ヴァンフォーレ甲府

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ヴァンフォーレ甲府
原語表記 ヴァンフォーレ甲府
呼称 ヴァンフォーレ甲府
クラブカラー      ブルー[1]
創設年 1965年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J2リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 甲府市[1]韮崎市[1] を中心とする山梨県全県[1]
ホームスタジアム 山梨中銀スタジアム[1]
収容人数 17,000[1]
運営法人 株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ[1]
代表者 藤原弘[1]
公式サイト 公式サイト
テンプレート
ファイル:VENTFORET YAMANASHI SPORTS CLUB OFFICE.JPG
甲府市にあるクラブ事務所(3階および4階)
ファイル:Ventforet Kofu ClubHouse.JPG
韮崎市にあるクラブハウス

ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本甲府市韮崎市を中心とする山梨県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

Contents

概要

ファイル:Flag of Furinkazan.svg
名前の由来となった風林火山の旗

1999年にJリーグへ加盟[1]。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で[1]戦国時代の武将の武田信玄の旗印である「風林火山」に基づいている[1]。また、母体企業を持つJリーグクラブがある[注 1] 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「平成の大合併」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった[1]

オフィシャルショップは甲府中央商店街「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり[1]、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。また、岡島百貨店6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある[1]

ホームスタジアムは山梨中銀スタジアムである[1](詳細は#スタジアムを参照)。練習場についてはヴァンフォーレ甲府の練習場を参照のこと。

マスコットは甲斐犬をモチーフにした[1]ヴァンくん2006年6月12日より)、フォーレちゃん2009年3月1日より)である[1]

アンセムは2014年までチーム独自のものは存在せず、入場時はJリーグ公式アンセムを使用している。2015年より地元山梨出身で元レミオロメンのボーカルであった藤巻亮太制作のアンセムを使用することが決定している[2]

歴史

前身

1965年に鶴城クラブを拡大化した甲府サッカークラブが前身[1]1972年よりJSL2部1992年より旧JFLに参入。1995年ヴァンフォーレ甲府にチーム名を変更した[1]。1997年2月に運営法人となるヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを設立。1998年にJリーグ加盟が承認され、1999年からのJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった。

1999年 - 2005年(J2)

1999年

ライセンスの問題[注 2] からそれまで指揮をとっていた塚田雄二に代わり、勝俣進が監督に就任[注 3] した。リーグ戦は開幕10試合未勝利などを喫し、最下位の成績。また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥った。

2000年

S級指導者ライセンスを取得した塚田が監督に復帰。リーグ戦は2年連続最下位に終わり、第4節の仙台戦の勝利を最後に第33節の新潟戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利(後述)を記録した。また、入場者数は浦和戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合あった。登録選手は24人でうち6人がアマチュア契約、さらにプロ契約での途中退団者が発生し選手が不足したことからフィジカルトレーナーだった鶴田道弘と急遽プロ契約を結びやりくりせざるを得ない状況であった(鶴田はこのシーズンのみで再び引退)。

前年度シーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。


2001年

存続運動などの結果条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[注 4] するとブラジルのSEパルメイラスと提携を結び、監督のルイス・ドス・ヘイス・ゴンサルベス及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前の仙台にホームで勝利するなどしたが3年連続最下位の成績。また、98失点はJリーグ最多失点記録となった。経営面は3つの存続条件を全て達成すると共にJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上し、翌年度以降のチームの存続が決定した。なお、この年を以て甲府クラブ時代から在籍し、公務員Jリーガーとしてプレーしていた石原大助が引退。翌年以降は全選手がプロ契約のみとなる。

2002年

パルメイラスとの提携を解除し、清水エスパルスと提携を結んだ(別掲)。また、監督に大木武が就任。藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入った。また、9月21日のC大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場で満員(当時は13000人収容)を記録した。また、イリュージョニストのプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田英寿湘南)や藤原紀香横浜FC)の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど甲府を支援。テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。

2003年

大木が監督を退任(後に清水の監督に就任)し、東京V元監督の松永英機が後任の監督に就任。松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫一毅、石原克哉、水越に横浜FMなどでプレーした外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると、藤田またはこの年湘南から移籍した須藤大輔によるツートップでチーム力は向上。結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節で福岡に抜かれたものの5位に入った。

2004年

松永体制2年目。外池が広島へ移籍した一方、6年ぶりにバロンが復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し開幕から得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。7月31日にバロンが退団(その後鹿島に移籍)したものの第3クールまでは昇格争いに踏み留まったが、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。

2005年

大木が監督に復帰。大宮から移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、仙台をかわして3位でシーズンを終えた。J1・J2入れ替え戦に連勝して、J1昇格が決まった。


2006年 - 2007年(J1)

2006年

大木体制2年目。昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純、6年ぶりにチームへ復帰した堀井岳也、札幌などでプレーしたビジュなどを獲得した。J1初戦は清水に敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の川崎戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜FM鹿島G大阪などに勝利したが、18チーム中15位の成績。なお、7位の名古屋との勝ち点差は6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)であった。

2007年

大木体制3年目。バレーがG大阪へ、倉貫一毅が京都へ、アライールヴェラノポリスECRCへ移籍した一方、ブラジル・コリチーバFCからFWアルベルトFC東京からDF増嶋竜也をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫し4月は3連勝などで残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原岳人と試合に出場していなかった林健太郎がトラブルを起こし出場停止を受けた[注 5]。シーズン後半に羽地登志晃ラドンチッチの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、第33節で柏に1-2で敗れてJ2降格が決定した(最終順位は17位)。シーズン終了後に大木監督が退任した。

2008年 - 2010年(J2)

2008年

ヘッドコーチの安間貴義が監督に就任。茂原岳人、増嶋竜也、須藤大輔などがそれぞれ移籍した一方で補強面ではジョジマール美尾敦が復帰し、前田雅文をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は開幕から5戦未勝利を喫するなど、前半戦21試合を終えてわずか5勝で11位に低迷。7月にサーレスマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。急成長した大西容平とともに活躍したが、上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、最終順位は7位。なお、10月に元大宮監督の佐久間悟ゼネラルマネージャーに就任した。

2009年

安間体制2年目。主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と金信泳森田浩史の各FWを獲得。守備陣はGK荻晃太、DFダニエルの2人をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は第1クールを4位で折り返し、6月に岐阜から片桐淳至を、更に広島に在籍し9得点を挙げたガウボンの両FWを完全移籍で獲得した。リーグ戦は最終的に湘南と3位を争ったが、直接対決で敗れ、湘南と勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。


この年、伸び悩んでいる若手の人材を育成するため、山梨学院大学と提携を結び、選手間の相互交流を行なうことになった[3]

2010年

安間監督が退任し、前年にヘッドコーチをしていた内田一夫が監督に就任。林健太郎とGK阿部謙作が引退、森田浩史と長年チームに在籍した杉山新が退団した一方、横浜FM(前年は鳥栖に在籍)からハーフナー・マイク、元京都のパウリーニョを完全移籍で獲得した。開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。第34節の栃木SC戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。

2011年(J1)

「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田監督との契約を打ち切り、守備強化を目的に三浦俊也が大木以来の外部招聘となる監督に就任。藤田健秋本倫孝、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水から共に元日本代表のMF伊東輝悦とDF市川大祐のなどのベテラン選手を中心に獲得した。しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったゾーンディフェンスからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任[注 6]。GMの佐久間が後任の監督に就任。ハーフナー・マイク、パウリーニョ、片桐淳至、井澤惇らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌のダヴィ、元磐田の金珍圭を獲得。ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。

シーズン終了後、ハーフナーには藤田健、秋本倫孝らの放出や三浦前監督の招聘といったチーム作りの方針を批判され[4]、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた[5]。なお、ハーフナーが8月にクラブ初となる日本代表へ選出され、10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選タジキスタン戦で2得点を挙げてクラブ初のA代表戦での得点者となった。

2012年(J2)

チームスローガン:MOVE -原点からの挑戦-

佐久間がGMに戻り、元FC東京監督の城福浩が監督に就任。ハーフナー・マイクパウリーニョ、ダニエル、市川大祐ら主力選手が退団した一方でFW高崎寛之、DF盛田剛平、DF福田健介らが加入した。14年目にして初めて開幕戦に勝利(後述)すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。途中ダヴィへのマークが厳しくなったことで一時は8位に後退したが、次第に城福が取り入れたムービングフットボールが機能し始め、シーズン途中に元G大阪や清水のフェルナンジーニョが加入するとチームは再び調子を取り戻し、第26節ホーム東京V戦に勝利しチーム史上初の首位に躍り出る。その後1度も首位の座を明け渡さず、第38節湘南戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格を、さらに第39節福岡戦に3-2で勝利し、J2優勝を決めた。ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー水戸戦での勝利から最終節アウェー京都戦までJ2記録となる24戦無敗(後述)でシーズンを終えた。

2013年 - 2017年(J1)

2013年
チームスローガン:MOVE -プロヴィンチアの挑戦-

城福体制2年目。

ダヴィフェルナンジーニョ高崎寛之永里源気片桐淳至らが退団した一方、日本人選手は土屋征夫青山直晃水野晃樹を完全移籍獲得、また羽生直剛平本一樹をレンタルで獲得した。一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM)[6] と言う通りレニーウーゴといった未知数の選手と契約したが、レニーは開幕前、昨年から唯一残ったドウグラスは4月、ウーゴも7月までに契約解除となった。さらにレニーに代わり3月に獲得した元パラグアイ代表オルティゴサもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった[7]。シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元磐田マルキーニョス・パラナ、7月に元磐田のジウシーニョを獲得、また川崎からパトリックをレンタル移籍させた。

開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降コンフェデレーションズカップによる中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。しかし、第19節以降はパトリック、ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。ナビスコ杯は予選リーグで敗退。天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。

2014年
チームスローガン:飛躍 -プロヴィンチアの挑戦-

城福体制3年目。

柏好文が広島へ、伊東輝悦が長野へ移籍。またパトリックが退団し、平本一樹、羽生直剛、河田晃兵とのレンタル契約を終了した。新戦力として阿部翔平クリスティアーノを獲得し、シーズン中に阿部拓馬キリノ[8] を補強した。

開幕前のキャンプ中に山梨県全体を平成26年豪雪が襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。それでも堅守とFWとして再契約された盛田剛平の活躍などによりブラジルW杯前は残留圏内に位置していたが先述の豪雪や商標権問題の解決による支払金の影響によりW杯期間中の中断ではキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。しかし9月に入り第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利を挙げると第29節まで2勝3分2敗と持ち直し、第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出すると続けてC大阪と広島にも勝利。他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。ナビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。天皇杯はベスト16でJ2の北九州に2年連続でPK戦で敗退。

2015年
チームスローガン:一体 -プロヴィンチアの挑戦-

チーム初となるJ1連続3シーズン目。前年を以て城福が退任。樋口靖洋が新監督に就任した[9]

クリスティアーノが柏レイソルにレンタル移籍したのをはじめ、佐々木翔、水野晃樹、青山直晃が移籍。キリノやマルキーニョス・パラナも退団するなど主力が大幅に入れ替わる形となった。新戦力として元徳島のアドリアーノや元浦和・長崎の野田紘史を獲得し、さらに昨年はG大阪に戻っていた河田晃兵を完全移籍で獲得した。

ところが、シーズン前にジバウが、開幕直後にエンリケも退団した。また樋口監督による新しい戦術は機能せず開幕から不振に陥り第11節終了時点で2勝9敗、さらに得点だけでなく失点までリーグ最下位に陥ったことから5月13日に樋口監督が辞任した。代わりにGMの佐久間が監督に就任、4月にはマルキーニョス・パラナを再獲得し、5月にはバレーが9年ぶりに復帰。アドリアーノ、野田がシーズン途中に退団したが戦術を昨年まで城福が取り入れたものに戻したことでその後は4勝2分と降格圏を脱出し、1stステージを12位で折り返した。2ndステージも降格圏に落ちることなく14位、総合順位は13位となり3年連続のJ1残留を決めた。ナビスコ杯は未勝利のまま予選敗退、天皇杯はベスト16で柏に敗れている。

2016年
チームスローガン:総力 -プロヴィンチアの挑戦-

前年シーズン終了後に佐久間の退任が報じられたが留任となり佐久間体制2年目。また佐久間は監督・GMに加えて副社長に就任したことで3職兼任となった。

阿部翔平、阿部拓馬、荻晃太ら主力組や堀米勇輝伊東純也下田北斗ら若手が移籍。バレー、マルキーニョス・パラナもチームを去るなど退団者が相次ぐことになる。柏からクリスティアーノが復帰。その他元鹿島のジウトン(1月に契約も2月に契約解除)、元豪州代表ビリー・セレスキーニウソンチュカ田中佑昌黒木聖仁ら他チームの主力を獲得した。

開幕戦に勝利して初めてJ1首位に立ったものの、相次ぐ選手の負傷によりその後の順位は低迷、6月に今季から復帰したクリスティアーノが古巣柏へ完全移籍してしまい1stステージは降格圏内の17位に終わった。2ndステージ開幕前に元柏のドゥドゥを補強、さらにマルキーニョス・パラナが3度目、ダヴィが2度目の復帰を果たした。この補強に伴い外国人枠の関係でニウソン、チュカが契約解除になった。残留は最終節まで持ち越され、2ndステージは13位、年間順位14位で残留が決定した。但し年間勝ち点31は残留した年で過去最低(降格した2011年の33をも下回る)、年間7勝は2007年の降格時に並ぶJ1在籍最低勝利数、得点数は32とリーグワースト3位、失点は58と前年比15も増加しリーグワースト2位タイとなった。

ナビスコ杯は4年連続予選リーグ敗退、天皇杯は初戦でJ3の大分に敗れている。

2017年
チームスローガン:進化 -プロヴィンチアの挑戦-

J1連続5シーズン目。佐久間が監督を退任(GM及び副社長は続投)、後任に柏と新潟で監督をしていた吉田達磨が就任[10]

稲垣祥広島へ移籍、福田健介長崎へ移籍)、吉野峻光盛田剛平群馬へ移籍)、柴村直弥渡邉将基横浜FCへ移籍)、岡山にレンタル移籍していた秋吉泰佑ダヴィビリー・セレスキーマルキーニョス・パラナが契約満了で退団した。新戦力は仙台からウイルソン山口から島川俊郎水戸から兵働昭弘アメリカ・ミネイロからエデル・リマを獲得、ガブリエルがレンタル移籍で加入し、大卒3名が新加入し、若杉好輝がレンタル移籍先より復帰、さらに昨年京都へ移籍した堀米勇輝が2年ぶりに完全移籍で復帰した。

開幕直後の3月に千葉から阿部翔平が約1年ぶりに復帰、さらに元オーストラリア代表オリヴァー・ボザニッチを獲得、6月にはジュニオール・バホスを獲得し、外国人枠の関係でガブリエルが登録抹消、8月には元G大阪リンスを獲得し、外国人枠の関係で加入して2カ月のジュニオール・バホスが登録抹消、9月にはビリーを獲得し、外国人枠の関係でウイルソンが登録抹消となった。

前年課題となった守備については河田に代わり抜擢された岡大生の活躍などで改善されたもののウイルソンの不調や前年負傷したドゥドゥの回復が思わしくなかったため得点力不足は改善されず、また新潟や広島、清水など残留争いをしているチームに連敗するなど取りこぼしが多かった。途中加入のリンスの活躍で得点力の改善が見られたものの今度は肝心なところで逆転負けを喫するなどし、最終節でベガルタ仙台に勝利したものの15位の清水も勝利したことでJ2降格が決定した。

また、2001年よりプレーしていた石原克哉がこのシーズンを最後に現役引退した。

2018年(J2)

2018年
チームスローガン:完遂 -プロヴィンチアの挑戦-

6シーズンぶりにJ2で戦うことになり、吉田監督は続投。上述の石原の他津田琢磨保坂一成土屋征夫(シーズン途中から京都へレンタル移籍)といったベテランが相次いで契約満了により退団。また、黒木聖仁長崎へ、兵働昭弘清水へ移籍(共にかつて在籍したクラブへ復帰)、新里亮磐田へ移籍し、ドゥドゥもJ2の福岡へレンタル移籍した。一方でJ1チームからオファーのあったリンスや河田晃兵は残留し、新潟(2017年は山口でプレー)から小塚和季新潟Sから秋山拓也から湯澤聖人富山から窪田良湘南からジネイを完全移籍で、札幌から元日本代表FWの金園英学をレンタルで獲得。

勝点90を目標に開幕を迎えたが、11戦を終わり2勝5分4敗と16位に低迷し1年でのJ1復帰はおろかJ3リーグ降格すら視野に入る事態に陥る。クラブは第10節終了後に吉田監督続投を確認したが11節終了後の4月30日に契約を解除[11]、山口の元監督であった上野展裕が監督に就任した[12]

各記録

19連敗(26戦未勝利)

2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(新潟市陸、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた[注 7]。このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「25連敗」であった。その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない[13]」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み19連敗」となっている。19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗[注 8] を上回る記録である。また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。

その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した[注 9] が、連敗記録は現在も破られていない。

未勝利(連敗記録)中のスコア
スコア スコア
5 浦和(駒場)1-3● 19 水戸(ひたちなか)0-2●
6 大分(小瀬)1-3● 20 湘南(小瀬)1-2●
7 山形(鶴岡)2-4● 21 大宮(大宮)0-1●
8 水戸(韮崎中央)0-3● 22 鳥栖(小瀬)0-1●
9 湘南(平塚)0-3● 23 仙台(小瀬)1-2●
10 大宮(小瀬)1-2● 24 浦和(駒場)0-3●
11 鳥栖(鳥栖)1-1△ 25 大分(小瀬)2-3●
13 札幌(厚別)1-2● 26 山形(山形市陸)1-4●
14 新潟(小瀬)1-3● 27 水戸(北麓)0-1●
15 仙台(仙台)1-3● 28 湘南(平塚)2-4●
16 浦和(小瀬)0-3● 29 大宮(小瀬)1-2●延長
17 大分(佐伯市陸)0-2● 30 鳥栖(鳥栖)0-3●
18 山形(小瀬)1-4● 32 札幌(小瀬)0-2●

24試合連続無敗

2012年の甲府は第18節の千葉戦(中銀スタ、0-2)を最後に以降シーズン終了まで24試合負けることがなかった[14]。これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる[15]。無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。

なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。

無敗記録中のスコア
スコア スコア
19 水戸(K'sスタ)3-1○ 31 横浜FC(中銀スタ)2-1○
20 富山(中銀スタ)4-1○ 32 大分(大銀ドーム)2-1○
21 岡山(カンスタ)1-1△ 33 岡山(中銀スタ)1-0○
22 岐阜(中銀スタ)0-0△ 34 鳥取(中銀スタ)1-1△
23 町田(町田市陸)1-0○ 35 北九州(本城)3-2○
24 松本(中銀スタ)2-1○ 36 栃木SC(グリスタ)2-1○
25 千葉(フクアリ)1-0○ 37 徳島(中銀スタ)3-2○
26 東京V(中銀スタ)3-1○ 38 湘南(中銀スタ)2-2△
27 草津(正田スタ)2-1○ 39 福岡(レベスタ)3-2○
28 水戸(中銀スタ)1-0○ 40 愛媛(ニンスタ)0-0△
29 富山(富山)1-1△ 41 熊本(中銀スタ)2-0○
30 山形(中銀スタ)0-0△ 42 京都(西京極)0-0△

開幕戦の記録

1999年のJリーグ参入以来、2011年に至るまで開幕戦に勝てないジンクスがあった。参入初戦の大宮アルディージャ戦(韮崎中央、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年のサガン鳥栖戦(小瀬、1-1)である。2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のギラヴァンツ北九州と2011年参入のガイナーレ鳥取のみ)。また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節FC岐阜戦(長良川、1-0)、第3節コンサドーレ札幌(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。

参入14年目となる2012年開幕戦の栃木SC戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。なお、J1では2016年開幕戦のヴィッセル神戸戦(ノエスタ)に2-0で勝利し、7シーズン目で初勝利を挙げている。

Jリーグ参入後の開幕戦の記録
年度 Div. 会場 ホーム 得点 アウェイ 備考
1999 J2 韮崎中央 甲府 1-2 大宮
2000 小瀬 甲府 0-3 札幌
2001 等々力 川崎 3-1 甲府
2002 三ツ沢球 横浜FC 3-2 甲府
2003 小瀬 甲府 1-1 鳥栖 開幕戦初勝ち点
2004 札幌D 札幌 2-2 甲府
2005 小瀬 甲府 2-2 札幌
2006 J1 小瀬 甲府 0-2 清水
2007 日産ス 横浜FM 1-0 甲府
2008 J2 小瀬 甲府 1-1 岐阜
2009 桃スタ 岡山 1-1 甲府
2010 レベスタ 福岡 3-1 甲府
2011 J1 中銀スタ 甲府 0-1 磐田
2012 J2 中銀スタ 甲府 2-1 栃木SC 開幕戦初勝利
2013 J1 ユアスタ 仙台 1-1 甲府 J1開幕戦初勝ち点
2014 国立 甲府 0-4 鹿島
2015 Eスタ 広島 2-0 甲府
2016 ノエスタ 神戸 0-2 甲府 J1開幕戦初勝利

スタジアム

2013年J1第14節 ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ戦。
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Jリーグ参入後、初めてホームゲームを開催した韮崎中央公園陸上競技場。
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2003年から2006年まで年1試合ホームゲームを開催していた長野県松本平広域公園総合球技場。

県内ではJリーグ参入から一貫して小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)での開催であるが、加盟当初の1999年および2000年は日本陸連・山梨陸連との日程調整の都合で開催できない日があったため、週末に行うべき試合をある平日のナイターに移動させたり、また日程の都合がつかなければ韮崎市(韮崎中央公園陸上競技場)や富士吉田市(富士北麓公園陸上競技場)に変更させたりした。しかし韮崎、北麓ともJリーグ開催基準を満たしていないスタジアムであることから、2001年以降は同県で小瀬でのみ開催されている。

県外の開催は2003年から2006年の間、松本市(長野県松本平広域公園総合球技場)で年1試合開催していた。松本での開催では小瀬競技場改修による代替だった2004年を除きダービーマッチと銘打ち様々なイベントが行われていた。但し2012年よりJリーグに参入した松本山雅FCは当スタジアムがホームグラウンドであるため、今後は特殊な事由を除き松本での開催は不可能である。

また、2006年の浦和レッドダイヤモンズ戦で小瀬競技場の定員一杯の入場者数(17,000人)に達し、これ以上の収容が不可能であることから2007年から2014年までは国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを開催していた。また、シーズン開幕戦2週間前に山梨県地方を襲った記録的大雪により、山梨県小瀬スポーツ公園陸上自衛隊の拠点として使用されたことなどもあり、陸上競技場の除雪作業、および試合への使用が難しいと判断され[16]、同年2月21日に当初開幕戦としてヴァンフォーレが主管する予定であった鹿島アントラーズ戦の会場を国立競技場に変更することを決定[17]、そのため同年は国立競技場で2試合を開催している。なお、この年の浦和戦を最後に現国立競技場を解体し新国立競技場の建設に着手、また竣工後も2019年ラグビーワールドカップ2020年夏季オリンピックなどがあることから当面の間は国立での開催も不可能となる。

甲府クラブ時代および旧JFL時代は甲府クラブ時代のホームグラウンドでもあった甲府市緑が丘スポーツ公園サッカー場、解体後は同公園にある陸上競技場でも試合を開催していた。しかしJリーグ参入後は陸上競技場は練習場の一部開催に留まり、現在は練習場としても原則使用されていない。

新スタジアム構想

現在ホームスタジアムとして使用している小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)は1985年竣工であり、バックスタンドは1997年および2006年、サイドスタンドは2005年に改修を行なっているがメインスタンドは竣工時のままであることから経年劣化が著しい状態である。また、元々かいじ国体時に建設された国民体育大会陸上競技場で、スタンドとピッチの間にトラックがあるなどサッカーを観戦するには良好とは言い難い状況である。さらにJリーグクラブライセンス制度ではB基準として「スタジアムに観客席の3分の1以上に屋根があること」(さらにC基準として「観客席全体に屋根があること」)が求められているが、小瀬(中銀)にはメインスタンドのごく一部のみに屋根があるだけでB基準すら達しておらず、ライセンス更新の度に是正勧告を受けている。

また、ヴァンフォーレ甲府をはじめとするサッカー競技以外にも陸上競技大会やラグビーアメリカンフットボールグラウンド・ゴルフなど県内で行なわれる屋外競技が集中し、その調整に苦慮することがある。現在リーグ戦については事前に押さえていることから他競技により影響が出ることは少ないが、Jリーグに参入した当初は先述の通り他競技との調整がつかないため日程変更や他競技場への振替を余儀なくされている。また、日程が不確定なカップ戦については現在も調整がつかないことがあり、2013年11月20日の天皇杯4回戦(対札幌戦)について小瀬陸上競技場でグラウンド・ゴルフ大会が行なわれる関係で開催が不可能となり、このためホームの優先開催権を得ていたにもかかわらず山梨県サッカー協会が開催に名乗りを挙げることが出来ず、山梨県から1000kmほど離れた熊本県うまかな・よかなスタジアムで開催せざるを得ない状況に陥っている[18]

このことから2014年4月25日にヴァンフォーレ山梨スポーツクラブをはじめとする球技4団体は山梨県に総合球技場建設を陳情し、署名活動を開始[19]。同年9月12日に海野会長他4団体の関係者が村井満チェアマンと共に山梨県庁を訪れ、9万5627筆の署名を提出。村井チェアマンは「是非ご配慮、ご検討お願いします」と横内正明知事に要請した[20]

2016年に横内知事の跡を継いだ後藤斎知事の所信表明[21] を機に新スタジアムの検討委員会が設置され、スタジアムの規模や設置場所について報告書がまとめられた[22]。それによると、候補地抽出における主な条件として設定された「収容人数:約2万人」「敷地面積:約9万m3」「リニア環境未来都市(リニア駅)から4km以内」などの要件を満たす土地として「山梨県小瀬スポーツ公園周辺」と「リニア駅前(甲府市大津町)」の2箇所を候補地として定めた意見が示された。その後、2017年7月27日に行われた後藤知事の記者会見で、総合球技場の建設地についてリニア駅前に広い球技場を作ると開発プランが制約されること、小瀬スポーツ公園の方が用地取得費が半分強で済むことなどを理由に、小瀬スポーツ公園南側の第3駐車場部分を建設場所に決定したと発表した[23]

ホームゲーム入場者数

最多入場者試合

J1
  • 2006年7月29日 第16節 浦和戦 17,000人 (小瀬)
  • 2007年8月18日 第21節 浦和戦 36,756人 (国立)
J2
  • 2009年11月21日 第49節 湘南戦 16,844人 (小瀬)
  • 2003年8月30日 第30節 新潟戦 13,043人 (松本)

最少入場者試合

J1
  • 2017年10月29日 第31節 神戸戦 4,692人 (中銀)
  • 2014年3月1日 第1節 鹿島戦 13,809人 (国立)
J2
  • 2000年6月11日 第18節 山形戦 724人 (小瀬)
  • 1999年9月10日 第25節 FC東京戦 619人[注 10] (韮崎中央)

年度別入場者数

     J1      J2

年度 合計
入場者数
最多
入場者
最少
入場者数
平均
入場者数
ホーム
試合数
会場 1試合平均入場者数/総入場者数 備考
小瀬 その他
1999 26,450 3,807 619 1,469 18 14 韮崎4
Jリーグ参入。
2000 37,004 6,005 724 1,850 20 17 北麓2
韮崎1
2001 68,850 5,541 1,508 3,130 22 22
2002 108,108 13,000 3,047 4,914 22 22
県外初開催。
2003 127,515 13,043 2,382 5,796 22 21 松本1
2004 140,141 10,121 2,401 6,370 22 21 松本1
2005 152,491 14,234 4,903 6,931 22 21 松本1
小瀬増築開始。工事期間中サイドおよびバック上段を閉鎖。
(10月にサイドスタンド増築完了により開放)
2006 207,629 17,000 8,025 12,213 17 16 松本1
小瀬増築完了(開幕戦のみバックスタンド工事中)
2007 233,476 36,756 8,373 13,734 17 16 国立1
国立初開催。
2008 217,428 14,521 7,267 10,354 21 21
2009 276,463 16,844 5,582 11,059 25 25
2010 223,309 16,431 10,163 12,406 18 18
2011 205,808 21,589 6,893 12,106 17 16 国立1
命名権導入。「小瀬陸上競技場」から「山梨中銀スタジアム」に変更。
2012 218,539 16,643 6,161 10,407 21 21
2013 214,441 28,906 7,754 12,614 17 16 国立1
2014 206,904 36,505 5,416 12,171 17 15 国立2
[注 11]
2015 192,042 14,176 7,015 11,297 17 17  
2016 184,161 15,508 7,011 10,833 17 17   
2017 184,331 14,489 4,692 10,842 17 17   
2018         21 21     
2,835,121 8,463 335
小瀬:小瀬陸上競技場(2011年より山梨中銀スタジアム)、国立:国立霞ヶ丘陸上競技場、松本:長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)
韮崎:韮崎中央公園競技場、北麓:富士北麓競技場

入場者数上位

順位 所属 日時 会場 対戦相手 入場者数 備考 所属 日時 会場 対戦相手 入場者数 備考
1 J1 2007年8月18日 国立 浦和 36,756 J2 2009年11月21日 小瀬 湘南 16,844
2 2014年5月6日 国立 浦和 36,505 2012年10月14日 中銀 湘南 16,643
3 2013年7月6日 国立 浦和 28,906 2010年6月12日 小瀬 千葉 16,431
4 2011年8月20日 国立 浦和 21,589 2010年5月5日 小瀬 15,600
5 2006年7月29日 小瀬 浦和 17,000 2009年9月23日 小瀬 仙台 15,076
6 2007年5月3日 小瀬 横浜FC 16,279 2008年5月6日 小瀬 横浜FC 14,521
7 2016年7月30日 小瀬 浦和 15,508 2005年10月1日 小瀬 横浜FC 14,234
8 2006年10月1日 小瀬 G大阪 15,462 2012年7月15日 中銀 松本 14,150
9 2006年5月3日 小瀬 F東京 15,427 2009年7月18日 小瀬 C大阪 13,580
10 2011年11月3日 中銀 横浜FM 15,315 2008年3月9日 小瀬 岐阜 13,211

成績

チーム記録

最多得点試合

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 4-3 2007年第5節 (4月7日) ヴィッセル神戸
4-3 2011年第23節 (7月16日) ガンバ大阪
アウェー 4-0 2011年第29節 (10月15日) セレッソ大阪
J2 ホーム 6-1 2004年第19節 (6月23日) 横浜FC
6-0 2009年第23節 (6月24日) アビスパ福岡
6-0 2010年第33節 (11月7日) ギラヴァンツ北九州
6-2 2018年第16節 (5月26日) 大分トリニータ
アウェー 5-1 2003年J2第6節 (4月12日) 横浜FC

最多失点試合

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 1-6 2007年第14節 (6月10日) ジュビロ磐田
アウェー 1-5 2006年第17節 (8月12日) 名古屋グランパスエイト
0-5 2007年第29節 (10月21日) ガンバ大阪
1-5 2013年第12節 (5月18日) サンフレッチェ広島
J2 ホーム 3-5 1999年第25節 (9月10日) FC東京
1-5 2001年第26節 (8月14日) サガン鳥栖
アウェー 1-6 1999年第4節 (4月4日) アルビレックス新潟
0-6 1999年第9節 (5月2日) コンサドーレ札幌

最多連勝記録

J1リーグ戦
3連勝 (2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日))
J2リーグ戦
6連勝 (2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日))

最多連敗記録

J1リーグ戦
8連敗 (2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日))
J2リーグ戦
19連敗 (2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日))

個人記録

通算最多出場者

通算はリーグ戦とカップ戦(天皇杯Jリーグカップ)のみ。プレシーズンマッチ、引退試合、練習試合などは省略する。

  • 通算
507試合 - 日本の旗 石原克哉 (初出場2001年4月21日 vs.横浜FC戦)
  • リーグ戦
467試合 - 日本の旗 石原克哉

通算出場試合上位

JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。太字は2018年開幕時点での在籍選手。記録は2015年シーズン終了時点。

選手名 出場試合数 在籍期間 備考
1 石原克哉(日本の旗 日本 467試合 2001-2017 リスト・オブ・ワン・クラブ・マン
2 山本英臣日本の旗 日本 436試合 2003-
3 藤田健(日本の旗 日本 354試合 2001-2010
4 倉貫一毅(日本の旗 日本 246試合 2000-2006
5 池端陽介(日本の旗 日本 218試合 2002-2010
6 杉山新(日本の旗 日本 217試合 2003-2009
7 荻晃太(日本の旗 日本 188試合 2009-2015 GK最多。
8 津田琢磨(日本の旗 日本 179試合 2003-2017 2008年はシーズン途中まで愛媛在籍。
9 松橋優日本の旗 日本 160試合 2009-
10 阿部謙作(日本の旗 日本 155試合 2003-2009 2005年はシーズン途中まで神戸在籍。
参考
  • 伊東輝悦日本の旗 日本)(Jリーグ通算555試合試合出場、うちJ1リーグ戦517試合は楢崎正剛に次いで歴代2位。甲府では59試合に出場)
  • 仲田健二日本の旗 日本)(リスト・オブ・ワン・クラブ・マン。J2ではリーグ146試合、旧JFLを含めると228試合に出場)

通算最多得点

  • 43得点 - ブラジルの旗 バレー (初出場:2005年3月5日 vs.札幌戦)

最多連続得点試合

  • 5試合
    • ブラジルの旗 バレー (2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日))
    • ブラジルの旗 ダヴィ (2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日))

シーズン最多得点

J1リーグ戦
17得点 - 日本の旗 ハーフナー・マイク (2011年)
J2リーグ戦
32得点 - ブラジルの旗 ダヴィ (2012年)

通算チーム得点上位

2014シーズン終了時点。得点数はリーグ戦のみ。

選手名 得点数 在籍期間 備考
1 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 43得点 2005-2006
2015
入れ替え戦の7得点を除く
2 藤田健(日本の旗 日本 41得点 2001-2010
3 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 37得点 2010-2011
3 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 37得点 2008-2010
2015
5 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 33得点 2011-2012
2016

年度別チーム得点王

年度 リーグ チーム得点王 得点(試合数) 備考
1999 J2 大柴克友(日本の旗 日本
堀井岳也(日本の旗 日本
7点(36試合)
2000 金晃正(大韓民国の旗 韓国 5点(40試合)
2001 太田圭輔(日本の旗 日本 11点(44試合)
2002 鶴見智美(日本の旗 日本
影山由高(日本の旗 日本
8点(44試合)
2003 小倉隆史(日本の旗 日本 10点(44試合)
2004 バロン(ブラジルの旗 ブラジル 14点(34試合) シーズン途中鹿島へ移籍
2005 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 21点(44試合) リーグ得点2位
2006 J1 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 14点(34試合)
2007 茂原岳人(日本の旗 日本 6点(34試合)
2008 J2 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 9点(42試合)
2009 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 19点(51試合)
2010 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 20点(36試合) リーグ得点王
2011 J1 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 17点(34試合) リーグ得点2位
2012 J2 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 32点(42試合) リーグ得点王
2013 J1 ウーゴ(ブラジルの旗 ブラジル
パトリック(ブラジルの旗 ブラジル
5点(34試合) シーズン途中に退団
シーズン途中より加入
2014 クリスティアーノ(ブラジルの旗 ブラジル
盛田剛平(日本の旗 日本
5点(34試合)
2015 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 8点(34試合) シーズン途中より加入
2016 クリスティアーノ(ブラジルの旗 ブラジル 7点(34試合) シーズン途中柏へ移籍
2017 リンス(ブラジルの旗 ブラジル 6点(34試合) シーズン途中より加入

ハットトリック

得点数 氏名 達成日 対戦相手
J1 達成者なし
入替戦 6得点 ブラジルの旗 バレー 2005年12月10日 (第2戦)
J2 4得点 ブラジルの旗 バロン 2004年5月2日 (第9節) 水戸
3得点 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年10月19日 (第38節) 福岡
日本の旗山崎光太郎 2004年6月23日 (第19節) 横浜FC
ブラジルの旗バレー 2005年5月28日 (第14節) 徳島
ブラジルの旗マラニョン 2010年4月29日 (第9節) 札幌
日本の旗ハーフナー・マイク 2010年11月7日 (第33節) 北九州
カップ戦 3得点 日本の旗須藤大輔 2007年7月7日 (準々決勝第1戦) 川崎

記念ゴール

ゴール数 氏名 達成日 対戦相手
J2 2500 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年11月10日 (J2第42戦) 鳥栖
3500 ブラジルの旗バロン 2004年6月26日 (J2第20戦) 京都
8000 日本の旗大西容平 2009年10月4日 (J2第43戦) 東京V

タイトル

チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。

チームタイトル

個人別

ユニフォーム

テンプレート:ユニフォームの色2

チームカラー

  •      ブルー[1]

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
はくばく はくばく 2001年 - 2006年
2009年 -
2007年 - 2008年は背中
鎖骨 なし
背中上部 山梨中央銀行 山梨中央銀行 2017年 - 2015年 - 2016年は袖
背中下部 コイケ コイケ 2016年 -
クスリのサンロード クスリのサンロード 2018年 -
パンツ マルアイ 〇愛
MARUAI
2018年 -

ユニフォームサプライの遍歴

ユニフォームデザイン

テンプレート:Football kit box

  • 甲府クラブ時代は武田氏赤備えをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。
  • Jリーグ参入後にサプライヤーがエレーネとなり、ホームユニフォームは青と一部分が白であった。
  • デレルバになった2003年から甲府クラブ時代の基調であった赤色が入るようになった。他のサプライヤーは2年ごとにデザインが変更されるが、デレルバ時代のみ毎年デザインが変更されている。
  • アンブロになった2007年からは水色に近い色になり、袖などの一部分が赤や白だったのを除き青色部分が多くなった。
  • ミズノになった2011年から再び青色が濃くなり、赤色のストライプが2年ごとに縦→横→左上から右下への斜め→菱形模様となっている。
  • 夏季ホームゲーム数試合では記念ユニフォームを着用することがある。
    • 2015年:山梨県内各市町村の地図がちりばめられたもの
    • 2016年:ゴール裏の光景と星空
    • 2017年:紫色に葡萄のイラスト
    • 2018年:山梨特産の水晶

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1997 TOSHIBA 解禁前 - 解禁前 TOKYO DOME - UMBRO
1998 NTTDoCoMo DIRECTV - PENALTY
1999 - - nr(ennerre)
2000 -/
index
2001 はくばく index Sannichi
YBS Group
2002 PRINCESS
TENKO
武田消毒
2003 DELLERBA
2004 シャトレーゼ 泉郷
2005 信玄食品
2006 NIPRO 東京エレクトロン pal*system
2007 NIPRO はくばく 東京エレクトロン UMBRO
2008
2009 はくばく 東京エレクトロン Jit ジット -
2010
2011 Mizuno
2012 東京エレクトロン山梨
2013 アエラホーム AERAHOME
2014
2015 山梨中央銀行 -/
PHメンテナンス
2016 コイケ PHメンテナンス
2017 山梨中央銀行 -/
内藤ハウス
2018 - クスリのサンロード 〇愛
MARUAI

アカデミー

ヴァンフォーレ甲府のアカデミーには、直轄としてU-18(2種)、U-15(3種)、U-12(4種)の3世代にチームがあり、その他1チームと提携を行なっている。主要練習場は南アルプス市にある八田河川敷グラウンド。

Jリーグクラブライセンス制度ではU-18、U-15、U-12、U-10の4世代にチームを設けることがA等級基準(Jリーグに参入するにあたり必要とされる基準)となっている。但しU-12およびU-10は定期的にサッカースクールを行なうことで代替可能としており、甲府についてもU-10世代は甲府市(北部・南部)、南アルプス市、山梨市西桂町にてサッカースクールを行なうことで基準をクリアしている。

ヴァンフォーレ甲府U-18

設立はトップチームがJリーグ参入してから2年後の2001年[注 12]。U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ユース」の名前であった。

2007年に県リーグを勝ち上がりプリンスリーグ関東2部へ参入したが、1年で県リーグへ降格。2014年に参入決定戦を勝ち上がり、2015年よりプリンスリーグ関東に参入している。日本クラブユースサッカー選手権は関東予選の壁を破れずにいたが2010年に初めて全国大会に出場。さらに2013年には予選リーグを突破し決勝トーナメントに進出。2015年はプレミアリーグWESTヴィッセル神戸U-18を破りベスト8まで進出している。

主な出身者として2009年U-17ワールドカップ日本代表堀米勇輝FCドルトレヒトに所属していたファン・ウェルメスケルケン・際などがいる。

年度 所属 順位 試合 勝点 U-18選手権 Jユース杯 備考
2008 プリンス関東2部 12位 9 4 1 4 1 関東予選敗退 予選G敗退 リーグ戦(Aパート)6位
11・12位決定戦敗退
2009 山梨県Aパート 優勝 6 18 6 2 1 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退
2010 山梨県Aパート 3位 9 18 6 2 1 予選G敗退 予選G敗退
2011 山梨県Aパート 3位 9 18 5 3 1 関東予選敗退 予選G敗退
2012 山梨県Aリーグ 優勝 14 39 13 1 0 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退
2013 山梨県1部 2位 18 46 15 2 1 ベスト16 予選G敗退
2014 山梨県1部 優勝 18 46 15 2 1 ベスト16 ベスト16 参入決定戦勝ち抜き
2015 プリンス関東 9位 18 17 4 9 5 ベスト8 2回戦敗退
2016 プリンス関東 10位 7 18 1 13 4 予選G敗退 3回戦敗退
2017 山梨県1部 3位 18 39 11 1 6 予選G敗退 2回戦敗退

「山梨県Aパート」「山梨県Aリーグ」は山梨県1部相当。

ヴァンフォーレ甲府U-15

設立はJリーグ参入初年度である1999年。U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ジュニアユース」の名前であった。

年度 所属 順位 試合 勝点 備考
2010 関東2部 4位 11 9 4 3 0
2011 3位 23 9 7 2 2 デベロップカップ優勝
2012 3位 22 47 15 5 2
2013 10位 22 25 7 11 4
2014 10位 22 19 2 7 13
2015 4位 18 35 10 7 5
2016 6位 22 33 9 7 6
2017 10位 22 21 5 11 6
2018            

ヴァンフォーレ甲府U-12

U-12については2009年までチームを結成していなかったが、全体の底上げを図る目的のため2010年に結成された[24]

U-12世代の育成は上述のサッカースクールでも行なっているが、U-12チームはそれとは別に選考会を行ない選抜されている。また、スペインから指導者を招くなど重点的に指導を行なっている[24]。そのため結成から間もない状態でも全国大会に出場し、2016年のダノンネーションズカップ in JAPANでは優勝を飾っている。

「U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ2016」ではマンチェスター・シティFCFCバルセロナのU-12と対戦している(マンチェスター・シティとは引き分け、バルセロナには負け)。また、世界大会であるダノンネーションズカップでは予選ブロックを1位で通過すると、フランスアルゼンチンスペインセビージャFCのU-12チーム)といった強豪国相手に勝ち上がり、決勝に進出した。決勝ではドイツ香川真司が在籍するボルシア・ドルトムントのU-12チーム)相手にPK戦で敗れたものの、世界レベルの強豪チーム相手に善戦している。

年度 ダノン杯JAPAN チビリンピック 全日本少年大会 その他大会 備考
2011 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退
2012 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退
2013 ベスト8 3位 ベスト8
2014 ベスト16 関東大会敗退 全国2次敗退
2015 3位 関東大会敗退 県予選敗退
2016 優勝 関東大会敗退 ベスト8 ダノンネーションズカップ2位
2017 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退  
2018 3位 関東大会敗退    

その他

2010年に北杜市にあるU-15およびU-12のサッカーチーム「八ヶ岳グランデフットボールクラブ」と業務提携を締結し、2011年より「ヴァンフォーレ八ヶ岳」として活動していた。2017年を以て業務提携を解消し、チーム名も「グランデ・アメージング・アカデミー」となっている。

キャンプ地

年度 地域 会場
2001 日本の旗茨城県鹿島郡波崎町[注 13] 波崎サッカーパーク
2002 日本の旗静岡県清水市[注 14] 清水ナショナルトレーニングセンター
2003
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2004
2005 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
2006
日本の旗宮崎県西都市 清水台総合公園多目的広場
大韓民国の旗ソウル水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2007 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
大韓民国の旗ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2008 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2009 グアムの旗 グアム レオパレスリゾート
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2010 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2011 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2012 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
2013 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗山梨県富士吉田市 北麓公園陸上競技場
2014 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗静岡県静岡市清水区 清水蛇塚スポーツグラウンド[注 15]
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2015 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
2016 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場

メディア

地元メディアによる試合中継

  • NHK甲府放送局(県域総合テレビ) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。
  • 山梨放送(YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度静岡放送SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。また特番『SSS〜スリーエス〜』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。テレビは基本的にホーム試合で、スカパー!向け映像制作・実況も担当。
  • UTYテレビ山梨 - 年1試合程度。過去に『ウッティ発!』の時間帯でゴールデンタイムの実況中継(後半のみ)を行ったことがある。
  • NNS甲府CATV - 主にホーム試合。
  • エフエム甲府『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。

その他チーム情報

決算

ヴァンフォーレ甲府の決算は、つぎのとおり。

損益

年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2005 670 246 159 178 87 579 419 262 161 91 50
2006 1343 571 385 242 145 1102 857 556 245 241 135
2007 1655 768 436 276 175 1506 1100 741 406 149 54
2008 1263 647 276 99 241 1236 911 587 325 26 24
2009 1094 497 293 119 185 1080 798 498 290 14 0
2010 1067 499 297 117 154 1056 763 473 293 11 0

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位: 百万円

人件費は事業費に含まれる。

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 1465 635 421 216 29 164 1400 671 84 149 17 0 479 65 44
2012 1179 554 291 103 26 205 1148 476 66 170 18 0 418 31 15
2013 1481 683 403 208 36 151 1460 707 101 172 21 0 459 21 3
2014 1518 749 422 191 47 109 1515 759 119 175 25 0 437 6 -74
2015 1525 751 354 186 50 184 1470 736 86 154 28 0 466 55 21

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位: 百万円

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 1523 736 342 193 59 61 132 1499 736 88 182 28 0 42 423 24 8

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016

金額の単位: 百万円

テンプレート:Graph:Chart

資産

年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 278 315 -36 335
2006 553 423 130 367
2007 566 381 184 367
2008 506 297 209 367
2009 463 253 210 367
2010 516 305 210 367
2011 573 296 276 367
2012 606 314 292 367
2013 568 273 295 367
2014 556 335 221 367
2015 620 378 242 367
2016 615 365 250 367

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位: 百万円

テンプレート:Graph:Chart

脚注

注釈
  1. 例:横浜F・マリノス=日産自動車名古屋グランパスエイト=トヨタ自動車ガンバ大阪=パナソニックなど
  2. 塚田は当時Jリーグの監督をするのに必要なS級指導者ライセンスを所持していなかった。
  3. 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。
  4. 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任。
  5. 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止
  6. 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。
  7. 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため
  8. 但し1998年まではリーグ戦でもPK戦が実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。
  9. 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。
  10. 2009年10月7日 J2第44節 岡山-栃木SC戦が615人(とりスタ)で更新するまで10年間でのJ2リーグ戦最少観客記録だった。
  11. このうち開幕戦は中銀スタジアムでの開催の予定であったが、平成26年豪雪の影響により国立霞ヶ丘陸上競技場へ代替開催となった。
  12. 現在のJリーグクラブライセンス制度ではA基準であり参入前の審査で設立または設立の見込みがないとされるとJ3を含めライセンスが発行されないが、J2が設立された1999年当初は猶予期間を設けられており、参入から3年以内のU-18(2種)チームの設立を義務付けられていた。
  13. 現・神栖市
  14. 現・静岡市清水区
  15. 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。
出典
  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 クラブガイド:ヴァンフォーレ甲府”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
  2. クラブ創立50周年記念企画「ヴァンフォーレ甲府アンセム」制作アーティスト藤巻亮太さんに決定および「歌詞・フレーズ(クラブへの想い)」募集のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府公式. . 2014閲覧.
  3. ~山梨学院大とヴァンフォーレ甲府が業務提携~(山梨学院大学公式)
  4. ハーフナー甲府退団へ「チームをぶっ壊す意味が分からない」 スポーツニッポン,2011年12月3日
  5. 【J1:第34節 大宮 vs 甲府】甲府側プレビュー:『心』で戦うサッカーで僅かな可能性に賭ける J's GOAL,2011年12月2日
  6. 【2013シーズン始動!】甲府:新体制発表会見での出席者コメント(2013年1月15日、J's GOAL)
  7. VF甲府 助っ人次々退団、異例の事態 野心や忠誠心内面読めず(山梨日日新聞)
  8. 過去2チームでは国籍はブラジルであり通常の外国人枠での登録であったが、その後、東ティモール国籍を取得、今回はアジア枠として選手登録された
  9. “樋口 靖洋氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2014年12月8日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/508012 . 2014閲覧. 
  10. “吉田 達磨氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2016年11月15日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/512835 . 2016閲覧. 
  11. 吉田 達磨 監督 契約解除について”. ヴァンフォーレ甲府公式 (2018年4月30日). . 2018閲覧.
  12. 上野 展裕氏 監督就任のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府公式 (2018年4月30日). . 2018閲覧.
  13. Jリーグ 公式戦における「連勝・連敗」の定義について
  14. J1に昇格した2013年シーズンの初戦も引き分けたので チーム記録としては25戦
  15. スポーツ無敗記録一覧
  16. “【重要】3月1日の山梨中銀スタジアムでの開幕戦について” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506331 
  17. “【代替地決定!】3月1日(土)開幕戦は国立競技場で開催” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506334 
  18. “城福浩監督、天皇杯ラウンド16の日程と会場に「残念という言葉しか出てこない”. エル・ゴラッソ. (2013年10月23日). http://blogola.jp/p/30678 
  19. “「総合球技場」建設を フットボール系4団体 県に要望、署名開始へ”. 山梨日日新聞. (2014年4月25日). http://www.sannichi.co.jp/local/news/2014/04/25/9.html 
  20. “村井チェアマン、山梨県に球場建設求め署名提出”. スポーツ報知. (2014年9月12日). http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140912-OHT1T50301.html 
  21. 知事臨時記者会見(平成28年2月4日木曜日)(山梨県ホームページ)
  22. 総合球技場検討委員会 報告書 (PDF)
  23. “総合球技場 甲府・小瀬に決定 知事「総合的に判断」”. 毎日新聞地方版. (2017年7月28日). https://mainichi.jp/articles/20170728/ddl/k19/010/072000c . 2017閲覧. 
  24. 24.0 24.1 「VF U-12、世界一目指す…仏大会出場へ」(2016年4月18日、読売新聞)

関連項目

外部リンク


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