マット・マートン

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マシュー・ヘンリー・“マット”・マートンMatthew Henry "Matt" Murton, 1981年10月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデール出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。2018年からMLBシカゴ・カブスでベースボール・オペレーション補佐を務める。

2010年から2015年までは、NPB阪神タイガースに在籍。6シーズンに及ぶ在籍はウィリー・カークランドランディ・バースと並び球団の歴代外国人野手では最長であり[注 1]、NPBの一軍公式戦における阪神在籍中の通算出場試合数(832試合)・通算安打数(1020安打)は、共に阪神の歴代外国人選手としての単独最多記録である(いずれも2017年シーズン終了時点)。

また、2010年の一軍公式戦で記録したシーズン214安打は当時のNPBシーズン最多安打記録であり、現在ではNPBの右打者、外国人選手およびセントラル・リーグのシーズン最多安打記録に当たる[注 2]

経歴

レッドソックス傘下時代

2003年ドラフト1巡目でジョージア工科大学からボストン・レッドソックスに入団。

カブス時代

2004年に4チームが絡むトレードにより、ノマー・ガルシアパーラと共にシカゴ・カブスへ移籍した。

2005年7月8日の対フロリダ・マーリンズ戦でメジャーリーグデビュー。このデビュー戦では、のちに阪神でチームメイトとなるランディ・メッセンジャーがマーリンズの2番手投手として登板し、2打席対戦して右犠飛と右二塁打を放った。このシーズンは打率.321, 7本塁打、14打点OPS .908という成績を残した。特に左投手に対しては打率.380と結果を出した。

ファイル:MattMurton.jpg
カブス時代(2007年)

2006年左翼手として開幕スタメンを勝ち取り、初打席で本塁打を放つなど3安打と幸先の良いスタートを切った。7月以降の打率は.330と好調を維持し、8月3日には4打席4安打(4二塁打)5打点の1試合最多二塁打記録を樹立。この年はほぼメジャーに定着し、144試合出場でチームトップの打率.297, 13本塁打、62打点、OPS .809の成績を残した。カブスでは人気選手の一人となり、球場内にはマートンの特徴である赤毛の髪を真似たカツラを付けているファンが多く現れた。

2007年アルフォンソ・ソリアーノクリフ・フロイド両外野手がカブスにFA移籍。チーム方針が長打力アップだったため、巧打者タイプのマートンはレギュラー争いに敗れ、打率.281と安定していながらも得点圏打率.186とチャンスに弱く、次第にメジャーでの出場機会を失ってマイナー落ちも経験。94試合の出場にとどまった。3Aでは打率.331, 8本塁打、27打点、OPS .977だった。

2008年はメジャーで結果を残すことができず、マイナーリーグで過ごす日々が続いた。

アスレチックス時代

2008年7月にリッチ・ハーデンチャド・ゴダーンとのトレードで他3選手と共にオークランド・アスレチックスへ移籍したが、アスレチックスでも9試合で30打数3安打で本塁打0と結果を残すことができなかった。結局、この年の多くを3Aで過ごし、86試合で打率.290, 2本塁打、28打点だった。

ロッキーズ時代

2009年2月4日にコーリー・ウィンバーリーとのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。この年はメジャー26試合出場で打率.250, 本塁打1本だった。3Aでは海抜1,839 mにある本拠地の利点を生かして97試合で打率.324, 12本塁打、79打点、OPS.888と活躍したが、他の外野手がメジャーで好調だったため、機会に恵まれずこの年はマイナーでシーズンを終えた。

阪神時代

2009年のシーズン終了後に、阪神タイガースがマートンの獲得に向けた交渉を開始。12月7日にロッキーズから保有権を譲渡された[1]ことを受けて、同月12日に入団を発表した。契約金5,000万円・年俸1億円(金額は推定)の2年契約で、2年目の契約については、球団側が選択権(オプション)を保有。背番号は9

阪神では、レギュラー中堅手で1番打者だった赤星憲広が、2009年に試合中の大怪我で電撃的に引退。駐米スカウトのアンディ・シーツから「確実性のある日本向きの打撃スタイルの持ち主」という推薦を受けたことを背景に、赤星の後を継ぐ「1番・中堅手」候補として、マートンの獲得に至った[2]。ただし、マートン自身はこの時点で、中堅手としての実戦経験がほとんどなかった[3]

2010年、不慣れな中堅守備などの影響で、春季キャンプ中には野球評論家から酷評された[4][5][6]。しかし、オープン戦では鳥谷敬に次いでチーム2位の打率.352, 先頭打者本塁打2本の成績でシーズンを迎え、開幕後も5試合連続安打、15試合連続出塁を記録。その後もコンスタントに安打を放ち続けた。3月30日の対広島東洋カープ戦では来日1号本塁打を場外へ放った。このボールは、球場の外をジョギングしていた男性に拾われて宿舎に届けられた[7]。阪神の来日1年目外国人選手としては50年ぶりのオールスターゲームに監督推薦で出場した。

後半戦はオールスターを挟んで前半戦終盤から通算で5試合安打が出なかったが、最終的にシーズンを通して2試合以上安打が出なかったのはこの1回限りで、以降はこれまでと同じく安打を量産していった。9月5日の対広島戦の8回表1死2塁から、この日3本目の安打となる中前適時打を打ち、来日1年目の外国人史上最多となるシーズン175安打(それまでは1997年にフィル・クラークが記録した174安打)を記録[8]し、9月16日の対横浜ベイスターズ戦の8回に加賀繁から、藤村富美男の球団記録に並ぶシーズン191安打を記録[9]。9月18日には3安打を放ち、シーズン194安打と球団記録を更新すると共にシーズン安打歴代5位の記録となり、マルチ安打も60度目と球団新記録となった[10]。9月19日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦で球団新記録の22回目の猛打賞を記録[11]。9月23日の対中日ドラゴンズ戦第4打席では吉見一起から史上4人目となるシーズン200安打目のソロ本塁打を放った。来日1年目での200安打は史上初。28日の対巨人戦の第3打席で内海哲也からシーズン最多安打のセ・リーグ新記録となる205安打目のヒットを放ち、NPB史上3人目の「シーズン200安打以上、100得点」も達成し[12]、10月3日の対広島戦の第4打席ではレフトにヒットを打ち、イチローに並ぶ日本記録の210安打を達成[13]。10月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦第2打席で中澤雅人から中前安打を記録。当時のNPB新記録であるシーズン211安打を達成するとともに、この試合で24回目の猛打賞を記録した[14]。最終的に最多安打ながら首位打者を獲得できなかったものの、リーグ3位の打率.349, 両リーグ通じて最多の214安打を放ち[15]最多安打のタイトルを獲得し、ベストナインにも選ばれ、『週刊ベースボール』誌上の読者投票「今年最も活躍した外国人選手」では、77%の得票で1位となった。

2011年の開幕戦では1番右翼手でスタメン出場し、第一打席でタイガースでは1955年の金田正泰以来56年ぶり、球団史上2人目の開幕戦初回先頭打者本塁打を放ったが、長打力向上を狙って春季キャンプから左足を高く上げる打撃フォームへの改造に取り組んできたこと[16]が裏目に出て、春先は打率1割台と苦戦した[17]。5月26日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、1対3で2点ビハインドの8回表、一死走者二塁の場面で、打者の清田育宏が打ち上げた右飛を捕球した際に3アウトチェンジだと勘違いし、ボールをスタンドに投げ入れてしまった。これにより二塁走者の今江敏晃には2個の安全進塁権が与えられ、ロッテに1点が追加された(記録上はマートンの失策)[18]。これに対し球団フロントは、マートンから異例の事情聴取を行なった[19]。その後はフォームが定まったことで調子を戻し[20]、前半戦をリーグトップの打率.325で終え[21]オールスターゲームにも前年に引き続き監督推薦で出場した。後半戦は体調不良を起こしてスタメンを外れることもあった[22]が、9月6日から10月11日まで、NPB史上6人目かつ外国人選手では最多となる30試合連続安打を記録した。最終的には5厘差で長野久義に及ばず首位打者を逃したものの、180安打を放ち2年連続の最多安打を獲得。ベストナインにも同じく2年連続で選出された。前年は外野3ポジションすべてに就いたが、この年は右翼手としての出場のみであった。同年シーズン後に2年契約が満了し、メジャーリーグに復帰する可能性も取りざたされた[23]が、再び2年契約を結んで阪神に残留した[24]

2012年、シーズンを通じて攻守に精彩を欠いた。不振に悩まされるあまり本人の精神状態も安定せず、6月9日の対オリックス・バファローズ戦では自身の緩慢な守備で相手に得点を与え、打者走者の二塁進塁も許したことを報道陣に問われ、この日の先発投手能見篤史を引き合いに出して「能見さんが嫌いだから二塁まで進ませてやった」と暴言と誤解されてしまうほどの過激なジョーク[25]を口にした。この発言は、ロバート・ホワイティングのエッセー『サクラと星条旗』に引用されるなど、さまざまな波紋をもたらした(後述)。また、8月17日の対ヤクルト戦では守備でのミスを巡って試合後に外野守備走塁コーチの関川浩一と衝突した[26]

2013年金本知憲の現役引退と福留孝介の加入による一軍外野陣の再編成によって、守備位置が右翼手から左翼手に変更。開幕直後からセントラル・リーグの打率トップを争うほどにまで打撃が復調したことや、開幕戦から4番を打っていた新井良太が故障で戦線を離脱したことから、4月9日の対巨人戦から8月29日の同カードまで[27]は4番打者に定着。6月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(甲子園)の9回裏には、自身では来日初、阪神球団通算では100本目のサヨナラ本塁打を牧田和久から記録[28]。6月9日の対ロッテ戦(甲子園)でも、9回裏に益田直也から逆転サヨナラ本塁打を放った結果、阪神の選手では初めて1か月間に公式戦で2本のサヨナラ本塁打を記録した[29]オールスターゲームには、初めて選手間投票の同リーグ外野手部門で選出された[30]。8月21日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)では、来日初の1試合2本塁打(2打席連続本塁打)を放った[31]。その一方で、同月18日の対広島戦(マツダスタジアム)から22日の対ヤクルト戦(甲子園)にかけて、セ・リーグタイ記録で球団新記録となる4試合連続で猛打賞を記録[32]。同月29日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、来日後最多となるシーズン18号本塁打を放った。公式戦では19本塁打・178安打・37二塁打を記録し、来日後3度目のリーグ最多安打に加えて、リーグ最多二塁打も達成した[33]。この年で2年契約が満了したため、シーズン終了の直後にはメジャーリーグへの復帰を示唆したこともあった[34]が、1年契約で阪神への残留を決めた[35]

2014年4月5日の対ヤクルト戦(神宮)で、第1打席から2本塁打を含む3打席連続安打、自己最多となる1試合7打点も記録した[36]。4月30日の対広島戦(甲子園)2回裏には、野村祐輔からの左前安打で日米通算1,000安打に到達[37]。同年5月18日の対DeNA戦(甲子園)では、8回裏の第4打席でNPB通算744安打を放ったことによって、ランディ・バースによる阪神の外国人選手通算最多安打記録を更新した[38]。シーズンの最終打率は.338で、来日後初めて首位打者のタイトルを獲得。巨人と対戦したクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第4戦では、小山雄輝から先制の3ラン本塁打を放って、チームの日本シリーズ出場に貢献した。

2015年、春季一軍キャンプを右太もも裏痛で最も早く離脱[39]。シーズン序盤は、5月10日の対広島戦(甲子園)で3年振りにスタメンから外れたり[40][41]、開幕戦から62試合目でのシーズン初本塁打(6月20日・甲子園での対ヤクルト戦)が(一軍の公式戦で本塁打を放った)阪神の歴代外国人野手では最も遅い記録になったり[42]するなど打撃不振が続いた。しかし、球団が6人目の外国人選手としてネルソン・ペレスを獲得した6月下旬[43]から、打撃が徐々に復調。7月28日の対中日戦(ナゴヤドーム)ではセ・リーグの外国人選手で歴代8位となる公式戦通算780試合出場[44]、8月8日の対DeNA戦(横浜)では日米通算400打点[45]を記録した。9月3日の対広島戦(甲子園)1回裏に福井優也から放った適時打で、NPB加盟の球団に在籍した外国人選手では史上12人目、阪神の外国人選手では初めてとなるNPB公式戦通算1,000本安打を達成[46]。NPB加盟球団への入団から6シーズン目での達成はNPB最短、一軍公式戦での初打席から809試合目での達成はNPB歴代5位の速さであった[47]。ただし、レギュラーシーズン通算では、打率.276、9本塁打という成績にとどまった。チームのシーズン3位で進出した巨人とのクライマックスシリーズ・ファーストステージ(東京ドーム)では、第2戦(10月11日)の1回表に、菅野智之からゴメスに続いてソロ本塁打を記録。外国人選手だけによる2者連続本塁打は、NPBのポストシーズン史上初めてであった[48]。同ステージでは全3試合で安打を放ったが、第3戦(12日)では、2点ビハインドで迎えた9回表2死2・3塁の打席で凡退。結果として、チームは1勝2敗でステージ敗退が決まった[49]

阪神退団

2015年レギュラーシーズンの終盤以降は、翌2016年の戦力構想から外れたことを伝える報道が相次いだ[50][51][52]。マートン自身も、同年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ第3戦の翌日(10月13日)に、阪神からの退団を示唆するコメントを残してアメリカへ帰国[53]。同年11月11日には、球団から戦力外通告を受けていたことを自身の日本語公式サイトで公表し[54]、球団からも2016年にマートンと契約しないことが正式に発表された[55][56]。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示[57]。6年間着用した背番号9は、同年のドラフト会議で1巡目指名を受け入団した、東京六大学野球リーグ戦の通算最多安打記録(131安打)を保持する高山俊に引き継がれた。

カブス復帰

2016年2月13日に、シカゴ・カブスとマイナー契約[58]。招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[59]。しかし、虫垂炎で一時離脱を余儀なくされた[60]ため、レギュラーシーズンの開幕を3A級のアイオワ・カブスで迎えた。3Aの公式戦には76試合に出場。打率.314、37打点、2本塁打を記録したが、メジャー契約への再締結には至らず、11月7日にFAになった[58]

タイガース傘下時代

2017年2月20日に、デトロイト・タイガースとマイナー契約を締結。契約を機に、傘下のAAA級トレド・マッドヘンズへ配属された[58]が、公式戦7試合に出場したのみで4月17日に契約を解除された[61]。その後、どの球団とも契約には至らなかったため、MLBへの復帰を果たせないままシーズンを終えた。

2018年1月13日(日本時間)に、現役を引退する意向であることを、古巣の阪神タイガースに伝えた[62]

現役引退後

2018年シーズンから、球団フロントとして古巣のカブスに復帰。ベースボール・オペレーション補佐に就任した[63]。傘下マイナー球団の巡回指導や、ドラフトに向けたアマチュア球界のスカウト活動など様々な役割を担う[64]

選手としての特徴

打撃

コンパクトなスイングからライナー性の打球を広角に打ち分ける堅実な打撃を持ち味とする[65][66]。左投手に対してはメジャー通算で打率.304を残しており、阪神移籍後の2010年には打率.408を記録し、打者不利とされる追い込まれたカウントからでも打率.350と優れた成績を残している[67]

バッティングフォームに関しては、スイングの際に体の軸のぶれが小さい。広澤克実は自身のブログの記事で、マートンには体の軸がぶれない他にも彼独特の技術がいくつかあることを紹介しており、「真似しようとしても誰も出来ない、天才型の選手」と評している[68]。2010年から3年間同僚だった金本知憲は「マートンはそんな長打力なかったがチャンスに強く、集中力があった。ああいう選手好きですね」と述べている[69]。本人は打撃について「ボールを地面に両足のスタンスと並行になるように3個置き、1個だけ打つのではなく、2個目も3個目も打てるようにバットを出すイメージを作る」という独自の理論を語っている[70]

阪神への移籍1年目の2010年に144試合への出場で達成した214安打は、2015年10月1日秋山翔吾埼玉西武ライオンズ外野手)が出場143試合目のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で216安打を達成するまで、日本人選手を含めたNPBのシーズン最多安打記録であった[71]。マートンは、自身の記録が秋山に更新された直後に、「秋山は簡単ではないことを成し遂げた。今年(2015年)一気にステップアップして、素晴らしい選手に成長した」「(映像で見た限りでは)秋山のスイングは素晴らしく、グラウンド全体を使っている(かのように広角にヒットを打ち分けている)」という賛辞を秋山に送っている[72]

守備・走塁

守備では、やや肩の強さには欠けるものの[73][74]、左翼守備ではメジャー通算のDRS 13, UZR 28.5と高い数値を残した[75]。一方で右翼守備ではUZR -2.0と平均を下回り[75]、阪神移籍後の2010年は両リーグの中堅手中ワースト1位のUZR -10.5を記録した[76]。走塁では一塁到達4.44秒と特別に足が速いわけではない[77]

阪神時代には、二塁(または三塁)走者として三塁ベースコーチの指示で本塁へ突入した際に、激しいクロスプレーや強引なタックルで相手の捕手を倒れ込ませたことが数回ある。2013年5月12日の対ヤクルト戦(松山坊っちゃんスタジアム)では、4回裏1死1・3塁で藤井彰人が中飛を放ったところ、三塁走者としてタッチアップで本塁へ突入。その際のタックルでマートンの左膝がホームプレート上にいた相手捕手・田中雅彦の首付近を直撃し、田中は左鎖骨の骨折で途中交代(翌日に登録抹消)を余儀なくされた。マートンは試合後に「田中をケガさせようと思ってタックルしたわけじゃない」と釈明していた[78]が、後にヤクルト球団の関係者へ謝罪している。しかし、同年9月14日の同カードでも、本塁突入の際にホームプレート上にいた相川亮二へ強引にタックルし、相川と共に退場処分を受けた(後述)。

現行の公認野球規則では、走路の優先権が走者にあることを定めており、この規則を厳密に適用すれば、「塁上の走者が本塁に到達する可能性がある場合には、相手捕手は味方野手からの送球を捕るまで、その走者の走路を妨げないようにホームベースを空けていなければならない」という見解が成り立つ[79]走塁妨害#概要を参照)。マートンは、このような見解から、前述の退場後に「キャッチャー(相川)がホームプレート上にいた。自分としては何が何でも得点したかったので、タックルするしかなかった」[79]、「何でもかんでもぶつかるわけではない。ホームベースが空いていたらそんなことはしない。たとえあの状況で自分の弟(後述)が相手捕手としてホームを守っていたとしても、ホーム上にいたらタックルに行く」と述べている[79][注 3]

人物

野球選手として

非常に真面目な性格の持ち主で、大の努力家でもある。阪神への入団当初は、春季キャンプで和田豊打撃コーチや山脇光治守備走塁コーチ(いずれも当時)へ積極的にアドバイスを求めた。シーズンに入ってからは、打席での結果に関係なく、対戦した相手投手や審判ごとのストライクゾーンの特徴を試合中にノートへ記述[81]。練習では、ティーバッティングでティーの高さを投手の投げるコースに見立てながらティーの高さを変えたり[82]、自分の納得が行くまで居残りで打ち込みを続けたりしている。このような性格ゆえに、ストライクゾーンをめぐる球審との軋轢から攻守にわたってプレーへの集中力が低下したこと[83]や、球審によるストライクの判定へ不服を示したあげく退場処分を受けたことが何度もある(詳細後述)。

ファンサービスにも積極的で、「外野での守備中に自身やチームメイトが相手チームからアウトを取るたびに、外野スタンドを振り返ったうえで、外野スタンドのファンとアウトカウントを確かめ合う」という仕草が、カブス時代からルーティンと化していた[84]。現役引退の意向が日本で報じられた際には、「チームが勝つことでファンは笑顔になり、涙を流す。外野の守備に就いた僕に向かって見せる表情から伝わってくる感情は、言葉では説明できないほど特別なものだと思う。阪神時代に経験した甲子園球場での週末のデーゲームは最高だった。美しい青空にジェット風船が打ち上げられたり、(阪神の)大きな球団旗がはためいていたりする光景は、生涯忘れられない」というメッセージを、阪神ファンに向けて送っている[85]。 2010年シーズンにマートンの打席で使われた応援歌は、当初マートン専用ではなく「外国人選手汎用曲」として作られたものであった。マートンの入団前年までは、阪神では新外国人選手が入団してくると無条件で専用の応援歌が作成されていたが、それまでの新外国人はルー・フォードケビン・メンチなど1年限りで退団するケースが多く、応援歌も1年限りで使われなくなるという状態が続いていたため、応援団らの配慮で外国人選手用の汎用曲が用意された。1年間通じて活躍すれば2年目以降は本人専用のものが作られるということになった[86]。しかし、この年のマートンの活躍により、阪神選手の応援歌を管理するヒッティングマーチ委員会が、2011年以降はこの曲をマートン専用の応援歌として使用することを決定。その後新たに入団する外国人選手があった際に別の汎用曲を改めて作ることになった[87]

日本プロ野球のレベルについては、メジャーリーグと3Aの間という意味で「4A」であると語っていた[88]

外国人として

日本の野球に敬意を持ち、日本文化に馴染もうと努力をしており、あらゆる日本食にも挑戦して好きになったと語っている[89]。『週刊ベースボール』の記事によると牛丼ラーメン寿司などが大好物になったとのこと。特に牛丼は来日した翌日に同僚だったクレイグ・ブラゼル吉野家に連れて行ってもらってからの大のお気に入りで、二年目の2011年に来日した際は「早く牛丼が食べたくてしょうがなかった」と発言。自宅の冷凍庫には常に牛丼があり、吉野家からプレゼントされた丼で食べているという[90]。打撃が復調した2013年からは、試合後のヒーローインタビューで片言ながら関西弁を交えるようになった[91][92]MBSラジオの『MBSタイガースライブ』で阪神戦を中継する場合には、マートンの関西弁による「ヒット、ウツノ、アサメシマエヤ。MBSタイガースライブ」というジングルを随時放送。『MBSベースボールパーク』に改称した2014年・2015年の中継でも、タイトルを差し替えただけで継続していた。

両親ともに教師という家庭に生まれた敬虔なプロテスタントのクリスチャンであり[12]、阪神時代にも日曜日には神戸市内の教会にできる限り訪れていた他、本拠地球場での試合で打席に入る際に流れる登場曲にはクリスチャン・ロックのバンドであるKutlessナイトdeライトなどの楽曲を使用[93]、ヒーローインタビューでは「イエス様に平安がある」という日本語で締めくくっていた。広島遠征中の2015年8月6日には、午前中に広島平和記念式典へ参列した後、マツダスタジアムでの対広島ナイトゲーム(ピースナイター2015)にスタメンで出場していた[94][95][96][97][98]

チームメイトとの関係

2013年1月には、ロバート・ホワイティングが『夕刊フジ』に連載中のコラム『サクラと星条旗』(翻訳版)から、前述の「能見さんが嫌い」発言を取り上げたエッセー(前年7月3日付の同紙に掲載)を近畿大学が一般入学試験・前期A日程「国語」の問題に採用した[99]。しかしマートンは、決勝の適時打を放った4月9日の対巨人戦で、完封勝利を記録した先発投手の能見と共に試合後のヒーローインタビューに登場すると、「ノウミサン、アイシテル」と言いながら能見とハグ。前述の発言が報じられてから、既に能見と和解していることをファンの前で宣言した。このインタビューの直後には、阪神球団がマートン・能見の両者に承諾を得たうえで、「ノウミサンアイシテル」というロゴを入れたTシャツを球団公式グッズとして数量限定で販売した[100]。2014年4月4日の対中日戦(京セラドーム大阪)試合後のヒーローインタビューでは、同年の開幕3戦目であった3月30日の対巨人戦(東京ドーム)で二塁での守備中に右翼手の福留孝介と激突し戦線離脱した西岡剛に「ニシオカサン、イナイ、サミシイ。アイシテル」とエールを送る一方で、当日の先発で勝利投手になった能見についても、「能見さんのことは大好きです。素晴らしいピッチャー」と称賛した[101]。当の能見は、マートンの現役引退に際して、笑みを浮かべながら「(前述の発言がマートンから出た)あの時は大変だった。マートンが野球に対して真面目で純粋な選手だったから、誰もが(発言をマートンの)本意と思ってないことは分かっていた。マートンから繰り返し謝られたので、謝られるたびに、発言を真に受けていないことを伝えていた。どのような選手にもいずれは引退の時が訪れるものだが、マートンの引退を知った今は、右打者としての実績の凄さを改めて感じている。(マートンが阪神を退団してからは疎遠になっているので)また会えたら良いね」というコメントを出している[102]

マウロ・ゴメスが阪神へ入団した2014年からは、験担ぎの意味で一緒に顎鬚を伸ばすほど、ゴメスと親しくしていた。

その他

大学3年生のときに米球界で野球を始めたため、阪神入団時点ではジョージア工科大学に籍がある身分であり、卒業まで33単位が残ったままであった[103]

5歳年下の弟ルークもジョージア工科大学出身の野球選手で、2009年にニューヨーク・ヤンキースからドラフト19巡目で指名されてプロ入りし、ヤンキース傘下のマイナーでプレーしている。ポジションは一塁手[104][105]

2010年9月21日以降は一時、関西地区のファミリーマート1,400店舗での限定商品として、阪神タイガースとのコラボ商品である「ファミリーマートンカツおむすび」「ファミリーマートンカツ弁当」など5品目が発売されていた。商品化のきっかけとなったのは、同社とマートンの名前をかけて「ファミリーマートン」(Family Murton) と書いた、同社のコーポレートカラーである緑・白・青の手作り応援グッズを使っているファンを同社の社員が目にしたことに端を発し、マートンならびに阪神球団を応援しようという機運が盛り上がったためである[106]。ちなみに、甲子園球場でも2011年から2015年まで、マートンのプロデュースによる「マートン平焼き」「マートンカツ丼〜蟹ほぐし身のせ〜」を場内限定メニューとして発売している。

阪神内では指折りの高校野球ファンで、春夏を問わず、甲子園での全国大会期間中には時間の許せる限り試合のテレビ中継を熱心に見ていた[107]第83回選抜高等学校野球大会(2011年)では公式戦開幕前の練習後[108]第95回全国高等学校野球選手権大会(2013年)では8月15日の対広島ナイトゲーム(京セラドーム)の前には[109]、実際に甲子園球場のスタンドで試合を観戦していたこともある。

退場歴

阪神時代には、以下の経緯で3回の退場処分を受けている。

  • 2013年8月14日の対広島戦(京セラドーム)で、3回裏に広島先発の大竹寛が投じたノーボール1ストライクからの外角球をボール球と思って見逃したが判定はストライク。この判定に激高し、バットでベース付近に線を引いた行為が侮辱行為ととられ、球審の良川昌美より退場を宣告された。その後も怒りは収まらず、監督やコーチ、同僚の制止を何度も振り切って、審判に不満をあらわにした。翌日には甲子園球場で高校野球を観戦(前述)してから同カードに出場。この試合で決勝本塁打を放ったことから、試合後のヒーローインタビューでは日本語で謝罪の言葉を述べた[109]
  • 2013年9月14日の対ヤクルト戦(神宮)で、福留のセンター前安打で二塁にいたマートンが一気に本塁へ突入した際にヤクルト捕手の相川亮二へタックル。判定はアウトだったが、この年、すでに1度同じヤクルト相手に同様のプレーで相手捕手田中雅彦を負傷退場に追い込んだ経緯もあり(#守備・走塁も参考)、このタックルに激高した相川がマートンを突き飛ばしたことから、両チーム総出の乱闘に発展し、相川と共に暴力行為で自身2度目の退場処分を受けた。マートンはシーズン2度目の退場処分ということもあり、翌日の同カードで1試合の出場停止処分を受けた。このシーズンでマートンが欠場したのはこの試合のみである。
  • 2014年8月23日の対広島戦(マツダ)で、1回表の第1打席で球審の飯塚富司による見送り三振の判定に対し、バットを放り投げて飯塚に詰め寄り暴言を吐いたことから、自身3度目の退場処分を受けた。

2015年9月12日の対広島戦(甲子園)終了後には、同カードを担当していた審判員の1人から挑発的な内容の発言を浴びせられた。阪神球団では翌13日に、この発言を「暴言」と指摘するとともに、「(当該審判員について)審判の品位をしっかりと守って欲しい」と要望する書面(要望書)をセントラル・リーグに提出。同リーグの杵渕和秀統括担当と友寄正人審判長が要望書を基に事情聴取を実施したところ、当該審判員は暴言の事実を否定しながらも、目が合ったマートンに挑発的な態度で応じたことを認めた。結局、セントラル・リーグは同月18日に、「マートンへの発言は審判員の態度としては不適切」という理由でこの審判員を厳重注意に処した。当該審判員の氏名は明らかにされていない[110][注 4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2005 CHC 51 160 140 19 45 3 2 7 73 14 2 1 2 2 16 4 0 22 4 .321 .386 .521 .907
2006 144 508 455 70 135 22 3 13 202 62 5 2 1 2 45 1 5 62 16 .297 .365 .444 .809
2007 94 261 235 35 66 13 0 8 103 22 1 0 0 0 26 0 0 39 4 .281 .352 .438 .790
2008 19 42 40 2 10 2 0 0 12 6 0 0 0 0 1 0 1 5 2 .250 .286 .300 .586
OAK 9 31 30 1 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 1 0 0 7 1 .100 .129 .133 .262
'08計 28 73 70 3 13 3 0 0 16 8 0 0 0 0 2 0 1 12 3 .186 .219 .229 .448
2009 COL 29 56 52 7 13 5 0 1 21 6 2 0 0 0 4 0 0 14 0 .250 .304 .404 .707
2010 阪神 144 668 613 105 214 35 3 17 306 91 11 6 0 5 47 3 3 70 14 .349 .395 .499 .894
2011 142 606 579 66 180 24 1 13 245 60 6 4 1 1 24 0 1 76 13 .311 .339 .423 .762
2012 121 473 453 39 118 18 2 5 155 38 2 4 0 1 18 0 1 56 14 .260 .290 .342 .632
2013 143 613 566 55 178 37 1 19 274 85 6 1 0 4 42 1 1 81 25 .314 .361 .484 .845
2014 142 591 532 58 180 32 0 14 254 84 2 5 0 6 46 4 7 64 19 .338 .394 .477 .872
2015 140 583 544 46 150 27 0 9 204 59 0 1 0 5 31 0 3 77 21 .276 .316 .375 .691
MLB:5年 346 1058 952 134 272 46 5 29 415 112 10 3 3 4 93 5 6 149 27 .286 .352 .436 .788
NPB:6年 832 3534 3287 369 1020 173 7 77 1438 417 27 21 1 22 208 8 16 424 106 .310 .352 .437 .789
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF) 外野(OF)
















































2005 CHC 43 62 1 2 1 .969 - - 43 62 1 2 1 .969
2006 133 240 3 3 2 .988 - - 133 240 3 3 2 .988
2007 28 50 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 41 65 2 4 1 .944 68 115 3 4 1 .967
2008 10 13 0 0 0 1.000 - 2 1 0 0 0 1.000 12 14 0 0 0 1.000
OAK 7 27 1 0 1 1.000 - - 7 27 1 0 1 1.000
'08計 17 40 1 0 1 1.000 - 2 1 0 0 0 1.000 19 41 1 0 1 1.000
2009 COL 12 12 0 0 0 1.000 - 5 1 0 0 0 1.000 16 13 0 0 0 1.000
2010 阪神 - - - 144 262 3 4 2 .985
2011 - - - 140 235 5 4 2 .984
2012 - - - 117 190 8 2 1 .990
2013 - - - 140 181 1 2 0 .989
2014 - - - 140 188 5 6 2 .970
2015 - - - 139 220 1 4 0 .982
MLB 233 404 6 5 4 .988 1 0 0 0 0 ---- 48 67 2 4 1 .945 279 471 8 9 5 .982
NPB - - - 820 1276 23 22 7 .983
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位





















2010 29 セ・リーグ 3位 1位 5位 - - 7位 5位
2011 30 2位 1位 6位 - - 10位 9位
2012 31 - - - - - - -
2013 32 4位 1位 1位 - 6位 5位 9位
2014 33 1位 4位 5位 - - 6位 5位
2015 34 9位 6位 - - - - -
  • -は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記)

タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

レギュラーシーズン (NPB)
  • シーズン214安打(2010年) - 秋山翔吾に次ぐ歴代2位で、NPBの球団に在籍した外国人選手・右打者および、セントラル・リーグでのシーズン最多記録。達成時点では、NPB歴代最多記録であった。
  • 打率.349(2010年) - 来日初年の外国人選手として歴代1位
  • 猛打賞24回(2010年) - アレックス・ラミレスと並んで外国人選手での最多記録
  • 30試合連続安打(2011年9月6日 - 10月11日) - 歴代4位、阪神タイガース球団記録、外国人選手での最多記録
  • 通算1000安打:2015年9月3日、対広島東洋カープ18回戦(甲子園)、1回裏に福井優也から中前へ適時打 - NPB歴代最短の6シーズン目で達成。通算282人目ながら、阪神の歴代外国人選手では初の記録。
NPB初記録
NPBその他の記録
  • オールスターゲーム出場:4回(2010年、2011年、2013年、2014年)
  • 外国人選手だけによる2者連続本塁打(2015年10月11日、クライマックス・シリーズ ファーストステージ第2戦1回表) - ポストシーズン史上初の記録。前打者マウロ・ゴメスの2点本塁打に続いて、巨人の菅野智之からソロ本塁打を放ったことによって達成。

背番号

  • 19 (2005年 - 2008年途中)
  • 26 (2008年途中 - 同年終了)
  • 14 (2009年)
  • 9 (2010年 - 2015年)

登場曲

  • Strong Tower」 - Kutless (2010年 - 2011年、2012年途中 - 2013年)
  • 「Saved the Day」 - Phillips Craig and Dean (2012年 - 同年途中)
  • 「Stain」 - ナイトdeライト (2014年 - 2015年途中)
  • 「More of You」 - Colton Dixon (2015年途中 - 同年終了)

脚注

注釈

  1. 外国人投手を含めれば、マートンと同じく2010年に入団したランディ・メッセンジャーが最長記録(9シーズン)を保持している。
  2. 2015年に埼玉西武ライオンズ所属の日本人左打者である秋山翔吾が216安打を放ちNPBシーズン最多安打記録を更新したことによる。
  3. MLBでは2014年から、走者による捕手への危険なタックルや捕手による走路妨害行為を禁止するルールを設定。このルールによって本塁上での危険なクロスプレーが姿を消したため、日本でも2016年から、同様の禁止規定を公認野球規則へ加えることになった[80]
  4. この試合では、2-2で迎えた延長12回表に広島・田中広輔がセンターの後方(外野フェンス奥の観客乱入防止用ネット周辺)まで飛ばした打球をめぐって、審判団が広島側の要求によるビデオ判定の末に「ネットに当たってからグラウンドへ跳ね返ったことによる三塁打」とみなした(試合はセントラル・リーグの規定で12回の末に2-2の引き分け)。広島球団が翌13日に同リーグへ判定用映像の確認を求めたところ、「グラウンドへ跳ね返る前に外野フェンスを越えていた」という解釈で「本来なら本塁打」という見解に至ったため、NPBは14日にビデオ判定制度導入後初めて「審判団の誤審」を認めた(公式記録や試合の結果は訂正せず)。マートンは前述の打球が飛んだときにレフトを守っていたが、NPBによれば、マートンに対する審判員の発言は打球の判定と無関係であるという。

出典

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  110. 誤審のほかにも…審判マートンに“やかましいわ”で厳重注意(『スポーツニッポン』2015年9月19日付記事)。

関連項目

外部リンク

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  • MURTON BASEBALL - 日本語による公式サイトで、阪神時代の2013年から開設。