ピタゴラス

提供: miniwiki
2018/8/19/ (日) 17:44時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

ピタゴラスἈρχαία ἑλληνικὴ: Πυθαγόρας, ラテン文字転写: Pȳthagórās[1]ラテン語: Pythagoras: Pythagoras紀元前582年 - 紀元前496年)は、古代ギリシア数学者哲学者。「サモスの賢人」と呼ばれた。ピュタゴラスとも表記される。

生涯

ピタゴラスが組織した教団は秘密主義で、内部情報を外部に漏らすことを厳しく禁じ、違反者は船から海に突き落として死刑にした。そのため教団内部の研究記録や、ピタゴラス本人の著作物は後世に一点も伝わっていない。そこでピタゴラス個人の言行や人物像は、教団壊滅後に各地に離散した弟子の著作や、後世の伝記、数学に関する本の注釈といった間接的な情報でできあがっている[2]。彼の肖像や彫像類も、すべて後世の伝聞や想像で作られたイメージであり、実際にどういう風貌をした人物だったかも不明である。

ピタゴラスは紀元前6世紀ころ、古代ギリシャ文化圏の東辺に位置する、現在のトルコ沿岸にあるイオニア地方のサモス島で、宝石細工師の息子として生まれた。父親はレバノンのティルス出身であるとする説がある[3][4] 。近くの町には、やはり著名な数学者のタレスが住んでいた。

伝記によると、彼は若くして知識を求めて島を旅だち、古代オリエント世界の各地を旅した。エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び、フェニキアで算術と比率、カルディア人から天文学を学んだという。ポルピュリオスなどの伝記によれば、ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれる[5]。さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もある[6]

彼は20年にわたった放浪の末に、当時存在した数学知識のすべてを身につけて、故郷のサモス島に戻ってきた。しかしサモスは僭主ポリュクラテスの抑圧支配下にあり、学問研究に向かなかったため、イタリア半島の植民市に移住し、その弁舌で多くの人々を魅了した[2]。彼はクロトンで、彼の思想に共鳴する多くの弟子とともにピタゴラス教団、またはピタゴラス学派と呼ばれる集団を立ち上げた。この教団はやがて地域の有力者の保護を得て大きな力を持つようになり、数百人の信者を集め、ピタゴラスも弟子だったテアノEnglish版という女性と結婚して[7] 、大いに繁栄した。ところがある時、この後援者が政争に巻き込まれて失脚する。このとき、かつて教団への加入を希望したがテストで落とされて門前払いになった人物が、その遺恨から市民を扇動した。教団は暴徒と化した市民に焼き打ちされて壊滅し、ピタゴラスも殺されたという。

万物は数なり

ファイル:Gaffurio Pythagoras.png
音程を研究するピタゴラス。
左上:重さの違う鎚の響きを調べている 
右上:大きさが比になった鐘、いろいろな水量のコップを叩いている
左下:重さの違う錘を吊るした弦を弾いている 
右下:大きさの違う笛の音を試している

ピタゴラスは紀元前6世紀に、あらゆる事象には数が内在していること、そして宇宙のすべては人間の主観ではなく数の法則に従うのであり、数字と計算によって解明できるという思想を確立した[8]。彼は和音の構成から惑星の軌道まで、多くの現象に数の裏付けがあることに気がついた。そしてついには、宇宙の全ては数から成り立つと宣言した。彼がこの思想にもとづいて創始したピタゴラス教団は、数の性質を研究することにより、宇宙の真理を追究しようとした。教団に入門するには数学の試験があったが、この試験は相当難しく、数学に適性のある者だけが選抜されて教団に集まった。そしてピタゴラス教団は、古代世界で最も著名な数学の研究機関となった。この学派は当時信じられていた宇宙の五元素を示す、五芒星紋章とした。

彼の教団は現代にまで伝わる、さまざまな数学的な定理を発見したが、その中には有名なピタゴラスの定理のように現代にまで至る数学の基礎となったものがある。ピタゴラスの定理はピタゴラスが一人で発見したのではなく、この教団による成果であり、教団ではこの定理の重大性を記念して、百頭の牡牛を生贄に捧げて発見を祝ったという[9]

一方でピタゴラスは数の調和や整合性を不合理なほど重視し、完全数友愛数を宗教的に崇拝した。そのため教団の1人が無理数を発見したとき、その存在を認めようとするかわり、発見者を死刑にしてしまった。分数でも整数でも書き表せない奇怪な数が存在することは、彼の思想を根本から否定するものだったからである[10]。皮肉にも彼の名のついたピタゴラスの定理から導かれる[math]\sqrt{2}[/math]や、シンボルマークの五芒星に現れる黄金比も無理数であった。

ピタゴラスの哲学は、ゾロアスター教や道教と同じく二元論が基礎となっており、現象世界を考察する十項目の対立項を提示した[11]。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。アリストテレスは『形而上学』のなかで、この対立項を再現している。彼はオルペウス教の影響を受けてその思想の中で輪廻を説いていたとされている。

ピタゴラスと音楽

音階の主要な音程に対応する数比を発見したのはピタゴラスであるとされている[12]。彼はオクターヴを2:1、完全五度を3:2、完全四度を4:3、そして完全五度と完全四度の差としての全音を9:8と定義した[12]

ボエティウスは著書の『音楽教程』の冒頭にピタゴラスが音程と数比の関係を発見した経緯を記している。ある日鍛冶屋の前を通ったピタゴラスは、作業場の何人かの職人が打っているハンマーの音が共鳴して、快い協和音を発していることに気が付いた。中に入って調べてみると、ハンマーの音程は、その重量と関係があった。そこには五本のハンマーがあったが、四本の鎚の重さは「12 : 9 : 8 : 6」の単純な数比の関係にあることが解ったのである。単純な比になっていない他の1本のハンマーだけは、鳴らすと不協和音がした(しかし実際にはこの原理は楽器の弦の長さの比率においては正しいが、金槌の重さには当てはまらない)。

ピタゴラスはさらに弦楽器や笛で実験し、弦の長さの比が弦の振動数の比、つまり音程の関係を支配することを発見した。ピタゴラスは発見した音程の法則を確認するために、モノコードと呼ばれる1本のガットと自在に動かせる駒で構成される調律道具を発明したといわれる[11]

ピタゴラスに由来するとされるもう一つの音楽に関する学説は、「天球の音楽」の理論である。これは各惑星がある楽音に対応し、それらがハーモニーを形成しているというものである[12]

ピタゴラスの死後、彼の信奉者は音楽理論に関する学派を形成するが、ピタゴラスの学説が古代ギリシアの音楽の実践に影響を及ぼした可能性はほとんどない[12]

ピタゴラス音律周波数の比率が3:2の音程の積み重ねに基づく音律である。中国の三分損益法と基本的に同じものであるが、どちらがより古いのかは定かではない。ピタゴラスコンマはピタゴラス音律における異名同音の差である。

ピタゴラスと豆

ファイル:Do Not Eat Beans.jpg
豆から顔をそむけるピタゴラス

ピタゴラスはなぜか、豆をたいへんに嫌った。そのためピタゴラス教団では、豆を食べない規則が全員に強制された。それがどんな種類の豆かは判っていない。

この奇癖は迷信の多かった当時の基準でも異様で、理由についての色々な憶測があり、アリストテレスは「豆は性器に似ている、あるいはまた地獄の門に似ているから」と書いている。また「食べない方が胃によく安眠が出来るから」という単なる健康上の理由であるともいい、さらに「選挙のときの籤に使われるから」という、政治的理由であったともいう[13]ディオゲネス・ラエルティオスは『ギリシア哲学者列伝』の中でピタゴラスの最期に関する4つの説を紹介しているが、第1(または第4)の説によると、彼は豆畑を通って逃げるより、追っ手に捕まって殺されるほうがましだったらしい[14]

  1. クロトンで暴徒に家に放火され、逃げ出したが豆畑のふちに追いつめられ、咽喉を切られて殺された。
  2. メタポンティオンのムゥサの女神たちの神殿に逃げ込み、40日間の断食をした後で死んだ(ディカイアルコスの説)。
  3. メタポンティオンに退き、断食をして死んだ(ヘラクレイトスの説)。
  4. アクラガス人とシュラクサイ人との戦闘で、アクラガス側に参加して戦った。しかしアクラガス軍が敗走し、ピタゴラスは豆畑を避けて廻り道をしたためシュラクサイ軍に追いつかれて殺された(ヘルミッポスの説)。

脚注

  1. 「サモス島のピュータゴラース」Ἀρχαία ἑλληνικὴ: Πυθαγόρας ὁ ΣάμιοςPȳthagórās ho Sámios、また単純にΠυθαγόραςPȳthagórāsイオニア方言形: ΠυθαγόρηςPȳthagórēs
  2. 2.0 2.1 ジェイムス 1998, pp. 38-49.
  3. アレクサンドリアのクレメンス: Stromata I 62, 2–3, cit. (2012) in Eugene V. Afonasin, John M. Dillon, John Finamore: Iamblichus and the Foundations of Late Platonism. Brill. 
  4. Joost-Gaugier, Christiane (2007). Measuring Heaven: Pythagoras and his influence in thought and Art. Cornell University Press. 
  5. ジェイムス 1998, pp. 38-48.
  6. シン, pp. 38.
  7. テュロスのポルピュリオス, ピタゴラスの生涯, 4,スーダ辞典 Theano θ84,ディオゲネス・ラエルティオス 8巻. 42-3,スーダ辞典, ピタゴラス π3120
  8. サイモン・シン 『フェルマーの最終定理』第一章
  9. E・マオール 『ピタゴラスの定理』p33
  10. 史料によっては、この事件を次のように伝える。無理数の存在を知ったピタゴラス教団は動揺し、この発見を口外しない誓いを立てあい、無理数の存在を隠蔽しようとした。しかしヒッパソスという名の男が反発し、あくまで事実を公表しようとしたため、教団は彼を海に突き落とした。 (マオール p39)。
  11. 11.0 11.1 ジェイムス 1998, pp. 49-68.
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 R. P. Winnington-Ingram, “Pythagoras”, The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 1980 edition.
  13. 寺田寅彦 『ピタゴラスと豆』
  14. 同上。

参考文献

  • イアンブリコス 『ピュタゴラス伝』 佐藤義尚訳、国文社〈叢書アレクサンドリア図書館4〉、2000年。ISBN 4772003983
  • ブルーノ・チェントローネ 『ピュタゴラス派―その生と哲学』 斎藤憲訳、岩波書店、2000年。ISBN 4000019236
  • ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(下)』 加来彰俊訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1994年。ISBN 4003366336
  • E・マオール 『ピタゴラスの定理』 岩波書店、2008年。ISBN 9784000058780
  • ジェイミー・ジェイムス 『天球の音楽:歴史の中の科学・音楽・神秘思想』 黒川孝文訳、白楊社、1998。ISBN 4826990278。

関連項目

外部リンク