クルド人

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クルド人
Kurd
総人口
約2800万人
居住地域

トルコの旗 トルコ 約1140万人 [1]
イランの旗 イラン 約480~660万人
イラクの旗 イラク 約400~600万人
シリアの旗 シリア 約90~280万人
ドイツの旗 ドイツ 約50~80万人
アフガニスタンの旗 アフガニスタン 約20万人
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン 約15万人
フランスの旗 フランス 約12万人
スウェーデンの旗 スウェーデン 約10万人
イスラエルの旗 イスラエル 約10万人
レバノンの旗 レバノン 約8万人

オランダの旗 オランダ 約7万人
言語
クルド語、等
宗教
イスラム教スンナ派アレヴィー派ヤズィーディー

クルド人(クルドじん、クルド語: Kurd, 英語: Kurds)は、中東クルディスタンに住むイラン系山岳民族。

概要

トルコイラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2,500万~3,000万人といわれている。中東ではアラブ人トルコ人ペルシャ人(イラン人)の次に多い。宗教はその大半がイスラム教に属する。一方、宗派については、イスラム教のスンニ派(トルコのクルド人のあいだではスンナ派シャーフィー法学派が多数)、アレヴィー派の順に多く、ヤズィーディー(Yazidi)やアフレ・ハックEnglish版ペルシア語Ahl-e Haqq、あるいはヤルサン クルド語Yârsân とも)なども存在する。言語的にはインド・ヨーロッパ語族イラン語派クルド語に属する。主な生業は牧畜で、この地のほかの民族と同じく遊牧民として生活する者が多かったが、近年トルコ等を中心に都市へ流入し、都市生活を送る割合も相当数存在する。アイユーブ朝の始祖サラーフッディーン(サラディン)はクルド人の出自と見られている。

歴史

クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあった。

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスイギリスロシアによって引かれた恣意的な国境線により、トルコイラクイランシリアアルメニアなどに分断された。

1922年から1924年まではクルディスタン王国English版が存在した。

1946年、現在のイラン北西部に、クルディスタン共和国: Republic of Kurdistan1月22日 - 12月15日)が、ソヴィエト連邦の後押しによって一時的に樹立された。

20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。近年では、各国の枠組みの中でより広範な自治権獲得を目指したり、当事者間による共存のための対話を模索する動きもある。一方でこれらの地域を離れ、欧米などへの移民となるケースも増加している。

トルコ

クルド人口が最も多いのはトルコで、ザザ人を含めると、約1,144万5千~1,500万人が居住する。ヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。伝統的な居住地は、トルコ南東部および東部であったが、オスマン帝国後期に、コンヤ、アンカラ、クルシェヒール、アクサライなどの内陸アナトリア地方に移住させられた部族もあり、これらは、今日、中部アナトリア・クルド人 (トルコ語:Orta Anadolu Kürtleri、クルド語: Kurdên Anatoliya Navîn)と呼ばれている。また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、イスタンブール、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した[2]。今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している[3]

オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年トルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。

しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合欧州評議会欧州人権裁判所から非難されている。

2006年5月24日、イスタンブールのアタテュルク国際空港貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出した。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。

2007年の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20~30議席前後を獲得した。

2009年12月11日、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。この決定直後に、欧州連合(EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国のエルドアン首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した[4]。 17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にもかかわらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした[5]

2015年6月の総選挙では、エルドアン大統領系与党政党が過半数をとれず258議席にとどまった[6][7]。一方、クルド系の国民民主主義党(HDP)が世俗派のトルコ市民、リベラル派、左派からも支持を得て全体の10%以上の79議席を獲得した[8]

イラク

イラクはトルコに次いでクルド人が多く居住しており、北部をクルディスタン地域としている。サッダーム・フセイン大統領により、少数民族クルド人は長らく迫害を受けてきた。特に、イラン・イラク戦争では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して化学兵器で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた(ハラブジャ事件。一説ではイラン軍による虐殺であるとも言われている)。一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていたムッラームスタファ・バルザーニーEnglish版が属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した。

2003年からのイラク戦争によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を占領当局に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。2005年イラク移行政府では、クルド愛国同盟を率いたジャラール・タラバーニを大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。また2017年9月25日には国際社会が反対する中、独立住民投票が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、クルディスタン地域も参照のこと。

イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく虐待行為を行い殺害まで至っているとして、国際連合(国連)が懸念の声を上げている。2007年4月7日にはイラク北部地域でムスリムの男性と駆け落ちするためにヤズディ教からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによってリンチを受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった(名誉の殺人#批判を参照)。

シリア

北部に少数が在住。2011年から続くシリア内戦の長期化によって政府軍の影響力が低下し、各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァ(西クルディスタン地域)が事実上のクルド人独立地域となっており、シリア政府もアルカイーダ系反政府勢力やIS(イスラム国)との戦闘を優先しているため、事実上黙認している状態である。2014年以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、コバニアイン・アル=アラブ)では反乱勢力(自由シリア軍)と、カーミシュリーハサカなどではシリア軍アサド政権)との共闘が見られている[9]

2015年以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とするシリア民主軍に参加するも、シリア内戦最大の激戦となったアレッポの戦い (2012-)では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。 クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。

イラン


ジョージア


レバノン

アルメニア

アゼルバイジャン

ロシア

日本

参考文献

クルディスタン#脚注・参考文献も参照

  • 朝日新聞社『クルドの肖像―もうひとつのイラク戦争』彩流社、2003年、ISBN 978-4882028598
  • イスマイル・ベシクチ『クルディスタン=多国間植民地』柘植書房、1994年、ISBN 978-4806803508
  • S.C.ペレティエ『クルド民族―中東問題の動因』亜紀書房、1991年、ISBN 978-4750591018
  • 勝又郁子『クルド・国なき民族のいま』新評論、2001年、ISBN 978-4794805393
  • 川上洋一『クルド人もうひとつの中東問題』集英社、2002年、ISBN 978-4087201499
  • クルド人難民二家族を支援する会『難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの』緑風出版、2005年、ISBN 978-4846105112
  • 小島剛一『トルコのもう一つの顔』中央公論社、1991年、ISBN 978-4121010094
  • 鈴木崇生『今日も病院に銃弾の雨が降る―クルディスタンはちゃめちゃ医療奮闘記』亜紀書房、1999年、ISBN 978-4750599151
  • 高崎通浩『民族対立の世界地図 アジア/中東篇』中央公論新社、2002年、ISBN 978-4121500427
  • 高橋和夫『アメリカのイラク戦略―中東情勢とクルド問題』角川書店、2003年、ISBN 978-4047041264
  • 中川喜与志『レイラ・ザーナ―クルド人女性国会議員の闘い』新泉社、2005年、ISBN 978-4787705006
  • 中川喜与志『クルド人とクルディスタン―拒絶される民族』南方新社、2001年、ISBN 978-4931376595
  • 中島由佳利『新月の夜が明けるとき―北クルディスタンの人びと』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703125
  • ヒネル・サレーム『父さんの銃』白水社、2007年、ISBN 978-4560027639
  • 松浦範子『クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703002
  • 渡辺悟『クルド、イラク、窮屈な日々―戦争を必要とする人びと』現代書館、2005年、ISBN 978-4768469019

関連項目

脚注

外部リンク