ルイ5世ジョゼフ (コンデ公)

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ルイ5世ジョゼフ・ド・ブルボン=コンデフランス語: Louis V Joseph de Bourbon-Condé, 1736年8月9日 - 1818年5月13日)は、フランスの貴族。コンデ公

経歴

ルイ4世アンリとヘッセン=ローテンブルク辺境伯エルンスト2世レオポルトの娘カロリーヌの間に一人息子として生まれる。

1743年にフランス・フリーメイソンのグランドマスターになった[1]

軍人として七年戦争に参加し、自由主義貴族となる。1789年フランス革命が起こると、息子のブルボン公ルイ・アンリ(後のコンデ公ルイ6世アンリ)、同族のコンティ公ルイ・フランソワ2世と共にドイツのコブレンツ亡命したが、1804年に孫のアンギャン公ルイ・アントワーヌがフランス軍に処刑されている。

諸外国を転々とし、1814年王政復古の頃にイギリスから帰国した。1818年シャンティイで没した。

1753年スービーズ公シャルル・ド・ロアンの娘シャルロットと結婚、3人の子を儲けた。

  1. マリー(1755年 - 1759年)
  2. ルイ6世アンリ(1756年 - 1820年)
  3. ルイーズ・アデライード(1757年 - 1824年)

脚注

参考文献

  • 竹下節子 『フリーメイスン もうひとつの近代史』 講談社〈講談社選書メチエ601〉、2015。
先代:
ルイ4世アンリ
コンデ公
1740年 - 1818年
次代:
ルイ6世アンリ
先代:
ルイ2世アンリ
アンギャン公
1740年 - 1818年
次代:
ルイ4世アンリ