華夏族

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中原のおおよその位置

華夏族(かかぞく)は、の時代以前に中原黄河流域に暮らす部族で、漢民族を構成する主体でもあるとされる概念。

「華夏」の言葉がもっとも早く見られるのは、『春秋左氏伝襄公26年(紀元前546年)の「楚 華夏を失う」であり、孔頴達はこれに「華夏は中国なり」と疏をつけている。

漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、華夏族と称されていたとされる。漢民族という名称は漢王朝(紀元前206年 - 220年)の時代から今日まで使われてきてはいるが、今でも本土の中国人中国のことを華夏、中華文明を華夏文明と呼ぶことがある。学者によると、王朝(紀元前1066年 - 256年)の創立者である武王(商)王朝(紀元前16世紀 - 紀元前1066年)の末代の帝辛(紂王)を討ち取った後、中原に定住し、その一族を中国の伝説上の先聖王である神農黄帝に因んで「華族」と称した。また王朝(紀元前21世紀 - 紀元前16世紀)の創立者の大禹の末裔が「夏族」と称されていたことから、中原に居住していた族群を「華夏族」と称するようになったと言われている。当時の彼らの文化は華夏文化あるいは華夏文明として近隣の東夷族や北狄族、西戎族、南蛮族に賞され、模倣され、ついに中国大陸の東西南北へと拡大していった。このように数千年間に渡るプロセスにより、華夏系は他の民族系を吸収したり影響したりしながら今日の漢民族を形成してきたのである[1]

脚注

関連項目