ベン・バーナンキ

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ベンジャミン・シャローム “ベン” バーナンキBenjamin Shalom “Ben” Bernanke1953年12月13日 - )は、アメリカ合衆国経済学者。専門はマクロ経済学である。第14代連邦準備制度理事会 (FRB) 議長(在任:2006年 - 2014年)。姓のBernankeベルナンケ[1][2]バーナンケ[3][4][5]と表されることもある。

経歴

家族構成

1953年12月13日ジョージア州オーガスタで生まれ、サウスカロライナ州ディロンで育った。父のフィリップは薬剤師や劇場の支配人、母のエドナは学校教員を務めていた。兄弟は弟と妹。弟のセスはノースカロライナ州シャーロットで弁護士を務めており、妹のシャロンはボストンバークリー音楽大学で学んだのち、長年にわたって同校の経営に携わっている。

バーナンキ家はディロンに住む数少ないユダヤ系家庭の一つであり、一家はオハブ・シャロムと呼ばれる地元のシナゴーグに通った。また、バーナンキ自身は東欧ユダヤ系の母方の祖父からヘブライ語を学んだ。父方の祖父もユダヤ系で第一次世界大戦後にオーストリアからアメリカ合衆国に移住し、その後の1940年代ニューヨークからディロンへ移り住んでいる。その祖父から、父と叔父が薬局を譲り受けて経営をしていた。

高校・大学にて

バーナンキは地元の高校に進学。学校では微分積分学を独学したり、学校新聞の編集に携わるなどした。SAT (大学進学適性試験)では1600満点中1590点というその年の州で一番の成績を収め、卒業生総代を務める優秀な生徒だった。その他、高校のマーチングバンドに加わっており、全米サクソフォニストにもなっている。

1972年ハーバード大学へと進学して経済学を学ぶ。在学中は勉学に励む中、夏には地元・ディロンにあるロードサイド・アトラクション、サウス・オブ・ザ・ボーダーEnglish版を手伝うためにウェイターをした。1975年、最優等学位をもって同大を卒業。1979年にはマサチューセッツ工科大学経済学博士号を取得しており、博士論文の題は「長期コミットメント、動的最適化とビジネスサイクル」("Long-term commitments, dynamic optimization, and the business cycle")。それを書き上げる際にはスタンレー・フィッシャーの助力があったという。

研究業績

1979年からはスタンフォード大学経営大学院で教鞭をとる一方、ニューヨーク大学客員教授職にもついている。1985年プリンストン大学経済学部教授に就任し、日本銀行の政策がいかに間違っていたかを研究[6]1996年から2002年までのあいだは学部長も務めた。またこの間、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの金融理論・金融政策の講義を行っているほか、マクロ経済学の教科書を3冊、ミクロ経済学の教科書を1冊執筆、全米経済研究所の金融経済学における教程監督、アメリカン・エコノミック・レビュー誌編集者などを歴任している。特にデフレ史の研究に優れ、友人であり同僚でもあったポール・クルーグマンとともに、インフレターゲットの研究者として名を高める。この間、多くの人材を育てた。

政府機関にて

2002年ブッシュ政権下でFRBの理事に指名されたが、もともと政治色の薄い人物で、同僚にも共和党員であることはあまり知られておらず[7]、またそれを知る同僚からはアラン・グリーンスパンと同じリバタリアンの共和党員という評価を得ていた[8]。FRBによる通貨の供給不足が1930年代の世界恐慌の原因だとするミルトン・フリードマン教授の学説の信奉者で、2002年のフリードマンの90歳の誕生パーティーにおいて「FRBは二度と同じ過ちは繰り返しません」と誓い[9][6]、さらにフリードマンの寓話に倣い「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言[10][6]。「ヘリコプター・ベン」「ヘリコプター印刷機」の異名をもつ[11][12][13][14]2003年には「日本の金融政策に関する若干の考察」という表題で講演し、2001年3月からの日銀の量的金融緩和政策は中途半端であり、物価がデフレ前の水準に戻るまで紙幣を刷り続け、さらに日銀が国債を大量に買い上げ、減税財源を引き受けるべきだと訴えた[6]2005年には米国大統領経済諮問委員会 (CEA) の委員長となる。2006年2月1日にFRB議長に就任。第二次世界大戦後生まれでは初のFRB議長である。

2008年に発生した金融危機ゼロ金利政策など緩和政策を実施し、金融機関の救済にあたったほか、景気後退への対応で成果を上げたと評価する声がある一方、金融危機への対応が遅れた、金融危機を招いたのは資産バブルを放置したためという批判の声もあり、2010年1月28日米上院でFRB議長に再任されたものの賛成70票、反対30票と、信任投票が始まった1978年以降、最大の反対票を集める結果となった[15][16][17]

2009年、市場の不必要な混乱を避けるためインタビューには応じないという歴代FRB議長の慣行を破り、現職FRB議長として史上初めてテレビインタビューに応じ、自らの出自や金融恐慌の現状等について語った[18]

2009年3月から1年間、住宅ローン担保証券などを1.75兆ドル買い入れる量的緩和第1弾(QE1)を、2010年11月から2011年6月には米国債を6000億ドル買い上げる量的緩和第2弾(QE2)を、2012年9月からは期限や総枠を設けない無制限な量的緩和第3弾(QE3、「無制限緩和」[19])を実施した。

2012年1月25日、FRB議長として、かねてからの持論であるインフレターゲット導入を実施した[20]。2014年2月、FRB議長退任。

年譜

バーナンキの背理法

バーナンキの背理法は、日本のインターネット上で流通した論法である[22][23]。バーナンキは、デフレ不況に陥った後も、ゼロ金利下でデフレ克服に向けて有効な手だてを施せない日本銀行の金融政策を批判し(インフレターゲット#日本の項も参照)、金融政策によるリフレーションの可能性について自らの論文で以下のように説明した[24]

Money, unlike other forms of government debt, pays zero interest and has infinite maturity. The monetary authorities can issue as much money as they like. Hence, if the price level were truly independent of money issuance, then the monetary authorities could use the money they create to acquire indefinite quantities of goods and assets. This is manifestly impossible in equilibrium. Therefore money issuance must ultimately raise the price level, even if nominal interest rates are bounded at zero.
日本語訳[note 1]:貨幣は、ほかの政府債務とちがい、利子の支払いも満期もない。通貨当局は貨幣をすきなだけ発行することができる。だから、もし本当に物価水準が貨幣の発行と関係なければ、通貨当局は、財や資産を無制限に得るために貨幣をつくってつかえることになる。これはあきらかに均衡しない。そういうわけで、たとい名目利子率の下限がゼロであっても、結局のところ、貨幣の発行は物価水準をひきあげるはずである。 — Ben S. Bernanke Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis?

これが日本で「バーナンキの背理法」と呼ばれるものであるが、バーナンキ自身にとってこの論法は、特定の個人名をつけて呼ばれる程のものではなく普通の論法であるという[25]

金融危機時の金融政策

アメリカのマネタリーベースの変化を右図に示す。2008年前後の景気後退時期(グレー部分)から、バーナンキらの量的金融緩和QE1、QE2、QE3によってマネタリーベースが段階的に激増しているのが分かる。

2014年1月、バーナンキは以下のように述べた(抜粋)[26]

フォワードガイダンス、債券買い入れ(量的金融緩和)

われわれは追加刺激を必要としていた。実験的な面もあったが、(フォワードガイダンスと債券買い入れの)2つの方法を用いた。いずれも有益だったと確信している。

金融危機時には苦悩して眠れなかったのではないか

もちろん、全くその通り。(しかし)問題に集中して考えるのは私の性質だ。その時は、起こっていたことに心を奪われ、対応策を見出そうとしていたため、苦悩に落ち込んでいる状態ではなかった。(中略)危機の最中は何度か非常に厳しい時期があった。2008年9-10月には、われわれは危機に対応するだけでなく、世界的な危機だったため、世界中の仲間と解決を図ろうとしていた。同時に、われわれは証言を行ったり、何が起きているかを世界に知らせ続けようとしていた。そのため、それは非常に非常に厳しい時期だった。しかし繰り返すが、私は任務に集中していただけだ。

TARP承認に向けた議会への働きかけ

リーマン・ブラザーズ破綻や株式市場の急落にもかかわらず、下院は2度目の採決でようやく不良資産救済プログラム(TARP)を承認した。TARPがいかに米経済の安定に必要かを議会に訴えていたとき、ある上院議員が私に、地元の意見は50%が「ノー」、残り50%は「絶対ノー」だと話していたのを覚えている。それほど不人気な政策だった。(中略)場当たり的な対応が、限界に来ていることも明らかだった。そのため議会を巻き込むしか選択肢がなかった。この点に関して、私はとても明確だった。

量的金融緩和の出口戦略

バーナンキは2013年12月18日、QE3における月額の債券買い入れ規模を初めて100億ドル縮小し、750億ドルとした[27]。その後、2014年1月、バーナンキを中心とする連邦公開市場委員会は以下のようにコメントした(抜粋)[28]

委員会は2月から、保有するエージェンシー発行モーゲージ債(MBS)を月額350億ドルではなく300億ドルのペースで、米長期国債は月額400億ドルではなく350億ドルのペースで追加購入することを決めた。(中略)労働市場の改善が進み、インフレ率が長期的な目標に向かって戻るという委員会の見通しを広範に裏付けるならば、委員会は今後の会合でさらに慎重な足取り(further measured steps)で(量的金融緩和のための)購入ペースを縮小するだろう。資産購入にはあらかじめ定まった道筋はない。委員会のペース決定は予測される資産購入の効率とコストの評価だけでなく、委員会の労働市場とインフレの見通しにも従うことになるだろう。

最大雇用と物価安定を目指した改善継続を支援するため、委員会は本日、資産購入が終了し景気回復が強まった後も相当な期間、極めて緩和的な金融政策の運営姿勢が適切であり続けるとの見解を再確認した。委員会は、0%から0.25%という異例の低水準である現行のフェデラルファンド(FF)金利の目標誘導の範囲が、少なくとも失業率が6.5%超にとどまり、1-2年先のインフレ上昇予測が長期目標の2%から0.5ポイント以内の上振れに収まり、長期的なインフレ期待が引き続き十分に抑制されている限り、適切であるとの見通しも改めて確認した。

— 米FOMC、米FOMC声明全文 : Reuters 2014年1月30日[28]

イエレン現議長は2014年5月8日行った上院予算委員会での証言で、適切なバランスシートの規模について決定を急がない考えを示し、危機前の水準に戻すには5-8年近く要する可能性があると指摘した。「長期的なバランスシートの規模については決定しておらず、政策の正常化が進行するまでおそらく決定を見送るだろう」、だが2014年現在の水準を「大幅に下回る見通し」とした[29]。その後、2014年5月19日、バーナンキは「利上げは経済が正常化に向かっていることを示すため、利上げの時期が来ることを望む」、「金融政策の正常化に伴い、バランスシートを正常化させる必要はない」と言明。「必要に応じ、バランスシートを長期間、現在の水準に維持することは可能だ」と述べ、4兆ドル超に拡大したバランスシートを縮小させる必要はないとの見解を示した[30]

2014年8月20日、米連邦準備理事会は、先月分の連邦公開市場委員会議事要旨を公開し、(将来予定される)最初の利上げ後も当面、保有証券の償還資金再投資を継続することに「ほとんどの」参加者が賛成していると公表した[31]

評価

  • 経済学者の岩井克人は「アメリカ経済の回復は、バーナンキの存在なしには語ることができない。バーナンキは1930年代の大恐慌・日本の平成不況の研究で名を成した経済学者で、貨幣供給量のコントロールのみでマクロ経済は安定化すると主張していたミルトン・フリードマンの説を批判する研究もしていた。だが、時代の変化とともに、バーナンキはフリードマン的に金融政策を評価し始め、フリードマン信奉者であったブッシュ大統領の目に留まりFRB議長に就任した。2008年のリーマン・ショックでは、フリードマン的発想を捨て、ケインズ的な経済政策の有効性に再び目覚めた。危機をもたらした不動産市場・株式市場のバブルは、前任FRB議長のアラン・グリーンスパンによる自由放任主義的な金融政策の結果と総括し、日本の平成不況の経験にも学び、非伝統的な金融緩和政策を実行した。また2012年には、インフレターゲット政策の一環として物価のみに限らず、『失業率が6.5%となるまで金融緩和を続ける』という、実体経済も中央銀行の政策目標に入れるという過去に例を見ない方針を打ち出した。イデオロギーより経済の現実を直視し、いま何をすべきかを学者・政策担当者として正しく判断したということである」と評している[32]
  • フィナンシャル・タイムズ紙(マーティン・ウルフEnglish版)はバーナンキは危機前に、金融システムの脆弱性とサブプライム問題の重大性を読み誤っていたと指摘した。しかし、世界的な金融危機とその余波に対しては、フェデラルファンド金利のフォワードガイダンスを強化し、かつそれ以上に(日本の高橋是清やミルトン・フリードマンの理論に沿う)きわめて大規模な量的緩和で果敢に対処し、アメリカ経済を回復させ、賞賛に値するとした。バーナンキは間違いなく、最も重要なFRB議長の1人と見なされるとしている[33]
  • 経済ジャーナリストの田村秀男は2015年5月24日の産経新聞朝刊「日曜経済講座」で、バーナンキ議長率いるFRBの量的緩和期のマネタリーベースを独立変数、GDP、株価を従属変数とする相関係数を試算し、それぞれ0.94、0.95という極めて強い相関度合であると評価した。

日本語訳著書

出典

  1. A.B. エーベル, B.S. ベルナンケ『マクロ経済学』伊多波良雄 [ほか] 訳, シーエーピー出版, (入門編) ISBN 4-916092-22-8, (応用編) ISBN 4-916092-23-6
  2. 不良債権問題に関する国際フォーラム (概要)”. 経済社会総合研究所 (内閣府) (2001年10月11日). . 2012閲覧.
  3. 第1章 第3節 金融政策における期待形成と物価連動債”. 『世界経済の潮流』 2003年秋. 内閣府 (2003年10月). . 2012閲覧.
  4. 不良債権問題に関する国際フォーラム出席者リスト”. 経済社会総合研究所 (内閣府) (2001年10月11日). . 2012閲覧.不良債権問題に関する国際フォーラム (概要)」の別紙2。
  5. 小田信之 (2002年8月). “量的緩和下での短期金融市場と金融政策─日銀当座預金残高ターゲティングの分析─ (PDF)”. 『フィナンシャル・レビュー』第64号 August-2002. 財務総合政策研究所 (財務省). . 2012閲覧.
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 田村秀男 『財務省「オオカミ少年」論』、東京: 産経新聞出版2012年1月ISBN 978-4-8191-1152-2NCID BB08566334 
  7. 毎日新聞2005年10月26日
  8. Penn Bullock from the December 2009 issue. "Bernanke’s Philosopher — Reason Magazine". Reason.com. Archived from the original on December 31, 2009. Retrieved 2010-01-30.
  9. Bernanke, Ben S. (November 8, 2002), On Milton Friedman's Ninetieth Birthday, The Federal Reserve Board, http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2002/20021108/default.htm . 2012閲覧. 
  10. Bernanke, Ben S. (November 21, 2002), Deflation: Making Sure "It" Doesn't Happen Here, The Federal Reserve Board, http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2002/20021121/default.htm . 2012閲覧. 
  11. Speech, Bernanke -Deflation- November 21, 2002". US Federal Reserve Bank. Archived from the original on February 4, 2010. Retrieved 2010-01-30.
  12. 山広恒夫 『【FRBウオッチ】ヘリコプター・ベンのマネー集中投下で「太った猫」』 Bloomberg L.P. 2009年12月22日http://www.bloomberg.co.jp/news/123-KV0H0Y1A1I4J01.html. 2012閲覧. 
  13. 『ヘリコプター・ベン :きょうのキーワード』 日本経済新聞2009年8月30日http://www.nikkei.com/money/investment/toushiyougo.aspx?g=DGXIMMVEW4000031082009000001. 2012閲覧. 
  14. 田村秀男 『超円高の底流にみえる日銀総裁とFRB議長の確執』 産経新聞2011年9月19日http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110919/fnc11091922180002-n1.htm. 2012閲覧. 
  15. “FRB議長の再任を承認、反対票が異例の多さ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年1月29日). http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100129-OYT1T00424.htm . 2010閲覧. 
  16. “バーナンキFRB議長再任を可決 米上院、反対票も最多の3割”. 日本経済新聞. (2010年1月29日). http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20100129ATGM2901729012010.html . 2010閲覧. 
  17. “バーナンキFRB議長再選:賛成70、反対30の賛成多数、市場好感へ”. 財経新聞. (2010年1月29日). http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/100129/43409.html . 2010閲覧. 
  18. Bernanke, Ben S.; Pelley, Scott (2009-03-15), Ben Bernanke's Greatest Challenge, cbsnews.com, http://www.cbsnews.com/stories/2009/03/12/60minutes/main4862191.shtml . 2010閲覧. 
  19. Jason Haver.
  20. “米FRBが2%のインフレ目標導入、毎年1月に見直し”. ロイター・ビジネスニュース (トムソン・ロイター). (2012年1月26日). http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTJE80O00W20120125?feedType=RSS&feedName=businessNews&utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+reuters%2FJPBusinessNews+%28News+%2F+JP+%2F+Business+News%29 . 2012閲覧. 
  21. バーナンキ前FRB議長、大手ヘッジファンドへ 銀行断る 日本経済新聞
  22. 田中秀臣野口旭若田部昌澄編 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、115頁。
  23. 実用的な経済学の論理ワイアードビジョン アーカイブ 2008年2月25日
  24. Bernanke, Ben S. (December 1999) (英語) (PDF), Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis?, Princeton University, p. 14, http://www.princeton.edu/%7Epkrugman/bernanke_paralysis.pdf . 2012閲覧. 
    日本語版: 三木谷良一;アダム・S.ポーゼン 編、清水啓典 監訳「自ら機能麻痺に陥った日本の金融政策」、『日本の金融危機:米国の経験と日本への教訓』 (東洋経済新報社)167-168頁、2001年。ISBN 4-492-65292-2。
  25. 【日本の解き方】“3年財政破綻説”のインチキぶり喝破!ZAKZAK 2012年6月20日(2012年6月23日時点のアーカイブ
  26. UPDATE 3-バーナンキ米FRB議長の発言要旨、「リセッション時の金融政策の課題」Reuters 2014年1月17日
  27. 〔情報BOX〕慎重な米緩和縮小、次期FRB議長の主要政策課題にReuters 2013年12月25日
  28. 28.0 28.1 米FOMC声明全文Reuters 2014年1月30日
  29. バランスシート、5-8年で危機前水準に=米FRB議長 Reuters 2014年5月9日
  30. 米FRB、バランスシート縮小の必要なし=バーナンキ前議長 Reuters 2014年5月20日
  31. UPDATE 4-労働市場は急速に回復、早期利上げには不十分 Reuters 2014年8月20日
  32. アメリカがアベノミクスに味方する理由〔1〕PHPビジネスオンライン 衆知 2014年2月14日
  33. FRBのバーナンキ議長、現代の中央銀行家の鑑JB Press 2014年1月23日

註釈

  1. この訳文は本項の執筆者による。

外部リンク

公職
先代:
アラン・グリーンスパン
アメリカ合衆国の旗 第14代FRB議長
2006年2月1日 - 2014年1月31日
次代:
ジャネット・イエレン
先代:
ハーベイ・S・ローゼンEnglish版
20px 第23代CEA委員長
2005年 - 2006年
次代:
エドワード・ラジアEnglish版