フラクトゥール
フラクトゥール | |
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類型: | アルファベット |
言語: | ドイツ語 |
Unicode範囲: |
U+210C,U+2111, U+211C,U+2128, U+212D U+1D504-U+1D537, U+1D56C-U+1D59F |
ISO 15924 コード: | Latf |
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フラクトゥール(独:、フラクトゥーア)は、ドイツ文字、亀の子文字、亀甲文字、ひげ文字などとも呼ばれる書体である。ドイツでは、第二次世界大戦頃までこの書体を印刷に常用していた。
フラクトゥールは、中世のヨーロッパで広く使われた、写本やカリグラフィーの書体を基にした活字体・ブラックレターの一種であり、最も有名なものである。時には、ブラックレターを全部指して「フラクトゥール」と呼ぶこともある。フラクトゥールの語源は、古いラテン語の分詞、frangere(壊す)、fractus(壊れた)であり、他のブラックレターや現在よく使われるローマ字体であるアンティカ体に比べて線が崩れているところに特徴がある。
通常、大文字の I と J には外見上の違いがないか、あってもわずかな差異である。これは、両者の起源は同じであり、区別する必要があまりなかったためでもある。語尾以外では小文字 s に長いs( ſ - 小文字の f によく似ているが、横棒が右側へと貫かない)を用いる。ß(エス・ツェット)には 長いs と z の合字を用い、ch には、文字同士が接触しないものの、字間が通常より狭い合字をそれぞれ用いる。また、ウムラウト付きの文字 ( Ä ä Ö ö Ü ü ) では、現在のウムラウト(点を横に2つ並べたもの)ではなく、その由来となった古い形、すなわち小さな e を文字の上に付した字形のものがしばしば見られる。ハイフンは、右上がりの二重線となる。
フラクトゥールの歴史
最初のフラクトゥールは神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の治世(1493年 - 1519年)に、皇帝の出版事業に際して特別にデザインされたものである。フラクトゥールは人気を博し、以前のブラックレターであるシュヴァーバッハー体(Schwabacher、ヨハネス・グーテンベルクが使った書体)やテクストゥアリス(Textualis/Textur、テクストゥラ体とも)などの書体に取って代わるようになり、様々なヴァリエーションのフラクトゥールの活字が彫られるようになった。
ブラックレターが16世紀頃までに衰えた他のヨーロッパ諸国と異なり、ドイツ語圏では19世紀でもフラクトゥールでの製版が常用されていた。いくつかの本はまだシュヴァーバッハー体を使用していたほどである。なかでも優勢なフラクトゥールの書体は「Normalfraktur」と呼ばれるものであり、様々な細かい違いの活字が存在した。
ドイツ語を母語としないヨーロッパの人々とのコミュニケーションの際に、フラクトゥールによる出版は障害をきたしていた。古代ローマの書体を模範にしてイタリアで発展し人文主義者らによってヨーロッパに広まっていたアンティカ体、ローマン体などの書体が18世紀以降ラテン語の筆記用としてドイツ語圏でも広まり、やがてドイツ語文書でもフラクトゥールを置き換えるようになった。北欧諸国でも19世紀まではブラックレターが使用されたが、例えばデンマークでは19世紀半ばにアンティカ体の利用が増え、1902年の時点で95%の印刷物がアンティカ体を使用するようになっていた[1]。ノルウェーも同様に1900年頃にほとんどの印刷物はアンティカ体に変わった[2]。
しかしドイツでは、アンティカ体によるフラクトゥールの置き換えをめぐって、ドイツ語はどちらで表記するのがよいかという「アンティカ・フラクトゥール論争」が起こっている。特に19世紀初頭の中世再評価やロマン主義、国民文学の創生の時期には、ドイツ語はゲルマン的なフラクトゥールで書くのが一番しっくりとする、アンティカ体は軽薄だがフラクトゥールは重厚で中身がある、中世のゴシック文化全盛期を彷彿(ほうふつ)とさせるなどといったフラクトゥール擁護論が喧伝(けんでん)された。20世紀の第一次世界大戦前にも、アンティカ体を推進する議論に対し、フラクトゥールは読めるスピードが速く、読み間違えにくいため客観的に見て優れている、というフラクトゥール擁護論が現われ激論となった。
20世紀、ナチス・ドイツは、ドイツを故意に他の西欧諸国とは異なった国にしようという意図から、中世以来の伝統的なフラクトゥールを正式なドイツ語の書体とし、国際的なアンティカ体はアーリア的ではないと宣告した。この公式な立場は1930年代後半を通じ維持されていたが、1941年1月3日、官房長マルティン・ボルマンが突然全ての政府機関に対して「フラクトゥールはユダヤ人の文字 (Judenlettern) なのでこれ以上の使用を禁止する」という文書を発したためフラクトゥールは公式文書から消えてしまった[3][4]。この命令の原因として、ドイツ政府は第二次世界大戦で占領下に置いた地域でフラクトゥールが命令伝達の障害となっていることを認識したのではないかという推測があるが[5]、占領地域での伝達障害の主な原因はドイツ人行政官のフラクトゥールを基礎にしたジュッターリーン体などの筆記体 (Kurrent) でありフラクトゥールそのものではないという反論がある。真の理由は、ドイツ国外で接収した活字や印刷機を使ってドイツ語文書を作りたかったからではないかともいわれる。
フラクトゥールは戦後のドイツで短い期間ではあるが復活した。ドイツの多くの印刷業者は1955年ごろまで資金不足にあえぎ、新しい活字を買う余裕がなかったため古いフラクトゥールの活字を引っ張り出したのである。経済が復興するに従い、ナチスあるいは帝政ドイツのような古い体制を思わせる旧式のフラクトゥールは新聞や書籍から姿を消した。
フラクトゥールの利用
今日のドイツでは、フラクトゥールは装飾用の書体としてまれに使われる程度である。例えばドイツの古くからの新聞は、一面にある新聞名をフラクトゥールで表記しているが、記事本文や見出しではフラクトゥールは用いられずアンティカ体が用いられる。また、パブなど飲み屋の看板にもよく使われる。こうした看板や装飾での使用では、小文字sや長いsの区別や、連字・合字などのルールはあまり気にされていない。
一方、フラクトゥールの個別の文字は数学分野で記号として使われている。例えば、リー環、完全加法族、イデアルの表記の際にはフラクトゥールを使うことがある。
フラクトゥールのバリエーションの例
下の図にあるドイツ語文は、フラクトゥールのうち、それぞれ"Walbaum-Fraktur"、"Humboldtfraktur"という字体を用いている。それぞれの字体の名前の後に、 "Victor jagt zwölf Boxkämpfer quer über den Sylter Deich" という文章が続いている。文の意味は、「ヴィクターはジュルトの堤防を横切って十二人のボクサーを追いかけた」となるが、これはローマ字の26文字とウムラウトのついた文字を全部使うパングラム(pangram、全ての文字を使って作る文)である。
種類
- ゴシック体
- 本文書体 lettre de forme
- スンマ書体 lettre de somme
- 折衷ゴシック体 gothique bâtarde romaine
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p | q | r | ſ, s | t | u | v | w | x | y | z | ä | ö | ü | ß |
[math]\mathfrak{p}[/math] | [math]\mathfrak{q}[/math] | [math]\mathfrak{r}[/math] | ファイル:Fraktur langes s001.png[math]\mathfrak{, s}[/math] | [math]\mathfrak{t}[/math] | [math]\mathfrak{u}[/math] | [math]\mathfrak{v}[/math] | [math]\mathfrak{w}[/math] | [math]\mathfrak{x}[/math] | [math]\mathfrak{y}[/math] | [math]\mathfrak{z}[/math] | ファイル:Fraktur aUml001.png | ファイル:Fraktur oUml001.png | ファイル:Fraktur uUml001.png | ファイル:Fraktur Eszett001.png |
p | q | r | ſ, s | t | u | v | w | x | y | z | ä | ö | ü | ß |
符号位置
Unicodeにはフラクトゥール文字そのものが登録されており、太字用も用意されている。
脚注
- ↑ R. Paulli, "Den sejrende antikva", i: Det trykte Ord, published by Grafisk Cirkel, Copenhagen, 1940.
- ↑ Tore Rem, "Materielle variasjoner. Overgang fra fraktur til antikva i Norge." in: Mats Malm, Barbro Ståhle Sjönell & Petra Söderlund (eds.), Bokens materialitet - Bokhistoria och bibliografi, Svenska Vitterhetssamfundet, Stockholm, 2009
- ↑ Martin Bormanns Schrifterlass vom 3. Januar 1941
- ↑ Helmut Heiber: „Die Rückseite des Hakenkreuzes“, München 1993, S. 224 f., ISBN 3-423-02967-6
- ↑ Albert Kapr, Fraktur: Form und Geschichte der gebrochenen Schriften, Mainz, 1993, p. 81.