細川氏

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細川氏(ほそかわし)

清和源氏。室町幕府三管領家 (三管四職 ) の一つ。足利義季が上野から三河国額田郡細川郷に移り,郷名を称したことに始る。一族は足利尊氏の挙兵に応じて各地に転戦。尊氏西走の際は四国におもむき,ここに領国体制の基礎を築き,のちに讃岐,河内,和泉,阿波,淡路などの守護となった。清氏のとき室町幕府の執事となったが,足利義詮 (よしあきら) にそむいて滅ぼされた。しかし清氏のいとこ頼之は,正平 22=貞治6 (1367) 年義詮の死にのぞんで子の義満を託されて執事 (管領) となった。こののち頼之の子孫はしばしば管領となって幕府に重きをなした。応仁の乱後,守護領国体制がくずれ,一族が分裂して相争い,天文 21 (1552) 年には本拠地阿波までも三好氏などに蹂躪されて滅んだ。その後,支流の長岡藤孝 (細川幽斎 ) のとき再興され,忠興のときに丹波宮津 12万石の大名となり,関ヶ原の戦いを経て,徳川氏から豊前小倉 35万 9000石に封じられ,寛永9 (1632) 年には肥後熊本 54万石の大名に封じられた。明治になって侯爵。熊本支藩の宇土細川,常陸谷田部の細川はともにこの支流で,明治にいたり子爵を授けられた。



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