ファーティマ朝

提供: miniwiki
2018/7/30/ (月) 20:20時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「アラビア語 : الدولة الفاطمية al-Dawla al-Fātimīya 北アフリカとエジプトを支配したイスラム王朝 (909~1171) 。歴代カリフが…」)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

アラビア語 : الدولة الفاطمية al-Dawla al-Fātimīya

北アフリカとエジプトを支配したイスラム王朝 (909~1171) 。歴代カリフが預言者ムハンマドの娘ファーティマの子孫と称したことからこの名がある。 909年ウバイドゥッラー・アルマフディー (在位 909~934) が,シーア派の一分派イスマーイール派の伝道の成果を基盤として,北アフリカに王朝の支配権を樹立し,アッバース朝に対抗。 969年にはエジプトを征服,カイロを建設して首都とし,その後さらに領域をシリア,イエメン,ヒジャーズにまで広げて,一時は政治的,経済的,文化的にもアッバース朝をしのいだ。しかし,11世紀なかばより,内部における軍部の台頭と,アッバース朝をもりたてるセルジューク朝の強盛および十字軍の進出などによって衰退し,1171年アイユーブ朝のサラディンに取って代られた。