J-WAVE

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J-WAVE
J-WAVE, Inc.
放送対象地域 東京都
系列 JFL
愛称 J-WAVE
コールサイン JOAV-FM
開局日 1988年10月1日
本社 〒106-6188
東京都港区六本木6丁目10番1号
六本木ヒルズ森タワー33階
北緯35度39分37.44秒
東経139度43分44.55秒
演奏所 本社と同じ
親局 / 出力 東京 81.3MHz / 7kW
主な中継局 港 88.3MHz(100W)[1][2]
公式サイト www.j-wave.co.jp
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株式会社J-WAVE(ジェイウェイブ、J-WAVE, Inc.)は、東京都放送対象地域として周波数変調超短波放送(FM放送)をする特定地上基幹放送事業者である。首都圏でTBSラジオと並び首位の聴取率を有する。1988年から1989年にかけて「J-POP」(Jポップ)という新たな音楽ジャンルと名称を定義・新造し、それを定着させた[3]

概要

株式会社エフエムジャパン」として1987年末に設立され、翌年の1988年10月1日より放送を開始した。東京都を放送対象地域とする民放FM局ではエフエム東京(TOKYO FM)に次いで2番目に開局している。

設立には、六本木に本店を置いていたレコード店「WAVE」(2011年経営破綻)の母体であるセゾングループ[4]と、東急グループが出資者として深く関わった。開局申請には495社が応募したが、郵政省(当時)は「調整」と称して1社に絞り込んだ[5]

設立時から2006年6月まで、代表取締役会長社長には、長らく郵政省からの官僚もしくは経団連出身者が務めていたが、2008年6月に社長に就任したニッポン放送出身の小笠原徹以降、ラジオ業界経験者が務めることになった。ただ役員の多くは、出資法人の管理職クラス社員が派遣されている。

1993年5月に設立されたJAPAN FM LEAGUE(JFL)において、事実上幹事局の位置付けとなっている(JFLの特性上、J-WAVEはキー局ではない)。2003年にはそれまでの西麻布高樹町)から六本木ヒルズ森タワー33階に移転し「定期放送されている日本一地表より高い場所にあるラジオ局」となる。

2006年5月29日から2011年3月まで、日本国内で初めて音楽番組専門のインターネット無料配信サービス「Brandnew J “Just Like Radio”」を運用していた。2006年8月には主に首都圏を対象としたインターネットサービスプロバイダ事業「J-WAVE@NET」(ジェイウェイブ・アット・ネット)を開始。インターネット放送の融合が云われながらも遅々として進まない現状の中、放送局自らがプロバイダ事業に乗り出す国内初の例である[6]

J-WAVEのステートメントは"TUNE INTO THE FUTURE"で「J-WAVEリスナーと共に東京で生活する人の新しいヴィジョンをつくりたい」との意味が込められている。またリスナーとのコミュニケーション・キーワードとして"GOOD DESIGN"を提唱しており[7]、それらに合わせた番組作りがなされている(後述)。 ステーションコンセプトは一部ジングルでも謳われている「Soundscape and Imagination, 81.3 J-WAVE」(サウンドスケープ・アンド・イマジネーション エイティワン・ポイント・スリー・ジェイウェイブ)。コールサインはJOAV-FM。

放送対象地域の一部である東京都島嶼部には中継局が無い。しかし、2012年4月23日より東京スカイツリーから送信を開始したことにより、高層建築物の影になる東京都港区南西部に難聴地域が発生した。それに伴い、港区南西部およびその周辺部と放送区域としてJ-WAVE港FM(六本木ヒルズ森タワー、100W、88.3MHz[8])の免許を2015年10月21日付で受けた。試験電波の送信を経て、11月1日5:00に開局した[2][1]

送信所

種別 局名 周波数 空中線電力 ERP 所在地 備考
親局 東京 81.3MHz 7kW 57kW 東京スカイツリー かつては東京タワーから送信していたが、東京スカイツリーへの移転を計画し、2010年にNHK東京FM放送と共に移転許可の申請を総務省に提出[9]、2011年2月4日に認可された[10]。これにより2012年1月下旬 - 3月末の試験放送を経て4月23日より送信している[11]
中継局 みなと 88.3MHz 100W 110W 六本木ヒルズ森タワー[1][12] 東京スカイツリーからの送信に伴い、高層建築物の影になる港区南西部の難聴を解消するために設置されたもので、六本木ヒルズ森タワーの、試験放送や免許交付を経て2015年11月1日より運用を開始した。
廃局
親局 東京 81.3MHz 10kW 44kW 東京タワー 予備送信所として東京タワーを継続使用するNHK-FMとは異なり、当局では後述にある社屋内の非常用送信システムを予備送信所として継続使用するため、東京タワーからの送信は完全に廃止された。
  • 非常用送信システム
    • 送信機はFBN-11K01SU(NEC)で送信空中線は六本木ヒルズ森タワー屋上に設置された垂直ダイポールアンテナ2段1面により出力1kW、ERP960Wにて送信される。これは主送信所を東京スカイツリーに移転した後も設備は変わっていない。

スタジオなど

本社スタジオ
本社演奏所の A - Cスタジオの音声調整卓はスチューダー社の928ミキシング・コンソール(アナログ式)を使用。モニタースピーカーはスチューダーとKRK両社の製品を使用。CDプレーヤーなど回転系の機材は、他局より更新サイクルが短い傾向がある。
A,Bスタジオの窓からは、かつての送信所だった東京タワーが眺望出来る。しかし、東京タワーから送信される各放送局の電波がガラス窓を透過するため、可能な限りガラス窓に張られたシールドフィルムで弾いている[13]
また、2013年10月に「ゼロスタジオ」が完成し、2013年10月からは『ZAPPA』が、2017年4月からは『SATURDAY NIGHT VIBES』が放送されている。ここはミキサーとプレイヤー、マイクなどしかないワンマンスタジオ専用スタジオとなっており、番組ナビゲーターは選曲から送出までを一人でこなす。
けやき坂スタジオ
六本木ヒルズ内のサテライトスタジオ。本社演奏所マスター(主調整室)までは光ケーブル電話回線で結ばれる。
メインのマイクは、歴代的にベイヤーダイナミック(Beyerdynamic)のリボンマイクを使用している。
かつてはHMV渋谷にサテライトスタジオを設置していた(1998.10 - 2009.9)。
ファイル:Nishiazabu Mitsui Building Tokyo.jpg
西麻布三井ビルディング
本社移転プロジェクト
2003年10月、開局15周年を迎えるに当たり、本社・演奏所を西麻布三井ビルディングから六本木ヒルズ森タワーに移転することを決定した。当初は西麻布三井ビルディングでの改修を計画していたが、条件などを検討して六本木ヒルズ森タワーへの移転を決めた[14]
2003年2月、移転計画を発表。六本木ヒルズオープンは4月。本社・演奏所工事は実質6月から開始され、10月1日完成とスケジュールは極めて過密であった。特に放送技術関係は困難を極めたが、予定通り2003年10月1日移転、開局15周年を迎えた。このプロジェクトは社内で、六本木ヒルズのある六本木6丁目から66、六本木ヒルズ森タワー33階に移転することで33、と語呂を合わせた66-33プロジェクトと名付けられた[15]
本社・演奏所の電源システム
六本木ヒルズ本社の電源は、六本木エネルギーサービスから供給を受けている。
森タワー地下6階にある都市ガス使用のガスタービン(6360kWが6台[16])と、その廃熱利用による補佐的なスチームタービン(500kWが1台)により発電している。さらに、両タービン点検時のバックアップとして、東京電力の66kVを2回線で受電しているなど、高信頼性を持った電源システムである。ここより発電された電力は、6.6kVの複数ある回線をビル内の複数の変電所に送り、低電圧に変換する。
J-WAVEは2ヶ所のビル内変電所から、三相210Vが2回線、三相415Vも2回線、合計4回線を受電。2ヶ所の変電所から受電するので、1か所の変電所でトラブルが起きても、最低限の電源確保はできると二重の冗長化システムになっている。さらに万が一の停電に備えた30kVAの無停電電源装置2台も設置され、これとは別に、東京スカイツリーに放送を伝送するバックアップ用回線装置向けの非常時用無停電電源装置も設置している。
「周辺需要家が停電しても六本木ヒルズは停電しない」と言われている事も、J-WAVEが六本木ヒルズへの移転を決めたポイントである。

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[17][18][19][20]

2015年3月31日 - 2016年3月31日

資本金 授権資本 1株 発行済株式総数 株主数
20億円 80億円 5万円 40,000株 86
株主 株式数 比率
ニッポン放送 7,180株 17.95%
クレディセゾン 2,560株 06.40%
共同通信社 1,860株 04.65%
中日新聞社 1,860株 04.65%
みずほ銀行 1,520株 03.80%
日本経済新聞社 1,480株 03.70%
東急エージェンシー 1,360株 03.40%
東京都 1,200株 03.00%
朝日新聞社 1,200株 03.00%
読売新聞東京本社 1,200株 03.00%
アサツー ディ・ケイ 1,200株 03.00%
三菱東京UFJ銀行 1,200株 03.00%

過去の資本構成

特長

“The Best Music On The Planet”(地球で一番の音楽)をスローガンに、音楽番組を中心に構成されている。音楽ジャンル別FM局が存在するアメリカに倣い、バブル景気中に各地で設立された“お洒落な音楽だけを流し続ける”FM局の一つ[22]。また、かつて「国際都市TOKIO発」をキーワードにしていたこともあって、東京都心の情報や、海外の話題を紹介する。他の関東所在各局と異なり、ヘヴィー・ローテーション番組が存在しない。

J-WAVEでは、「司会者は音楽をナビゲートするためにいる」という考えから、他局で言うDJを「ナビゲーター」と呼ぶ[23]。当初はネイティヴに近い程度の英語力必須で、人並みでない人物像やキャリアが求められ、心地よい放送を目指すことから、トーク内容にも厳しい制約[24]があった。クリス・ペプラージョン・カビラジェームス天願ルーシー・ケントキャラ・ジョーンズなどの外国人タレントを送り出したことでも知られる。その為、現在でも大半のナビゲーターは日本語と英語のバイリンガルDJである[25]。但し、外国人アーティストに通訳抜きでインタビュー出来るか否かは定かでない。

また、番組やCMの合間に流れるジングルも一万種類以上あるといわれている。多くの場合同一のメロディー(81.3 J-WAVE〜♪)を基本としている。

開局以来、交通情報のBGMはチック・コリア天気予報のBGMはデイヴィッド・ベノワが作曲・演奏したものが使われてきたが、2004年4月より小曽根真が作曲、同トリオが演奏した楽曲を使用している。

FM局には珍しい、時事解説番組(Jam the WORLD)やビジネス関連の番組(MAKE IT 21)を放送(「MAKE IT 21」はナビゲーターの不祥事により2016年3月中旬で打ち切られた)。

日本国内の民放ラジオでは唯一創価学会聖教新聞コマーシャルを流していない局である[26]。また消費者金融不動産投資パチンコ店公営競技など、リスナーに不利益を与える可能性のある業態のコマーシャルは流していない。

かつてラジオショッピングとして『SHOPPER'S DIAL -Goody Goody-』があったが、その後『TOKYO PREMIERE』になり、2010年9月末で終了した。

編成

放送時間は月曜日から日曜日まで、24時間放送を行う。原則的には5時が一日の区切りとなっている。原則として、土日の夕方から夜にかけては単独スポンサーの54分番組が、それ以外の時間にはワイド番組が放送されている。

日曜日の深夜1時から翌朝5時までは放送休止としている[27]が、実際には試験放送(フィラー)や後述の放送番組審議会の内容紹介などといった番組が入る事もある。またこの時間帯、衛星放送では「ROCKIN' SOUL YELLOW」という独自番組が放送されており、J-WAVEを中継するコミュニティ放送局の中にはこの番組も中継しているところがある。

日曜日の放送終了直前にかかる音楽"Across The View"(Richard Burmer)は、開局前の試験放送時から人気の楽曲で、当時は問い合わせが殺到したという。

時報

開局当初より「番組の流れを断ち切らない」という考え方のもと、放送中に時報をほとんど流していない。

以前は「Singin' Clock」というジングル風の「時報」を随所で使用していた。これは女声(英語)によるゆったりとした歌もので、歌詞中に含まれる"It's 〜 o'clock"の"〜(数詞)"の部分が正時になるよう、調整されて送出されていた。

現在は上記のSingin' Clockを毎日05:00と06:00(月曜05:00はオープニング兼用、週末05:00は"Welcome to the weekend"が追加)に使用しているほか、平日の10:00・15:00・18:00(いずれも番組の途中)に、ヴァイオリンとシンセサイザーによる音楽(30秒ほど)のあと、「At the tone, 10 AM」「At the tone, 3 PM」「At the tone, 6 PM」とアナウンス、そしてガラス棒を叩くような“コーン”という音で正時が告知される(音楽部分にはコメントのみのCMが組み込まれるが、サウンドプラネット経由では音楽のみ)。2010年現在、この3回の時報後は必ずヘッドラインニュースが入る。

2010年4月からは平日の10:00・15:00・18:00のタイミングはそのままにメロディやアナウンスが変わっている(アナウンス上は「Singin' Clock」と言っているため、平日朝のものとは多少違うSingin' Clockとも受け取れる)。また、正時告知のガラス棒を叩くような音のところまでメロディがかぶっている(radikoでは、多少のタイムラグが発生するため、正時告知のところは鳴り始めたところでカットアウトし、Head Line Newsからカットインする)。さらに2011年6月、シチズンホールディングスがスポンサーに就き、曲も溝口肇の『シチズンサウンド』に改められた(サウンドプラネットではフィラー音楽に差し替え)。

通例、ラジオ放送では時報前にステーションブレイクまたは時報CM(「○○が、○時をお知らせします」等)を入れ、時報後に番組に戻るパターンが多いが、J-WAVEの場合、特にワイド番組同士の間はCMを挟まず(ステーションブレイクレス編成という)、前の番組のエンディングからそのまま次の番組に入るケースが多い。更には、開局当初から長らく、ナビゲーター(DJ)同士が喋りながら番組を引き継いでいくスタイルだったため、タイムテーブル上の時間ちょうどに番組が始まることはほとんど無く、時として番組開始のアナウンスが大きくずれ込むこともあった。

例として、以前平日7:00から9:00に放送していた『TOKIO TODAY』のジョン・カビラと、9:00放送開始予定の『ANTE MERIDIEN』のデーヴ・フロムが8:57ごろから話し始め、8分近くも喋り続けたため、ANTE MERIDIENの番組開始アナウンスが9:05ごろになされたことがある。

現在ではこうした番組間の引き継ぎは平日の13時前後(2017年4月以降『STEP ONE』(サッシャ寺岡歩美)から『GOOD NEIGHBORS』(クリス智子))と金曜日の11時半前後(2016年10月以降『〜JK RADIO〜TOKYO UNITED』(ジョン・カビラ)から『ALL GOOD FRIDAY』(LiLiCo稲葉友))に残るのみとなっており、それ以外の番組は開始時刻ちょうどにスタートするようになっている。

沿革

  • 1987年12月10日、株式会社エフエムジャパン(本社・演奏所:東京都港区西麻布4丁目17番30号 西麻布三井ビル内)設立。西武百貨店パルコ西友など当時のセゾングループが設立に深く関わる。
  • 1988年8月1日、周波数81.3MHz、出力1kWで送信所西麻布三井ビルより試験放送を開始'AZ'-STATION J-WAVE参照)
  • 1988年10月1日午前1時、2か月間の試験放送に幕。試験放送終了と本放送開始告知のアナウンスは、ジョン・カビラが行っていた。
  • 1988年10月1日午前5時、周波数81.3MHz、出力10kW、送信所東京タワーよりFMでは全国28番目(FM長野と同日)、民放FM局として東京で2番目に開局。本放送開始を告げるアナウンスは日本語は遠藤泰子、英語はジョン・カビラであった[28]。当時は音楽を多用するFM局が少なかった中、アメリカの音楽専門ラジオ局のような"More Music Less Talk"(トークよりもよりたくさんの音楽を)路線を打ち出した。
  • 1989年1月7日、昭和天皇崩御に伴い、通常の番組・CMを休止し、クラシック音楽を2日間にわたって放送した。
  • 番組と番組の間に、AZ-WAVEというノンストップで快適な音楽をかけるプログラムをはさんだり洋楽ヒーリング系・ジャズなどの選曲を重視、演歌邦楽は極力かけないというスタイルで大人気に[29]
  • 邦楽の中でも、J-WAVEの選曲スタイルにあった曲はJ-POPと呼び、かけるようになる。2010年現在では「Japanese Pops」という意味合いで取られがちだが、もともとJ-POPという言葉はJ-WAVEが起源。また、いわゆる「渋谷系」アーティストの曲もよく流していた。
  • ところが不況の影響などから次第に番組の傾向が変化した。スポンサーが、営業に直接的に結びつかないイメージ重視の広告を次々に取り止めたことがその変化の最大の要因であった。そして1995年頃から新人ナビゲーター(ディスクジョッキー)を募集[30]、その頃から選曲の面では従来の「J-POP」に当てはまらない一般的な邦楽もかけ始めるようになり、専門番組も登場した。この変化は、スポンサーの望む顧客層と実際の聴取者とのギャップを埋めることが社内の必達事項になったことが原因である。ちなみにこの頃はバブル景気が崩壊し「失われた30年」が始まった時期とほぼ一致する。
  • 1995年より 文字多重放送(アラジン)開始。コールサインはJOAV-FCM。
  • 1997年4月の改編時に、従来の"More Music Less Talk"路線上の番組はほぼ姿を消し、音楽よりもトークを重視した番組編成が主体になった。むしろ「コミュニケーション・タイム」と呼ばれるゲストとの会話、リスナーとのやりとりや電話が重視され始めた。
  • その後、番組・選曲も大きく変わり、開局当初の面影を残す番組は完全に無くなった。往時を知らない世代や流行邦楽に抵抗のない聴取者からは、なお一定の支持があるが、FM聴取率(首都圏)の方では開局当時から比べると低迷している。
  • 2003年10月1日、商号を株式会社J-WAVEに変更。本社・演奏所を港区六本木6丁目の六本木ヒルズ森タワー33階に移転、キャンペーン"LOOK! MUSIC COMES"を移転後1か月に渡り行う。この際、六本木ヒルズ森タワーの空きフロア西側に放送と連動する照明を取り付け、サウンドインジゲーターとして使う"J-WAVE SINGING TOWER"を実施した。
  • 2004年ごろからは再び音楽重視路線への回帰が見られ、土曜早朝の『Smooth Air』や、平日夜の『J-WAVE LOUNGE』などといった番組が登場している。
  • 2005年8月、J-WAVEの着メロ・うた・ボイスサービスJ-WAVE SOUNDS開始
  • 2006年5月29日、日本国内で初の音楽番組専門インターネットストリーミングラジオ「Brandnew J “Just Like Radio”」のベータ版サービスを、10月2日10時に本放送を開始。12月にはW-ZERO3を主な対象とした「J-WAVE Brandnew J(Beta)]を配信。
  • 2006年8月より、主に首都圏を対象としたインターネットサービスプロバイダ事業「J-WAVE@NET」開始。
  • 2008年10月1日開局20周年を迎えて9時から24時間連続の記念特番『VISIONARY WORLD』を放送した。特番はDJが時間ごとに総出演した。
  • 2010年3月15日、ほかの在京ラジオ6局と共同でインターネットでのサイマル放送radiko」を試験的に開始(南関東1都3県限定)[31][32]
  • 2010年9月26日、文字多重放送(アラジン)終了。
  • 2010年10月1日、ホームページをリニューアル。同時にUstreamにブランドチャンネルを開設。
  • 2010年12月1日、ほかの在京ラジオ6局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」の本放送を開始(試験放送では、南関東限定だったが、リニューアルに伴い北関東でも利用可能に)。
  • 2011年3月11日14時46分、東日本大震災東北地方太平洋沖地震)発生。報道特番に切り替えたほか、通常の番組も内容の一部変更を実施。また当日の18時台から翌12日の8時台までJ-WAVEが幹事局となり、ラジオ災害情報交差点を在京局で同時放送。発足後初めての実放送となった。放送では昭和天皇崩御のときのように、通常の番組・CMを休止し、クラシック音楽を13日5時まで放送した。間で『HEADLINE NEWS』『WEATHER INFORMATION』『TRAFFIC INFORMATION』を随時放送。13日5時以降はほぼ通常編成に戻りつつも内容は大幅に変更した。
各種LIFE INFORMATIONでは「NEWS」では東北や北関東を中心とした被害状況を、「TRAFFIC」では首都圏の道路と鉄道の情報を通常の倍以上の時間をかけて放送した。なおBGMなどは通常のもの(入りアナウンスなども通常時間帯ナビゲーターのもの)を使用。