カール・ラントシュタイナー

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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1930年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:人間の血液型の発見

カール・ラントシュタイナーKarl Landsteiner1868年6月14日 - 1943年6月26日)は、オーストリア・ハンガリー病理学者血清学者ABO式血液型を発見した。

生涯・経歴

ラントシュタイナーはバーデン・バイ・ウィーンユダヤ人として生まれた[1]。父は、記者・新聞編集者・法学博士のレーオポルト・ラントシュタイナー(Leopold Landsteiner)。父親とは6歳のときに死別し、母ファニ・ヘス(Fanny Hess)によって育てられた。 1891年ウィーン大学医学学位を取得し、ドイツエミール・フィッシャーらの下で学んだことにより化学にも精通していた。

1900年ABO式血液型を発見、翌1901年11月14日に論文を発表。なお、ラントシュタイナーが発見したのはAB型以外の3つであり、発表時点ではA型B型C型としていた。これにより、1930年ノーベル生理学・医学賞を受賞している。

1908年にウィーン大学の病理学の教授となり、同年ポリオの病原体、ポリオウイルスを発見した[2]。1916年にはヘレン・ヴラスト(Helen Wlasto)と結婚し一人の息子をもうけた。その後、第一次世界大戦のため、オランダへと移った。

1922年ニューヨークロックフェラー研究所に加わり、1937年には弟子アレクサンダー・ウィーナーen:Alexander S. Wiener)とRh因子を発見。この間、アメリカの国民となり、1939年に退職後も終生をニューヨークで過ごした。1943年、実験室において心臓発作で死去した。

1997年から2002年ユーロ流通開始まで発行されていた1000オーストリア・シリング紙幣に肖像が使用されていた。

出典

  1. Anna L. Staudacher: "… meldet den Austritt aus dem mosaischen Glauben". 18000 Austritte aus dem Judentum in Wien, 1868–1914: Namen – Quellen – Daten. Peter Lang, Frankfurt, 2009, ISBN 978-3-631-55832-4, p. 349
  2. Eggers HJ (1999 Jun). “Milestones in early poliomyelitis research (1840 to 1949)”. J Virol. 73 (6): 4533-5. PMID 10233910. 

外部リンク

テンプレート:ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1926年-1950年)