水論

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水論(すいろん、みずろん)とは、灌漑用水への分配(分水)をめぐる論争または紛争[1][2]境相論(論所)を指すこともある[3]。「水争い[1][2][4]「水喧嘩」[4]「水騒動」「水紛争」ともいう。

概要

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水論の原因の一つに、農業用水分水の公平性の確保が挙げられる。公平性を明示的に示すために、近代に築かれるようになった円筒分水の例。大分県竹田市の音無井路十二号分水(1939年築造)

中世の日本においては旱魃などが起こると暴力行為を伴う紛争となったが[注 1]近世においては暴力より訴訟が望まれ、領主は示談を薦めた[1][5][注 2]。さらに、水利権の管理は領主の裁定から水利慣行として守られる用水組合を基本とした村落間の自治へと比重を移していった[7][注 3]。争いの原因としては、の構造の変更、の形態の変更、浚渫による流量変化、分水施設の公平さをめぐる争いや経年変化による形状の変更、取水時間や順番(番水)をめぐる争い、河川の両岸にある堰同士においてより上流に堰と取水口を付け替える争い[注 4]新田開発による用水の均衡の変化、が挙げられる[11]近代以降においては、ポンプ使用を認めるかが水利問題に発展した例がある[12]現代の水利問題としては、干拓ダム建設による農業者と漁業者との利害対立や、水害防止、水資源確保、環境保護といった観点の違いによる対立がある[13]

水論は季語である[1][2]。また、水論にまつわる慣用句として「水掛け論」や「我田引水」が挙げられる[14]

日本に限らず、水を用いるところにおいてその分配をめぐる紛争はある。20世紀末以降のアメリカ合衆国でも、ジョージア州アラバマ州フロリダ州にまたがる三州水利論争English版が発生している。

脚注

注釈

  1. 「水問答」「水合戦」と呼ばれていた[4]
  2. 1592年摂津国豊臣秀吉の令。1609年、幕府令。など[6]
  3. 用水組合の各村落の費用負担は石高に応じて割り振られること(石高割)が多かった(他に、村割、灌漑面積割)[8]。 ただし、用水の開発に特別の貢献があった村落の特権や、用水組合に後から加わった村落の劣後など、力関係による格差も存在した[9]
  4. 川の同じ側にある場合の付け替え争いは少なかった[10]

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 水論とは コトバンク”. . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 2.2 水論とは - 歴史民俗用語辞典”. . 2017閲覧.
  3. 境相論とは 世界大百科事典 コトバンク”. . 2017閲覧.
  4. 4.0 4.1 4.2 水争いとは コトバンク”. . 2017閲覧.
  5. 渡辺 2014, pp. 51-68.
  6. 渡辺 2014, pp. 60-64.
  7. 渡辺 2014, pp. 64-66.
  8. 渡辺 2014, pp. 51-52.
  9. 渡辺 2014, pp. 54-55.
  10. 渡辺 2014, p. 59.
  11. 渡辺 2014, pp. 55-59.
  12. 片山 1998, pp. 65-156.
  13. 渡辺 2014, pp. 3-4.
  14. 渡辺 2014, pp. 55-56.

参考図書

  • 渡辺尚志 『百姓たちの水資源戦争 江戸時代の水争いを追う』 草思社、2014-02-26。ISBN 978-4-7942-2036-3。
  • 片山直方 『灌漑水利権 ふけ川水論』 文理閣、1998-07-10。ISBN 4-89259-306-0。

関連項目