橋本孝志

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橋本 孝志(はしもと たかし、1946年8月29日 - )は福岡県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

博多工では1963年、2年の時に控え投手、外野手として春の選抜に出場、1回戦で海南高のエース山下慶徳に抑えられ敗退、橋本の登板はなかった[1]。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進みリリーフとして登板するが、柳川商に完封負けを喫する。翌1964年はエースとして選抜に連続出場。2回戦で池永正明を擁する下関商を降し準決勝まで進出するが、尾道商小川邦和投手に0-4で完封負け[1]。しかし同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を2-0で完封し初優勝、一躍注目を集めた。同年夏は県予選準々決勝で、末永吉幸のいた小倉工に日没引き分け再試合の末に敗退。高校同期に控え投手の池田善吾(芝工大三菱自動車川崎)、1学年下に遊撃手倉田晃がいる。

池永正明、尾崎正司と共に当時の西日本高校球界の三羽烏として期待され、高校卒業後は近鉄バファローズへ入団。1年目から一軍で8試合に起用され、1967年9月には阪急ブレーブスから初勝利を記録するが、その後は登板機会に恵まれず1970年限りで引退した。本格派の速球投手であり、スライダー、シュートやカーブも武器としたが、プロでは大成しなかった。

詳細情報

年度別投手成績

1965 近鉄 8 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 55 12.1 14 3 6 0 0 6 0 0 9 6 4.50 1.62
1966 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 3 0.0 2 0 1 0 0 0 0 0 3 2 ---- ----
1967 3 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 27 5.2 7 0 6 0 0 3 0 0 5 5 7.50 2.29
1970 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 9 1.0 4 0 2 0 0 0 0 0 5 2 18.00 6.00
通算:4年 13 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 94 19.0 27 3 15 0 0 9 0 0 22 15 7.11 2.21

背番号

  • 26 (1965年 - 1971年)
  • 20 (1972年)

関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年