ベネディクトゥス13世 (対立教皇)

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ベネディクトゥス13世Benedictus XIII,1328年11月25日 - 1423年5月23日)は、カトリック教会対立教皇(在位:1394年 - 1417年)。アラゴンではエル・パパ・ルナ(El Papa Luna)として知られる。

生涯

アラゴン王国の大貴族ルナ家出身。本名をペドロ・マルティネス・デ・ルナ(Pedro Martínez de Luna)といった。モンペリエ大学で学び、グレゴリウス11世に仕えた。その後、教会大分裂の際に対立教皇クレメンス7世を支持してアヴィニョンに残留。1394年9月、アヴィニョンで行われたコンクラーヴェで教皇に選出された。彼を正当な教皇として認めたのは、フランス王国スコットランド王国、シチリア王国カスティーリャ王国、アラゴン王国、ポルトガル王国であった。

しかし、1398年にフランス国内の教会がアヴィニョン教皇庁から離れようとした事をきっかけに彼の影響力は減少する。フランス軍の軍勢にアヴィニョンを占領され、5年あまり教皇宮殿に立てこもった後、1403年にアヴィニョンから脱出せざるを得なかった。

フランス、ポルトガル、ナバラの支持を失った彼は、スコットランド、シチリア、カスティーリャ、アラゴンの支持にすがるほかなくなった。1406年インノケンティウス7世が亡くなると新教皇グレゴリウス12世が選出された。ベネディクトゥス13世はグレゴリウス12世と共にカトリック教会の再統合を水面下で交渉していたが、フランス王シャルル6世がどちらの派にも組みせず中立を表明した事から話し合いが中断した。1409年ピサ教会会議で、グレゴリウス12世とベネディクトゥス13世の廃位、そしてアレクサンデル5世の選出が決定されるが、先の2人の教皇が揃って退位を拒否した。これで同時に3人の教皇がたつという異常事態に陥った。

1415年コンスタンツ公会議で3人の教皇の廃位が正式決定。グレゴリウス12世は自主的に退位、ヨハネス23世(アレクサンデル5世の後継者)は捕らえられて廃位された。ベネディクトゥス13世は退位を拒否したが、1417年に正式に廃位、新たにマルティヌス5世が選出された。彼は1408年からペルピニャンで暮らし、1417年からアラゴン王アルフォンソ5世の庇護を受けながらバレンシアペニスコラ城へ隠遁した。亡くなるまで自身が正当の教皇だと主張していた。


テンプレート:対立教皇