黒い霧解散(くろいきりかいさん)とは1966年12月27日の衆議院解散の俗称[1]。
1966年から日本の政界では黒い霧事件が相次いでいた。佐藤栄作首相は自民党総裁選で再選されるも、多くの批判票が集まった[2]。野党も黒い霧事件の究明を求め、国会運営に支障を来たす状況であったため[3][4]、佐藤内閣は12月27日に第54回国会が召集された初日に衆議院を解散した。
1967年に行われた第31回衆議院議員総選挙では自民党は微減するも、予想外の善戦をし、安定多数を維持。佐藤首相は求心力を高め、第2次佐藤内閣を発足させた。