ハッサク

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ハッサク(八朔、学名:Citrus hassaku)は日本原産のミカン科柑橘類のひとつ。果実は食べられる。果皮だけでなく、袋(じょうのう膜)も厚いため、通常は袋も剥いて食す。独特の苦みと酸味があるものの、鮮度の良い物は水分も多い。日本国内でのハッサク栽培は、江戸時代末期に尾道市因島田熊町(旧因島市)の浄土寺原木が発見されたのを機に始まったとされる[1][2]。現在因島では約二千戸の農家がハッサクを育てている。

歴史

ファイル:Etoku.jpg
(写真1)小江恵徳上人
ファイル:ハッサク顕彰碑.JPG
(写真2)ハッサク顕彰碑

万延年間(1860年)村上水軍の城跡、青影山の南麓(現在の広島県尾道市因島田熊町)に、浄土寺の第15世住職、小江恵徳上人(えとくじょうにん)(写真1)の生家があり、その近くに生えた雑柑が「ハッサク」の原木であった。因島には古くから多くの種類の雑柑があったが、その理由として、気候が温暖であるなど柑橘が育ちやすい自然条件が整っているほかに、東南アジアまで勢力を広げ活躍した村上水軍が、遠征先から苗木や果実を持ち帰ったことも考えられる。柑橘を食べると種と皮が残り、種からはいろいろな種類の柑橘が実生(みしょう。接ぎ木挿し木と違って、からが出て生長すること)として発生する。やがてをつけ、交配を繰り返しながら、雑柑といわれるたくさんの種類の柑橘が生まれたと考えられる。ハッサクの他にも因島原産の柑橘に安政柑がある。

「ハッサク」という名前がついたのは1886年明治19年)で、八朔の頃から食べられたからと伝えられている(後述)。1910年(明治43年)、柑橘学の世界的権威ウォルター・テニソン・スウィングル博士が、「かいよう病(柑橘の病気)が日本に原生していたものかどうか」を調査するため、田中長三郎博士の案内で因島を訪れた。当時因島に現存した約60種類の雑柑の中にかいよう病を持つ柑橘がなかったことで、かいよう病が日本に原生していたものではないことが証明された。また両博士が、雑柑の中に含まれていた「ハッサク」の優秀性を認識したため、一躍「ハッサク」栽培の機運が高まっていく。

1925年大正14年)秋、田熊に出荷組合が設立され、村農会技師田中清兵衛の指導のもと、組合長岡野佐太郎、副組合長村上寿一を先達に、「ハッサク」の販路拡大が図られていった。現在の浄土寺にはハッサクの原木の切り株が保存され、境内にはハッサク顕彰碑「八朔発祥の地」(写真2)が建てられている。

生産地

日本における2010年の収穫量は35,919トン。原産地は広島県だが、主産地は和歌山県で全国の68%を産する。特に紀の川市(旧粉河町)と有田川町(旧金屋町)が八朔の一大産地となっており、粉河町では1980年代にみかんからの転作として、より生育条件に適合した八朔栽培を勧奨してきた。また、由良町では苦味の少ないさつき八朔を特産としている。他の生産地は広島県尾道市(旧因島市)、愛媛県徳島県など[3]

食用としての利用

その名の由来は、八朔(陰暦の8月1日)の頃から食べられたからと伝えられているものの、実際にはこの時期にはまだ果実は小さく、食用には適さない。現在では12月~2月ごろに収穫され、1、2ヶ月ほど冷暗所で熟成させ酸味を落ち着かせたのち、出荷される。

ほとんどは生食用として利用される。これは苦味成分であるナリンギンや、ノミリン、リモニンを含んでいるため、加工の過程で熱を加えられると苦味が増するからである[4]。 現在は、苦味を取り除くためにイオン交換という方法が考案され、これにより果汁への加工が可能となった[4]。栄養価としては主にビタミンC葉酸カリウム食物繊維を多く含む。また、苦味成分にも効能があるとされている。

脚注

  1. 因島柑橘史
  2. “「ぜいたく三ツ矢 広島県産はっさく」新発売!”. アサヒ飲料. (2016年10月10日). オリジナル2016年10月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161010033339/https://www.asahiinryo.co.jp/company/newsrelease/2016/pick_0927_3.html . 2016閲覧. 
  3. 農林水産省 特産果樹生産動態等調査2013年7月23日閲覧
  4. 4.0 4.1 前田久夫、高橋保男、三宅正起、伊福靖「イオン交換樹脂および合成吸着剤によるハッサク果汁中の苦味成分除去と減酸について」、『日本食品工業学会誌』第31巻第6号、日本食品科学工学会、1984年、 413-420頁、 doi:10.3136/nskkk1962.31.6_413