イラク戦争

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引き倒されるサダム・フセイン像.バグダード,イラク.jpg

イラク戦争(イラクせんそう)

2003年3月20日,アメリカ軍によるイラクの首都バグダードへの空爆で始まった戦争。

42日間の戦闘で,戦争中の有志連合軍の死者は 172人,イラク人死者数についての正確な統計はないが,10万人をこえると推計される。1991年の湾岸戦争以降,アメリカ合衆国は経済制裁と外交的圧力によってイラクのフセイン政権を国際的に封じ込めてきたが,2001年9月11日のアメリカ同時テロ事件以降,イラクの大量破壊兵器 WMD保有の可能性を危険視して,フセイン政権転覆を目的とした軍事行動への動きを強めた。2002年1月,アメリカのジョージ・W.ブッシュ大統領はイラクを「悪の枢軸」と名指しし,WMDに関する国際連合の査察活動に非協力的と非難した。同 2002年末に再開された国連による査察は明確な結果を出せないままに終わり,イラクの WMD保有を主張して軍事行動を訴えるアメリカおよびイギリスと,それに反対するドイツ,フランス,ロシアとが国連安全保障理事会内部で対立した。2003年3月20日,米英軍は国連での合意がないまま対イラク攻撃を開始。4月9日にアメリカ軍がバグダードを陥落させ,フセイン政権は事実上崩壊した。サダム・フセインは同 2003年12月にアメリカ軍に逮捕され,2006年末にイラク特別法廷により死刑宣告を受けて処刑された。

アメリカのブッシュ大統領による 2003年5月1日の戦闘終結宣言後,連合軍暫定当局 CPAによる占領が 2004年6月のイラク暫定政府成立まで続いたが,その後もアメリカ軍は多国籍軍としてイラクに駐留を続けた。アメリカは旧国軍やバース党を旧体制を支えたという理由で解体したが,大量の失業者を生んだ。一方で,2005年1月に制憲議会選挙,10月に憲法制定の国民投票が行なわれ,12月,民選によるイラク政権が成立した。しかし外国軍の駐留や宗派偏向的な政権の成立は住民の反発をあおり,宗教的過激派の台頭もあって反米・反政府勢力による攻撃が増加した。特に2006~07年には宗派対立を軸に治安が悪化し,駐留軍,イラク民間人ともに死者が急増したため,戦後の内戦状況もイラク戦争の延長とする見方もある。こうした戦後のイラクの不安定化と駐留アメリカ軍の被害の大きさや,WMDが発見されなかったことなどから,アメリカ国内ではイラク戦争への疑義が高まり,戦争反対を主張した民主党のバラク・オバマが大統領に選出されるにいたった。

2009年2月,アメリカのオバマ大統領はアメリカ軍の戦闘部隊を 2010年8月末までに,そして残りの駐留軍も 2011年12月までにはイラクから撤退させると宣言した。2010年8月18日,計画を約 2週間前倒ししてアメリカ軍戦闘部隊はイラクからの撤退を完了。残りの兵士約 5万人は,イラク軍や警察の訓練および支援のためにイラクに駐留した。開戦以来のアメリカ兵の死者は 2010年4月までで 4000人に上った。一方 2009年10月,イラク政府は 2004~08年(それ以前の統計はない)の犠牲者数を,一般市民と兵士をあわせて少なくとも8万5000人に上ると見積もった。2011年10月,オバマ大統領は 3万9000人の駐留アメリカ兵を 2011年末までにイラクから引き揚げると発表した。12月14日,オバマはイラク戦争の終結を宣言し,翌 15日にはバグダードで駐留アメリカ軍の完全撤退記念式典が催された。最後の部隊約 500人は 12月18日に陸路クウェート入りし,アメリカ軍の撤収は完了した。




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