ペラギウス

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ペラギウス
Pelagius

[生] 354頃
[没] 418以後


イギリス生れの神学者。ペラギウス説の始祖。長らくローマに住み,おそらく法学を研究した。 380年頃洗礼を受け,世俗的学問を捨てて神学に志し,『三位一体論』や『パウロ 13書簡注解』 Expositiones 13 epistolarum Pauliなどを書き,アリウス派マニ教を攻撃した。 409年カルタゴに渡り,弟子ケレスチウスを残してさらにエルサレムにおもむいた。そこには多くの支持者と,強力な論敵ヒエロニムスがおり,412年以後アウグスチヌスとの有名な論争が始った。 417年カルタゴとパレスチナからの報告によって教皇インノケンチウス1世に破門された。 418年ペラギウス派の暴動がローマで起り,皇帝ホノリウスによりイタリアから追放され,カルタゴの教会会議は反ペラギウス説の9ヵ条を採択。教皇ゾシムスも彼とケレスチウスを破門した。ペラギウスは弁明したが認められず,おそらくエジプトに逃れた。



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