ジョゼフ・プレストウィッチ

提供: miniwiki
2018/9/22/ (土) 00:06時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


サー・ジョゼフ・プレストウィッチ: Sir Joseph Prestwich1812年3月12日 - 1896年6月23日)はイギリス地質学者実業家である。第三紀地質エキスパートで、ブーシェ・ド・ペルテ(英: Boucher de Perthes)のサン・アシュール(英: St Acheul遺跡石器の発見を確認したことでも知られる。

生涯

ロンドンの Pensbury に生まれた。パリ大学レディングで学んだ後、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン化学自然哲学を学んだ。1830年から家業のワインの仕事を始め、仕事でイギリス各地やフランスベルギーを旅した。これらの旅行で地質の観察を行い、地質学に興味をもち1833年にロンドン地質学会の会員となった。1831年から1832年の間の観察に基づいて1836年に発表した、「コールブルックデール(英: Coalbrookdale)の地質」の研究で、地質学者としての高い評判を得た。

1846年からロンドン盆地(英: London Basin)の第三紀地層の研究を行い、イギリス全土、フランス、ベルギーの第三紀地層との関連を研究した。1858年に、ブーシェ・ド・ペルテが、石器を発見したと発表したサン・アシュールのソンム川洞窟を訪れることをヒュー・ファルコナーから依頼され、ジョン・エバンスEnglish版とともにペルテの発見を確認した。その報告は1859年から1860年になされ、科学的方法による考古学の始まりとされる。

1860年代は王立石炭委員会首都上水道委員会の委員に任じられた。1874年にオックスフォード大学の地質学の教授となった。1849年にロンドン地質学会からウォラストン・メダルを受賞した[1]。1853年に王立協会の会員に選出され、1865年に王立協会ロイヤル・メダルを受賞した[2]。1896年にはヴィクトリア女王によりナイトに叙された[3]

関連項目

出典

  1. Wollaston Medal” (英語). The Geological Society. 2011年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
  2. Prestwich; Sir; Joseph (1812 - 1896)” (英語). Past Fellows. The Royal Society. . 2012年5月2日閲覧.
  3. The London Gazette: no. 26701. p. 359. 1896年1月21日。. 2012年5月2日閲覧.

外部リンク