フレデリック・ハミルトン=テンプル=ブラックウッド (初代ダファリン侯爵)

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初代ダファリン=エヴァ侯爵、フレデリック・テンプル・ハミルトン=テンプル=ブラックウッド: Frederick Temple Hamilton-Temple-Blackwood, 1st Marquess of Dufferin and Ava, KP, GCB, GCSI, GCMG, GCIE, PC1826年6月21日 - 1902年2月12日)は、イギリスの政治家、外交官、貴族。

経歴

生い立ち

1826年6月21日トスカーナ大公国(現イタリア共和国トスカーナ州)首都フィレンツェに生まれる。父はアイルランド貴族の第4代ダファリン=クランボイ男爵[注釈 1]プリーセ・ブラックウッドEnglish版。母はその夫人ヘレンEnglish版(旧姓シェリダン)[2][3]

イートン・カレッジを経て1844年オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]。在学中の1841年7月に第5代ダファリン・アンド・クランボイ男爵位を継承した[2]

政界へ

1850年1月に新たに連合王国貴族の「カウンティ・オヴ・ダウンにおけるクランデボイクランデボイ男爵Baron Clandeboye, of Clandeboye, in the county of Down)」に叙され[2][5]貴族院議員に列する[6]

1854年から1858年にかけて王室の侍従English版を務める[2]。1856年のクリミア戦争のパリ講和会議に出席した[7]1860年から1861年にかけてはオスマン=トルコ帝国レバノンで起きた虐殺事件English版に関する調査を行う「シリア特別委員」を務めた[2]

1864年から1866年にかけては第二次パーマストン子爵内閣のインド担当省政務次官English版、ついで陸軍省政務次官English版を務めた[2][3]

1868年から1872年にかけては第一次グラッドストン内閣のランカスター公領担当大臣English版主計長官English版を務めた。また1871年には教育についての王立委員会の委員長を務める[2][3]

総督・外交官として

ファイル:Rashtrapati Niwas, Shimla, former Viceregal Lodge, built 1888.jpg
ダファリン卿がインド副王在職中に建てた総督官邸。現在はラーシュトラパティ・ニワスEnglish版と呼ばれ、インド高等学術研究所English版が使用している

ランカスター公領担当大臣辞職を機に外交官に転じる[8]

1872年から1878年にかけてはカナダの総督を務めた[3]。1879年から1881年にかけては在ロシア大使English版、1881年から1884年にかけては在オスマン帝国大使English版を務めた。英仏の半植民地エジプトウラービー革命で揺れる中の1882年には「エジプト特別委員」に任じられた[2]。エジプト問題討議のためにトルコ(エジプトの形式的な宗主国)・コンスタンティノープルで開催された会議に出席し、首相グラッドストンの指示に従って親英仏的なエジプト副王タウフィークを擁護し、トルコ軍ないし列強諸国の軍隊のエジプト派遣を訴えてウラービー革命を抑え込もうと図った[9]

1884年から1888年にかけてはイギリス領インド帝国の総督(副王)を務めた。在任中、内政面では小作人の土地占有権を保護する立法を行った。外交面ではフランスとの接近を図るビルマティーボーを危険視し、ビルマ侵攻を行った。ビルマ首都マンダレーを占領してティーボー王を捕虜にし、ビルマをインド帝国に併合した[8]。またシムラーに新しい総督官邸を建立させた[10]

1888年から1891年にかけては在イタリア大使English版、1891年から1896年にかけては在フランス大使を務めた[2][3][11][12]。フランス大使時代にはフランス政府とタイ仏領インドシナをめぐる植民地利権交渉にあたった[7]

晩年・死去

1897年から1900年までロンドン・アンド・グローブ・フィナンス・コーポレーション(London and Globe Finance Corporation)の議長を務めた。1902年2月12日にアイルランドクランデボイEnglish版で死去。75歳だった[2]

栄典

ファイル:Dufferin Indian Viceroy.jpg
インド総督時代のダファリン卿

爵位・準男爵位

1841年7月21日に父プリーセ・ブラックウッドEnglish版の死去により以下の爵位・準男爵位を継承した[2][3]

1850年1月22日に以下の爵位を新規に叙された[5][13]

  • ダウン州におけるクランデボイの初代クランデボイ男爵 (1st Baron Clandeboye, of Clandeboye in the County of Down)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

1871年11月13日に以下の爵位を新規に叙された。[14][13]

  • ダウン州における初代ダファリン伯爵 (1st Earl of Dufferin, in the County of Down)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ダウン州におけるクランデボイの初代クランデボイ子爵 (1st Viscount Clandeboye, of Clandeboye in the County of Down)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

1888年11月17日に以下の爵位を新規に叙される。[15][13]

  • ダウン州=ビルマにおける初代ダファリン=エヴァ侯爵 (1st Marquess of Dufferin and Ava, in the County of Down and Burma aforesaid)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ビルマ保護領における初代エヴァ伯爵 (1st Earl of Ava, in the Province of Burma)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

勲章

その他

家族

1862年に陸軍将校の娘ハリオット・ローワン=ハミルトンEnglish版と結婚。彼女との間に以下の7子を儲ける[2]

  • 第1子(長女)ヘレン・ハーマイオニー(Helen Hermione)(1863年-1941年
  • 第2子(長男)アーチバルド・ジェームズ・レオフリック(Archibald James Leofric)(1863年-1900年) : 父に先立って死去
  • 第3子(次男)テレンス・ジョンEnglish版1866年-1919年) : 第2代ダファリン=エヴァ侯爵
  • 第4子(次女)ハーマイオニー・キャサリン・ヘレン(Hermione Catherine Helen)(1869年-1960年
  • 第5子(三男)イアン・バジル・ガウェイン(Ian Basil Gawaine)(1870年-1917年
  • 第6子(三女)ヴィクトリア・アレクサンドリナ(Victoria Alexandrina)(1873年-1968年
  • 第7子(四男)フレデリックEnglish版1875年-1930年) : 第3代ダファリン=エヴァ侯爵

脚注

註釈

  1. 官報の『ロンドン・ガゼット』はBaron Dufferin and Claneboyeとしている[1]

出典

  1. The London Gazette: no. 15281. p. 889. 1800年8月2日。. 2013閲覧.
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 Lundy, Darryl. “Frederick Temple Hamilton-Temple-Blackwood, 1st Marquess of Dufferin and Ava” (英語). thepeerage.com. . 2013閲覧.
  3. 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 ファイル:PD-icon.svg Cokayne, George Edward, ed (1916). “DUFFERIN, DUFFERIN AND CLANEBOYE OF BALLYLEIDY AND KILLYLEAGH, and DUFFERIN AND AVA” (英語). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain, and the United Kingdom Extant, Extinct, or Dormant. 4 (2 ed.). London: The St. Catherine Press, ltd.. pp. 494-495. https://archive.org/stream/completepeerageo04coka#page/494/mode/2up . 2013閲覧.. 
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 テンプレート:Venn
  5. 5.0 5.1 The London Gazette: no. 21058. p. 84. 1850年1月11日。. 2013閲覧.
  6. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「hansard」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  7. 7.0 7.1 中西(1997) p.152
  8. 8.0 8.1 浜渦(1999) p.140
  9. 坂井(1967) p.99
  10. 浜渦(1999) p.227
  11. The London Gazette: no. 25888. p. 7414. 1888年12月28日。. 2013閲覧.
  12. The London Gazette: no. 26243. p. 133. 1892年1月8日。. 2013閲覧.
  13. 13.0 13.1 13.2 Heraldic Media Limited. “Dufferin and Ava, Marquess of (UK, 1888-1988)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. . 2016閲覧.
  14. The London Gazette: no. 23793. p. 4554. 1871年11月7日。. 2013閲覧.
  15. The London Gazette: no. 25874. p. 6145. 1888年11月13日。. 2013閲覧.
  16. The London Gazette: no. 22521. p. 2537. 1861年6月18日。. 2013閲覧.
  17. The London Gazette: no. 24330. p. 3185. 1876年5月26日。. 2013閲覧.
  18. The London Gazette: no. 25242. p. 3089. 1883年6月15日。. 2013閲覧.
  19. Blackwood; Frederick Temple Hamilton-Temple (1826 - 1902); 1st Marquess of Dufferin and Ava” (英語). Past Fellows. The Royal Society. . 2013閲覧.

参考文献

  • 坂井秀夫 『政治指導の歴史的研究 近代イギリスを中心として』 創文社、1967年。
  • 中西輝政 『大英帝国衰亡史』 PHP研究所、1997年。ISBN 978-4569554761。
  • 浜渦哲雄 『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』 中央公論新社、1999年。ISBN 978-4120029370。
  • 『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』 秦郁彦編、東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。

外部リンク

公職
先代:
第3代ウッドハウス男爵
イギリスの旗 インド担当省政務次官English版
1864年 - 1866年
次代:
ジェームズ・スタンスフェルドEnglish版
先代:
ハーティントン侯爵
イギリスの旗 陸軍省政務次官English版
1866年
次代:
第4代ロングフォード伯爵English版
先代:
トーマス・エドワード・タイラーEnglish版
イギリスの旗 ランカスター公領担当大臣English版
1868年1872年
次代:
ヒュー・チルダース
先代:
サー・スティーブン・ケーブEnglish版
イギリスの旗 主計長官English版
1868年1872年
官職
先代:
初代リスガー男爵English版
[[ファイル:テンプレート:Country flag alias CAN1868|border|25x20px|テンプレート:Country alias CAN1868の旗]] カナダ総督
1872年 - 1878年
次代:
第9代アーガイル公爵
先代:
初代リポン侯爵
イギリス領インド帝国の旗 インド副王兼総督
1884年 - 1888年
次代:
第5代ランズダウン侯爵
外交職
先代:
オーガスタス・ロフタス卿English版
イギリスの旗 駐ロシア大使English版
1879年1881年
次代:
サー・エドワード・トーントンEnglish版
先代:
サー・ヘンリー・レイヤード
イギリスの旗 駐トルコ大使English版
1881年1884年
次代:
サー・エドワード・トーントンEnglish版
先代:
サー・ジョン・サヴィルEnglish版
イギリスの旗 駐イタリア大使English版
1888年1892年
次代:
第3代ヴィヴィアン男爵English版
先代:
初代リットン伯爵
イギリスの旗 駐フランス大使
1891年1896年
次代:
サー・エドムンド・モンソン准男爵English版
学職
先代:
アーサー・バルフォア
セント・アンドルーズ大学学長English版
1889年1892年
次代:
第3代ビュート侯爵English版
先代:
第6代バルフォア・オブ・バーレイ卿English版
エジンバラ大学学長English版
1899年1902年
次代:
サー・ロバート・フィンレーEnglish版
名誉職
先代:
第4代ロンドンデリー侯爵English版
23px ダウン総督English版
1864年1902年
次代:
第6代ロンドンデリー侯爵English版
先代:
ウィリアム・ヘンリー・スミス
23px 五港長官English版
1892年1895年
次代:
第3代ソールズベリー侯爵
イギリスの爵位
新設 初代ダファリン=エヴァ侯爵
1888年1902年
次代:
テレンス・ハミルトン=テンプル=ブラックウッドEnglish版
初代ダファリン伯爵
1871年1902年
アイルランドの爵位
先代:
プリーセ・ブラックウッドEnglish版
第5代ダファリン=クランボイ男爵
1841年1902年
次代:
テレンス・ハミルトン=テンプル=ブラックウッドEnglish版