はしだのりひことシューベルツ

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はしだのりひことシューベルツ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル フォークソング
活動期間 1968年 - 1970年
レーベル 東芝レコード

はしだのりひことシューベルツは、ザ・フォーク・クルセダーズの端田宣彦(はしだのりひこ)が1968年の後半に結成したカレッジフォーク・グループ、ポップフォーク・グループ。同グループのデビューシングル」(作詞:北山修 作曲:端田宣彦)の大ヒットでも知られる。

メンバー

  • 端田宣彦(元「ザ・フォーク・クルセダーズ」)- リーダー、ボーカル、ギター、パーカッション
    • フォークル解散に合わせてバンドを結成。ボーカルと作曲でシューベルツを牽引。
  • 越智友嗣(元「ザ・ヴァニティー」)- ボーカル、ギター、ドラムス
    • 柔らかい歌声とギターのヘッドを下げたギター演奏が特徴的。ステージでのトークも多く担当していた。また、クラシック調からロック調、果てはコミックソングまで幅広い作曲能力も持ち合わせていた。
  • 杉田二郎(元「ジローズ」)- ボーカル、リードギター
    • 事実上のメインボーカルとして多くの曲でリードボーカルを担当、また、リードギターとしても活躍した。作曲も担当した。
  • 井上博(元「ザ・ヴァニティー」)- ボーカル、ベース、ギター
    • 細身で長身、さらにフォーク界屈指の端整な顔立ちでベースを弾きながら歌い、女性ファンが多かった。また、ウッドベース弾きとしては細身であったが、ヨットをやっていて力はあった。1970年3月31日に死去。

なお、越智と井上は結成時は同志社大学在学中で、はしだの後輩である(杉田のみ立命館大学)。

活動略歴

  • 1968年10月頃、各地で開催されたザ・フォーク・クルセダーズの解散コンサートに出演。初期のレパートリーは「風」「何もいわずに」「サウンド・オブ・サイレンス」「ワニ足のジョニー」等。
  • 1969年1月、シングル「風/何もいわずに」を発表。これが大ヒットする。第11回日本レコード大賞新人賞を獲得。
  • 1969年6月、シングル「さすらい人の子守唄/夕陽よおやすみ」LP「未完成」を同日発表。
  • 1970年3月31日、井上博が死去。
  • 1970年4月、解散が決定。
  • 1970年5月、井上博追悼シングルと、解散記念シングルを4枚同時発表。
  • 1970年6月、LP「天地創造」発表、はしだのりひことシューベルツ解散。

概要・エピソード

  • フォークルの解散に先駆けて、端田がザ・ヴァニティーから越智友嗣と井上博、ジローズから杉田二郎を呼び寄せて結成、フォークルサヨナラコンサートでお披露目された。また、越智と杉田は、1968年の京都での第3回関西フォークキャンプで、一緒に「あなただけに」を歌った縁があった。
  • 一人がリードを歌い、三人がコーラスを歌うというパターンでは、杉田二郎がリードボーカルを担当することが多い。全てのシングル(解散記念盤は除く)にリードボーカルを歌ったものが収録されているメンバーは杉田のみ。(『何もいわずに』(『風』B面)『夕陽よおやすみ』(『さすらい人の子守唄』B面)『朝陽のまえに』(B面の『さよなら』も、1番のソロパートを担当している。)『白い鳥にのって』)NHKみんなのうたで歌われた『一人ぼっちの旅』はレコードでは、はしだのリードボーカルだが、これも放送では杉田がリードボーカルであった。
  • 第三弾シングルでは、北山修の作詞ではなく、A面に寺山修司を起用し、B面は、雑誌「明星」の読者から歌詞を募集という試みがなされたが、寺山修司の歌詞が録音に間に合わず、北山修作詞の「朝陽のまえに」が急遽A面に決定した。B面は加藤久美子のものが採用される。(補作詞:北山修)当初のA面予定曲、寺山修司の「家なき子にも」は後に杉田二郎がソロで吹き込み、「天地創造」に収録された。
  • 井上博が亡くなり、「天地創造」が発売延期になったため、井上博追悼シングルと、端田宣彦、杉田二郎、越智友嗣による解散記念シングルが急遽発売された。内容は、井上追悼盤は天地創造に収録予定であった2曲を、端田宣彦盤、越智友嗣盤は、A面に天地創造からの先行シングルカット曲、B面に新曲を、杉田二郎盤はA面に先行シングルカット曲、B面に杉田二郎(ジローズ)デビュー曲のセルフカバーを収録。
  • 「白い鳥にのって」発売直前頃から、杉田二郎を中心にステージでの生ギターに限界を感じ、ヤマハからエレキギターとドラムセットをプレゼントされていたこともあって1970年の後半にもエレキに持ち替えるかもしれない、という話が出ていた(「白い鳥にのって」ライナーノーツより)が、井上の死で実現に至ることはなかった。
  • 井上博がコンサートのトークで、端田宣彦のことをネタで「いやらしいチビ豚」と発言したことがある。また、杉田二郎も端田とバンドのナンバー2的存在だった越智友嗣を「デブ(越智)とチビ(端田)が強い勢力を持っている」とネタにしている。
  • 最初のシングル2枚がはしだ、井上メインでその後の2枚が杉田メインなのは最初軌道に乗るまでははしだの知名度と井上の人気を使い、3枚目以降は杉田二郎と越智友嗣を前面に出していく予定に乗ったものであったと2010年になって杉田が「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」にゲスト出演した際に証言している(越智友嗣もB面においては「さよなら」では杉田と共にリードボーカルを、「西の空に沈む太陽」でもイントロと最後での語りを担当している)。
  • レコード大賞・新人賞を獲得したため、通常は自動的に「第20回NHK紅白歌合戦」に出場する予定だった。だが、当時発売中止されていたザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河をあるNHKの生放送番組で歌い問題になり紅白歌合戦に出場できなかった。この事件の張本人は越智友嗣。そのNHKの生放送番組で歌う前にスタッフから「イムジン河だけは歌わないでください。」と釘を刺されていた。2015年4月、岡山県笠岡市の白雲大宮でのコンサートで越智本人が明かした。
  • 「明星」1969年9月号では、ピンキーとキラーズと共に表紙を飾っている。井上と今陽子の写りが大きく、メイン扱いだった。「『明星』50年 601枚の表紙」(解題・橋本治 2002年・集英社新書)で参照可能。

シューベルツ解散後の歩み

端田宣彦→はしだのりひことマーガレッツ→はしだのりひことクライマックスはしだのりひことエンドレス→ソロ

杉田二郎→ソロ→ジローズ→ソロ

越智友嗣→ソロ→クリンカム・クランカム→スーパーリッチ→おちゆうじとニューベルツ→シューベルツ.COM

ディスコグラフィー

  • シングル
  • 1969年1月10日 風/何もいわずに
  • 1969年6月25日 さすらい人の子守唄/夕陽よおやすみ
  • 1969年10月5日 朝陽のまえに/さよなら
  • 1970年3月5日 白い鳥にのって/西の空に沈む太陽
  • 1970年5月5日 一人ぼっちの旅/砂の城(端田宣彦とシューベルツ名義)
  • 1970年5月5日 夢の女/夕陽に消えた恋(井上博とシューベルツ名義)
  • 1970年5月5日 愛の世界/あなただけに(杉田二郎とシューベルツ名義)
  • 1970年5月5日 カメの遺言/雨上がりをひとりで(越智友嗣とシューベルツ名義)

※「何もいわずに」は録音自体が、「さすらい人の子守唄」、「西の空に沈む太陽」、「一人ぼっちの旅」、「愛の世界」は編集がLP収録テイクと異なっている。

  • LP
  • 1969年6月 「未完成」
  • 1969年11月「しゅうべるつ・りさいたる」
  • 1970年6月 「天地創造」
  • 1970年8月 「さよならリサイタル(端田宣彦、杉田二郎、越智友嗣)」
  • 1971年3月「はしだのりひことシューベルツのすべて(二枚組)」

関連項目