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{{Otheruses||ベトナムのトンキン(東京)湾|トンキン湾}}
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{{Infobox ocean
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'''東京湾'''(とうきょうわん)
| name = 東京湾
 
| image = tokyobay_landsat.jpg
 
| image_size = 240
 
| caption = 東京湾の[[衛星画像]](2005年)<br/>[[人工衛星]]「[[ランドサット]]」による。
 
| coords = {{coord|35|25|N|139|47|E|region:JP_type:waterbody|display =inline,title}}
 
| part_of = [[太平洋]]
 
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}}
 
'''東京湾'''(とうきょうわん)は、[[日本]]の[[関東地方]]にある、[[太平洋]]に開けた[[湾]]である。南に向けて開いた湾であり、[[浦賀水道]]が湾口となっている。
 
 
 
[[現代 (時代区分)|現代]]の[[行政]]上、広義では、[[千葉県]][[館山市]]の[[洲埼灯台]]から[[神奈川県]][[三浦市]]の[[剱埼灯台|剣埼灯台]]まで引いた線および陸岸によって囲まれた[[海域]]を指す<ref name="EMECS closed-sea">
 
{{Cite web|title=日本の閉鎖性海域|url=http://www.emecs.or.jp/closedsea-jp/closedsea-jp.htm|work=(公式ウェブサイト)|publisher=国際エメックスセンター|date=2009-03-25|accessdate=2011-06-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110901073410/http://www.emecs.or.jp/closedsea-jp/closedsea-jp.htm|archivedate=2011年9月1日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref><ref>国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律施行規則第3条第1号、船舶油濁損害賠償保障法施行規則第11条第1号、海上交通安全法施行令第1条、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律施行規則第33条の6第2号(剱埼灯台は「剣埼灯台」表記)</ref>。
 
 
 
== 呼称 ==
 
[[ファイル:Tsukada Island in the Musashi province.jpg|thumb|right|270px|[[葛飾北斎]]の[[名所絵]][[揃物]]『[[富嶽三十六景|冨嶽三十六景]]』の内「武陽 佃嶌」<br/>江戸時代後期、[[廻船]]で賑わう[[江戸前]]の[[佃 (東京都中央区)|佃島]](現・東京都中央区[[佃 (東京都中央区)|佃]])より、遥か[[富士山]]を望む。]]
 
 
 
[[近世]]以前は東京湾全体を指す固有名詞はなく、現在の呼称は、[[明治維新]]後[[江戸]]が[[東京]]と改称され、複数の[[令制国]]に囲まれた湾であることから、湾岸における最大の都市名を付けたもので、[[地形図]]では「東京湾」、[[海図]]では「東京海湾」の表記であったが、最近になって「東京湾」に統一されたものである<ref name="wa">菊池利夫 『東京湾史』 13-14頁。</ref>。なお、近世の東京湾を指すとされる「[[江戸湾]]」という語は近年になって造られた語([[造語]])であり、[[明治]]時代以前にあった言葉ではない<ref name="to">児玉幸多 『東京都の地名(日本歴史地名大系 13)』 43頁。</ref>。
 
 
 
[[江戸時代]]には[[江戸前]]や江戸前海などの呼び名があり、江戸前とは[[漁場]]を示す言葉であり[[佃 (東京都中央区)|佃]]沖の漁場のことであるが、江戸前海とは房総沖などと並ぶある範囲をもった海域のことで[[品川湊|品川]]沖から[[葛西]]沖あたりまでを包括していた<ref name="to" />。しかし、湾全体は単に([[武蔵国|武蔵]][[相模国|相模]][[上総国|上総]][[下総国|下総]]の)[[内海]]、あるいは裏海のように呼ばれていた<ref name="wa" />。その後の[[幕末]]や[[明治]]初期の記録文献類に登場する現在の東京湾に相当する湾の名称もほとんどが「内海」となっているが、「内海」という言葉は江戸時代以前に北東の下総[[常陸国|常陸]]国境付近に存在していた「[[香取海]]」に対しても用いられるので、昨今では区別のため、古代以前の東京湾のことを「古東京湾」や「奥東京湾」、中世から近世までの湾を「江戸湾」「江戸内海」などと呼称することが多い<ref name="ni">盛本昌広 『日本中世の贈与と負担』 275頁。</ref>。
 
 
 
== 地理 ==
 
=== 基本データ ===
 
国際エメックスセンターによる、東京湾の基本データ(2009年時)<ref name="EMECS closed-sea"/><!--EMECSの出典は節内の全文に係る-->。
 
* 湾口幅:20.9[[キロメートル|km]]
 
* [[面積]]:1,380[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]
 
* 湾内最大[[水深]]:700[[メートル|m]]
 
* 湾口最大水深:700m
 
* [[閉鎖度指標]]:1.78(1以上を示す海域のため、排水規制対象である。''cf.'' [[閉鎖性水域]]、[[水質汚濁防止法]])
 
* 海域の位置する都道府県:[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]
 
* 総量規制区域。[[環境基準]]類型指定水域。
 
 
 
=== 概説 ===
 
[[ファイル:tokyobay_area.png|thumb|right|200px|東京湾の範囲<br/>ピンク色の範囲が狭義の東京湾であり、それに水色の範囲([[浦賀水道]])を加えたものが広義の東京湾である。ピンク色の海域は比較的浅いが、水色の海域には急激に深い「海底谷」がある。]]
 
 
 
狭義には[[三浦半島]]の[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]と[[房総半島]]の[[富津岬]]を結んだ線の北側(図のピンク色の範囲)、広義には三浦半島の[[剱崎]]と房総半島の[[洲崎 (千葉県)|洲崎]]を結んだ線より北側、すなわち[[浦賀水道]](図の水色の範囲:外湾と呼ぶ場合がある)を含んだ海域を指す。狭義の海域について気象庁の津波予報区としては「東京湾内湾」と称する<ref>
 
{{Cite web |author=横浜気象台防災業務課 |title=横浜地方気象台/発表する情報について |url=http://www.jma-net.go.jp/yokohama/yoko04.htm |language=日本語 |accessdate=2010-03-02}}{{リンク切れ|date=2011年6月}}
 
</ref><ref name="EMECS closed-sea"/>。
 
狭義の東京湾の面積は922 km<sup>2</sup>。広義の面積は、1,320 km<sup>2</sup> である。[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]に面する。
 
 
 
内湾部の水深は比較的浅く、[[富津]]岬沖には「中の瀬」と呼ばれる台地が広がる。
 
 
 
[[多摩川]]、[[鶴見川]]、[[荒川 (関東)|荒川]]、[[江戸川]]、[[小櫃川]]などが注いでいるが、湾口が狭く外海との海水の交換は行われにくい。そのためたびたびプランクトンの異常発生である[[赤潮]]が発生してきた。外海に面している浦賀水道の水質は良く、加えて[[黒潮]]の影響を受けるため温かい水を好む南方系の魚や[[サンゴ]]も生息している。特に、夏には[[沖縄諸島|沖縄]]近海で見られるような魚([[回遊#死滅回遊|死滅回遊魚]])の姿を見ることも出来る。江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。これにより湾内には明治・大正期に造られた[[海堡]](かいほ)を始め、70を超える[[人工島]]がある<ref>加藤庸二『東京湾諸島』(駒草出版)</ref>。対して、自然島は現在[[横須賀市]]沖の[[猿島]]及び[[鋸南町]]沖の[[浮島 (千葉県)]]等がある。
 
 
 
かつて[[海獺島 (神奈川県)|アシカ島]]など湾内では[[ニホンアシカ]]が繁殖し、数多くの[[イルカ]]や[[シャチ]]、[[コククジラ]]や[[セミクジラ]]など大型の[[クジラ]]類も見られた。また、[[袖ヶ浦]]や[[浦安市|浦安]]沖から湾奥部などでよく見られた「クジラまわし」と呼ばれる光景([[ナガスクジラ科]]が海面で行う採餌行動)は、冬の風物詩の一つとされた<ref>高橋在久, 1996 『東京湾学への窓』 蒼洋社(ブレーン出版). 2014年6月19日閲覧</ref>。現在でも、[[ツチクジラ]](ほぼ消滅)<ref>河野博, 2011 『東京湾の魚類』 323頁 平凡社. 2014年6月19日閲覧</ref>や[[マッコウクジラ]]などが[[浮島 (千葉県)]]や[[館山湾]]など湾口に集結する事がある。[[三浦半島]]の[[佐島]]など周辺海域にもクジラが回遊していた<ref>https://www.youtube.com/watch?v=t5xVIc5zCts</ref>。[[スナメリ]]は現在では滅多に見られない<ref>https://www.youtube.com/watch?v=-u0wjio-5cQ</ref><ref>http://www.yumekuzira.com/club.asp?div=tokyo</ref>。[[ジンベイザメ]]や[[マンタ]]、[[マンボウ]]などの大型回遊魚類は館山方面で見られ、[[ミツクリザメ]]、[[ダイオウイカ]]などが発見されることもある。
 
 
 
元々遠浅で砂地の海岸が多かったため、各所で埋め立てが進められてきた。[[埋立地]]の大部分は、[[工業地帯]]もしくは[[ベッドタウン]]として利用されている。現在残されている自然の砂浜は、千葉県の木更津以南のみとなっている。[[横須賀港]]、[[横浜港]]、[[川崎港]]、[[東京港]]、[[千葉港]]、[[木更津港]]があり、横須賀港には[[横須賀海軍施設|米軍横須賀基地]]や[[海上自衛隊]][[横須賀地方隊]]の基地がある。[[京浜工業地帯]]と[[京葉工業地域]]は、[[加工貿易]]で国を富ませてきた日本の心臓部である。[[バブル景気]]の頃から、[[オフィス街]]([[臨海副都心]]と[[幕張新都心]])も開発され、[[バブル崩壊]]後は、[[超高層マンション]]の建設ラッシュや大型[[ショッピングセンター]]の新規オープンなどが相次ぐ。
 
 
 
=== 東京湾海底谷 ===
 
外湾部では陸から離れた沖<!--水深が浅いのは観音崎の北までで、隣接する久里浜の南沖-->の海底は急激に深くなっており、水深500m以上に達する東京湾海底谷が認められる<ref>[http://www.cabinet-cbc.ed.jp/db/rika_cd/shisetu/b_html/03-0045.htm 千葉県理科学習資料データベース『東京湾の海底』]</ref>。海底谷は[[相模トラフ]]に合流する。この海底谷には河川を通じて東京湾に流れ込んだ有機物が沈殿しており、栄養が豊富な[[深海]]という特異な環境が東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのため[[メガマウス]]や[[ミツクリザメ]]など世界的に希少な深海魚が捕獲されることがある<ref>[http://sankei.jp.msn.com/science/science/090815/scn0908151302001-n1.htm 東京湾に潜む「深海の楽園」 内房沖の大渓谷「東京海底谷」の奇妙な世界(産経新聞、2009年8月15日)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090818094819/http://sankei.jp.msn.com/science/science/090815/scn0908151302001-n1.htm |date=2009年8月18日 }}</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
 
 
12万年前は現在より海水面が高く、[[房総半島]]は島であった。このころの内海を指して古東京湾と呼ぶ。
 
 
 
[[旧石器時代]]は[[最終氷期]]にあたり、[[氷河]]が発達していたため海面が現在より著しく低く、[[浦賀水道]]付近以北は陸地となっており、「古東京川」と呼ばれる川が流れていた<ref>{{Cite web|title=葛飾の歴史|url=http://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000058/1002752/1002869/1003140.html|publisher=[[葛飾区]]|accessdate=2017-04-30}}</ref>。
 
 
 
[[File:Touki Ryushichi 1926a 21.png|thumb|right|350px|1926年時点の関東平野地図に、縄文海進時代の海進領域(斜線部)を重ねた地図(東木龍七、地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線、1926年)。]]
 
6000年前には[[縄文海進]]と呼ばれる海水面の上昇があり、関東地方の海水準は現在より3 - 4mほど高かった<ref>{{Cite web |url=http://nh.kanagawa-museum.jp/kikaku/ondanka/pdffile/wt_01v101.pdf |title=縄文の海は、広かった! |accessdate=2015-05-26 |format=PDF |work=+2°Cの世界 縄文時代に見る地球温暖化 ワークテキスト |publisher=[[神奈川県立生命の星・地球博物館]]}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = 遠藤邦彦ほか|date = 1983-04|title = 関東平野の《沖積層》|journal = アーバンクボタ|issue = No.21|pages = 26-43|publisher = [[クボタ]]|naid=10007427996}}</ref>。東京湾は[[渡良瀬川]]河道では[[群馬県]][[邑楽郡]][[板倉町]]付近まで、[[利根川]]河道では[[埼玉県]][[川越市]]付近まで湾入したことが貝塚分布から裏付けられる。この頃の東京湾を指して'''奥東京湾'''と呼ぶ<ref>{{Cite web
 
  |url = https://www.pref.saitama.lg.jp/cess/cess-kokosiri/cess-koko10.html
 
  |title = 地面の下って、どうなっているの?
 
  |publisher = [[埼玉県環境科学国際センター]]
 
  |accessdate = 2017-04-29 }}</ref>。また、このうち、[[大宮台地]]の西側の水域は'''古入間湾'''とも呼ぶ<ref>{{Cite web
 
  |url = http://www.city.fujimi.saitama.jp/35miru/01kyouiku/syougaigaku/files/dai1dai2syou.pdf
 
  |title = 第2章 富士見の歴史
 
  |publisher = [[富士見市]]
 
  |accessdate = 2017-04-29 }}</ref>。
 
<!-- 発行時の社名は「久保田鉄工」のはずだが、PDF版の表紙や目次での表記は「株式会社クボタ」となっている |url = http://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/21/ 記事が複数のPDFに分割されているので、『アーバンクボタ』 No.21のURLを示す |accessdate = 2015-05-26}}  https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=prev&oldid=43139925 で出典として追加されている。p.42「海水準変動」を意図していると思われるが、特定は避ける。 -->
 
 
 
かつては[[武蔵国]]と[[下総国]]の間は広大な低湿地帯で通行に適さなかったため[[日本書紀]]、[[古事記]]で[[ヤマトタケル]]が、また[[律令時代]]の[[東海道]]も771年以前は[[相模国]]三浦半島より湾を渡って[[上総国]]房総半島へ至っている。[[鎌倉時代]]にも交通路として利用されていた資料が残る。中世には[[海賊]]衆も活動し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[後北条氏]]と[[里見氏]]の[[水軍]]の争いの舞台にもなった。
 
 
 
江戸時代には[[菱垣廻船]]や[[樽廻船]]などの[[和船]]による水運が行われ、後期には外国船来航に対する湾岸防備のために品川沖に[[台場]]が築かれている。
 
[[ファイル:Kuniyoshi Utagawa, View of Mt Fuji 2.jpg|thumb|right|300px|一勇斎国芳([[歌川国芳]])の名所絵揃物『東都富士見三十六景』の内「佃沖 晴天の[[富士山|不二]]」<br/>江戸時代末期、[[江戸前]]の[[佃 (東京都中央区)|佃島]]沖にて[[漁師]]が行う網漁の様子を描いた一図。]]
 
 
 
長らく[[鎖国]]状態にあったが、[[黒船来航]]の後に[[日米修好通商条約]]が結ばれた結果横浜港が開港された。[[1945年]]([[昭和]]20年)[[9月2日]]には、東京湾(浦賀水道の城ヶ島と館山の間あたり)に停泊中の[[アメリカ海軍]]戦艦「[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]」甲板上で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]各国代表が見守る中、日本政府代表が[[降伏]]文書に署名して[[第二次世界大戦]]が終結している。
 
 
 
== 環境保全 ==
 
かつては世界最大の人口を誇った大都市・[[江戸]]の人々の胃袋を満たしてきた豊かな東京湾であったが、沿岸地域や流入河川の流域における都市化・工業化の進展に伴い、環境汚染が深刻となった。特に1970年代に環境汚染はピークを迎え、海の生き物は激減、一時は「死の海」とまで呼ばれる状態にあった<ref>{{cite news |title=奇跡の地球物語 東京湾 ~サンゴが棲む海~ |newspaper=[[テレビ朝日]] |date=2010-7-18 |url=http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20100718/ |accessdate=2014-6-1}}</ref>。その後、環境保全の取り組みが進み、様々な生き物が戻り、豊かな生態系を取り戻しつつある<ref>{{cite web |title=ボクらの地球  奇跡の深海を潜る あなたの知らない東京湾 探検!"東京海底谷"の神秘 |newspaper=[[ビーエス朝日|BS朝日]] |url=http://www.bs-asahi.co.jp/ourearth/prg_019.html |accessdate=2014-6-1}}</ref><ref>{{cite web |title=次回は「シリーズ東京湾① 生きものいっぱい!大都会の海」 |newspaper=[[日本放送協会|NHK]][[ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜]] |url=http://www.nhk.or.jp/darwin-blog/200/188327.html |accessdate=2014-6-1}}</ref>。水質の改善も進んでいる<ref>{{cite web |title=都内河川及び東京湾の水環境の状況 |newspaper=[[東京都環境局]] |url=http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/tokyo_bay/ |accessdate=2014-6-1}}</ref>。
 
 
 
一方、夏場には常態的に[[貧酸素水塊]]が発生するなど、まだ取り組むべき課題はある。水質改善により、東京湾には多くの種類の生き物が戻ってきたが、個体数はそこまで増えていないと考えられている。実際に東京湾の漁獲量は、2000年に入っても環境汚染のピークだった1960、70年代から増えておらず、横ばいが続いている<ref>{{cite web |title=江戸前の復活!東京湾の再生をめざして |newspaper=独立行政法人水産総合研究センター |url=http://tokyobay.job.affrc.go.jp/|accessdate=2014-6-1}}</ref>。
 
 
 
=== 青潮 ===
 
1960 - 1970年代の東京湾沿岸部の埋め立ての際、埋め立て土砂を海底から浚渫。流れの悪い[[浚渫]]窪地に[[貧酸素水塊]]と栄養塩がたまり、[[嫌気性生物|嫌気性細菌]]により大量の[[硫化水素]]が発生、[[青潮]]の発生源の1つとなっている。現在、東京湾では約1億m³の浚渫窪地が存在する。
 
 
 
=== 干潟再生 ===
 
沿岸の埋め立てに伴い[[干潟]]面積は大きく減少しているが、海水の浄化作用があること、海生生物や[[野鳥]]の生息に欠かせない自然環境であることから、残された天然の干潟に対する保護運動が起きている。現在東京湾に残る干潟は以下の通り。
 
 
 
* 野島海岸([[神奈川県]])
 
* [[多摩川]]河口干潟
 
* [[三枚洲]]([[東京都]])
 
* [[三番瀬]]([[千葉県]])
 
* [[谷津干潟]](千葉県)
 
* [[盤洲干潟]](千葉県)
 
* [[富津干潟]](千葉県)
 
 
 
干潟は東京湾に生息する[[スズキ (魚)|スズキ]]や[[鯛|タイ]]、[[貝]]類など[[日本]][[固有種]]で漁業価値の高い魚介類の稚魚の生息地となっており、これを保護・拡張することは環境面のみならず東京湾の漁業や観光(遊魚事業)などの事業価値を高めることにもつながるため、その価値は大変高いものである。
 
 
 
[[港区 (東京都)|港区]]の[[お台場]]では、砂を運んで人工の干潟を作る試みが行われている。この人工干潟では、[[アサリ]]を始めとする生き物が戻りつつある<ref>{{cite web |title=アサリやマハゼ・アユの稚魚で知る人工干潟の重要性 |newspaper=[[東京都島しょ農林水産総合センター]] |url=http://www.ifarc.metro.tokyo.jp/26,349,52,213.html |accessdate=2014-6-1}}</ref><ref>{{cite web |title=内湾調査平成19年10月 東なぎさとお台場人工干潟の貝類生息環境の違いについて |newspaper=[[東京都島しょ農林水産総合センター]] |url=http://www.ifarc.metro.tokyo.jp/22,1327,47.html |accessdate=2014-6-1}}</ref>。
 
 
 
===合流式下水道越流水問題===
 
雨水も家庭排水などの下水も、下水道を通じて下水処理場まで運んでいる場合、大量の雨水が下水道に流れ込んでしまい、下水道管で受け止めきれなかった一定量については、汚水未処理のまま河川の公共水域に放流せざるを得ない状況が発生しており、大雨時には放流海域での[[大腸菌]]数の増加など、環境影響が発生している。
 
 
 
=== 家庭排水対策 ===
 
東京湾の汚濁原因は、富栄養化の原因物質であるCOD、窒素、リンともに約7割が家庭排水によるものであり、その主たるものは糞尿である。
 
 
 
対策として、合併浄化槽の整備や下水処理場の高度化、合流式下水道の改善などが行われている<ref>{{PDFlink|[https://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/attachement/%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%AA%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6%28H20.12.16%29.pdf きれいな東京湾を目指して]}}</ref>。
 
 
 
=== 海洋清掃船 ===
 
東京湾内の浮遊ゴミおよび浮遊油を回収する目的で運用されている船。
 
* [[べいくりん]](清掃兼油回収船)
 
 
 
== 交通 ==
 
* [[東京湾アクアライン]]
 
* [[東京湾フェリー]]
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 菊池利夫 『東京湾史』 大日本図書印刷、1974年
 
* 児玉幸多 『東京都の地名(日本歴史地名大系 13)』 平凡社、2002年、ISBN 4-582-49013-1
 
* 盛本昌広 『日本中世の贈与と負担』 校倉書房〈歴史科学叢書〉、1997年、 ISBN 978-4-7517-2750-8
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Tokyo Bay}}
 
* [[館山湾]]-広義の東京湾内にある湾。
 
* [[根岸湾]]
 
* [[京浜港]]
 
* [[ウォーターフロント]]
 
* [[天王洲アイル]]
 
* [[東京臨海副都心]]
 
* [[幕張新都心]]
 
* [[横浜みなとみらい21]]
 
* [[横浜・八景島シーパラダイス]]
 
* [[海ほたるパーキングエリア]]
 
* [[観音埼灯台]]
 
* [[海獺島]]
 
* [[吾妻島]]
 
* [[浮島 (千葉県) ]]
 
* [[御膳海苔]]
 
* [[上総ノリ]]
 
* [[木更津ノリ]]
 
* [[打瀬網漁]]
 
* [[京葉シーバース]]
 
* [[東京湾納涼船]]
 
* [[全日空羽田沖墜落事故]]
 
* [[日本航空350便墜落事故]]
 
* [[関東大水害]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
<!--* [http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/kyoku/tokyowan100/ 東京湾100選] - 国土交通省関東地方整備局港湾空港部--><!--リンク切れ-->
 
<!--* [http://ungan.jp/ ウンガン!東京湾 海辺運河のコミュニティマップ] - 財団法人WAVE(港湾空間高度化環境研究センター)--><!--リンク切れ-->
 
* [http://www.tbeic.go.jp/ 東京湾環境情報センター] - 国土交通省関東地方整備局港湾空港部
 
* [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/TB_Renaissance/ 東京湾再生推進会議] - 海上保安庁海洋情報部
 
** [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN3/kaisyo/tokyo_kankyo/tokyo_menu.htm 東京湾環境保全調査] - 第三管区海上保安本部海洋情報部
 
* {{PDFlink|[http://www.tokyokankyo.jp/kankyoken/report-news/2001/mizu9.pdf 東京湾におけるダイオキシン類汚染]}}(東京都環境科学研究所年報 2001) - 東京都環境科学研究所
 
* {{PDFlink|[http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf113-6/p785-801.pdf 東京都臨海域における埋立地造成の歴史]}} 遠藤毅、2004(『地学雑誌』113-6,pp.785-801.) - 東京地学協会
 
* [http://tokyowangaku.info/ 東京湾学会]
 
 
 
{{Normdaten}}
 
  
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東京都,神奈川県,千葉県に囲まれ,浦賀水道で[[太平洋]]に通じる海湾。広義には東の[[房総半島]]南端の洲崎と,西は[[三浦半島]]南端の剣崎を結ぶ線から以北,浦賀水道を含んだ海域をいい,狭義には三浦半島東端の観音崎と千葉県の富津岬を結ぶ線以北の海域。水深約 30m。海底は泥土が大部分を占めるが,北岸と房総半島側は砂質,三浦半島側は岩石が多い。水路は狭く航行に不便であるが,湾岸に首都東京や[[京浜工業地帯]],[[京葉工業地域]]を控え,水上交通は盛んである。横浜,川崎,東京の3港を含めた京浜港や京浜運河,横須賀港,千葉港がある。近年は水質汚濁が著しく,漁業は不振。都の臨海副都心計画や業務核都市計画のもとに湾岸の埋立てが進行。みなとみらい 21 (横浜港) ,幕張新都心 (千葉港) ,東京テレポートタウン (臨海副都心) ,さらに神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアラインなどが開発されている。
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{{テンプレート:20180815sk}}
 
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[[Category:東京湾|*]]
 
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東京湾(とうきょうわん)

東京都,神奈川県,千葉県に囲まれ,浦賀水道で太平洋に通じる海湾。広義には東の房総半島南端の洲崎と,西は三浦半島南端の剣崎を結ぶ線から以北,浦賀水道を含んだ海域をいい,狭義には三浦半島東端の観音崎と千葉県の富津岬を結ぶ線以北の海域。水深約 30m。海底は泥土が大部分を占めるが,北岸と房総半島側は砂質,三浦半島側は岩石が多い。水路は狭く航行に不便であるが,湾岸に首都東京や京浜工業地帯京葉工業地域を控え,水上交通は盛んである。横浜,川崎,東京の3港を含めた京浜港や京浜運河,横須賀港,千葉港がある。近年は水質汚濁が著しく,漁業は不振。都の臨海副都心計画や業務核都市計画のもとに湾岸の埋立てが進行。みなとみらい 21 (横浜港) ,幕張新都心 (千葉港) ,東京テレポートタウン (臨海副都心) ,さらに神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアラインなどが開発されている。



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