テルサンドロス

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テルサンドロス古希: Θέρσανδρος, Thersandros)は、ギリシア神話の人物である。主に、

の3名が知られている。以下に説明する。

シーシュポスの子

このテルサンドロスは、コリントス王シーシュポスとメロペーの子で、グラウコスオルニュティオーンハルモスと兄弟[1]。ハリアルトス、コローノス[2]プロイトスの父[3]。ハリアルトスとコローノスはアタマースの養子となり、領地の一部を得てハリアルトス、コローネイアを創建した。プロイトスはマイラの父。

エピゴノイの1人

このテルサンドロスは、ポリュネイケースアドラーストスの娘アルゲイアーの子で[4][5]、アドラーストス、ティメアースと兄弟[6]アムピアラーオスの娘デーモーナッサとの間にティーサメノスをもうけた[7]

父ポリュネイケースら7将のテーバイ遠征から10年後、テルサンドロスは再びテーバイを攻めるため、アムピアラーオスの妻エリピューレーハルモニアーのペプロス(長衣)を贈った。エリピューレーは乗り気でない息子アルクマイオーンに参加するよう説得した[8]。エピゴノイの軍勢はグリサス付近でエテオクレースの子ラーオダマースが率いるテーバイ軍と戦争になって、これを破り、テーバイを奪還した[9][10]。テルサンドロスはテーバイの王となり、国を去ったテーバイ人の一部をテッサリアーのホモレーから帰国させ、彼らが通った門をホモロイデス門と名づけた[11]

後にテルサンドロスはトロイア戦争に参加したが、ギリシア軍は間違ってミューシアに上陸し、テーレポス王と戦争になった。このときギリシア軍はテーレポスの攻撃によって敗走させられ、テルサンドロスは最後まで戦ったが、テーレポスに討たれた[12][13]。テルサンドロスの死によって、テーバイ勢はペーネレオースが率いることになった。テルサンドロスの墓は小アジアアイオリス地方のエライアにあり、土地の人々によって祭祀されたという[14]

テルサンドロスの子ティーサメノスはテーバイの王となったが、その子アウテシオーンは結局テーバイを去った[7]。さらにその子テーラーステーラ島に入植した[15][16]。また前5世紀後半のシチリアアクラガス王テーローンもテルサンドロスの子孫であったという[17]

系図

テンプレート:カドモスの系図

ヘーラクレイダイの1人

このテルサンドロスは、クレオーナイ王アガメーディダースの子で、ヘーラクレースの子クテーシッポスの5代目の子孫。娘に双子の姉妹ラトリアーとアナクサンドラーがおり、同じヘーラクレイダイのアリストデーモスの双子の子どもたち、エウリュステネースプロクレースの妻となった[18]

脚注

  1. パウサニアス、2巻4・3。
  2. パウサニアス、9巻34・7-34・8。
  3. パウサニアス、10巻・30・5。
  4. ヒュギーヌス、69話。
  5. ヒュギーヌス、71話。
  6. パウサニアス、2巻20・5。
  7. 7.0 7.1 パウサニアス、9巻5・15。
  8. アポロドーロス、3巻7・2。
  9. パウサニアス、9巻8・6。
  10. パウサニアス、9巻9・4。
  11. パウサニアス、9巻8・7。
  12. アポロドーロス、摘要(E)3・17。
  13. パウサニアス、9巻5・14。
  14. パウサニアス、9巻5・14-5・15。
  15. ヘーロドトス、4巻147。
  16. パウサニアス、3巻15・6。
  17. ピンダロス『オリンピア祝勝歌』第2歌。
  18. パウサニアス、3巻16・6。

参考文献