20180724北米における奴隷制と宗教(S.Kamijo)

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1.はじめに

 北米にはもともと本国イギリスにおいて迫害を受けた清教徒が始めに渡りキリスト教に基づく自由な国家を築くことを理想としていた。しかし、北米には先住民がおり対立し迫害し、更にはアフリカから黒人を強制的に狩り労働力とし非人道的な奴隷制度を完成させた。その奴隷制を補完する思想とは何であったのかを歴史をまとめながら探っていく。

2.アメリカの入植時の思想

 まず、人々をヨーロッパからアメリカへと渡らせた動機が何であったかを詳しく確認する。

1620年イギリス国王ジェームズ1世の宗教的弾圧を逃れて、ピューリタンのピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)の一行102名はメイフラワー号にのって、ボストンのプリマスに上陸し植民地を建設した。彼らはメイフラワーの誓いというピューリタンの精神に基づき協力して植民地建設を行うことを誓った。 [川音強, 2017](参照)

さて、ここでピューリタンの信仰とは何であるかを確認したい。

英国チャールズ1世の統治下に、宗教政策に対する不満が膨れ上がる。ピューリタンは教会が聖書的ではない事柄から清められねばならないと主張した。もともと求めたのはローマ・カトリック的のあらゆる「付け足し」や「迷信」から教会を純化することであった。そして、清教徒革命といわれる市民革命へとつながり、内乱となった。これらの戦争は、そのどれもが正統主義という頑迷な精神によって促されたものであった。ローマ・カトリック、ルター派、改革派それぞれの正統主義であった。こうした正統主義にとって教理の細部においてまでも1つ1つ重要であり最も厳格な正統主義を基準としてそこからのささいな逸脱さえ許せなかったのである。これらの結果は戦争だけでなく各教派間において論争をも引き起こし、彼らの誰もが信仰的伝統の内側においてさえ合意に達することが困難であると知った。その混乱と迫害と対立の中、ピューリタンの一部は新天地を目指した。福音の本質に根ざす、原理・原則によって統治される社会を目指し。しかし、これは彼らに同意しない者達に対する偏狭さであったかもしれない。 [J.ゴンサレス(著) 金丸英子(訳), 2011](参照)

彼らの掲げる理想はキリスト教を信仰する白色人種にしか適応されなかったのである。未知と飢餓と土地への欲望は先住民の虐殺と土地の簒奪という形につながった。ここで、指摘しておかなければならないことは、北アメリカが入植時において、少ない人口しかいない未開の土地ではなかったのである。

 コロンブスのあとに続くヨーロッパ人たちは、無人の荒野に来たのではなかった。場所によっては、ヨーロッパと同じくらい人口密度の高い世界にやってきたのだ。そのうえインディアンは独自の歴史、おきて、詩をもち、ヨーロッパ人よりずっと平等に暮らしていた。進歩とは彼らの社会を滅ぼす理由たりえたか。 [ジン・ハワード(著) 鳥見真生(訳), 2009]

3.宗教は奴隷制を肯定する手助けとなったか

 2.からアメリカ合衆国を建国した初期の人々がどのような背景を持ち、北アメリカに入植したのかは明らかになった。キリスト教思想の適応はキリスト教徒のみにしかなされずかつ有色人種においては適応されず、さらに、強い純化の思想をもっていた集団であった。次に問いたいのは、奴隷制に宗教が影響を及ぼしたかどうかである。

4.考察

 2.から北米大陸入植初期から思想として、有色人種や武器を持たない者、力や富のない者に対する侮蔑がすでにあったと思われる。これは、ユダヤ・キリスト教文化思想において家父長制が強く、力をもつ族長や資本家や武器を持つものは弱者をまとめあげ統治することこそ理想であるという思想があると思われる。つまり「パパの言うこと聞きなさい」である。その当時のキリスト教の理想としていた自由や平等とは、私たちの思う人の自由や平等ではなく、かつて聖書の時代に懐古し根本主義を広める信仰の自由だったのではないだろうか。このように考察すると、現在のアメリカの覇権意識というものも理解できる。世界の警察ではなくて、なりたいのは世界の父なのかもしれない。

しかし、黒人奴隷が本格的に北米大陸にやってくるのは、アメリカ独立戦争後のことであった。アメリカ南部において綿・タバコ・サトウキビの大規模プランテーションに労働力が必要になったのである。労働力が必要であるならば賃金で人を雇うというのが現代いや聖書の時代において常識的である。ここで奴隷を買うという発想になるのは経済的合理性が重視される現代に差し掛かっていたからである、つまり植民地間の価格競争も原因である。そして、南北の対立も、農業生産よりも工業生産の利潤が良いために、奴隷にせずとも雇うほうが効率よく働きより利潤をもたらしてくれるという産業構造の違いもあった。ただ単に人道的な理由で北部州が奴隷制に反対したわけではない。もちろん人は経済理由だけで、非人道的なことは行えない、そこに肯定をもたらしてくれる意味が必要なのである。

独立戦争中の1822年、南部バプテストは州知事に次のような提言を出している。「3.アフリカからの奴隷の輸入はアフリカ人を教化する人間性と敬虔をもった動機である」「5.奴隷制度はアフリカ人にキリストの福音に触れさせ、奴隷所有者に彼らの宗教教育の義務を委ねる」「6.このようにして、奴隷制度は彼らに永遠の救いという極めて重要な恩恵を提供する」 [E・ルーサー・コープランド(著) 八田正光(訳), 2003](参照)

 キリスト教でないものに対する極まりない偏狭と上から目線そして正しさのお墨付きを神の名によって与えている。

5.結論

 人を奴隷とするには経済的理由もある、現代においても奴隷のような労働環境は存在している。つまり人の行動を直接支配するのは利害関係である。しかし、それを方向づけ導くものに、家父長制社会の伝統的思考や宗教的肯定があるということが確認できた。

6.参考文献

E・ルーサー・コープランド(著), 八田正光(訳). (2003): アメリカ南部バプテスト連盟と歴史の審判 (ページ: 30-31). 新教出版社.
J.ゴンサレス(著), 金丸英子(訳). (2011).: これだけは知っておきたいキリスト教史 (ページ: 149). 教文館.
ジン・ハワード(著), 鳥見真生(訳). (2009).: 学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史〈上〉1492~1901年. あすなろ書房.
川音強. (2017). 改めて知る国ごと、地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版<中巻>. 清水書院.