くいしん坊!万才

提供: miniwiki
2018/10/10/ (水) 23:27時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

くいしん坊!万才』(くいしんぼうばんざい)は、フジテレビなどで放送されている料理番組である。5分間というミニ番組ながら、長寿番組となっている。フジテレビと共同テレビ(初期はピー・プロダクション[1])の共同制作。通称『くいしん坊』。

概要

1974年10月2日に放送を開始(フジテレビ公式サイトでは、リポーターが固定化された1975年6月としている[2])。キッコーマン一社提供番組(一時、ACジャパンのCMに差し替えたり、キッコーマンの提供クレジットを自粛した時期もある)で、毎回日本各地の名物料理を食べ歩く。国内のみならず、海外でのロケを行う場合もある。

当初は火曜と金曜を除く週5日間の帯(21:54 - 22:00枠)で放送されていたが、1983年10月以降は週4日間の帯に減少し、1999年4月以降は月曜のみの放送となり現在(2018年)に至っている。

毎年正月の時期には歴代くいしん坊が集まり、全国ネットスペシャルが放送される(各局ローカル別の複数社スポンサーとなるが、もちろんキッコーマンも提供スポンサーに含まれている)。

スタート当初はフィルムによるロケーション撮影だったが、技術の変遷で竜崎勝時代にはVTR撮影に変わった。

「○○○○のくいしん坊!万才」のタイトルコールは、宍戸錠時代から本人がコールするようになった。

テーマ曲(愛場俊彦作曲)は、村野武範時代以降はくいしん坊交代ごとにアレンジされている。ただし、辰巳琢郎時代のオープニングは、テーマ曲が変更となりアニメーションも辰巳の顔部分だけ実写だった。山下真司起用後はテーマ曲・アニメとも元のスタイルに戻された。

ちなみに、放送開始以来スポンサーを務めるキッコーマンの子会社・キッコーマンデリカ総菜弁当店に「できたて惣菜 くいしん坊 万才!」がある。

FNS番組対抗NG名珍場面大賞』では、当時(1986年 - 1999年)の司会・愛川欽也が「期待枠」として目を掛けていた。

2015年8月22日、放送40周年を記念した番組初の1時間の拡大版の特別番組『くいしん坊!万才 放送40周年スペシャル歴代くいしん坊が厳選!世界に広めたい日本食(仮)』(関東ローカル放送)が放送[3]。司会は現在のレポーターの松岡と二代目レポーター竜崎の娘でもある高島彩が担当し、歴代のレポーターが出演[4]

2018年9月8日9日の『FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?』にて初の本番組の特別編が放送された[5]

2018年10月より日曜昼前(11:45 - 11:50枠)の放送に移行、放送開始45年目にして初のノンプライム放送となる。

放送曜日

期間 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日 備考
1974年(昭和49年)10月
- 1981年(昭和56年)3月
週5回[6]
1981年(昭和56年)4月
- 1983年(昭和58年)9月
週5回[7]
1983年(昭和58年)10月
- 1984年(昭和59年)9月
週4回[8]
1984年(昭和59年)10月
- 1999年(平成11年)3月
週4回[9]
1999年(平成11年)4月
- 2018年(平成30年)9月
週1回
2018年(平成30年)10月
-
週1回[10]

歴代のリポーター

  • 1974年10月2日から1975年1月5日放送分までは、各界の著名人(俳優・落語家・漫画家・力士など)が日替わりでリポーターを務めていた。
    • 当時の新聞の記載によると、初回のリポーターは『正蔵』(当時、8代目林家正蔵を襲名していた林家彦六と考えられる)であった。
  • 1975年1月6日から6月22日放送分までは、各界の著名人が週替わりでリポーターを務めていた。
  • 1975年6月23日放送分以降、リポーターが固定化される。フジテレビ公式ではこの段階を放送開始としている。
  • リポーターは固定化以降、主に2~3年おきに次代に交代し、早いと川津のように1年未満で降板ということもあったが、当代(11代目)の松岡に代わってからは18年以上交代が無く、歴代出演者とは出演期間が大きく離れている。ただし、松岡の出演開始時点では既に週1回放送になっていた事もあり、3代目の友竹が2年間の出演で保持していた歴代最多出演回数を塗り替えるまでに、その8倍にあたる16年以上の歳月を費やしている。
  1. 渡辺文雄:1975年6月23日 - 1977年7月3日、515回。
  2. 竜崎勝:1977年7月4日 - 1978年12月31日、390回。
  3. 友竹正則:1979年1月1日 - 1981年12月31日、794回。
  4. 宍戸錠:1982年1月1日 - 1983年12月30日、509回。
  5. 川津祐介:1984年1月4日 - 1984年12月30日、228回。
  6. 梅宮辰夫:1985年1月6日 - 1987年12月30日、623回。
  7. 村野武範:1988年1月3日 - 1990年12月30日、617回。
  8. 辰巳琢郎:1991年1月6日 - 1993年12月29日、606回。
  9. 山下真司:1994年1月4日 - 1997年12月30日、782回。
  10. 宍戸開:1998年1月4日 - 1999年12月27日、284回。
  11. 松岡修造:2000年1月10日 - 現在、930回。

ネット局・各地の放送時間

(現在)

放送対象地域 放送局 系列 放送曜日・放送時間 放送日の遅れ
関東広域圏 フジテレビ (CX)
【制作局】
フジテレビ系列 日曜日 11:45 - 11:50
(特別番組等により放送時間変更の場合あり)
山形県 さくらんぼテレビ (SAY) 日曜日 21:54 - 22:00 13日遅れ
アメリカ合衆国 (放送局・放送曜日・放送時間はFCI(フジテレビ現地法人)のホームページを参照)[11] 不明
  • 開始当初は夜のスポットタイムが「5分」であったため、21:55からの放送であったが、1年後の1975年10月より夜のスポットタイムが「6分」に拡大したため、21:54からの放送に変更された。
  • 水曜放送は1985年4月より2時間歌謡番組『夜のヒットスタジオDELUXE』が設置されたため、22:54に繰り下げ、そして1986年4月からは『ヒットスタジオ』を22:52までの放送に短縮し、当番組の開始時刻を22:52からに拡大したが、22:52 - 22:54は実質的には「ガイド枠」であるため、内容は拡大しなかった[12]。その後1989年10月より『ヒットスタジオ』を22:00 - 22:54に短縮し、『夜のヒットスタジオSUPER』に改題したため、水曜放送は元の21:54に戻った。

過去のネット局

  • 北海道文化放送 (UHB) - 2000年代前半までスポンサードネットで放送。
  • 青森放送 (RAB) - 番組開始時の内容のみを放送。途中で青森テレビでの放送へ移行。
  • 青森テレビ (ATV) - 1990年代半ばまで放送。後に東海テレビ製作の『おばあちゃんのおごっつお』に切り替えられた。
  • 岩手放送 (IBC) - 1980年代にロケ地が岩手県の場合のみ、単発で放送。
  • 岩手めんこいテレビ (MIT) - 辰巳琢郎時代に(ノンスポンサー)放送されていた。辰巳が降板する前に打ち切り。
  • 仙台放送 (OX) - 1970年代後半と1980年代前半にスポンサードネットで放送。
  • 秋田テレビ (AKT) - 1970年代後半と1980年代前半に遅れネットで放送。
  • 山形テレビ (YTS) - フジテレビ系列時代に不定期放送。
  • 福島テレビ (FTV) - 1980年代に帯で放送されていた。
  • 富山テレビ (BBT) - 2006年夏頃から11月中旬まで富山編を放送(放送時間は日曜 14:55 - 15:00)。
  • 石川テレビ (ITC) - 1990年代までローカルスポンサー提供にて一部曜日のみ遅れネットで放送(1990年2月4日時点では日曜21:54 - 22:00[13]にて、1994年5月30日時点では月曜21:54 - 22:00[14]にて放送)。
  • 福井テレビ (FTB)
  • 山梨放送 (YBS)
  • 長野放送 (NBS) - 1990年代の一時期に平日夕方に放送(ノンスポンサー)、ネット開始当初はオープニングタイトルをブルーバックに表示するのみで、おなじみのテーマ曲が使用されずにBGMが全く無い簡素なものに差し替えられていた。また、その後はフジテレビと同じオープニングタイトルを使用することになったが、ノンスポンサーであったゆえにキッコーマンの提供アナウンス部分の直前で音声のみ急にフェードアウトされていた。しかし、オープニングに表示される提供クレジット自体は隠されずにそのままであった。
  • テレビ静岡 (SUT)
  • 東海テレビ (THK)
  • 三重テレビ (MTV) - 山下真司時代に単発で放送。
  • 関西テレビ (KTV) - 1998年春まで曜日を限定(月・水・土 → のち日・月・水)してスポンサードネットで放送。
  • 山陰中央テレビ (TSK) - オープニングとエンディングが独自の手書きフリップで、ローカルスポンサーがスーパーで表示されていたが、本放送に切り替わるタイミングのずれで、一瞬キッコーマンのCMの終わりが写っていた(放送時間はフジテレビと同じ)。
  • 岡山放送 (OHK)
  • テレビ新広島 (TSS) - 友竹・宍戸時代にスポンサードネットで放送。
  • 高知放送 (RKC) - 村野武憲時代に遅れネット(スポンサードネット、『タイム3』に続けて16時前に放送)。
  • テレビ西日本 (TNC)
  • サガテレビ (STS)
  • テレビ長崎 (KTN) - 1990年代後半に昼前に放送された。
  • 大分放送 (OBS) - 辰巳・山下時代に週に1度 → 不定期で放送。ノンスポンサーのため、オープニングとエンディングはブルーバックだった。
  • 鹿児島テレビ (KTS) - 1992年10月から19時台が1時間番組の曜日(月・木・土)のみ、19時54分より放送[15]。当該時間帯が2時間のスペシャル枠やナイター中継の場合は放送を休止。1994年4月フジ系シングルネット化完了に伴い打ち切り。
  • 沖縄テレビ (OTV) - 2000年代初期に放送。
  • そのほかのフジテレビ系列局でも放送が行われていた。
  • アメリカ合衆国では、フジテレビ現地法人のFCIが2008年末までImagine Asian TVを通じて放送していたが、同局との契約が2009年1月2日をもって切れたため、現在その局では放送されていない。

パロディ

以下に紹介するパロディはすべてフジテレビ製作のバラエティ番組である。

  • オレたちひょうきん族』において、「松本竜助のくいしん坊!ぶぁんざい」というコーナーが存在していた。提供スポンサー読みも本物と似せる形で「お料理の味をぶち壊すひょうきんの素がお送りします」というナレーションで、本題は竜助が日本各地の“珍料理”を紹介するというものだった。
  • ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の中で「子丑虎卯辰巳琢郎(ねうしとらうたつみ・たくろう)のくいしん坊!万々歳」ほか数々のパロディが作られた。オープニングは当時放送されていた辰巳琢郎時代のオープニングをベースにしたもの(内村光良の顔部分も実写)であるが、BGM村野武憲時代のものがベースとなっていた。
  • ワンナイR&R』では、山口智充扮する「チョコボーイ山口の食いちん棒バンザイ!」というコントが製作されたことがある。内容は本家に準じ、釧路市に住む蛍原徹扮するおばあちゃんと料理を紹介するものであるが、コントの性格上、非常にきわどい下ネタとなっている。
  • 1992年12月8日放送『プロ野球ニュース』では、「野茂英雄のくいしん坊!万才 北海道」というシーズンオフの企画を放送した。

脚注・出典

  1. 但馬オサム「うしおそうじ&ピープロダクション年表」、『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.3、洋泉社2016年3月13日、 pp.102-109、 ISBN 978-4-8003-0865-8
  2. くいしん坊!万才公式サイト・初代食いしん坊
  3. 放送枠は9:55 - 10:55で、『チャンネルΣ』の第1部で放送(第2部は「2015年ワールドカップバレーボール」関連番組)。
  4. 高島彩、父・竜崎勝さんの名場面に感激「うれしい」 『くいしん坊!万才 放送40周年SP』放送”. ORICON (2015年7月16日). . 2015閲覧.
  5. 『FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?』公式サイト
  6. 火曜は『ミュージックフェア』、金曜は『ゴールデン洋画劇場』が、それぞれ放送されているため設置せず。
  7. 『ゴールデン洋画劇場』が金曜から土曜に移動したため、土曜放送を廃止し、入れ替わって金曜放送を開始。なお1981年10月から火曜21:00には1時間番組『なるほど!ザ・ワールド』を開始したが、当番組は設置せず、別のミニ番組『ニューフェイス'81』を編成した。
  8. 時代劇スペシャル』が金曜から木曜に移動したため、
  9. 金曜女のドラマスペシャル』編成に伴い、金曜放送を廃止。入れ替わって火曜放送を開始。
  10. 44年間月曜のゴールデンタイムでの放送を終了し、日曜11:45 - 11:50枠に移動。なお、日曜放送は19年半ぶりとなる。
  11. アメリカ合衆国での放送分でも、キッコーマンがスポンサーとなっている。
  12. 現在のCX金曜22時台ミニ番組と同じ。
  13. 北國新聞 1990年2月4日付朝刊テレビ欄
  14. 北國新聞 1994年5月30日付朝刊テレビ欄
  15. KTSの1992年10月当時の19時台は、月曜日に『志村けんのだいじょうぶだぁ』、木曜日に『クイズ!年の差なんて』、土曜日に『大相似形テレビ』がネットされていた。

関連項目

外部リンク

テンプレート:松岡修造