テイラー・ドゥーシット

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テイラー・ドゥーシット(Taylor Lee Douthit, 1901年4月22日 - 1986年5月28日)は、1920年代に活躍した、アメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは中堅手アーカンソー州リトルロック生まれ。右投げ右打ち。センターとしてのアウト寄与率(レンジファクター)は史上1位。外野としてのシーズン刺殺数記録を持つ。

来歴・人物

1923年カリフォルニア大学からカージナルスに入団。デビューから3年間は控えの外野手だったが、1926年にロジャース・ホーンスビーが選手兼任監督となった年に守備のよさを買われてレギュラーに定着する。長打力を持った打者ではなかったが、この年にはリーグ最多の37犠打を記録、打率.308と23盗塁の成績でチームのリーグ制覇とワールドシリーズ制覇に貢献した。同年の外野守備でもリーグ最多となる440の刺殺を記録している。

2年後の1928年にはほぼフル出場となる154試合に出場、打率.295、191安打の成績を挙げる。この年ドゥーシットはメジャー歴代1位となる547の刺殺を記録、自身二度目のワールドシリーズに出場した。翌1929年は打率.336、206安打と打撃面でも好調なところを見せた。

1931年のシーズン中にトレードでレッズに移籍したが、徐々に走力が衰え始め出場機会も減っていった。2年後の1933年に開幕してすぐウェイバーに出され、シカゴ・カブスで27試合に出場した後6月末にマイナーリーグに移籍し、以後メジャーでプレーすることはなかった。1986年にカリフォルニア州フリーモントで死去。

特筆

現代メジャーリーグでは1試合あたりの投手の奪三振数が増加してきており、その分外野手刺殺数は減少傾向にある。2007年のシーズン外野手刺殺数の最多は、ナショナルリーグでアンドリュー・ジョーンズの396、アメリカンリーグではカーティス・グランダーソンの428。シーズン500刺殺以上の記録は1980年(ドウェイン・マーフィー)以来出ておらず、ドゥーシットのシーズン刺殺数は徐々に破られにくい記録になってきているといえる。

通算成績

打撃成績

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
1074 4127 1201 220 38 29 665 396 67 312 443 33 124 .291 .364 .384

獲得タイトル・記録

  • シーズン刺殺数(中堅手):547(1928年、史上1位)
  • シーズン最多犠打数:37(1926年)
  • ワールドシリーズ出場:3回(1926,1928,1930年)

出典・外部リンク