マリインスキー劇場バレエ団

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マリインスキーげきじょうバレエだん

Maryinsky Theatre Ballet

ロシア北西部,サンクトペテルブルグにあるマリインスキー劇場に所属するバレエ団。モスクワのボリショイ・バレエ団と双璧をなす。1738年アンナ・イワーノブナ女帝の命により創設された帝室バレエ学校を母体とする。1780年からペトロフスキー劇場(ボリショイ劇場)を本拠としたが,1880年,1860年に A.カボスの設計によって建てられたマリインスキー劇場に移った。ロシアはバレエに関しては後進国であったため,その初期には,帝室バレエ学校で教えたフランスの J.ランデをはじめ,シャルル=ルイ・ディドロ,アルチュール・M.サン=レオン,ジュール・ペロー,マリウス・プティパら多くの外国人舞踊家,振付家を招いた。特にプティパは,ピョートル・I.チャイコフスキーの音楽による『眠れる森の美女』など古典バレエの傑作を生み,自身の黄金時代を築き上げた。1909年バレエ・リュスの結成に伴いミハイル・フォーキンらの優れた舞踊家を失ったが,ロシア革命後は,優れた教育法を完成したアグリッピナ・ワガノワのもと,ガリーナ・S.ウラノワ,コンスタンチン・M.セルゲーエフらが輩出。一方ルドルフ・H.ヌレエフ,ナタリア・R.マカロワ,ミハイル・バリシニコフら多くの亡命者も出たが,彼らによって世界にロシアのバレエが伝わったともいえる。劇場名が 1917年国立オペラ・バレエ劇場に,1935年キーロフ劇場に改称されたため,キーロフ・バレエ団あるいはレニングラード・バレエ団と呼ばれた。劇場名は 1991年のソビエト連邦崩壊後,革命前の現名称に戻された。