野村克也

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野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 - )は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身の元プロ野球選手捕手)・元プロ野球コーチ・元プロ野球監督で、南海ヤクルト阪神東北楽天の監督を歴任し、現在は野球解説者評論家日本体育大学客員教授も務める。所属事務所はエフエンタープライズ。

戦後初の三冠王かつ世界のプロ野球史上初の捕手の三冠王で、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位、パ・リーグ通算打席数1位などの記録保持者。

血液型はB型。愛称は「ノムさん」。元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督(2012年まで)。

概要

京都府京丹後市出身。野球選手としての現役生活は1954年から1980年の27年間にわたり、南海ホークスロッテオリオンズ西武ライオンズでプレーした。選手引退後は1990年から1998年までヤクルトスワローズ1999年から2001年まで阪神タイガース2003年から2005年まで社会人野球シダックス2006年から2009年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。2010年から2012年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督[1][2]2010年からはサンケイスポーツの野球評論家を務める。また、出身地の京丹後市名誉市民となっている。

通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打本塁打打点塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録である。捕手を務めながら通算RCWINでも歴代5位を記録している球史に残る名選手であり、本人は「俺は王貞治さえいなければ三冠王だった」と自負している。選手・監督時代を通じ、勝つために様々な工夫や駆け引きを重ねており、野球理論・野球技術の発展に貢献している。

前述の「ノムさん」の愛称の他にも、「ノムやん」「ノムはん」「ムース」「和製のベーブ」などと呼ばれることがある。ムースとはロッキー山脈に生息する、普段のっそりしているが非常に敏感で頭がよい「へら鹿」のことであり、日米野球で来日したウィリー・メイズが「のそっとしているがいろいろな動きによく反応している」野村をこう呼んだことから名づけられた。

二度結婚しており、2人目の配偶者が野村沙知代である。沙知代との間に息子・野村克則。1人目の配偶者との間にも息子が1人いる。継子には団野村ケニー野村がいる。

自著で幾度か「何よりも自分は働く人間」と述懐している通り、幼少の時から老年に差し掛かった現在まで、仕事に対する執着心は非常に強い。第一線を退くことなく野球を続け、オフや休日にも講演やテレビ出演、執筆活動など数え切れないほどの仕事をこなす。現役時代は捕手という負担の大きいポジションで歴代選手2位の出場数(3017試合)を記録し、選手兼任監督まで務めており、監督としての試合出場も通算3204試合と3000試合の大台に乗せている。また通算打席数(11970打席)と通算打数(10472打数)も歴代1位記録である。

脚注

注釈

出典

  1. 楽天・野村克也名誉監督 - リアルライブ 2010年3月28日
  2. 野村氏が楽天名誉監督退任 - 河北新報・2012年12月30日(2013年1月14日時点のアーカイブ

関連項目

外部リンク