ザントフォールト・サーキット

提供: miniwiki
2018/9/22/ (土) 00:06時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

テンプレート:Infobox motorsport venue サーキット・パーク・ザントフォールトCircuit Park Zandvoort, ザントフォールト・サーキット)はオランダ王国北ホラント州ザントフォールトに位置するサーキット北海に面した砂丘の上に第二次世界大戦後ドイツ軍が去った後の輸送路を使用して建造された。1952年から幾度かの休止を経て、1985年までF1オランダGPが開催されていた。また、1991年から2006年までF3マールボロマスターズが開催されていた。

旧レイアウトは大きく外周を回り込む高速サーキットであったが、インフィールドセクション中心に大改修が行われ、中速テクニカルコースとなる。最終コーナーからスピードに乗せて突っ込む1コーナーのターザンカーブが名物。

歴史

1930年代のオランダにはオートバイレースのために2つのサーキットがあった。一つはドレンテ州サーキット・ファン・ドレンテ。もう一つはリンブルフ州のTT練習用サーキットであったが、自動車レースのためのサーキット建設計画が持ち上がる。1939年6月3日にザントフォールト市街地において最初の自動車レースが開催され、大成功を収めた。その後すぐに戦争が勃発したものの、当時のザントフォールト市長であったファン・アルフェンはこの成功をきっかけとし、ビーチリゾートであるザントフォールト北部の砂丘にサーキット建設を決定した。

1948年に全長4.195kmの新サーキットが完成し、8月7日に新しいサーキットで初めての自動車レースが開催された。8月28日にはロイヤルダッチモーターバイク協会によってオートバイレースも開催され、1952年からはF1グランプリが断続的に開催された。1972年にザントフォールト市議会に於いてサーキットの近代化が決定され、300万ギルダー以上もの巨費を投じてクラッシュバリアの設置、Panorama - Bosuit間の改修、新しいピットやVIPルームが建設された。

1970年代から1980年代にかけてはモータースポーツ界全体で騒音問題が持ち上がり、ザントフォールトも例外ではなかった。1979年以降はサイレンサーを装着するなどして問題に対応したものの、市民からはそれだけでは不十分とされた。サーキット側はこの問題解決のために数千万ギルダーを捻出するも反対運動は続き、F1の開催は1985年をもって終了となり、時を同じくしてサーキット付近に住宅の建設計画が持ち上がる。これにより1990年にサーキット後半が大幅に改修を受け、最終コーナー付近に住宅街が形成された。

1992年、サーキット所有者は市議会と20年間の土地賃貸借契約を締結し、2013年までのレース開催が確実となった。

なお、旧コースは前述の住宅街およびサッカーコートなどの建設により、面影はほとんど残っていない。

F1オランダGPの結果

参照: オランダグランプリ

外部リンク