フランス史

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history of France

フランス人の歴史は旧石器時代にさかのぼるが,ドナウ方面から移動したケルト人 (ガリア人) を基としている。

ローマ人の征服の結果,ローマ文化が浸透 (ガロ・ロマン文化) したが,5世紀以来西ゲルマンのフランク民族が北東部に移動。フランス国家の歴史は,国名の起源となったこのフランク王国に発している。シャルルマーニュ (カルル1世(大帝)) の後継の西フランク王位がとだえたのち,ローマ・ゲルマン混合文化成立の地,パリ盆地を拠点とするカペー朝が成立し,ロアール川以南の南西部諸侯と対立した。 13世紀のフィリップ2世,ルイ9世のとき,東部,南西部に王権を拡大。

14世紀フィリップ4世の時代にローマ教皇との抗争に勝ったが,バロア朝の創立をめぐりイングランド王と対立,百年戦争を起した。

15世紀末期より,イタリア戦争,ユグノー戦争が相次ぎ,政治的・経済的危機を生んだ。ユグノー戦争を終了させたアンリ4世を開祖とするブルボン朝は,この危機のただなかにあったが,ルイ 14世の時代は,この危機に対応して国内諸侯や王権の障害物を制圧し集権体制を創始して近代国家への一歩をしるした。しかし,ヨーロッパ大陸制圧政策は失敗し,財政危機が深まった。 18世紀末,その特権体制は破綻し,フランス革命が勃発。 1792年の国民公会で共和政を宣言し第一共和政が成立したが,革命の成果はナポレオン1世に受継がれ結実した。

19世紀に入ると,ナポレオン帝国の没落,ブルボン復古王政から七月王政と続くが,一方,ナショナリズム運動が発展し,七月革命,二月革命が起り,第二共和政を経て第二帝政を生み出した。しかし,フランスの経済発展は停滞し,金融資本を中心とする海外投資とアフリカ,インドシナの植民地経営にその活路が見出され,国内では民衆運動が発生し,1871年普仏戦争の敗北を機にパリ・コミューンが成立した。同年第三共和政に移ったが,帝国主義政策を推進してイギリス,ロシアと三国協商を結び,ドイツと対立,第1次世界大戦に突入した。戦後経済の繁栄時代を迎えたが,1930年代の世界恐慌と国際政治上の孤立の影響で社会主義勢力が進出,1936年に成立した L.ブルムの人民戦線内閣はドイツ,イタリアのファシズム勢力の前に後退した。第2次世界大戦が勃発すると,ドイツ軍の占領下ビシー政権が成立したが,ロンドンに自由フランス政権が樹立され,国内ではレジスタンス運動が展開された。解放後の第四共和政時代は,冷戦下のマーシャル・プランを受入れてアメリカ従属体制のもとに経済復興と安全保障を求めたが,インドシナ,アルジェリアの民族解放戦争が激しく展開され,58年復権したドゴールの起草による憲法を定め第五共和政に移行した。

独自の核開発,積極的中立外交の展開によって,66年北大西洋条約機構の軍事委員会から脱退。しかし国内では 68年労働者,学生らによる,いわゆる五月革命が起り,ドゴール大統領は辞任。以後,ポンピドー,ジスカールデスタン大統領による保守政権が続いた。

81年5月社会党のミッテランを大統領とする左翼政権が誕生したが,86年と 93年の総選挙では社会党は大敗を喫し,保革共存政権 (コアビタシオン) が成立。これは続くシラク保守政権でも経験されたが,2002年6月の国民議会議員選挙では右派が左派に圧勝し,コアビタシオンは解消された。