リリーフ

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ブルペンで投球練習をするリリーフ投手

野球におけるリリーフrelief)、救援、または継投とは、先発投手の降板後、他の投手登板すること。

リリーフを担う投手を日本では「リリーフ投手」や「救援投手」、アメリカ合衆国(以下アメリカ)では「リリーバー(reliever)」などと呼び、その役割によって特別な名称が用いられる場合もある(#リリーフ投手の種類を参照)。

概要

リリーフ投手は、試合途中にブルペンで投球練習を行い、あらかじめ出番に備えたうえで登板する。チームによってベンチ入り登録されるリリーフ投手の人数は異なるが、日本プロ野球(以下NPB)の場合は6 - 8人ほどである。シーズンあたりの試合数が160試合以上になり、また原則として引き分けもないため長時間の試合になりやすいメジャーリーグベースボール(以下MLB)の場合は10人ほどがベンチ入りしている。先発投手が先発ローテーションに従い中4日以上の間隔を空けて登板するのに対し、リリーフ投手は数試合連続登板することも多い(登板記録に関しては登板#登板に関する記録を参照)。

「投手の肩は消耗品」[1]という考えが根強く存在しており、実際、特にリリーフ投手は緊迫した局面での登板がどうしても多くなることなどから心身の疲弊につながり、大きな故障を引き起こすようにもなってきている[2]、若くして現役引退を余儀なくされる選手が少なくない[3]

規定投球回数を満たしにくいこともあってリリーフ投手の活躍を明確な数値として表すことは容易でなく、勝利数や奪三振数などの伝統的に主要な投手記録では先発投手を上回ることが事実上不可能に近い。しかし「投手分業制」が浸透し、先発投手の完投が減少するに従って、優秀なリリーフ投手の存在がチームの勝率に与える影響は大きくなっていった。また後述するようにリリーフ投手を表彰する各種タイトルも制定されるようになり、その評価は徐々に高まってきている。テンプレート:誰によって

歴史

MLB

フィラデルフィア・フィリーズ監督のエディ・ソイアーは投手のジム・コンスタンティー1948年よりリリーフ専門で起用しはじめた。コンスタンティーは1950年に16勝7敗22セーブ、防御率2.66を記録する活躍を見せ、最優秀選手にも選ばれた。さらにフィリーズはこの年のナショナルリーグで優勝した。

こうしたリリーフ専門投手の登場により、MLBでは1960年に非公式ながら最も優秀な抑え投手を表彰するファイアマン賞が制定された。さらに1969年には最多セーブが公式タイトルに制定された。

1974年にはマイク・マーシャルが106試合登板・15勝21セーブの成績を残し、リリーフ投手として初めてサイ・ヤング賞を獲得した。

また、1976年にはローレイズ・リリーフマン賞2005年にはDHL デリバリー・マン・オブ・ザ・イヤーという表彰がそれぞれ開始されていった。

1979年ニューヨーク・ヤンキースは7、8回にロン・デービスを、9回にリッチ・ゴセージを登板させる継投パターンを確立した[4]。この年14勝を挙げたデービスはセットアップマンの先駆となり、1981年には中継ぎ投手として史上初めてMLBオールスターゲームに選出された[4]

1986年にはジョン・デュワンマイク・オドネルによってホールドという中継ぎ投手を評価するための指標が発明され、1999年から正式に集計が開始された。しかし、MLBの公式記録にはなっておらず、最多ホールドや最多ホールドポイントなどの公式表彰もされていない。

アメリカ野球殿堂入りを果たしているリリーフ投手は、1985年ホイト・ウィルヘルムを皮切りに、ローリー・フィンガーズ1992年)、デニス・エカーズリー2004年)、ブルース・スーター2006年)、リッチ・ゴセージ2008年)、トレバー・ホフマン2018年[5]の6人である。また、通算300セーブを達成した投手のことを「300セーブクラブ」と称することがある。

NPB

NPBにおけるリリーフ投手の草分けは、1965年に20勝を挙げ「8時半の男」の異名をとった巨人の宮田征典とされる。

1970年代までは、多くのエース投手がセーブポイントが付く場面での登板もこなし馬車馬のように投げていた(安田猛新浦壽夫など)。一方で初期の代表的なリリーフ投手である南海ホークスの佐藤道郎や、中日ドラゴンズの鈴木孝政といった投手は、谷間先発やロングリリーフなど「穴埋め」もこなしており、そのため最多セーブが先発投手につくことも、リリーフ投手が規定投球回数に達することもあった(NPBでは1974年に最多セーブが公式タイトルに制定されたが、こうした起用法もあり2004年まで最多セーブポイントに改定されていた)。1979年の日本シリーズ第7戦での投球がノンフィクション「江夏の21球」として書籍化された江夏豊は、この年に、救援投手として初のシーズンMVPを受賞した。

1980年代にはロッテの倉持明が、“一打サヨナラ負け”の大ピンチを5度に亘って凌ぎ、「炎のストッパー」と評された。1985年には中西清起が阪神の日本一に貢献[6]1988年には抑え投手の郭源治が救援投手としては2人目のMVPを受賞。

1990年代には長嶋茂雄が勝ちパターンのリリーフ継投を「勝利の方程式」と命名し、1996年からは最優秀中継ぎ投手賞が制定された。この頃までは、救援投手が1試合に複数のイニングにまたがって登板する「イニングまたぎ」が少なくなかったが(2015年のインタビューにて与田剛が言及している)、では、イニングまたぎは批判の対象になり、「1イニング限定」及び「ワンポイント」が一般的になっていった[7][8]1998年には当時の流行語大賞にも選ばれた「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が3人目となるMVP受賞。その後の彼のメジャーリーグにおける活躍が注目を集め、2003年には日本プロ野球名球会規則が改定される。通算250セーブ投手の入会が許可され、その時点で250セーブを達成していた佐々木(日米通算)と高津臣吾が入会した(2010年には岩瀬仁紀も入会)。

リリーフの地位も徐々に向上していったが、ようやく2005年に入り、阪神監督の岡田彰布が、1試合での球数や投球イニング、キャッチボールや登板間隔まで細かく管理するような、メジャーリーグに多く見られる継投策を導入。阪神の勝ちパターンの継投であるJFKの3人(ジェフ・ウィリアムス藤川球児久保田智之)は長きにわたり好成績を残した。2011年には中日の浅尾拓也が中継ぎ投手としては初のMVPを受賞している。

中継ぎを称える指標であるホールドは、2005年に現行の規定が導入されたため、まだ歴史が浅いが、2014年に山口鉄也が、2016年に宮西尚生が、それぞれ通算200ホールドを達成した。

リリーフ投手の種類

抑え

試合の最終盤に味方がリードあるいは相手ときわめて伯仲している場面で、最後に投げる投手を「抑え(おさえ)」あるいは「クローザー」(closerまたはclosing pitcher)という。「ストッパー」(現在は英語では使われない)と言うこともある[9][10]。また、打たれ出して上がった小火を大炎上前に消し止めるという意味で「火消し」あるいは「ファイアマン」(英:fireman=消防士の意)と呼んだり[10]、日本では自チームのリードを最後まで守り抜くという意味で「守護神」と呼ぶこともある。

通常は、延長に入っているかを問わず最終回で点差が3点までの状況において、1イニングもしくは裏の一死以後を投げ、相手チームに追いつかれずに試合を終了させる役割を負う。それまでは原則として先発や中継ぎが投げるが、試合展開によっては抑え投手がイニングまたぎで登板する場合もある。また、監督が先発に完投勝利を付けさせたい場合は出番がない事もある。相手の反撃を抑え、チームを勝利へ導くポジションである抑えはチーム内でもっとも信頼の高いリリーフ投手が任される役割である[11]

相手チームからランナーが出ている状態では、たとえ凡打であっても犠牲フライ進塁打などによって打点を許してしまえばリードを奪われる可能性がある。そのため抑えには奪三振率の高さが求められる事になる。リリーフ投手の草分け的存在となった宮田征典がそうであったように、過去にはヤクルトの高津臣吾や阪神の山本和行など、多彩な球種や制球力、緩急などに基づく投球術で抑える軟投派の抑えも多く台頭したが、近年では減少傾向になりつつある。

1試合あたりの出場イニング数が少ない一方、登板試合数が多くなりがちなため、スタミナよりも回復力と安定性、そして立ち上がりの良さが要求される。試合終盤には、例えば味方チームが8回裏に逆転したり、あるいは9回裏に追いつかれそうになるなどの緊急の起用をほぼ毎試合想定する必要がある。

チームの戦術によっては抑えの役割を1人に固定せず、2人以上の抑えを起用する場合がある。その場合は、登板間隔や相手打者が右か左かなどで誰が抑えを務めるかは変化し、日本では2人の場合は「ダブルストッパー(和製英語)」と呼び、アメリカでは2人以上の場合には「クローザーバイコミッティー」(closer by committee=委員会によるクローザー)と呼ぶ[9]

評価の指標には、登板数、防御率勝利数のほか、セーブが用いられる(かつてはセーブポイントという記録も存在した)。防御率に関しては、失点を許せない場面で起用されることが多いため、他の投手よりも低い数字が求められる。一方では、逃げ切れさえすればいいという観点から、登板時のリード-1点までは失点が許されるためセットアッパーほどは防御率の低さは求められないという考えも存在する。

中継ぎ

先発投手と抑えの投手の間を担当する投手を「中継ぎ(なかつぎ)」または、「ミドルリリーフピッチャー(middle relief pitcher)」と呼ぶ。抑えと違って味方がリードしている時だけでなく同点やリードされている場合にも登板する。特に実力のある中継ぎの事を「中継ぎエース」、「リリーフエース」と呼び、リードを許している時や勝ち負けに関係なく大量点差が開いた場面で登板する投手とは区別される。

評価の指標には登板数や防御率、勝利数のほか、ホールドホールドポイントが用いられる(かつてはリリーフポイントという記録も存在した)。

特に日本の野球においては、リリーフ投手が登板過多による勤続疲労が起こりやすい傾向にあり、中長期的に継続してチームに貢献し続けられる選手が生まれにくい状況にあり、その意味で、5年以上連続で「50試合以上登板、20ホールド以上」を達成した山口鉄也[12]宮西尚生[13]のような投手は貴重な存在といえる(なお、山口は2014年に、宮西は2016年にそれぞれ通算200ホールドを達成している)。

セットアッパー

試合終盤のリード時または同点時に原則登板する中継ぎを日本では特に「セットアッパー(和製英語)」、アメリカでは「セットアップピッチャー(setup pitcher)」または「セットアップマン(setup man)」と呼ぶ。文字の通り先発投手から抑え投手までの間を繋ぎ(主に8回を投げる投手を指す)、抑えと同等の力量を持つ投手が起用される[4]。また、近年ではセットアッパーの前に投げる「準セットアッパー(和製英語)」(主に7回を投げる投手を指す)的な役割としての起用もみられるようになっている。

ワンポイントリリーフ

打者1人ないし2人など限定した場面で登板する投手を「ワンポイントリリーフ(和製英語)」、「ショートリリーフ(short relief)」、または「スポットリリーバー(spot reliever)」と呼ぶ。特に“左打者は左投手を打ちにくい”とされるセオリーに基づいて、しばしばピンチのときに左打者を抑えるために起用される左投げのワンポイントリリーフを日本では「左殺し」「左キラー」「左のスペシャリスト」[14]、アメリカでは「シチュエーショナルレフティ(situational lefty)」「レフトハンドスペシャリスト(left handed specialist)」「LOOGY(left handed one out guy)」などと呼ぶ。

NPBでこの役割の先駆けとなったのは1970年代後半から1980年代に西武などで活躍した永射保である。また、阪神の遠山奬志松井秀喜に対して勝負強く、「松井キラー」と呼ばれた。当時の監督・野村克也は遠山をすぐに降板させず、右打者に強い葛西稔をマウンドに上げて遠山を一塁手に回し、右打者を抑えた後に登場する左打者に対し再度遠山を投手、一塁手を葛西に、という変則的な戦法を用いた事がある。2000年代以後では、小林正人(中日)[15]星野智樹(西武など)[16]が長きにわたり「左のワンポイント」として活躍した。

なお、少数の打者と対峙することを主任務とするワンポイントリリーフの投球イニングは多くの場合1/3もしくは2/3イニングで、四死球安打などで出塁を許した場合には1アウトも取らない0/3イニングで降板することも珍しくない。後続のリリーフ投手が被打し、出塁を許した走者が得点して負けた場合は敗戦投手となり、更に取られた点が自責点として加算され防御率が跳ね上がってしまう。一方、交代前の投手が出塁を許した走者が得点しても自責点としては記録されず、負けても敗戦投手にはならないため、ピンチの場面において活躍を期待されることの多いワンポイントリリーフを防御率や勝敗だけで評価することは難しい。

ロングリリーフ・便利屋

試合序盤で先発投手が降板した場合などに登板し、概ね2イニング以上を投げ続けるリリーフ投手を特に「ロングリリーフ」と呼ぶ。近年はいわゆる「イニングまたぎ」での起用が難しくなっている傾向にあることから、先発に対応できるほどのスタミナを持つ投手などがこの役割を担う傾向が強い[17]。また、先発ローテーション投手が登板間隔調整などの理由でロングリリーフをすると「第二先発」と呼ばれる。ポストシーズンなどの短期決戦では先発投手が余るため、第二先発はよく用いられる。

また、チーム事情に応じて、先発とリリーフの両方に対応できる投手を「便利屋」と呼ぶことがある[18]。主な投手として、牧田和久西村健太朗山井大介などが挙げられる。かつては大野豊佐々岡真司がこの役割に近く、通算記録として「100勝100セーブ」を上回っているほか、下柳剛(主としてダイエー、日本ハム時代)もこの役割を中心に息の長い現役生活を過ごした。

敗戦処理

先発もしくは先に登板したリリーフが打ち込まれ、相手に大量のリードを許した時に登板するリリーフ投手のことを日本では「敗戦処理」、アメリカでは後始末をする清掃員という意味から「モップアップマン(mop up man)」と呼ぶ。

敗戦処理という言葉にも表れているように、ベンチが半ば試合をあきらめた場面で起用される。したがって、連日の起用によって登板過多になりやすい中継ぎや抑えを温存するため、やや格の落ちる投手が起用される。また、延長戦やダブルヘッダー後半などで投手を使い切ってしまった場合などでは、野手が起用されることもあり、2015年の10月4日のマーリンズ対フィリーズではイチローが登板したのが例である。引き分け規定がなく勝敗が決まるまで深夜に及んでもプレーが続けられることもめずらしくないMLBでは、このようなケースはしばしば見受けられる[19]

プレッシャーの比較的かからない状態で投げることができるので、若手投手のテストの場としたり、故障明けや登板間隔の開いた投手を調整目的で登板させることもある。敗戦処理として起用され、果たして敗戦したとしても、好投すれば次回から先発や接戦での中継ぎに起用されるようになる場合もあり、幸い打線の援護を受けてチームが逆転すれば勝利投手に輝くこともある。

しかし千葉ロッテマリーンズなどで監督を経験したボビー・バレンタインは、敗戦処理を任されて打ちこまれた若手投手が自信を喪失してしまう可能性を考慮し、もっぱらベテラン投手に敗戦処理を任せていた(小宮山悟がその代表格であるが、小宮山は、接戦や同点の展開で起用されることも多かった)。

脚注

  1. 「日本人の投球スタイル」”. NHKスポーツオンライン. . 2016閲覧.
  2. 「方程式」への依存が故障者を生む。オリックス流、救援陣マネジメント。”. NumberWeb. . 2016閲覧.
  3. 一例として、2005年の阪神タイガースのリーグ優勝に抑えとして貢献して、2007年には登板試合数90の日本記録を打ち立てた久保田智之は、その翌年以降は全盛期の調子が出なくなり、2014年シーズンに、33歳の若さで現役引退した。この他、読売ジャイアンツの越智大祐も、度重なる故障の他、黄色靭帯骨化症の影響もあり、31歳の若さで現役を引退した他、同じく2002年の読売ジャイアンツのリーグ優勝に貢献した條辺剛も、酷使による負傷が祟り、24歳の若さで引退した。
  4. 4.0 4.1 4.2 福島良一「セットアッパーって何?」『週刊ベースボール』第36号 (2010, p.33)
  5. 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. . 2018閲覧.
  6. 虎日本一のクローザー・中西清起氏に聞く85年投手陣”. ベースボールマガジン社 (2015年4月27日). . 2018閲覧.
  7. 僕らの頃との今のストッパーとの違い”. 週刊ベースボールONLINE. . 2014閲覧.
  8. 25年ぶりに新人記録を更新された与田氏が語る、横浜DeNA山崎の凄さ”. THE PAGE. . 2016閲覧.
  9. 9.0 9.1 伊藤 (2009)
  10. 10.0 10.1 英語で「stopper」や「fireman」という表現が使われたのは1990年代頃まで。
  11. 巨人のリリーフ投手・越智大祐は『週刊ベースボール』2009年6月15日号のインタビューにおいて「中継ぎだったら、僕が打たれたとしても、山口鉄也豊田清さんに助けてもらえる場合があるけど、抑えは最後まで一人で投げきるしかない。(中略)やっぱり全然別物」と語っている。
  12. 2008年~2015年にかけての8年連続で「50試合以上登板、20ホールド以上」を達成。
  13. 2012年から5年連続で「50試合以上登板、20ホールド以上」を達成(2016年シーズン終了時点で継続中)。
  14. 救援投手の記録と、ワンポイントの歴史”. Baseball LAB. . 2016閲覧.
  15. 惜別球人2014 第7回 小林正人”. 週間ベースボールONLINE. . 2016閲覧.
  16. 左キラーとして完全復活を”. 週間ベースボールONLINE. . 2016閲覧.
  17. 地味な役割も貴重な存在! 試合を立て直すロングリリーフ”. ベースボールキング. . 2016閲覧.
  18. 先発とリリーフを両方こなす“便利屋”は?”. ベースボールキング. . 2017閲覧.
  19. 2012年5月6日ボストン・レッドソックスボルチモア・オリオールズ戦では、双方がリリーフを全員を使い果たし、ついにオリオールズは学生時代に投手経験があった内野手のクリス・デービス、レッドソックスは外野手のダーネル・マクドナルドを登板させた。野手同士の登板はナショナルリーグで87年ぶりで、両チームの責任投手がともに野手になったのはメジャーリーグ初であった。 試合は延長17回、9-6でオリオールズの勝ち。メジャー初!勝ち投手も負け投手も野手 日刊スポーツ2012年5月8日

参考文献

  • 「特集 決めろ!勝利の方程式」、『週刊ベースボール』第64巻第24号、ベースボールマガジン社、2009年6月。
  • 伊藤茂樹「アメリカ野球雑学概論」、『週刊ベースボール』第65巻第54号、ベースボールマガジン社、2009年11月、 p.76。
  • 「特集 最強ブルペン陣の醍醐味 喰らえ!必勝フルコース」、『週刊ベースボール』第65巻第36号、ベースボールマガジン社、2010年9月。

関連項目

外部リンク