相賀武夫
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相賀 武夫(おうが[おおが][1] たけお、1897年4月2日 - 1938年8月12日)は岡山県出身の出版事業家。小学館および集英社の創業者。別名、相賀祥宏。長男は小学館第2代社長の相賀徹夫。孫は小学館第3代社長の相賀昌宏(徹夫の長男)。
来歴・人物
岡山県都窪郡加茂村(現在の岡山市)にて、庄屋を営む相賀虎右衛門の息子として生まれる。祖父は村会議員。
生家が没落して貧しかったため、小学校卒業後は書記見習として県立高松農学校に就職。明治44年に岡山市の吉田書店の住み込み店員として入社。大正3年、出版社研文館の東京出張所の主任に任じられて上京。大正5年に株式会社共同出版社の東京支店長に就任。大正9年に23歳で結婚。大正11年、共同出版社社長吉田岩次郎および岡山市吉田書店主吉田徳太郎の援助により東京市神田区錦町に小学館を創業。同年9月7日、学年別学習雑誌である「小学五年生」「小学六年生」を創刊。当初は赤字が続いたが、大正12年4月号から黒字に転じる。大正12年9月1日、関東大震災にあって大きな打撃を受けたが、休まず雑誌を刊行。大正13年、共同書籍株式会社の取締役支配人に就任。大正14年、共同書籍株式会社を退社。 大正15年、小学館から娯楽誌出版部門を分離独立させ、集英社を設立。しかし過労がたたって昭和4年夏から病床生活を余儀なくされ、夫婦で日蓮宗に帰依する。1931年、祥宏と改名。
1938年8月12日、42歳で死去。社長は長男の徹夫が継承した。その後小学館は1945年に株式会社化された。
脚注
関連項目
外部リンク
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