中津 (大阪市)

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中津
—  町丁  —
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
北区
人口 (2016年(平成28年)9月30日現在)
 - 計 1,0,771人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 530-0071

中津(なかつ)は、大阪府大阪市北区町名。または、北区大深町の北西部、同区豊崎3丁目の西部、淀川区新北野なども含んでいた、旧・西成郡中津町に該当する地域名。

現行行政地名は中津一丁目から七丁目まで。2016年平成28年)9月30日現在の人口は1,0771人、世帯数は6,422世帯[1]郵便番号は〒530-0071。

地理

町名としては、大阪市北区中津一丁目から中津七丁目まである。東西約1.5km、南北約1kmの地域で、淀川の南側に沿うような形で位置している。2005年の国勢調査によると、人口は9486人。

淀川を挟んだ北側には十三東、新北野木川西木川東、東は豊崎、西は大淀北、大淀中、南は大深町芝田に囲まれた地域である。

梅田から北へ0.5Kmほどという地理条件から、梅田に連なるオフィス街となっている。また近年では住民の都心回帰傾向がみられることに伴い、地下鉄中津駅周辺を中心に超高層マンションが増加している。

アクセントは「かつ」の「」に置かれる。

河川

歴史

この地にはかつて、旧淀川の支流のひとつ、中津川が流れていた。中津川は細い川の上に蛇行して流れていたため、しばしば洪水を起こしていた。記録によると、平均して10年に一度の割合で洪水に見舞われていた。

江戸時代までは摂津国西成郡成小路村・下三番村・光立寺村・小島新田村・小島古堤新田に分かれていた。1889年町村制施行により、5つの村が合併して西成郡中津村が発足した。中津川の南岸に位置していたことから中津村と名付けられた。

中津川は、治水のために1898年から1910年にかけておこなわれた新淀川(現在の淀川)開削の際に、新淀川の流路の一部ないしは河川敷に転用されて現存しない。また新淀川の開削の際、村を新淀川が横断することになったため、成小路地区(現在の淀川区新北野付近)が新淀川の北側の飛び地状の地域となった。

中津村は1911年2月1日町制を施行して中津町となったのち、1925年4月1日に大阪市に編入された。中津村の地域は、当時大阪市に編入されたほかの西成郡の町村とともに、東淀川区となった。

1943年4月1日に実施された大阪市の区の分増区に伴い、東淀川区のうち淀川左岸の部分については東淀川区から分離されて大淀区が成立し、中津は大淀区に属することになった。その後1989年2月、大淀区は北区と合併して新しい北区となったことに伴い、中津は北区の区域に含まれた。なお、大淀区時代の中津は北区との境界線付近に位置していた。

施設

ファイル:Osaka Nichinichi Shimbun.JPG
大阪日日新聞(新日本海新聞社大阪本社)

公共施設

企業

かつて存在した施設

交通

鉄道

阪急電鉄が地域のやや西よりを南北方向に通過している。中津には阪急電鉄中津駅があり、神戸線の普通電車と宝塚線の準急、普通電車が停車する。しかし京都線については、中津駅にホームがないために全列車が通過する。

また阪急中津駅から東に500mほど離れた場所に、大阪市営地下鉄御堂筋線中津駅もある。大阪市営地下鉄御堂筋線は地域の南端を沿うように南から北東に走り、梅田・難波新大阪などへは乗り換えなしで行くことができる。

道路

国道176号が阪急電鉄の線路と並行する形で、地域の西よりを南北方向に走る。国道176号は大阪駅方面から十三大橋を渡って十三方面へと伸びている。また地域の東側(厳密には中津ではなく豊崎7丁目になる)では新御堂筋が南北方向に通っている。

国道
主要地方道

路線バス

バス路線は大まかに分類すると、いずれも大阪駅前(梅田)を起点とした、国道176号経由の系統と、地下鉄中津駅経由の系統の2系統が走っている。前者の系統は大阪市営バス阪急バスがそれぞれ運行し、後者の系統は大阪市営バスが運行している。また、廃線された路面電車阪神北大阪線を引き継ぐ、阪神バスの北大阪線が野田阪神と中津、天六を結ぶ。

大阪市営バス
  • 済生会病院前
  • 中津6丁目
  • 地下鉄中津
阪急バス
  • 済生会病院前
  • 中津6丁目

脚注

外部リンク


中津リバリュープロジェクト