一切皆苦

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一切皆苦(いっさいかいく)(sabbe saGkhaaraa dukkhaa)とは、仏教における四法印の一つである。正しくは「一切行苦」と漢訳する。

初期の経典に「なり」「も苦なり」としばしば説かれている。これを「一切皆苦」と言う。

「苦」の原語は、パーリ語ではドゥッカ(dukkha)であり、パーリー語の場合には単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「不満」といったニュアンスも持つ[1]

阿毘達磨(アビダルマ)文献によれば、苦は「逼悩」の義と定義される。「圧迫して(○○○○○に)悩まされる」という意である。この苦には二つの用法がある。一つは楽や不苦不楽に対する苦であり、他は「一切皆苦」といわれるときの苦である。前者は日常的感覚における苦受であり、肉体的な身苦(苦)と精神的な心苦(憂)に分けられることもある。しかしながら、精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦となり、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされ、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても、苦ではないものはないわけで、一切皆苦とはこの意であるとされる。

抜粋

Sabbe baṅkhārā aniccā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.
Sabbe baṅkhārā dukkhā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.
Sabbe dhammā anattā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.

(参考現代語訳)
「一切の形成されたもの(行,サンスカーラ)は無常である」と
明らかな智慧(パンニャー)をもって観るときに、ひとは苦(ドゥッカ)から厭い離れる。これが清浄への道である。
「一切の形成されたもの(行)は苦(ドゥッカ)である」と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。
「一切の事物(ダーマ)は無我である」と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。

脚注

関連項目

en:Dukkha