ワコール

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ワコール (Wacoal) は、京都市に本拠を置く、日本の衣料品メーカーである。事業の中心は、女性用下着販売。

概説

本社は京都府京都市南区吉祥院中島町29(西大路駅付近に位置)。主軸のメインブランド「ワコール」と、低価格のサブブランド「ウイング」の二つのブランドを中心に展開している。また、「ウンナナクール」など複数のブランドを使い、大型ショッピングセンター内を中心に直営販売店(SPA = 製造小売業)も展開する。ブラジャーに関しては大人向けだけでなく思春期向けにもフェアリーティアラ・ワコールジュニアビス・プチプリリ・プリリの各ブランドで展開しており、1/2成人式(10歳)を迎えたら母娘で話をしてファーストブラを買うよう勧めている[1]

これ以外に、ハウスデザイン事業部(「女性の視点による」インテリアコーディネイト)や女子陸上部にも力を入れている。

ワコールと提携している縫製会社が作った製品は、新潟市西蒲区(旧西川町)にある新潟ワコール縫製株式会社で最終検針を行い、その後、東日本担当の東京流通センター(東京都板橋区)、西日本担当のワコール西日本流通センター(滋賀県守山市)から、各販売店へ配送することになっている。

沿革

  • 1946年 - 塚本幸一が個人事業、和江商事を創業。アクセサリー販売を行う。
    商号は、塚本幸一の父が興そうとしていた際に名づけようと考えていた商号の「和江」を受け継いだ。由来は「江州に和す」から。
  • 1947年 - 滋賀県立八幡商業学校の同級生である三菱重工業社員だった川口郁夫、同校の臨時教員・中村伊一を招へい。
  • 1948年 - アクセサリーの売上が伸び悩み始めたときに、取引先からブラジャーを紹介される。
  • 1949年 - 京都百貨見本市でブラジャーを出品。和江商事株式会社設立。塚本幸一が代表取締役社長に就任。
  • 1950年 - 世界一の下着メーカーを目指して10年一節の『50年計画』立てる。高島屋との取引を開始。京都の縫製業者、木原工場と専属契約。
  • 1951年 - 和江商事が木原工場を統合。木原光治郎が代表取締役、塚本幸一が専務に就任。製造部門開始。
  • 1952年 - 東京へ進出。塚本幸一が再び社長に就任。
  • 1957年 - ワコール株式会社へ商号変更。
    他社と重複していた商標を変更する際、「和江の名を永遠に留める」(=和江留)との意味を込め、ワコールとした。
  • 1958年 - 京都・四条河原町に「ワコールブラジャー」等のネオン設置が話題となる。
  • 1964年 - 株式会社ワコールに改称。東京大阪証券取引所第2部および京都証券取引所(現大証)に上場
  • 1970年 - 日本万国博覧会で「ワコール・リッカーミシン館」開館。
  • 1971年 - 東京・大阪証券取引所市場第1部に昇格。
  • 1975年 - プロ野球12球団のユニフォームをデザインとした子供用の野球パジャマを発売、ヒット商品となる。
  • 1979年 - 創立30周年を機に従来使用されていたクローバーのマークにかわり、現在使用されているCIロゴ「ファッションフラワー」を制定。
  • 1982年 - 新体操の日本・ブルガリア対抗競技大会に協賛して「新体操ワコールカップ」を開催(1994年まで)。
  • 1984年 - 京都のレーシングカーコンストラクター童夢のスポンサーを行う(1991年まで)。

不祥事

2014年、「やせる下着」に科学的な根拠がなく違法だと、アメリカ連邦取引委員会から指摘され、130万ドルで和解した[7]

イメージキャラクターなど

ワコール
ウイング
ワコールジュニア(現・フェアリーティアラ)
その他

ユニフォームサプライヤー

主な国内グループ企業

[10]

脚注

注釈

  1. 旧劇場時代から長年担当してきたカネボウ化粧品の後任として、2001年3月「時を刻む、21世紀へテイク・オフ」と題した緞帳を寄贈[2]。その後2009年7月の「艶(つや)」[2]を経て、2018年1月26日からは「夢」が使用されている[3]

出典

外部リンク

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