オリックス・バファローズ

提供: miniwiki
2018/8/5/ (日) 19:33時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索
チーム名 オリックス・バファローズ
会社名 オリックス野球クラブ株式会社
加盟団体 パシフィック・リーグ
創設年度 1936年
チーム名の遍歴 阪急軍(1936年 - 1946年
阪急ブレーブス(1947年 - 1988年
オリックス・ブレーブス(1989年 - 1990年
オリックス・ブルーウェーブ(1991年 - 2004年
 大阪近鉄バファローズを吸収合併
オリックス・バファローズ(2005年 - 現在)
本拠地 京セラドーム大阪大阪府大阪市西区
収容人員 36,627人(京セラドーム大阪)
京セラドーム大阪.jpg

オリックス・バファローズ英語: ORIX Buffaloes

日本プロ野球球団。パシフィック・リーグに所属。

フランチャイズを大阪府と兵庫県に置き、京セラドーム大阪とスカイマークスタジアムを本拠地としている。球団名の変遷は、阪急(1936年)―阪急ベアーズ(1947年)―阪急ブレーブス(1947年途中から)―オリックス・ブレーブス(1989年)―オリックス・ブルーウェーブ(1991年)―オリックス・バファローズ(2005年)

1936年(昭和11)のプロ野球創設と同時に阪急として発足。しかし長い間、弱小球団の地位に甘んじた。

強豪として台頭してきたのは1960年代後半のことである。西本幸雄(ゆきお)(1920―2011)監督の下、長年チームを支えてきた梶本隆夫(かじもとたかお)(1935―2006)にかわってエースとなった米田哲也(よねだてつや)に、足立光宏(あだちみつひろ)(1940― )らが加わって強力な投手陣ができ上がり、打線もダリル・スペンサーDaryl Dean Spencer(1929―2017)、長池徳士(ながいけあつし)(1944― )らが活躍し、1967年から3年連続リーグ優勝を果たした。1970年代に入ると、山田久志(ひさし)が投手陣の柱となり、野手では勝負強い加藤英司(ひでじ)(1948― )、歴代最多の1065盗塁を記録した福本豊らが主力選手に成長、1971年、1972年と連覇した。しかし、1967年の初優勝から1972年の5回目の優勝までは、後に日本シリーズ9連覇(1965~1973)を達成する読売ジャイアンツ(巨人)が立ちはだかり、日本一にはなれなかった。

1974年に上田利治(としはる)(1937―2017)が監督に就任するとふたたび黄金時代が到来。1975年から4年連続でリーグ優勝し、1977年までは日本シリーズでも3連覇した。1984年には、ブーマー・ウェルズGregory DeWayne Wells(1954― )が外国人選手で初の三冠王となる活躍をみせて10回目のリーグ優勝を果たした。球団譲渡によって1988年限りで阪急の名はなくなり、翌1989年(平成1)からはオリックスグループを経営母体とするオリックス・ブレーブスとして再出発した。1991年には、西宮球場からグリーンスタジアム神戸へ本拠地を移転、チーム名もオリックス・ブルーウェーブに変更した。1994年に仰木彬(おおぎあきら)(1935―2005)が監督に就任すると、イチローをレギュラーとして起用。同年、イチローは日本プロ野球史上初のシーズン安打200本以上(210安打)を記録した。監督の手腕と好打者イチローの出現でチームは強さを取り戻し、1995年から2年連続リーグ優勝、1996年には巨人を破って日本一となった。しかし、以降は下降線をたどり、2002年には最下位に転落した。

2003年には球場名をYahoo!BB(ヤフービービー)スタジアムと改称した。

2004年のシーズン中に大阪近鉄バファローズとの球団合併が決定。翌2005年、Yahoo!BBスタジアムはスカイマークスタジアムと改称された。

脚注

外部リンク