松平容保

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松平 容保(まつだいら かたもり)

幕末の会津藩主。美濃高須城主松平義建の子。字はけい之允。号は祐堂,芳山。弘化3 (1846) 年会津藩主松平容敬の養子となり,嘉永5 (52) 年襲封。同6年ペリー来航に際して井伊直弼とともに国書受理に賛成し,安政7 (60) 年桜田門外の変で直弼が横死すると,幕府と水戸藩との調停にあたった。また幕府の命により松平慶永とともに幕政に参与し,次いで京都守護職。元治1 (64) 年の禁門の変において長州藩兵と戦い,これを撃退した。慶応4 (68) 年鳥羽・伏見の敗戦ののち,江戸に帰った。その後,奥羽越列藩同盟の中心となったが,会津戦争で敗れた。 1880年東照宮宮司。



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