ウィリアム・クァントリル

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ウィリアム・クァントリル

ウィリアム・クラーク・クァントリル(William Clarke Quantrill, 1837年7月31日 - 1865年6月6日)は、アメリカ西部開拓時代ゲリラ部隊長。オハイオ州ドーバーEnglish版に生まれる。

経歴・人物

教師として働いていたが、1858年ユタ州に移住して軍人になった。しかし、長続きせずに再び教師生活に戻る。賭博に身をやつして、1859年、殺人や馬泥棒の疑いを受けミズーリ州に逃走。

1861年、南北戦争が勃発すると南軍に身を投じて大尉として Quantrill's Raiders と呼ばれるゲリラ部隊(Bushwhacker)を率い、カンザス州やミズーリ州で北軍と戦った。

1863年8月21日ローレンスの戦いで450人の部下を率いて奴隷制反対住民を襲い女子供を含む約150人を虐殺した。1865年5月10日、ケンタッキー州で北軍の奇襲を受け負傷し、その傷がもとで同年6月6日に死亡。

Quantrill's Raiders は略奪暴行をほしいままにしたと伝えられているが、人権意識が低かった当時の軍隊と比較して Quantrill's Raiders がとび抜けて凶悪な部隊であったとは言い切れない。彼の部下の中に、後に有名になるジェシー・ジェイムズがいた。