| |
− | | [[1991年]][[4月25日]] || '''[[新日本紀行 (アルバム)|新日本紀行]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 12th
| |
− | | [[1992年]][[11月21日]] || '''[[名もない星]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 13th
| |
− | | [[1994年]][[7月1日]] || '''[[愛されるために]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 14th
| |
− | | [[1999年]][[9月8日]] || '''[[同窓會]]'''
| |
− | |}
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− | | |
− | === ベストアルバム ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[1984年]][[11月21日]] || '''[[歌人〜ソングコレクション〜]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[1987年]][[12月2日]] || '''[[歌人II]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 3rd
| |
− | | [[1995年]][[6月21日]] || '''[[林檎と檸檬〜村下孝蔵ベストセレクション]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 4th
| |
− | | [[1999年]][[12月18日]] || '''[[しのびあるきのたそがれに]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 5th
| |
− | | [[2000年]][[11月1日]] || '''[[夢の記録]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 6th
| |
− | | [[2001年]][[6月24日]] || '''[[純情可憐]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 7th
| |
− | | [[2005年]][[6月22日]] || '''[[七夕夜想曲|七夕夜想曲〜村下孝蔵最高選曲集 其の壱]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 8th
| |
− | | [[2011年]][[6月22日]] || '''[[この国に生まれてよかった 村下孝蔵 セレクションアルバム]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 9th
| |
− | | [[2012年]][[7月25日]] || '''[[哀しい恋の歌 村下孝蔵セレクションアルバム]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 10th
| |
− | | [[2013年]][[7月3日]] || '''[[GOLDEN☆BEST 村下孝蔵ベスト・セレクト・ソングズ]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 11th
| |
− | | [[2013年]][[7月3日]] || '''[[GOLDEN☆BEST 村下孝蔵オリジナル・カラオケ集]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 12th
| |
− | | [[2014年]][[6月25日]] || '''[[歌人撰集]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 13th
| |
− | | [[2017年]][[6月21日]] || '''[[ひとりぼっちのあなたに 〜村下孝蔵選曲集〜]]'''
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === リミックスアルバム ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[2000年]][[6月21日]] || '''[[ラムネとビーチサンダル]]'''
| |
− | |}
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− | | |
− | === ライブアルバム ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[2005年]][[9月21日]] || '''[[月待哀愁歌|月待哀愁歌〜村下孝蔵最高選曲集 其の弐]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[2006年]][[5月24日]] || '''[[清聴感謝祭|清聴感謝祭〜村下孝蔵最高選曲集 其の参]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 3rd
| |
− | | [[2007年]][[7月7日]] || '''[[村下孝蔵メモリアルコレクション]]'''<ref group="注">コンサート会場と通販のみの販売。</ref>
| |
− | |-
| |
− | ! 4th
| |
− | | [[2009年]][[7月1日]] || '''[[GUITAR KOZO]]'''
| |
− | |-
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− | ! 5th
| |
− | | [[2015年]][[7月1日]] || '''[[きっといつかは]]'''
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === コンピレーション・トリビュートアルバム ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[2006年]][[5月24日]] || '''[[昭和春夏秋冬〜村下孝蔵作品集〜]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[2006年]][[7月21日]] || '''[[絵日記と紙芝居〜村下孝蔵トリビュートアルバム〜]]'''
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === CD BOX ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[2008年]][[7月2日]] || '''[[哀愁浪漫]]'''<ref group="注">全曲最新リマスタリングの再編集CD10枚とライブ映像DVD1枚の11枚組BOX。完全生産限定盤。</ref>
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[2012年]][[10月31日]] || '''[[銀河天空〜村下孝蔵ベスト・セレクト・ボックス]]'''
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === VHS/DVD ===
| |
− | {| class="wikitable"
| |
− | ! # !! 発売日 !! タイトル
| |
− | |-
| |
− | ! 1st
| |
− | | [[2001年]][[6月24日]] || '''[[純情 (映像作品)|純情]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 2nd
| |
− | | [[2011年]][[6月22日]] || '''[[歌人'95]]'''
| |
− | |-
| |
− | ! 3rd
| |
− | | [[2016年]][[7月13日]] || '''[[花恋]]'''
| |
− | |}
| |
− | | |
− | === 詩集 ===
| |
− | {| class="wikitable" style="font-size:small;"
| |
− | |-
| |
− | !発売日
| |
− | !タイトル
| |
− | !出版社
| |
− | |-
| |
− | | [[1991年]][[5月1日]]
| |
− | | 村下孝蔵詩集 初恋〜浅き夢みし〜
| |
− | | [[PHP研究所]]
| |
− | |}
| |
− | | |
− | == 主なタイアップ曲 ==
| |
− | {|class="wikitable" style="font-size:small;"
| |
− | ! 楽曲 !! タイアップ !! 時期
| |
− | |-
| |
− | | ねがい || [[明星食品]]「チャルメラ」CMソング || 1986年
| |
− | |-
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− | | 陽だまり || [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系アニメ『[[めぞん一刻 (アニメ)|めぞん一刻]]』オープニングテーマ || 1987年
| |
− | |-
| |
− | | 風のたより || 「[[赤い羽根共同募金|'88赤い羽根共同募金]]」イメージソング || 1988年
| |
− | |-
| |
− | | この国に生まれてよかった || [[ハウス食品]]「特選生わさび」CMソング || 1991年
| |
− | |-
| |
− | | 一粒の砂 || 広島アジア競技大会協賛・[[中国新聞|中国新聞社]]・[[中国放送]]共同企画「アジア・ピースロード」テーマ曲 || 1992年
| |
− | |-
| |
− | | 同窓会 || [[TBSテレビ|TBS]]系[[ドラマ30]]「[[命賭けて|命賭けて〜あなたは我が子を守れるか!?〜]]」主題歌 || 1998年
| |
− | |}
| |
− | | |
− | == 主な提供曲、被カバー曲 ==
| |
− | * [[三田寛子]] 「初恋」「野菊いちりん」「夢路」「恋ごころ」
| |
− | * [[高田みづえ]] 「かげふみ」「似顔絵」
| |
− | * [[香西かおり]] 「あなたへ」※遺作
| |
− | * [[香田晋]]「ゆうやけ」
| |
− | * [[伍代夏子]]「旅一夜」
| |
− | * [[裕木奈江]] 「[[旬 (裕木奈江のアルバム)|りんごでもいっしょに]]」「たなばた」「この空が味方なら」「優しい嘘」「星からの手紙」
| |
− | * [[柳葉敏郎]] 「あなた踊りませんか?」
| |
− | * [[寺内タケシ]] 「雷雲(RAIUN)」
| |
− | * [[梅沢富美男]] 「落情」
| |
− | * [[藤崎詩織]](ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』のキャラクター、声は[[金月真美]]) 「[[藤崎詩織#Memories|リンゴの樹の下で]]」
| |
− | * [[おかあさんといっしょ]] 「こどもがいっぱいわらってる」「パパはいつもおきている」(歌のおねえさん・歌のお兄さんに提供)
| |
− | * [[中原理恵]] 「さみしさ裏返し」
| |
− | * [[叶和貴子]] 「今夜がよければ」
| |
− | * 大石真理恵「すみれ白書」「秋海棠」
| |
− | * [[島田奈美]]「ハッピーエンドの後で」
| |
− | * [[中山忍]]「花は何処にあるの?」
| |
− | * 村越裕子 「春雨」
| |
− | * [[島谷ひとみ]] 「カバーアルバム・男唄」「初恋」
| |
− | * [[GOING UNDER GROUND]] 「初恋」([[サントリー]]「白いなっちゃん」CMソング)
| |
− | * [[Acid Black Cherry]] 「初恋」(2nd single「Black Cherry」c/w曲、カバーアルバム「Recreation」)
| |
− | * [[中森明菜]]「踊り子」
| |
− | * [[平川地一丁目]]「松山行きフェリー」「初恋」
| |
− | * [[柏原芳恵]]「ソネット」
| |
− | * [[前川清]]「酔いしれて」「最後の手紙」
| |
− | * [[水森かおり]]「恋路海岸」
| |
− | * [[早見沙織]]&[[高垣彩陽]](テレビアニメ『[[そらのおとしもの]]』第9話EDテーマ「初恋」
| |
− | * [[早見沙織]]&[[高垣彩陽]](テレビアニメ『そらのおとしものf(フォルテ)』第8話EDテーマ)「踊り子」
| |
− | * 蔡楓華(香港)「讓你自由」(85年に提供された後、87年に「白い花の咲く頃」として村下がセルフカバー)
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− | * [[ジュディ・オング]]「花たちの扉」([[ひろしまフラワーフェスティバル]]公式テーマ曲。作詞:[[来生えつこ]]。その後「かすみ草」として村下の作詞でセルフカバー)
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− | * [[東山奈央]](テレビアニメ『[[月がきれい]]』第3話挿入歌「初恋」
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− | == ギター ==
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− | * [[アコースティック・ギター|アコースティックギター]]
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− | ** [[ヤマハ]] CWEカスタム
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− | ** ヤマハ LL55カスタム (いずれも[[Terry's Terry|テリー中本]]作)
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− | ** ヤマハ LA
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− | ** [[オベーション]] スーパーアダマス
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− | ** [[高峰楽器製作所|タカミネ]] PT-010N
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− | * [[エレクトリックギター|エレキギター]]
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− | ** [[フェンダー・ストラトキャスター|フェンダー ストラトキャスター]]
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− | ** [[フェンダー・ジャズマスター]]
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− | ** [[モズライト]]
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− | ** [[ギブソン・レスポール]]
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− | == メモリアル・コンサートの演目 ==
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− | * 2004年9月18日/19日(ソミドホール)
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− | #ロマンスカー
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− | #北斗七星
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− | #教訓
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− | #ひとり暮らし
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− | #とまりぎ
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− | #夢の跡
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− | #月あかり
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− | #春雨
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− | #踊り子
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− | #松山行きフェリー
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− | #同窓会
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− | #この国に生まれてよかった
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− | #EN1 初恋
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− | #EN2 青春の日々に
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− | * 2007年8月5日(札幌市教育文化会館)…ゲスト/天満敦子、みのや雅彦
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− | #北斗七星
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− | #つれてって
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− | #ロマンスカー
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− | #踊り子
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− | #かざぐるま
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− | #ネコ
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− | #午前零時
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− | #タイスの瞑想曲
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− | #愛のあいさつ
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− | #純情可憐
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− | #ブラック・サンド・ビーチ
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− | #RAIUN(雷雲)
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− | #陽だまり
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− | #挽歌
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− | #空(作詞/作曲 [[みのや雅彦]])
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− | #松山行きフェリー
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− | #同窓会
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− | #この国に生まれてよかった
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− | #帰宅
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− | #EN1 教訓
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− | #EN2 初恋
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− | #EN3 青春の日々に
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− | ==出演==
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− | ===テレビ番組===
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− | *[[関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!]]([[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]制作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)
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− | *[[すてきな出逢い いい朝8時]](1996年頃、[[MBSテレビ|毎日放送]]制作・[[TBSテレビ|TBS]]系)
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− | *[[THE夜もヒッパレ]]([[日本テレビ]])不定期出演
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− | ===ラジオ番組===
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− | == 脚注 ==
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− | {{脚注ヘルプ}}
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− | === 注釈 ===
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− | {{Reflist|group="注"}}
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− | === 出典 ===
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− | {{Reflist|2}}
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− | | |
− | == 参考文献 ==
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− | * {{Cite book|和書
| |
− | |author = 落合昇平
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− | |year = 2008
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− | |title = 村下孝蔵 STORY 深き夢歌、淡き恋歌
| |
− | |series = ソニー・マガジンズ新書 M003
| |
− | |publisher = [[ソニーマガジンズ]]
| |
− | |isbn = 4-7897-3306-8
| |
− | |ref = 落合2008
| |
− | }}
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− | == 関連項目 ==
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− | * [[須藤晃]] - 村下を見いだしたプロデューサー。
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− | * [[町支寛二]] - 数多くの作品のコーラスパートに参加した。
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− | * [[水谷公生]] - 数多くの作品の編曲を手がけるが、サウンドプロデュースの役割も果たした。
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− | * [[村上保]] - 彫刻家、切り絵作家。「初恋」のジャケットを手掛けたのを皮切りに、村下孝蔵の主要作品に参加している。
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− | * [[西田篤史]] - 広島の親友
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− | * 経田康 - 村下孝蔵と長年相棒を務めたリードギタリスト。音楽・プライベート両面で村下の信頼が篤かった。アコーステックアルバム「GUITAR KOZO」の制作者。没後「メモリアルコンサート」「同窓会コンサート」をコンサートマスターとして主導。
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− | == 外部リンク ==
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− | * [http://www.murashita-kozo.com/ 村下孝蔵ホームページ]
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− | * [http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/KozoMurashita/ 村下孝蔵 | Sony Music]
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− | {{村下孝蔵}}
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− | {{ソニー・ミュージックアーティスツ}}
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− | {{DEFAULTSORT:むらした こうそう}}
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− | [[Category:日本の男性シンガーソングライター]]
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− | [[Category:日本のフォークシンガー]]
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− | [[Category:日本のピアノ調律師]]
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− | [[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]
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− | [[Category:熊本県出身の人物]]
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− | [[Category:広島市出身の人物]]
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− | [[Category:1953年生]]
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− | [[Category:1999年没]]
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