ポプラ事件

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ポプラ事件
各種表記
ハングル 판문점 도끼 살인사건
漢字 板門店手斧殺人事件
発音 パンムンジョム トッキ サリンサコン
日本語読み: はんもんてんおのさつじんじけん
英語表記: Axe Murder Incident
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ポプラ事件(ポプラじけん)とは、1976年8月18日現地時間UTC+9)に、韓国北朝鮮軍事境界線上にある板門店で発生した事件である。ポプラのまさかり事件とも呼ばれる。韓国では8.18斧殺害事件または斧蛮行事件[1]、北朝鮮では板門店事件[2]とも呼ばれる。

共同警備区域内に植えられていたポプラ並木の一本を剪定しようとした、韓国軍兵士と韓国人作業者と国連軍を成す1国であるアメリカ陸軍工兵隊に対して朝鮮人民軍将兵が攻撃を行い、2名のアメリカ陸軍士官を殺害[3]、数名の韓国軍兵士が負傷した。

同事件は第二次朝鮮戦争の引き金になりかねない出来事でもあった。また、この事件を契機に共同警備区域内にも軍事境界線が設定された。

経緯

ポプラ並木

ファイル:DMZ incident tree.jpg
事件の発端になったポプラの残骸(1984年撮影)、1987年に撤去され跡地に慰霊碑が建立された

この事件の発端になったポプラの並木は、北朝鮮側によって共同警備区域内の「帰らざる橋」の近くに30mにわたって植えられていたもので、事件当時は共同警備区域に置かれた監視所、そして朝鮮人民軍の監視所に囲まれた国連軍の監視所の視界を遮るほどに成長していた。

この為、国連軍は朝鮮人民軍に対してポプラの木の剪定を行うことを通告していたが、朝鮮人民軍はこのポプラ並木は金日成主席が手ずから植えて育てたもので現在もその指導下で生育しているとして[4]、国連軍による剪定を認めなかった。

剪定

1976年8月18日に、韓国陸軍将校1名と国連軍のアメリカ陸軍将校2名、韓国人の作業員と彼らを護衛する韓国軍とアメリカ軍を中心とした国連軍の8名の兵士が、ポプラの剪定を行うため共同警備区域内のポプラ並木の元へ送られた。

彼らの行動は朝鮮人民軍によって監視されていた。共同警備区域に関する取り決めのため両軍とも武装していなかったが、米韓軍は剪定用にのこぎりつるはしを持ち込んでいた。

襲撃

ファイル:Lt. Mark Barrett.jpg
北朝鮮に殺害されたマーク・バレット中尉

剪定が始まると15名の朝鮮人民軍将兵が来て、指揮官が韓国軍および国連軍の指揮官に対して剪定作業の中止を求めたが、国連軍工兵部隊指揮官でアメリカ陸軍のアーサー・ボニファス大尉は剪定作業の継続を部下に命じた。

朝鮮人民軍側はしばらく静観していたが、その後増援の朝鮮人民軍兵士約20名が合流し人数で朝鮮人民軍が優位になった。その後再度の作業中止勧告が聞き容れられないと見るや、突然韓国軍と国連軍の将兵に対して攻撃を始めた。発砲はなかったが、奪い取られた斧によってボニファス大尉とマーク・バレット中尉が殺害された。

韓国軍兵士はトラックで朝鮮人民軍の兵士に体当たりし、ボニファス大尉の体をトラックで守ったが、大尉は治療を受ける前に死亡した。彼らが殺害される様子は第5監視所から35mmカメラ、また国連軍第3監視所からは映画用カメラによって記録された。

ポール・バニアン作戦

抗議

事件発生を受けて翌日の8月19日から朝鮮人民軍と韓国軍、国連軍の間で会議が開かれた。特に自国兵士が死亡したアメリカ軍は事件を重く受け、朝鮮人民軍に強く抗議を行い、ポプラの木を(剪定ではなく)伐採することを主張した。

作戦開始

ファイル:Members of 2nd Engineer Battalion begin to cut down the tree.jpg
「ポール・バニヤン作戦」でポプラの木を切り倒す国連軍兵士

その後、国連軍はポプラの木を伐採すべく、アメリカ民話に現れる巨人の木こりに因んで名づけられたポール・バニヤン作戦Operation Paul Bunyan)を発令し、事件から3日後の8月21日午前7時に決行された。

23台の国連軍(韓国及びアメリカ陸軍)の車両が、北朝鮮に対する警告無しで共同警備区域に進入した。車両にはポプラ並木を切り倒すために16名のアメリカ陸軍工兵隊員が斧とチェーンソーを持って乗り込み、30名のピストルと手斧で武装した護衛小隊、加えて大韓民国陸軍テコンドー熟練者64名も同伴した。

彼らの上空には米韓両軍の20機のヘリコプター及び7機のAH-1 コブラ攻撃ヘリコプターが展開し、さらにその上空にはアメリカ空軍F-4戦闘機と韓国空軍F-5戦闘機に護衛されたアメリカ空軍のB-52爆撃機が飛行した。烏山空軍基地では、指令があり次第出撃できるよう武装と燃料補給をおこなったアメリカ空軍のF-111が待機していた。

朝鮮半島の沖合にはアメリカ海軍空母ミッドウェイを始めとする機動部隊も展開した。さらに非武装地帯の外側には、多くの重装備を施した大韓民国陸軍およびアメリカ陸軍歩兵砲兵装甲車両が待機し、不測の事態に備えた。

これに対し、朝鮮人民軍は自動小銃を装備した150名の兵士を共同警備区域内に派遣した。しかしながら彼らは木が切り倒されるまでの42分間を静かに見守り、武力衝突は回避された。

その後

「ポール・バニアン作戦」の実行により大規模な武力衝突の発生が懸念されたが、作戦は平穏に終了した。この事件によって38度線に沿った非武装地帯では緊張状態に置かれたが、その後、北朝鮮の金日成主席が「遺憾の意」を示して謝罪したため、全面戦争に発展することはなかった。

なお、その後9月6日まで両陣営間で行われた会議によって、北朝鮮側の提案で、共同警備区域内にも軍事境界線を引いて両者の人員を隔離する事を決定した。

その後、非武装地帯内の共同警備区域の警備を行う国連軍の基地は、殺害されたアーサー・ボニファス大尉の名を取って「キャンプ・ボニファス」と改名された。現在、非武装地帯内の共同警備区域を韓国側から訪問する訪問者は、この事件についての説明と注意を受けることになっている。

余談

2017年韓国大統領選挙を勝利し、韓国大統領となった文在寅は、ポプラ事件の収拾に韓国軍の特殊戦司令部側として参加した経歴を明らかにしている[5]

脚注

外部リンク

テンプレート:朝鮮戦争