丸井

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株式会社丸井(まるい、OIOI・0101、: MARUI CO., LTD.)は、日本で首都圏を中心にファッションビルなどの商業施設を展開する企業の一つである。

2007年(平成19年)10月1日、(旧)株式会社丸井が「株式会社丸井グループ」に商号変更し、「小売事業」、「カード事業」、「小売関連サービス事業」からなる持株会社制へ移行。その際に、新たな小売事業会社(新)「株式会社丸井」が設立された。


概要

ファイル:Nakano Marui.jpg
中野マルイ(2012年9月撮影)

日本チェーンストア協会会員であり、新宿渋谷といった都心部の鉄道駅至近を中心に店舗を展開している。

家具の割賦販売をルーツに持ち、戦後は月賦百貨店として「500円で5,000円のお買い物!」の宣伝文句の下、家具や家電といった耐久消費財の割賦販売により事業を拡大。1960年(昭和35年)1月に日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」を発行した[1]1981年(昭和56年)2月に「丸井のキャッシング」という名称を使用した「消費者金融事業」を開始した[1]

1972年頃より若年層をターゲットにしたアパレル・ファッション中心の小売業態に転換し、DCブランドブームからはファッションビル形態の店舗を展開。このため店舗によっては、競合関係にあるパルコと類似した売場となっている。いわゆる百貨店に似た店舗運営であるが、日本百貨店協会会員でないことや、デパートの代表的な売場であるデパ地下と呼ばれるような食品売場を展開していない店舗が多いこと、自らも明確に百貨店という表現を用いていないことなどから、百貨店ではないとの見方をされることも多い。

しかし、日経流通新聞は「日本の百貨店調査」の中で注目企業として記事を組んだ[2] こともあるほか、「一つの事業者が複数の分野にわたる多種類の商品を一つの店舗で扱う大規模な小売店舗で、セルフサービス方式の売り場が50%以下のもの」[3][4] に適合し経済産業省商業統計調査における百貨店の定義に当てはまる(パルコなどの他のファッションビルも当てはまる)。

しかし、会社概要では小売事業としており、百貨店事業とする他の百貨店とは異なる。Yahoo! JAPANでは、デパートではなくファッションビルとしてカテゴリ分けされていた[5]。小売事業ではファッションを軸に、家具・雑貨・メガネ・宝石など、多くの商品を自前主義で展開してきた。小売事業には、食品レストラン通信販売Eコマース事業も含まれる。若者をターゲットにした事業展開を行ってきたことから、首都圏では大きな若年層シェアを獲得している。

ファッションのイメージが強い丸井であるが、経営上は同等、あるいはそれ以上に金融業を重視している。元々月賦百貨店のため割賦販売のノウハウを蓄積し、小売と金融を一体とした事業を長く行っている。店舗においては自社カードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業からも収益をあげている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。現在は「エポスカード」としてグループのカード事業は持ち株会社への移行に伴い、株式会社丸井とは分けられている。

かつてはテレビコマーシャル駅のソバの丸井」「赤いカードの丸井」のキャッチコピーのもと、駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高め、かつてのDCブランドブームに乗って若年層を取り込んだ。店舗形態は、丸井、マルイシティ、マルイファミリーなどがある(後述)。

本社は創業地である東京都中野区中野中野駅北口の本社ビル、南口にグループ各社、マルイグループユニオン、マルイグループ福祉会、丸井健保組合などがある。

社名の由来は1931年富山県出身の創業者・青井忠治が月賦商の「丸二商会」から暖簾分けして新しい店を構え、店名を「丸井」としたものだという。当時は「丸」に自分の名前や姓を加えると繁盛するというジンクスがあった[6]

なお、北海道にある百貨店の丸井今井との関係はない。

年表

店舗展開

ファイル:マルイシティ1新宿 2007.jpg
マルイシティ新宿1(2007年2月) 現:新宿マルイアネックス
ファイル:Vinawalk.jpg
マルイファミリー海老名(神奈川県海老名市の複合商業施設ビナウォークの中核店舗)
ファイル:Kokubunjistation.JPG
国分寺マルイ東京都国分寺市、「CICI」マーク(旧ロゴ)採用例の1つ)

概略

店舗展開としては長らく関東圏に限ってきたが、近年では関東圏を脱し全国展開を視野に入れている。

東日本
西日本

丸井には、駅前出店を基本とした多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合など、積極的なスクラップ・アンド・ビルド戦略を展開している。ただし、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。また、業態変更によって実質「丸井」としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→無印良品館→ドン・キホーテ、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する[10]

また米国の百貨店チェーンの様にプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場などに力を入れ、旧来型の日本の百貨店からの脱却を図っているほか、また従来の画一的な展開から、「商圏に適したきめ細かい展開」に切り替えている。

「商圏に適したきめ細かい展開」は店舗デザインにも及ぶ。現在多くの店舗の外観は「OIOI」マークを使用している。これは古くからある店舗に現在も残る、丸の右下が切れた形の「CICI」マークのブラッシュアップと言える(「CICI」マークの店舗においても、店内掲示物などには「OIOI」マークを使用するケースも目立ってきている)。また、関東・静岡地区で1990年代に開業・改築した店舗の一部には「MARUI」マークが用いられているところもある。これは当時、エリアごとの店舗展開を模索し始めており、その際のイメージのひとつが形になったものである。なおその後、「MARUI」マークを採用した店舗もリニューアルなどを機に「OIOI」マークへ変更するケースもあり、ブランドの再統一へ方向転換した模様である。

既存店舗とは別の道を模索する動きも見られ、その一環として2007年(平成19年)5月に宅配大手のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、在庫の調達管理から新たな通販ビジネス開拓への方針展開を目指す方針であると発表された。

一方、2007年(平成15年)貸金業法改正や、2009年(平成17年)リーマンショックの影響によるグループの業績悪化を受けて、小売事業の方針を順次転換した。具体的には、顧客ターゲットを若年層から全世代に拡大し、ファッション等の商品に代表されるモノ消費中心の売場展開を減少させ、飲食等の体験に代表されるコト消費をターゲットにした売場展開の割合を増加させること等である。2014年(平成22年)頃からは、消化仕入方式による百貨店型の店舗運営を順次減少させ、テナントからの安定的な家賃収入による不動産型のSC・定借化へ切り替えを進めており、2019年3月までに対象区画の100%を不動産型とする予定である。同じくSC・定借化運営であるモディの多店化も併せて、売上より利益重視へ収益構造の転換を進めている。

個別売場、テナント
  • 長らくファッションを中心とした消化仕入方式による百貨店型の店舗運営をとり、収益についてもテナントの売上高に左右される形態であった。しかし、モノ消費からコト消費へのニーズの変化や、安定的な収益確保をにらみ、SC・定借化による不動産型の店舗運営へ転換を進めている。テナントの内容についても顧客を交えた会議の実施等に基づき、低層階に飲食のテナントを配置するなど、ファッション中心の店舗構成からライフスタイル中心の店舗構成へ移行している。
  • かつては丸井としての電化製品売場が、専門館以外の店舗に存在した。現在は、北千住店・国分寺店・マルイファミリー溝口の3店舗にノジマがテナントとして出店している。それ以外の店舗は、近辺にヨドバシカメラビックカメラヤマダ電機(LABI)などの大型家電量販店が出店しているなどの理由により、直営による電化製品売場は存在しない。
  • 少なくとも、昭和40年代後半から60年ごろにかけて、東京都心部の一部や地方の狭小店舗、また専門館を除いた全店舗最上階には、森永フードサービス(現:エムエフエス株式会社、当時は森永製菓子会社)運営による「森永レストラン」が併設されていた。その後昭和60年代に入り、順次森永レストランは閉鎖され、2014年現在では森永レストランが併設されている丸井店舗は存在しない。

出店形態

  • 丸井(マルイ)- 一般型店舗。古くからある店舗は漢字表記(丸井○○店)、1980年代以降に開店した店舗はカタカナ表記(○○マルイ)である。なお、前述の通り古くからある店舗においても、改装や改築を経て店舗名称をカタカナ表記へ変更する例がある(静岡店、柏店など)。
  • マルイシティ(OICITY)- 都市型店舗。横浜のみ。かつては新宿(現在はワン、アネックスに改称)上野(現在は上野マルイ)、池袋(現在は池袋マルイ)および渋谷(現在は渋谷モディ)にも存在した。
  • マルイファミリー - 郊外型ショッピングセンターを意識。食料品も扱う。溝口、海老名、志木の各店舗。
  • まるい食遊館 - 食料品専門店。国分寺、戸塚、北千住、溝口など。柏は類似形態の"Kashiwa Roots Table"。かつては上野店(現・上野マルイ)と錦糸町店(現・生鮮館ジャパンミート)の2店舗にも入っていた。
  • OIOI The DISH - レストラン街。新宿アネックス、上野など。錦糸町は類似形態の"錦糸町ダイニング 0141"。北千住は類似形態の"千寿万彩"(せんじゅまんさい)。

過去

  • マルイジャム - ファッション激戦区・渋谷の立地に対応したレディス専門店。現在は渋谷マルイへ変更。
  • マルイミニ - 一般・小規模店舗。現在は店舗なし。立川(→モディ→現ロフト)、町田(現町田マルイ)にあった。
  • in The Room(インザルーム) - インテリア専門店。現在は単独店舗は存在せず、また2013年3月10日を以てテナント形態のショップも全店舗営業を終了した[11]
  • FIELD(フィールド) - スポーツ用品専門店。新宿店スポーツ館のリニューアルに伴い新たに作られた形態。後に池袋店スポーツ館もこの名称にリニューアルした。
  • VAT - ティーンズ世代のファッション専門店。マルイの109とも言われていた。かつては柏店の2つある建物のうちの1つがVATであったが、現在は店舗なし。
  • マルイザッカ - ファッション雑貨専門店。現在は店舗なし。
  • マルイヤング - ヤングファッション専門店。新宿と渋谷にあったが前者はカレン→閉鎖、後者はジャムとなり店舗なし。
  • マルイビィ- 一般。町田大丸の跡地に開設された「丸井町田店B館」である。2006年(平成18年)9月に町田モディとなり、名称は消滅。

新宿マルイの出店形態

新宿マルイは2018年現在、以下の形態で店舗展開を行っている。いずれも正式名称には「新宿マルイ」が付されており、2009年(平成21年)に「新宿21.1世紀」のコンセプトを掲げた大幅な店舗再編によって、現在の形態となっている。

  • 本館 - 2009年4月24日オープン。
    「サード・プレイス」というテーマを掲げ、女性をターゲットにしたライフスタイル店舗としてオープン。雑貨やサロン、カフェ・スイーツの他、屋上庭園「Q-COURT」を揃える。
  • アネックス - 2009年9月18日リニューアルオープン(名称のみ4月24日より変更)。
    アネックスは英語で「別館」を意味する。リニューアル当初は、社会人男性をターゲットとしたライフスタイル店舗として、メンズを中心にレディースやキッズ、雑貨やホビーなどを展開。その後、外国人観光客をターゲットとした物販ショップや、アニメ・サブカルチャーを取り扱う店舗が入居している。リニューアル以前より、8階のレストランと9-13階の映画館「新宿バルト9」が入居している。
  • メン - 2009年9月18日リニューアルオープン(名称のみ4月24日より変更)。
    メンズ専門店。屋上にはイベントスペースがあり、定期的にアイドル等のイベントが行われる。

なお、かつては上記3店舗のほかに、同じく2009年に以下の2店舗もオープンまたはリニューアルオープンしたが、その後閉店している。

  • カレン - 2009年2月27日オープン。2012年3月25日閉店。
    ファストファッション」をテーマとしたレディース専門店。店内にはユニクロヴィレッジヴァンガードも出店していた。店舗名称のカレンとは、英語で「最新の」などを表す「Current」と、日本語の「可憐(Karen)」の2つの意味がある。
  • ワン - 2009年2月20日オープン。2013年9月25日閉店。
    個性派ファッションの揃うレディース専門店。若手クリエイターの発掘・育成を掲げた。

丸井の本店は中野であったが、2007年(平成19年)に一時閉店。その後、2011年(平成23年)1月に再開店して本社も中野にあるが、店舗の売場面積上、現在の事実上の旗艦店は新宿3丁目(伊勢丹前)の新宿通り沿いに2009年(平成21年)にできた「新宿マルイ本館」である。新宿には丸井が入居するビルが6棟存在し、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、これまでたびたび店舗(出店形態)の移動があった[12]

出店形態ごとの立地の変遷
ファイル:MARUI City Shinjuku 2.jpg
新宿3-1-20に所在していたマルイシティ新宿2(2007年)
  • マルイシティ→マルイ本館
    新宿3丁目の伊勢丹前にあったそれまでの旗艦店「マルイシティ」は、A館・B館をまとめて取り壊して建て替えることになったため、2007年(平成19年)2月9日にオープンした新宿3丁目の東映映画会館跡地の新宿三丁目イーストビル(新宿バルト9)と新宿3丁目交差点前(伊勢丹南東対角線上の建物。「フィールド」跡地)に分割して移転し、それぞれ、「マルイシティ1」、「マルイシティ2」と改称した。旧「マルイシティ」跡地には、2009年4月24日に新宿地区の新たな旗艦店「新宿マルイ本館」が新規に開店した。
  • メンズ館→マルイメン
    新宿3丁目交差点前にあった「メンズ館」は、1998年(平成10年)9月に靖国通り沿いの新宿5丁目交差点前にある旧・インテリア館に移転して、「マルイメン」と改称した。
  • フィールド
    1992年(平成4年)9月に、伊勢丹東側の明治通り沿い(現在のコメ兵)に開店した「フィールド」(1984年(昭和59年)4月開店のスポーツ館が前身)は、1998年9月に新宿5丁目交差点前の「マルイメン」の裏に移転した後、2004年(平成16年)に新宿3丁目交差点前の旧・マルイザッカ館跡地に移転し、さらにその後「マルイヤング」の地下に移転した。
  • マルイワン
    旧・フィールド跡地に1998年9月にできた「マルイワン」は、2005年(平成17年)3月に「マルイヤング」の5-9階に移転した。
  • インテリア館→インザルーム
    新宿5丁目交差点前に1984年(昭和59年)に開店した「インテリア館」は、1998年に一旦閉店した後に、2004年(平成16年)2月に甲州街道と明治通りの交差点の新宿4丁目交差点前の京王新宿追分ビル(ヴァージンメガストア跡地)に「インザルーム」として再出店したが、2013年2月28日に閉店した。
  • ヴァージンメガストア
    ヴァージン・メガストアーズとの合弁出資により展開していた「ヴァージンメガストア」は、当初マルイシティ地下1階に1990年(平成2年)に開店した後、京王新宿追分ビルに移転。その後経営不振で2004年1月に閉店、2005年には株式も売却され丸井の関連会社ではなくなった。

2009年(平成21年)は「新宿21.1世紀。」のコンセプトを掲げ、全店舗改装・リニューアルを行い、新たに「新宿マルイ」の総称が入れられた。まず2月20日にマルイシティ-2を「新宿マルイワン」へ、2月27日にマルイヤングを「新宿マルイカレン」へ、それぞれ一新した。また前述の通り4月24日には新宿マルイの新たな旗艦店舗になる「新宿マルイ本館」がオープンした。その他の既存店舗も順次改装を行っており、インザルーム新宿本店は4月24日にリニューアルが完了し、またマルイシティ-1・マルイメンが初夏から秋にかけて、それぞれ「新宿マルイアネックス」「新宿マルイメン」にリニューアルされた。ただし店舗名称はマルイ本館オープンと同日にいち早く変更された[13]。なお、フィールドはマルイメン8階に移転したほか、女性向けランニング用品ショップをマルイ本館5階に、さらに9月からはアウトドア用品ショップをマルイアネックス7階に展開する。またマルイカレンは新宿3-17の路地にも別館がある。新宿ピカデリーの南側にある伊勢丹駐車場の裏だが、"OIOI"の看板とドアノブが見えるのですぐに見つかる。

「新宿マルイ」に刷新後も店舗再編が行われており、インザルーム新宿本店は2010年(平成22年)2月28日に、新宿マルイカレンは2012年(平成24年)3月25日に、それぞれ閉店している。なお、マルイカレンは閉店後も引き続き丸井が「丸井新宿東口ビル」としてビル管理を続けていたが、2016年9月末約130億円で売却した。2012年6月よりいくつかのテナントが入居しているが、2018年現在も営業を継続している。また2013年(平成25年)秋にも再編が行われ、マルイワンがマルイアネックスと統合する形で閉店した(マルイワンで営業していたテナントの多くがマルイアネックスに移転した)。これにより、アネックスにもレディース用品売場が新設されたほか、本館にメンズ用品売場も新設されている。

立地ごとの出店形態の変遷
  • 新宿3-30-16(現在の「新宿マルイ本館」の場所。旧帝都座(新宿日活)の場所)
    ニュー新宿店→ファッション館→マルイシティ(初代)→(取壊・建替)→マルイ本館
  • 新宿3-18-1(かつての「新宿マルイカレン」の場所)
    新宿店→ヤング館→マルイヤング→マルイヤング・マルイワン(その後フィールドも加わる)→マルイカレン→丸井新宿東口ビル→売却(ビルは存続)
  • 新宿3-17
    マルイカレン別館→2012年(平成24年)3月25日閉店
  • 新宿5-16-4(新宿5丁目交差点前の現在の「新宿マルイメン」の場所。ここのみ屋上看板が旧CI)
    新宿三光町店→(旧中野輸送新宿配送センター)→インテリア館→インテリア館A館/B館(新宿5-16-8に別棟建設)→マルイメン/フィールド(新宿5-16-8)→マルイメンA館/B館(新宿5-16-8)→マルイメン/M&Cシステム本社(2011年中野マルイ内に移転)(新宿5-16-8)→マルイメン/株式会社北川(賃貸ビル業、別会社)(新宿5-16-8)
    • 新宿5-16-8にインテリア館B館を建設した際、A館との間に連絡通路(3階・7階)を設けた。インテリア館B館では家電製品などを扱った。マルイメン/フィールドに業態変更後も2棟の建物で営業していたが、マルイメンB館閉鎖後のマルイメンリニューアルに際し、旧B館は売り場から系列会社のオフィスに変更され、連絡通路は閉鎖・撤去されている。
  • 新宿3-1-20 (新宿3丁目交差点前のかつての「新宿マルイワン」の場所。JTBブラザー工業との共同ビル)
    スポーツ館→メンズ館→マルイザッカ→インザルーム→フィールド→マルイシティ2(2代目2号館)→マルイワン→2013年(平成25年)9月25日閉店
  • 新宿3-1-13 (新宿4丁目交差点前のかつての「インザルーム新宿本店」の場所。京王新宿追分ビル。旧・京王線線路敷)
    ヴァージンメガストア→インザルーム→FOREVER 21新宿店(別会社)
  • 現在のコメ兵の場所(建物自体は武蔵野興業が管理する賃貸ビル。旧・新宿松竹館の場所)
    フィールド→マルイワン→(空家)→コメ兵新宿店(別会社)
  • 新宿3-1-26 新宿三丁目イーストビル東映映画会館跡地。現在の「新宿マルイアネックス」の場所。上層階は「新宿バルト9」)
    (東映跡地に新築)→マルイシティ1(2代目1号館)→マルイアネックス

現在の店舗

モディ渋谷(旧・マルイシティ、東京都渋谷区)写真はリニューアル前
渋谷マルイ(旧・マルイジャム渋谷、東京都渋谷区)
上野マルイ(旧・マルイシティ上野 東京都台東区)
錦糸町店(東京都墨田区)
有楽町マルイ(東京都千代田区)
北千住マルイ(東京都足立区)
吉祥寺店(東京都武蔵野市)
水戸店(茨城県水戸市)
静岡マルイ(静岡県静岡市葵区)

既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。

  • ◎がついている店舗:前述の「MARUI」マークを使用している店舗
  • △がついている店舗:旧ロゴ(CICI)を使用している店舗

東京都

新宿区
  • 新宿マルイ本館
    2009年(平成21年)4月24日、初代マルイシティ新宿跡地に新築オープン。
  • 新宿マルイアネックス(旧・マルイシティ新宿-1)
    2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。8Fにレストラン街OIOI The Dish。2013年(平成25年)10月5日に旧マルイワンにて営業していた多くのテナントが移転入居した。
  • 新宿マルイメン(旧・マルイメン新宿)- △
    2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。
渋谷区
  • 渋谷マルイ
    1958年(昭和33年)10月「丸井渋谷店」として開業[1]。その後「丸井渋谷店ファッション館」となり、1985年「丸井渋谷店ヤング館」にリニューアルされ、2004年の改装後、「マルイジャム渋谷」となる。2015年4月24日、改装終了と共に「渋谷マルイ」に改称。
豊島区
足立区
  • 北千住マルイ(千住ミルディスI番館内)
    当初はそごうの出店計画があったが断念し、ロビンソン百貨店との競願の末、丸井が出店した。
    丸井全店舗の中で最も売場面積の広い店舗となっている。
    まるい食遊館が入居。OIOI初のBLUE MOON BLUEが出店し、4階に入っていたが、2012年2月3日をもって閉店した。
台東区
  • 上野マルイ(旧・マルイシティ上野)
    京成上野ビル・中村ビル内。京成百貨店から譲渡を受け、1985年8月24日「丸井上野店」として開業。9FにOIOI The Dish。
墨田区
  • 錦糸町店
    都電錦糸堀車庫跡地。1983年(昭和58年)9月開業[1]。。2017年(平成29年)6月ユニクロが閉店しB1階に生鮮館ジャパンミートがオープン。7Fに"錦糸町ダイニング 0141"がある(形態的にはOIOI The Dishに近い)。インザルームも閉店した。売上高127億円(2015年度)。
千代田区
  • 有楽町マルイ(有楽町イトシア内)
    2007年8月末に大井町店閉店後の入れ替えとして10月にオープン。
    売上高230億円(2015年度)。
中野区
武蔵野市
国分寺市
  • 国分寺マルイ(セレオ国分寺内) - △
    丸井初の駅ビル出店(1989年(平成元年)3月)。「丸井国分寺店」→「マルイファミリー国分寺」を経て現在に至る。売上高135億円(2015年度)。
町田市
  • 町田マルイ
    1980年(昭和55年)9月開業[1]
    売上高56億円(2015年度)。

神奈川県

埼玉県

  • 大宮マルイ
    1983年(昭和58年)9月開業[1]
    大宮駅西口DOMショッピングセンター内。ダイエー大宮店と同居。売上高95億円(2015年度)。
  • 草加マルイ(旧・丸井草加店→草加マルイ&アウトレット) - ◎
    草加駅東口の「アコス北館」のキーテナント。2009年(平成21年)4月25日リニューアル。「草加マルイ&アウトレット」から「草加マルイ」に変更後、現在も2,3階にアウトレット店舗を展開している。売上高45億円(2015年度)。
  • マルイファミリー志木
    志木市による志木駅東口再開発ビル「フォーシーズンズ志木」の大半を賃借して出店。2000年2月開店。売上高121億円(2015年度)。

千葉県

  • 柏マルイ(旧・丸井柏店→丸井柏店ファースト館→柏VAT) - △(屋上看板のみ)
    柏駅東口の「柏駅前第一商業協同組合ビル」内(ファミリかしわと同居、旧:国鉄用地)。2016年(平成28年)4月28日に旧「柏VAT」をリニューアルし、「柏マルイ」としてリニューアルオープン[14][15]。これまでの丸井柏店にはなかった食料品売り場「Kashiwa Roots Table」が2階に設けられる。これまでに以下のような経緯をたどっている。
    • 1964年(昭和39年):「日本屋ビル」(現在は東口駅前広場の一部・建物は現存せず)に「丸井柏店」をオープン
    • 1973年(昭和48年):その後柏駅の再開発により、「丸井柏店」を現在の「柏マルイ」が営業しているビルに移転
    • 1996年(平成8年)2月:二番街商店街付近に新たに建設された店舗(柏駅南口徒歩1分程度の二番街商店街内の、オープン当時は長崎屋柏店(現:ドン・キホーテ柏駅前店)に隣接する位置)に移転オープン[16]。この建物は、縦看板や入口などに、草加マルイや水戸店などで使用の「MARUI」ロゴを使用していた。この移転により、現在「柏マルイ」として営業しているビルについては、専門店の「ファースト館」として営業した後、「柏VAT」としてリニューアルされ、柏市内の丸井は2館体制となった。前述のとおり、「柏VAT」は若者向けの商品に特化しており、かつてはVATで商品を買うとついてくる、通称「VAT袋」を持つことが、周辺の中高生の流行でもあり、1つの特徴でもあった。
    • 2016年(平成28年)4月20日:「丸井柏店」(二番街商店街付近の建物)を一時閉鎖。柏市内では2館体制から単独店舗となる。
    • 2016年(平成28年)4月28日:「柏VAT」を、「柏マルイ」にリニューアル(このリニューアル工事に伴い、「柏VAT」の大方のテナントは2016年2月までに閉店。3月から「柏マルイ」リニューアルまでは、「柏マルイ」以降も営業を継続する店舗だけで、規模を縮小した営業であった)。
    • 2016年(平成28年)10月27日:旧「丸井柏店」(二番街商店街付近の建物)を「柏モディ」として開業。

茨城県

  • 水戸店 - ◎
    1970年9月に、高島屋ストア水戸ローズランドが入居していた「中村ビル」左隣に開業[17][18]。1988年当時の旧店舗の売り場面積は、4,629m2[18]。旧店舗解体後、跡地は現在「水戸ノースフロントビル」として、ローソン水戸駅北口店などが営業。
    1993年(平成5年)2月に、 水戸駅北口再開発ビル「MYM」に移転開業した。丸井は、「MYM」の2階以上に入居。1階・地下1階は別テナントが入る専門店街となっている。
    2011年(平成23年)4月15日に、6階にアカチャンホンポがオープン(本来は2011年3月オープン予定だったが、前述の水戸店震災被害によりオープンが遅れた。
    ピーク時には156億円を売り上げた年もあったが、2016年度は24億円まで落ち込んだ。また、2010年代に入りエクセルみなみや水戸OPA水戸サウスタワー)などの開業も重なり苦戦し、2018年9月17日をもって閉店することが決定[17]。撤退後はやまきによりオフィスと商業施設の複合施設として2019年秋にリニューアルされる予定[19]

静岡県

  • 静岡マルイ(旧・丸井静岡店 A館) - ◎(2016年秋まで)
    店舗自体の出店は1969年(昭和44年)9月開業[1]。かつてB館として営業されていた一部に6階建ての店舗として開業。売上高49億円(2015年度)。
    1994年(平成6年)2月、旧館裏手に新築されたA館が、また1995年(平成7年)2月[20]、旧館に隣接する敷地にB館がそれぞれ完成。旧館を一旦営業休止し解体。その後旧館部分を建て替え、既に完成していた部分と合体させ「新・B館(愛称:けやきプラザ)」が完成しグランドオープン。のち現在に至る[21]
    完成当時は新ロゴのひとつとして「MARUI」を採用(ほぼ同時期に移設開店した水戸店・柏店、新規開店した草加店も同様)。またA館とB館の間の道を「けやき通り」と命名、A館建設と同時に街路整備を行うなど、周辺と一体化した整備を行った。
    • 2016年、B館を一時閉鎖の上、同年11月19日に「静岡モディ」としてリニューアル。同時にA館を「静岡マルイ」として単独店舗化[22]。なお、これに合わせて店舗外観のロゴも「MARUI」から「OIOI」マークへと、一部を除き変更されている(2016年11月時点)。

京都府

  • 京都マルイ

大阪府

  • なんばマルイ

兵庫県

  • 神戸マルイ

福岡県

  • 博多マルイ
    KITTE博多1F - 7F。2016年4月21日開業。

過去に存在した丸井の店舗

東京都

戦前、東京都内に数店舗、クレジット専用センター(現在の“ゼロファースト”店舗とは別組織)として八重洲、新橋、赤羽など数店舗があった。

中野区
ファイル:Marui Nakano Head Store.jpg
丸井中野本店(2006年12月撮影)
  • 中野本店(A館・B館)
    2007年(平成19年)8月26日閉店、建物を一旦取り壊して跡地に本社関連施設を建設予定であったが、地元の陳情を受け、店舗と本社機能オフィスの複合ビル建設に計画を変更[23] し、上記の「中野マルイ」として2011年(平成23年)1月28日に営業を再開した。
    大丸ピーコック中野店も休業扱いだったが、中野マルイ開業時に「ピーコックストア@中野マルイ」として営業再開。
    メガネ売場は「良眼工房byOIOI」として中野5丁目・サンモール商店街内に一時移転し、中野マルイ内に再移転。
    旧B館跡地にはマンションが建設されたため、旧A館跡地のみでの営業となる。
  • 新井薬師前駅前店
    大和銀行新井薬師出張所→現在は、GAIAに。
豊島区
  • フィールド池袋店(旧・丸井池袋スポーツ館)
    閉店後はマルイシティ池袋の5階に入居していた(その後閉店)。元の場所はビックカメラ池袋西口店に。
  • インザルーム池袋
    2007年(平成19年)8月19日インザルーム新宿本店(当時)に統合、閉店。
  • 池袋ゼロファースト
    西武の高速バス窓口となり、OKI製ATMは高速バス乗車券販売機に取って代わられた。
板橋区
  • 成増
    成増名店街ビルにテナントとして入居していた。丸井退店後ビルは建て替えられダイエー成増店となっている。
新宿区
  • フィールド新宿店(初代。現店舗とは違う場所にあった)
    フィールド閉店後「マルイワン新宿」となるが、「マルイワン新宿」はマルイヤング新宿内5階-8階に移転。外装はそのままに「コメ兵買取センター」となる。
  • マルイシティ新宿-1
    2009年4月24日、新宿マルイアネックスに改称、同年9月18日に内装完成しリニューアルオープン。
  • マルイシティ新宿-2
    新宿マルイワンとしてリニューアルオープン(その後は後述)。
  • マルイヤング新宿、マルイワン新宿(マルイヤング内5階-8階)
    新宿マルイカレンとしてリニューアルオープン(その後は後述)。マルイワン新宿は新宿マルイワンとして、マルイシティ新宿-2跡に移転。
  • 高田馬場ゼロファースト
    郵便貯金「高田馬場駅前出張所」とともに撤退。現在は「眼鏡市場」に。
  • 新宿西口ゼロファースト
    西新宿1丁目 - 国際証券→ゼロファースト→廃止→セブン-イレブンに。
    西新宿7丁目 - 加藤ビル内→りそなクイックロビーに。
  • インザルーム新宿本店
    2004年1月に閉店したヴァージン・メガストア新宿店の建物に開店。2010年(平成22年)2月28日閉店。跡地にFOREVER 21が出店。
  • 新宿マルイカレン(旧・マルイヤング新宿)
    ヤング→カレン改装時にリニューアル、屋上壁面のOIOIロゴも現行デザインになり設置位置も変更したが、2012年(平成24年)3月25日に閉店した。閉店後は丸井がビル管理者となる「丸井新宿東口ビル」としていたが、2016年9月末で約130億円で売却した。なお、丸井新宿東口ビルに出店している テナントについては、基本的に当面は営業を継続する方針だという。
  • マルイカレン別館(中野ビル1階)
    STUSSYを取り扱っていた。2009年11月にリニューアル。マルイカレン閉館と同日に撤退し、STUSSYのショップ自体は新宿3-23のヤマダ電機LABI新宿東口館の隣のビルに2012年(平成24年)4月21日に移転オープン[24]
  • 新宿マルイワン(旧・マルイシティ新宿-2)
    2013年(平成25年)9月25日を以てマルイアネックスと統合する形で閉店。
  • 新宿駅前店
    新宿進出1号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。
  • 新宿西口店
    新宿進出3号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。
  • 新宿三光町店
    新宿進出2号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。中野輸送新宿配送センターを経て新宿インテリア館A館・B館として再度店舗化。
渋谷区
  • マルイヤング渋谷
    マルイジャムに名称変更の後、シティ渋谷が渋谷モディにリニューアルするのにあわせ、渋谷マルイに名称変更。
  • マルイワン渋谷(旧・インザルーム渋谷店)
    現在は改装されニトリ。ニトリの旗艦店が出店となっている。
  • マルイシティ渋谷
    1976年開業、当時は小規模店舗で「丸井渋谷店インテリア館」だったが、1985年のリニューアルとともに増床開店をし、「丸井渋谷店本館」となり、1998年の改装後、「マルイシティ渋谷」となる。2015年4月19日を以て一時閉店となり、同年11月19日に渋谷モディとしてリニューアルオープン。
目黒区
  • インザルーム自由が丘(旧・自由が丘店)(目黒区北沢2-15-14[7]
    1955年(昭和30年)11月開業[1]
    2棟ある建物のうち1棟はパチンコ店として利用されているが、もう1棟は現在、日能研自由が丘校となっている。
  • 玉電大橋
    玉電の大橋電停前にあった。現在は丸正食品目黒大橋店となっている。
杉並区
  • 高円寺
    創業当時から存在した店舗。主に家具を扱った。1965年(昭和40年)頃中野本店に統合、閉店。
  • 西荻窪店
世田谷区
  • 下北沢店(世田谷区自由が丘2-11-12[7]
    下北沢店として開店、末期は新宿店の分館。閉店後はマルイアウトレットストア「下北沢オルタネイトキングダム (Altern8Kingdom)、「J-CREW」下北沢店などを経て「final index下北沢」として営業していたが、2008年(平成20年)9月28日に閉店。
品川区
  • 大井町店
    有楽町マルイ開店に伴い2007年(平成19年)8月31日閉店。「男の館」と「女の館」の二棟に分かれ、渡り廊下で結ばれていた。閉店以前から店舗を縮小して営業しており、「女の館」一階はテナントとして西友丸井大井町店が入居していた。丸井は閉店したが西友は大井町店に改称し営業を続けている。丸井に代わって両棟ともヤマダ電機の都市型店舗「LABI品川大井町」となった。旧「男の館」が「住まいる家電館」、旧「女の館」が「AV・デジタル館」となっている。
  • 西小山店
  • 荏原店
大田区
武蔵野市
  • 吉祥寺北口店
    スクラップアンドビルド第1号となった小型店。
  • 無印良品館(旧丸井キャンバス吉祥寺)
    1993年から1997年1月までヤングカジュアルなレディースブランドなどを取り扱った丸井キャンバス吉祥寺店で、、1997年2月に改装オープンとともに((無印良品))を取り扱った丸井オリジナル専門店無印良品館がオープンしたが、2013年9月のリニューアルオープンに伴い本館の6階に無印良品が移転をし、現在はドン・キホーテ吉祥寺駅前店となる。
立川市
  • マルイミニ立川(旧・立川店)(立川市曙町2-7-17[7]
    2007年(平成19年)8月12日閉店。その後、立川モディとしてリニューアルオープンをしたが、2012年5月27日をもって閉店をした。そのあとの2012年8月30日にロフトがオープンをし、新・立川ロフトとなる。
日野市
  • 豊田店
八王子市
町田市
  • マルイビィ町田
    町田モディとしてリニューアルオープン。

神奈川県

ファイル:KawasakiLeFront.jpg
川崎店(2007年5月撮影)
  • 横浜関内店
    横浜店馬車道館、イセザキ館。後者が先に閉館。馬車道館はマンションに建て替え。イセザキ館は改装され、マタハリーが運営するパチンコ店に。7階・8階には、2001年(平成13年)1月から2007年3月末まで、横濱カレーミュージアムが入居していた。
    1965年に横浜伊勢佐木町店を出店。その後1980年に関内駅を挟んで向かい側に馬車道館が開店し2館体制となる。伊勢佐木町店はヤング館を経て後にイセザキ館に改称。1990年代末にイセザキ館閉館後馬車道館単独での営業となったが2000年に閉館、馬車道館の近くに有った丸井の駐車場も閉鎖・解体された。
  • 戸塚店
    1986年(昭和61年)11月開業[1]
    2006年(平成18年)9月末で閉店。「まるい食遊館」、レストラン街は営業継続、それ以外のフロアは、戸塚モディとしてリニューアルオープン。
  • 横須賀館
    1966年(昭和41年)2月25日、千日通沿いに後の別館が開店。1〜3階が丸井、4〜7階は2スクリーンの映画館や軽飲食店が入居していた[25]。映画館は後に5スクリーンまで増設されている。1975年(昭和50年)、中央大通り沿いに本館が開店。現在はともに雑居ビルとして利用されている。
  • 藤沢店
    1979年(昭和54年)9月開業[1]
    さいか屋旧店舗 > 丸井(2006年2月まで) > 閉店 > ビックカメラ(2006年8月から)

閉店後、建物は改装され無印良品になるも、2002年(平成14年)に閉鎖。居酒屋などが入居する雑居ビルに。

  • 小田原店
    1968年(昭和43年)3月開業[1]
    本館、インテリア館→VOX館。後者が先に閉鎖。VOX館は居酒屋などが入居する雑居ビルに。
  • 川崎店
    1988年(昭和63年)3月開業[1]ヨドバシカメラと共に川崎ルフロンのキーテナント(当初は川崎西武とのキーテナントであったが、2003年8月閉店)。売上高45億円(2015年度)。
    2014年(平成26年)時点の神奈川県内最古参店舗。
    2018年(平成30年)1月14日閉店。

埼玉県

ファイル:丸井所沢店 02.jpg
所沢店(1961-2007) 看板は"CICI"のように○の右下が切れている
  • 熊谷店(熊谷市筑波2-102[7]
    熊谷駅北口ロータリー直結(バス3番のりば前)だった。1988年(昭和63年)の閉店後も建物はそのままで1階にてゼロファーストを営業していたが、2002年にゼロファーストと1店舗分のテナントを擁する平屋建てに建て直した(携帯ショップが開業したが短期間で閉店し、空きテナントのままとなっていた)。ゼロファースト撤退に伴い、地元企業により8階建てのテナントビルに建て直された(2009年)。
  • 川越店
    1970年(昭和45年)2月開業[1]
    2007年に川越モディとしてリニューアルオープン。
  • 所沢店(A館(埼玉県所沢市日吉町10-21)、B館(埼玉県所沢市日吉町10-22))
    1961年(昭和36年)11月開業[1]
    「赤いカード」登場直後の1961年(昭和36年)に開店した丸井の古参店舗。衣料品の他家具(B館)・食器(B館)・家電製品(B館)等も扱い、旧系列のヴァージン・メガストア(B館)や森永レストラン(B館)も入居。丸井が創業以来取り扱ってきた商品は一通り備え、埼玉県内の中心店舗であった。また旧大井町店のようにかつてはA館を「女の館」、B館を「男の館」として営業していた時期もある。テナントとして芳林堂書店所沢店(B館)があり、森永レストラン撤退後も閉店まで別のレストラン(B館)が営業していた。A館、B館は渡り廊下で繋がっていた。2007年1月31日に閉店。同時にヴァージン・メガストア所沢店、芳林堂書店所沢店、レストランも閉店した。しばらく建物は未利用のまま閉鎖され、所沢市が再開店を要請していたが、2007年(平成19年)12月、丸井傘下のエイムクリエイツが管理する賃貸ビル「リ・クリエ所沢」(A館、B館)に業態変更した。A館には野村證券所沢支店、東急リバブルが入居。B館にはパチンコガーデン所沢店(後に店名をメガガーデン所沢と改称)、東急リバブル、ラ・パルレ所沢店(2014年(平成26年)7月に退店。その後ホットヨガスタジオカルド所沢が入居)、Beautissimo tokorozawa(美容院)、アートネイチャー、安心ダイヤル所沢中央センターが入居した。2008年(平成20年)5月1日、A館にDHC所沢直営店が新規入居。同年7月1日にはA館に河合塾マナビス所沢校、2011年(平成23年)7月にはA館に西武電設工業株式会社(西武グループ)本社・所沢事業所が入居。2012年(平成24年)7月14日にはA館に居酒屋一休所沢店が開店した。A館、B館とも空きスペースが残っており、現在もテナントを募集している。閉店時以降A館プロペ通り側は閉鎖され、一部で未改装状態のまま衣料品・インテリアなどの臨時店舗の営業が行われていたが、2016年(平成28年)8月31日、セブン-イレブン所沢プロペ通り店が開店した。セブン-イレブン以外のスペースはその後も閉鎖されている。地下駐車場は閉鎖。丸井営業時より入居している武蔵野建設株式会社(B館)(建築工事・不動産取引)は引き続き営業している。A館、B館とも建物は丸井の所有であるが地権者は複数いる。芳林堂書店は所沢駅ビル店(所沢ステーションビル。西武鉄道直営)も営業しており、所沢店閉店後も所沢駅ビル店は存続していたが、2016年(平成28年)2月26日、芳林堂書店が倒産。芳林堂書店の事業は書泉に譲渡された。2017年(平成29年)12月、所沢ステーションビルの店舗営業終了と新駅ビルGrand Emio所沢への改築が決定[26]。これに伴い芳林堂所沢駅ビル店も2018年(平成30年)2月22日に閉店となった[27]
  • 大宮店浦和館(旧・浦和店)
    浦和駅西口交番そばにあり、1964年(昭和39年)に開店し1985年(昭和60年)に閉店した[28]。閉店後は洋服のアストリア浦和店となったが2001年(平成13年)4月に閉店。同年10月にプレバブ建てで「さくらや浦和駅西口総合館」がオープンしたが、2008年(平成20年)4月に再開発事業に伴う立ち退きを理由に閉店した。現在は駐車場になっている。
  • 川口店(川口市栄町3-1-16[7]
    1972年(昭和47年)8月開業[1]
    本館、インテリア・スポーツ館。後者が先に閉店した。

千葉県

静岡県

静岡地区の店舗は昭和40年代にすべて開店しており、丸井の店舗の中でも古参であった。1990年代に入り一気に店舗の淘汰が行われたが、そのうち浜松店及び清水店の閉鎖は静岡店に経営資源を集中(前述のスクラップ・アンド・ビルド戦略の一環)するためであったとも言われている。

  • 沼津店(沼津市大手町86[7]
    1966年(昭和41年)9月開業[1]2004年(平成16年)5月閉店。建物老朽化と採算を理由に閉鎖。建物は解体済。跡地はホテルに。
  • 清水店(清水市真砂町3-1[7]
    1969年(昭和44年)2月開業[1]2001年(平成13年)1月閉店。「静岡店清水館」を経て閉鎖。建物は改装されシダックスを経て、2016年に建物解体。跡地は旧浜松店同様に結婚式場となる予定(2017年2月時点)。
    清水店の11km西に位置する静岡店は大規模小売店舗法(大店法)を根拠とする出店調整から増床が不可能であった。当時の静岡市は出店調整に大きく影響を及ぼす商業活動調整協議会(商調協)の勢力が強く、大型店が出店しにくい地域であった。清水店は売場面積の小さい静岡店の別館的存在でもあったと言われており、静岡店で取り扱えなかった商品は清水店で扱っていた。大店法廃止と伴に商調協が解散した後は、清水店で扱っていた商品の大半が増床した静岡店へ移され、清水店は規模を大幅に縮小(6階建ての建物のうち、売り場を1階・2階のみとし3階以上は閉鎖)して「静岡店清水館」となった。その後2001年(平成13年)1月に完全に閉店した。
  • 浜松店(浜松市鍛冶町220-6[7]
    1974年(昭和49年)開店、建物老朽化と採算を理由に1994年(平成6年)7月閉店、店舗面積は8111m2。建物は解体済。跡地に建設されたビルには低層階にコンプマート(後にエイデンに業態変換)が入居、三階以上はビル管理会社が運営する有料駐車場という構成となった。2009年3月にエイデンが撤退。現在その跡地には結婚式場が入居している。

茨城県

  • 土浦店(土浦市大和町4-1[7]
    1967年(昭和42年)3月開業[1]
    本館、きもの館。2003年(平成15年)閉店。現在はカラオケ、居酒屋、パチンコ店などが入居。『ぷらっと』になった。

栃木県

  • 宇都宮店(宇都宮市池上町2-29[7]
    1967年(昭和42年)、池上町の駅前大通り沿い「中村第一ビル」1-3階に開店。1970年代に道路を挟んだ南側の「丸井物産池上ビル」との2館体制となる(3階部分の連絡通路で接続)。1987年(昭和62年)7月「売場のさらなる拡大は困難」として撤退した。閉店後、中村第一ビルのフロアは地場の福田屋百貨店DCブランド専門店「EFF」として1987年11月に開店したが、10年の契約期間を満了せず7年で閉店、上階にあった映画館も2007年に休館して現在はフロア毎のテナントビルとなっている。

群馬県

福島県

  • 1975年昭和50年)11月8日開店[34] - 2008年(平成20年)2月29日閉店[35][36]、売場面積 約8,800m2[37]
    「郡山駅前共同ビル」のキーテナントとして入居[38]。開店以来、東北唯一かつ丸井北限店舗としての強みにより、西友郡山西武店(現:アティ郡山)やうすい百貨店とともに郡山駅前の集客力を県内外から牽引していた。
    、2008年の閉店から解体される2013年まで空きビル状態が続いた。郡山駅前近辺ではトポス郡山店や太田記念病院の跡地ビルも空きビルとなり、また郡山駅の真正面に位置したため、郡山駅前の中心市街地活性化において大きな課題となっていた。
    しかし、2011年(平成23年)3月の東日本大震災により建物が大規模半壊となり、地権者側の解体要請と、国や郡山市の震災復旧の支援を受けて、2014年までに解体[39][40]。跡地には、「ダイワロイネットホテル郡山駅前」や飲食店などが入る複合ビル[41] が建設された。
    閉店した以降も1階において、ビルのテナントである呉服店が引き続き営業していたが、丸井側が退去を命じたこともあり、法廷闘争に発展。その後、和解が成立し撤退した。
    また、撤退店舗では唯一側壁看板のロゴが現行の"OIOI"だった(他は旧ロゴの"CICI"等。ただし屋上看板のロゴは"CICI"であった)。

愛知県

ファイル:INTHEROOMNAGOYA.JPG
インザルーム名古屋(2009年1月撮影)
  • インザルーム名古屋
    三井不動産が開発した商業ビル「WV SAKAE(ウーブ サカエ)」の核テナントとして2007年(平成19年)1月20日にオープンしたが[42]2009年(平成21年)6月28日閉店。エポスカードのATMコーナーも撤退した。閉店後は改装され、同年10月23日にユニクロ名古屋栄店が開店したが、こちらも2016年(平成28年)8月28日を以て閉店した。

大阪府

  • 高槻店
    準備室のみ存在。JR高槻駅前の再開発ビル(現在のアクトアモーレ)に出店予定であったが、その後出店を辞退。

かつての丸井の店舗網拡大の経緯

かつては同業の緑屋(現・クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際「東北進出の足がかり」として、郡山店を開店させた。

また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順で4店舗を時期をおいて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、「商業活動調整協議会」[43] の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を大歓迎されたとも言われている)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれている)にて展開していたという。

しかし、東海道線エリアでは戸塚・藤沢・小田原といった神奈川県内の店舗を含んで、浜松、清水、沼津は既になく、東北エリア唯一の店舗であった郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗拡大も大きく軌道修正が図られている。

このほか、首都圏都市部以外の出店として、熊谷、前橋といった高崎線エリアや、宇都宮などの栃木エリアにも進出の実績があるが、すべて閉鎖されている。

現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し京阪神へ進出、また一時期は関連事業を名古屋においても展開するなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」を見て取れる。

POSシステム

ネット通販

  • マルイウェブチャネル
    2006年9月開設。自社運営のECサイト。
  • マルイ楽天市場店
    2010年12月17日開設。
  • Wowma! Brand Square
    2017年2月20日開設。

自社ブランド・外部出店

丸井が展開している自社プライベートブランド及びショップは下記の通りである。

  • ビサルノ(VISARUNO, メンズビジネス)
  • アールユー(ru, レディス)
  • マルイモデル(OI MODEL, 旧:ヤングL、大きいサイズ専門レディス)
  • ヴェリココ(velicoco,レディス靴)
  • レッドシューズ(Red shoes, レディス靴)
  • フォードットウォッチ(4 DOT WATCH CO., 時計)
  • スタジオゼロワン(STUDIOI, レディスシーズン&オケーション)
  • 良眼工房(メガネ)
  • まるい食遊館(食品)
  • フィネステリア(Finesteria, メンズギフト・デイリーグッズ)

など。

かつて展開していたブランド・ショップ

  • タスタス(tasse tasse, レディス)
  • インザルーム(in The Room, インテリア)
  • オンボード(on board, メンズカジュアル)
  • ナルーカ(Nalu:ca, サーフ)
  • シャンデリーク(chandelique, アクセサリー)
  • フォーハートジュエリー(Four Heart jewelry, アクセサリー)
  • アイスクエア オプティーク(OPTIQUE, メガネ)
  • ジュール アン ジュール(jour en jour, アクセサリー)
  • ココニー(coconie, ファッション雑貨)
  • ウェルト(W・E・L・T, 紳士靴)
  • クロスドロワー(Cross Drawer, 複合専門店)

外部専門店

最近では自社ブランドを丸井だけではなく、子会社が運営しているモディやグループ外のららぽーとなどのショッピングセンターにおいてテナントとして出店しているケース、及び単独店舗での出店が多く見られる。

テナントにおいても出店や業態変更、あるいは撤退を頻繁に行っており、特に仙台フォーラスに展開していたテナント5店舗は2009年8月までに全て撤退している。

南関東エリア

仙台エリア

東海エリア

九州エリア

アウトレットストア

自社ブランドを特別価格で提供する「マルイアウトレットストア」も各地で展開している。

閉店したアウトレットストア

丸井のクレジットカード

日本初の「クレジット」

丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード赤いカード」の存在である。

丸井はもともと月賦百貨店割賦販売による月賦払いを中心とする小売店)であった。1960年(昭和35年)に日本で初めて「クレジット」という名称を用い、アメリカから機器を輸入し「クレジット・カード」「クレジット・プレート」の発行を開始した。これは今日のクレジットカードと同一のものではなく、上顧客への月賦払いの完済証明書のようなもので、完済すると発行され、次回の買い物時に回収された[44]。したがってこのクレジットカードは、「クレジットカード」の名称は使用しているが、機能的にはクレジットカードではなかった。このカード、プレートは、販路拡大にも貢献した[44]。ちなみに同じ1960年末に日本ダイナースクラブが設立され、1961年からJCBとほぼ同時期に本格的なクレジットカードを発行を開始している。

当時は口座自動振替のシステムもなく、返済方法は店頭で直接支払うか集金員に直接支払うシステムのみであった。この集金=「回収」作業において、支払い延滞者への督促行為が時に闇金融まがいの強引な手法となることがあった。当然、現在であれば大きな問題となりうるものであるが、当時はまだ「返せないならむしり取るのが当たり前」という解釈の下そういった行為が許されていた時代でもあった。振込みによる返済が一般的になった現在でも、百貨店のクレジットカード同様に、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である。

ハウスカードから国際ブランドへ

長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1990年代初頭にDCカード及びJCBと提携・一体化した「エムワンカード」(M1カード)を発行する。世界中のVISAまたはJCB加盟店で利用できるようになったが、その分リスクが大きくなることから入会審査が厳しくなり、また支払回数の制限などもあり、あまり発行されずに終息した。

1994年(平成6年)にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年(平成12年)に元の「赤いカード」に戻した。

2001年(平成13年)にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』を発行開始した。このカードはスイッチカードという提携カードの一種で、利用加盟店が赤いカードの加盟店か、セゾン及び付加国際ブランド(VISA・Master・JCB)の加盟店かによって、請求が丸井からの分とセゾンからの分に分かれて来るものであり、さらに支払方法や請求サイクルも全く別であるなど、悪い意味で「一枚二役」のカードであった。

2004年(平成16年)10月にはカード事業を分社化し連結子会社の株式会社マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年(平成18年)3月に長年に渡って親しまれた「赤いカード」に代わり、社内公募によって決定された「エポスカード」(EPOS CARD) を新ブランド名として採用。ハウスカードから脱し、VISA付帯で汎用性を高めたICクレジットカードへと衣替えした。同時に社名も株式会社エポスカードへ変更されている。

キャッシング

1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在ほとんどの「赤いカード」・「エポスカード」で融資枠が設定されており(未成年者はショッピング専用カードとして発行)、グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。

丸井のカードは店舗従業員のノルマ達成のため、無職者や学生、低所得者層でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えることから、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と呼ばれることもしばしばある。実際に、グレーゾーン金利撤廃以前のクレジット・消費者ローン事業の営業利益額は物販事業の営業利益額を大きく上回っていた。また、カード勧誘のための「丸井のカードはお持ちですか?」のフレーズは丸井店舗での買い物精算時のいわばお決まりの儀式となっており、その勧誘行為のエスカレートがカード嫌いの層等から丸井での買い物を遠ざける一因ともなっていた。

しかし最近では、提携カード化にともなう発行基準・与信の厳格化により以前のような無秩序なカード発行はなく、また、丸井内部での評価制度の見直しなどから、こうした行き過ぎ感のある勧誘などもほとんど姿を消した。

雇用体系

2003年に、管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを実行。丸井の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず取扱商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」(労働法上の人材派遣ではない:後述)される形態をしばらくとっていたが、現在は、一部の子会社でのプロパー採用社員を除き、持ち株会社「丸井グループ」に再び人員と雇用を集約したうえで、旧販売子会社を祖とする後述の社内カンパニーでの勤務(店舗での商品販売など)をする形となっている。

従業員の転籍施策に纏わる諸問題

在籍社員の95%(5,100名:当時)を子会社に転籍させ、消費者ニーズに応え専門性を高め、経営資源の選択と集中を図るという大英断は、実施当時、株主や経済界からは一定の評価を得、同時に人件費の高騰と売上減少に悩む小売業界関係者から大いにその成否が注目された。しかし、その一方で、この改革を前後に発生した出向と転籍を繰り返す雇用形態の変更、それに伴う人事制度・給与体系等の度重なる見直しによる混乱、及び、完全成果型報酬体系がもたらす極端な年収のアップダウンにより生活設計がたてにくくなったことなどを理由に、旧来の丸井時代から会社を担っていた正規従業員らのモチベーション低下と多数の優秀な人材の外部流出を招いたといわれる。

また、当時の運営形態は各販売子会社と丸井本体との「業務委託契約」によるアウトソーシングの形であったが、実体として販社社員に対し丸井本体の管理職(店長・副店長など)が直接指揮命令を行っており、これが、いわゆる偽装請負にあたっていた可能性がある。もっとも、これは派遣法の理解不足や見解の相違がもたらした結果であり、製造業等で多発していたような最初から故意に違反行為を承知で実施した施策ではなかった。また、実際に勤務していた販社社員にはこういったビジネスモデル的な説明は転籍に際して事前にほとんどされておらず、それまでの勤務形態と比較してなんら変化を感じるものではなかったため大きな問題にはならなかった。なお、事務代行を主なサービス領域とするマルイスマートサポートなど一部の子会社を除き、丸井本体及び販売系子会社は一般・特定を問わず労働者派遣事業の許認可取得・届出はしていない。

その意味では、今回の雇用形態の再転換は事業再編による組織力の強化という目的の他に、こういった諸問題の解消という狙いが含まれていると推測される。一部の革新系政党や労働団体まで巻き込んで議論がなされた一連の転籍騒動については、現在まで、当時の関係者も含め失敗であったと認める発言等は公式の場では見られない。一説には、この施策に不満を持ち早期退職していった人材数が会社側が当初想定していたものより遥かに多かったという現実に当時の青井忠雄社長が激怒し、施策の推進に大きく関与した関係役員を更迭したといわれるが、その因果関係は定かではない。

しかし、“失われた5年間”に浪費した貴重な時間・資金、そして何より従業員のモラールダウンにともなう販売力の低下という大きな損失を招いてしまったことは否めない。同業他社を含めた大手小売業でこの改革に追随した企業はなかった。

関係会社

株式会社「丸井」及び持株会社「丸井グループ」内における、社内カンパニーと関係は以下のとおり。小売事業の他、グループの他の2事業についても触れる。

小売事業

  • 株式会社丸井(丸井店舗事業)
  • 2008年(平成20年)10月1日付で下記小売事業各社は全て社内カンパニーとして株式会社丸井に統合された。尚アウトレット・催事部は株式会社丸井の一部門から社内カンパニーに移行された。
    • パレット(旧・株式会社マルイパレット、婦人雑貨などの製造・販売)
    • エムズモード(旧・株式会社マルイエムズモード、紳士靴・紳士雑貨などの製造・販売)
    • ファッションナビ(旧・株式会社マルイファッションナビ、婦人服などの製造・販売)
    • アクセス(旧・株式会社マルイアクセス・株式会社マルイフォードットウォッチ、ジュエリー・メガネ・ウォッチなどの製造・販売)
    • フィールド(旧・株式会社マルイフィールド、スポーツアイテムなどの製造・販売)
    • インザルーム(旧・株式会社インザルーム、家具・インテリア雑貨などの製造・販売)
    • シーズニング(旧・株式会社マルイシーズニング、食料品の販売・レストランの運営)
    • ヴォイ(旧・株式会社マルイヴォイ、Eコマース・通信販売事業)
    • アウトレット(旧・アウトレット・催事部、店外催事およびアウトレット店舗の運営)

カード事業

  • 株式会社エポスカード(赤いカード事業)
  • 株式会社エムアールアイ債権回収(債権回収事業)エポスカード・ゼロファーストの不良債権の回収も請け負う。
  • 株式会社ゼロファースト(消費者金融事業)下記を参照。

小売関連サービス事業

  • 株式会社エイムクリエイツ(店装・広告・商業施設運営)
  • 株式会社シーエスシー(ビルメンテナンス・給食・警備などのビル管理)
  • 株式会社エムアンドシーシステム(情報システム事業)
  • 株式会社ムービング(運輸業)引越しや家電量販店の大型家電配達も請け負う。
  • 株式会社マルイキットセンター(物流・用度品ピックアップ・商品検品事業)
  • マルイスマートサポート - 総務(かつての店内総務)、人材派遣(丸井各店に事務系スタッフを派遣。丸井本体社員の転籍により労働者派遣の形になったもの)、教育
    ※ヴァージン・メガストアーズ・ジャパンは、2005年(平成17年)3月31日に全株式をカルチュア・コンビニエンス・クラブへ売却。
    ※マルイ旅行センターは、パシフィックツアーシステムズJTB子会社、元セゾン系)へ吸収合併、解散している。

ゼロファースト

1991年(平成3年)に消費者金融専業会社「ゼロファースト」を設立し、都市部の駅近くや繁華街のビル1階もしくは平屋建てに店舗を構え、ゼロファースト・丸井のカードのほかにクレジットカード信販会社・消費者金融・郵便貯金カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向があった。

なお、社名の【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。また、同社は消費者金融事業の他に、以前は当時の中野本店内に入居していたボウリング場(マルイボウル)の管理運営も行っていた。その後、エポスカードの子会社となった。

2006年(平成18年)11月に、丸井がゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の改正による逆風やグレーゾーン金利の撤廃により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるものあった。同社は2014年(平成16年)10月1日にエポスカードに吸収合併され、2015年9月末で新規顧客の受け付けを停止、さらに関東(静岡含む)に74あった消費者ローン店舗を段階的に閉鎖(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗をすべて閉鎖)していった。2018年現在は、エポスATM及びセブン銀行ATMにて返済を受け付けている。

海外展開

2007年(平成19年)12月に海外向け通販サイト、MARUIONE.JPが立ち上げられ、日本語、英語、フランス語の3か国語で運営されていた(2018年現在は閉鎖)。「クールジャパン」のコンセプトを基に、ロリータゴシックを含む日本のストリートファッション、漫画・アニメグッズに加え、伝統工芸品なども取り扱っていた。また、同時に立ち上げられた姉妹サイトLiveJでは日本についての情報を提供していた。

宣伝活動

テレビ

丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京キー局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。日本テレビの『スポーツニュース』(関東のみ、地方によって違うスポンサーが提供)や、『キャッチアップ』(後述)打ち切り後新たに編成された『スポーツホットライン』(TBS)への番組提供がその名残である。

知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組に各社延べ102本[45] 提供(すべて一社提供)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった[46]

当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する『ひとりよりふたり』[47]『われら夫婦』(日本テレビ)をはじめとして、『あの日あの時』『ヨーロッパ発あなたへ』(フジテレビ)、『スポニチ芸能ニュース』→『世界あの店この店』(テレビ朝日)、『各駅停車世界の旅』(テレビ東京)などがあったが、1980年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった(これらの番組の大半はスポニチテレビニュース社(当時)が制作を担当することが多かったことから、スポーツニッポンのテレビ欄での番組紹介が昭和50年代前半では多かった)。

若年層を主対象においた主なミニ番組としては、トレンド情報番組『キャッチアップ』(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する『丸井サウンドロフト』(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する『ニューヨーク情報』[48](後にスポンサー降板[49])その他の提供番組は、アメリカのニュース専門CATV局・CNNの最新ニュースを10分弱のダイジェストにまとめて紹介する『CNNヘッドライン』(共にテレビ朝日)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組『Zip's』(テレビ東京)[50]、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる「SPOPS」(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは『丸井サウンドロフト』の後番組として、大学サークルの紹介番組『ライフサイズTV コンパス』、東京の街そのものをゲームの舞台とした『チキチキバンバン』、有名人が好きなものを10個選ぶ『パーソナル・カウントダウンTen』、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた『ROOMS』など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。

一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1979年(昭和54年)にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時春の商戦では高島屋三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。ちなみに「好きだから…」のコピーを書いたのは、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。

丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「イン・ザ・ルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。これは放送期間は短かったものの、TBS系の静岡放送では『静岡新聞ニュース』での番組提供時に頻繁に放送されていた。

新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(マルイシティ上野を経て現・上野マルイ)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。

「丸井試写会」(後述)についての告知CMも提供番組内で流されていたが、丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替えられていた[51]。これは、招待券の配布店舗が東京周辺の南関東に限られていたことによる。

しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年代半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。一部には「番組提供として出している費用が、本来の番組制作にあまり使われていない」という事実を知り、比較的費用が安く上がるスポットCMへほぼ全面的に移行したことが、番組提供撤退の理由ではないかとの推測もされている。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっている。その後は一時のようなセール告知だけを行う地味なCMばかりでなく、有名タレントを起用したり、シーズン特性や流行に応じたファッション性の高いCMも再び制作されるようになってきている。

東海地区ではインザルーム名古屋の単独CMが、同店が開店してしばらくの間だけ制作・放送されていた。関連事業であり丸井本体の進出ではなかったことから、OIOIロゴは一切表示されていなかった。

なお丸井のCMはラジオも含めほぼすべてが「エイムクリエイツ」(旧・丸井広告事業社)によって現在まで制作されている。

池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)のCMソングは、大瀧詠一が制作し、歌唱もしている[52]。この曲は当時、スポーツ館内でも常時BGMとして流されており、レコードやCDでは店内で流されていたものと同じくフルコーラスバージョンで収録されている。尚、大滝が笛吹銅次としてミックスしたオリジナルバージョンと吉田保のリミックスバージョンの二種類がある。

坂本龍一が初めて手掛けたCM曲は丸井のメガネである。

2012年(平成24年)からは通販サイト「マルイウェブチャネル」の宣伝を丸井未出店エリアを含む全国で展開するようになった。当初は新聞広告や、電車の車内広告が中心だったが、2013年(平成25年)よりテレビCMも製作・放映されている[53]

かつてはクリスマス3大(恋愛至上主義の観点から3悪という皮肉もある)媒体の1社(あとはJR東海(クリスマスエクスプレス、POPEYE)と呼ばれた時代があり、87~91年のdip in the pool、92~94年のサザンオールスターズのCMも取り上げられたこともあった。

ラジオ

ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、FMヨコハマMARUI 24CLUB」を始め、数局で番組提供を持った。

また、昭和50年代半ばに 文化放送にて「パンプキンパンプキン」(パーソナリティー:加藤タキ)という女性向け15分の深夜番組を提供していた。初期は試写会のお知らせ以外のCMなし。後期はプレゼントコーナーで尾崎亜美の「FOR YOU」(「好きだから あげる」キャンペーンソング)のBGMを使用しプレゼント商品を告知することにより実質CMにしていた。

映画試写会

宣伝活動のひとつとしての「丸井試写会」(会場:中野サンプラザ)も定期的に行われていた(試写会の告知CMについては前述)。チケットは都内主要店舗で配布されていたが、晩年は余程の話題作でもない限り話題になることは少なかった。しかし、会場のお膝元である当時の中野本店では、スパークリングセールなどの催事以上に、試写会チケット争奪のために長い列ができるといった現象が起きるほど人気を博していた。創業地でもあり地元に密着した中野本店ならではの光景であり、いったん閉店した同店を住民の声に応じて再開店させるという施策にもつながっている。

スポーツ

かつては社内に野球部を持ち、プロ入り前の大杉勝男などが所属していた。

1980年代、サーフィンの大会スポンサーに積極的に進出。千葉県九十九里海岸で毎年開催されていた丸井プロサーフィン世界選手権は、多年度に渡って冠スポンサーを務め、「丸井プロ」の通称で非常に有名であった。また、他に開かれていたウィンドサーフィン大会にも後援や冠スポンサーとしてかかわることが多かった。

ちなみに、この時期には日本たばこ産業が後援するサムタイムワールドカップ静岡県御前崎で開かれており、サーフィン愛好者からは(広義の関東エリア内での大規模サーフィンイベントとして)「西のサムタイム、東の丸井」などと持てはやされていた。

印刷媒体

丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊のフリーペーパーも配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。このフリーペーパーは1990年代に入り、通販カタログ(Voi・Men's Voi)やカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。

その他

1980年代に活動していたコントグループ、コント赤信号の持ちネタとして、服装を一流ブランドで固めたリーダーの渡辺正行に「それだけ揃えるの高かったろう?」とメンバーの小宮孝泰が訊くと、「赤いカード」を出して「丸井よ!」(=全て月賦)と答えるギャグがあり、月賦の丸井の名を高めることとなった。

九州進出

2013年日本郵便JR九州と手を組み博多郵便局と近隣地域を一体で再開発することを決定したが、その再開発ビルのひとつである「KITTE博多」に丸井が核テナントとして入ることとなり、九州への進出を果たすこととなった[54]。この決定以降、福岡県内の民放テレビ5社でもテレビCMを放送するようになったが、店舗開業までまだ時間を要することから、当初は将来の顧客確保という観点も含めて、内容はハウスクレジットカードの「エポスカード」とネット通販のみとなっている。

2014年に入り、開店に向けた準備室を博多区の奈良屋町に設けた[55]。またエポスカードがハウステンボスと提携し、「ハウステンボスエポスカード」を発行[56]、これに先立ち2013年の段階から長崎地区でもエポスカードのCM放送を始めた。店舗名は、2015年7月23日に、コミュニティサイトで一番意見が多かった「博多マルイ」とすることに決定した[57]。 なお、博多出店時の報道で、九州内ではほかに熊本市北九州市への出店を検討していることを明らかにしている[9]

脚注

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 80- 82 
  2. 日経流通新聞MJは百貨店調査の対象とするだけでなく注目企業としても掲載している。「2005年度の都市別店舗売上高伸び率ランキングで丸井の好調ぶりが目を引く。東京で新宿店以下1-4位を独占。神戸では03年10月に開業した関西地区初の店舗が2ケタ増でトップに立った。今秋の大阪・難波、来秋の東京・有楽町と新店計画が目白押し。大型店大競争の台風の目となりそうだ。丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。8月13日、売り場面積8,200平方メートルの埼玉・川越店を閉めた。神奈川の藤沢店に続き、今年2店目だ。この10年で6店舗を出す一方、閉鎖は19店舗を数える。にもかかわらず、小売部門の営業利益は伸びている。川越店が開業した1970年、丸井は29店舗だったが、売り上げが10倍以上になった今は27。再配置と大型化を同時に進めてきた。だが下位にも登場するなど個店の競争力にはまだばらつきが大きく、新陳代謝が欠かせない。」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
  3. 「百貨店:衣食住の各々の売上が10%以上70%未満という風に幅広い品揃えをしており、売り場面積の50%以上において対面販売を行う業態」 商業統計 業態別統計編(小売業)<概況>|商業統計|経済産業省
  4. 「百貨店とは産業分類上の百貨店からセルフサービス店を除いたもの」通商産業省官房調査統計部「わが国の商業」とされ、セルフサービス方式(小売業のみ) [1]商品が無包装,あるいはプリパッケージされ,値段が付けられていること,[2]備付けの買物カゴ,ショッピングカートなどで客が自由に商品を取り集められる形式,[3]売場の出口などに設けられた勘定場で客が一括して代金の支払いを行う形式,の三つの条件を兼ね備えている場合をいう。商業統計調査でいう「セルフサービス方式採用」の事業所とは上記条件による販売を売場面積の50%以上で行っている事業所をいう。商業統計調査(指定統計第23号) 経済産業省経済産業政策局調査統計部産業統計室
  5. ファッションビル > マルイ - Yahoo!カテゴリ(2016年6月21日時点のアーカイブ
  6. 6.0 6.1 6.2 『ロゴの秘密』 高橋書店編集部、高橋書店、2013年、116-117。ISBN 978-4-471-19122-1。
  7. 7.00 7.01 7.02 7.03 7.04 7.05 7.06 7.07 7.08 7.09 7.10 7.11 7.12 7.13 7.14 7.15 7.16 7.17 7.18 7.19 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 20-21 
  8. 博多駅前の商業施設、核テナントが丸井に決定 日本郵便(MSN産経ニュース、2013年10月29日)
  9. 9.0 9.1 毎日新聞2013年10月30日付
  10. 「丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。8月13日、売り場面積8,200平方メートルの埼玉・川越店を閉めた。神奈川の藤沢店に続き、今年2店目だ。この10年で6店舗を出す一方、閉鎖は19店舗を数える。にもかかわらず、小売部門の営業利益は伸びている。川越店が開業した1970年、丸井は29店舗だったが、売り上げが10倍以上になった今は27。再配置と大型化を同時に進めてきた。だが下位にも登場するなど個店の競争力にはまだばらつきが大きく、新陳代謝が欠かせない。」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
  11. 同ショップのHPのトップページが「インザルームショップ閉店のお知らせ」のみの表記となっている。
  12. 「2005年度の都市別店舗売上高伸び率ランキングで丸井の好調ぶりが目を引く。東京で新宿店以下1-4位を独占。丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。再配置と大型化を同時に進めてきた。」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
  13. 新宿の6つのマルイが生まれ変わる - Fashion Press
  14. 柏マルイ リニューアルの案内”. . 2016閲覧.
  15. “「柏マルイ」リニューアルオープンについて” (PDF) (プレスリリース), 株式会社 丸井グループ 広報室, (2016年4月14日), http://www.0101maruigroup.co.jp/pdf/settlement/16_0414/16_0414_1.pdf . 2016閲覧. 
  16. 相原正義 (2005年). 柏 その歴史・地理. 崙書房出版. 
  17. 17.0 17.1 “丸井水戸店、18年秋に閉店”. 日本経済新聞. (2017年11月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23292840Z01C17A1H63A00/ . 2017閲覧. 
  18. 18.0 18.1 「「商都水戸再編3 どう図る差別化 北口戦争(中)」『茨城新聞』(茨城新聞社) 『いはらき縮刷版昭和63年4月号』360頁(1988年(昭和46年)4月22日、朝刊4面)。
  19. “丸井水戸店/9月閉店、跡地は複合商業施設に”. 流通ニュース. (2018年6月29日). https://www.ryutsuu.biz/store/k062923.html . 2018閲覧. 
  20. 丸井グループ2005年報告書より
  21. 雑貨や飲食関連、拡充 丸井静岡店が店舗構成転換 静岡新聞ニュース 2015年12月5日
  22. 丸井グループ第80期報告書 及び 2016年11月7日付、丸井グループニュースリリース より
  23. 2010年冬「丸井中野店(仮称)」営業再開します (PDF)
  24. もっともSTUSSYのショップは、新宿マルイアネックス3Fにも入居しており、こちらは引き続き営業中である。
  25. 「横須賀市に「ヨコビル」24日に開館」 『神奈川新聞』(横須賀・湘南版)1966年2月23日付朝刊、第12面。
  26. 所沢ステーションビル 店舗営業終了のご案内2017年12 月14日 所沢ステーションビル
  27. 所沢駅ビル店閉店のお知らせ芳林堂書店
  28. 「浦和市史 通史編IV」p558。
  29. 『丸井、千葉店、年末で閉店―増床できず品ぞろえ不足。』1987年10月27日付 日経流通新聞より
  30. 『丸井千葉店、年末に閉店。』1987年10月24日付日本経済新聞日本経済新聞社)より
  31. ちなみに、現在の京成千葉駅(二代目)は、当時「国鉄千葉駅前駅」という名称だった
  32. 『首都圏、大型店不採算店の整理相次ぐ、閉鎖や業態転換、地元、集客力低下を懸念。』日本経済新聞日本経済新聞社)1985年7月14日付 地方経済面首都圏より
  33. 『習志野市新エネルギービジョン報告書本編』(平成19年2月、習志野市)より
  34. 「「丸井」がオープン 大型店二番手 下見中心、福袋に人気」『福島民報』(福島民報社) 1975年(昭和50年)11月8日、夕刊3面。
  35. 「丸井郡山店が閉店 今後の跡地利用が課題に」『福島民友』(福島民友新聞社) 2008年3月1日、朝刊。
  36. 「丸井郡山店32年「幕」 商都「玄関口」巨大空き店舗抱え」『朝日新聞』(朝日新聞社)福島版 2008年3月1日、朝刊31面。
  37. 「丸井郡山店来年2月撤退へ 「手狭、品ぞろえ困難」」『福島民友』(福島民友新聞社) 2007年2月27日、朝刊1面。
  38. 「「丸井」あすオープン 初のクレジットデパート 郡山」『福島民報』(福島民報社) 1975年(昭和50年)11月7日、夕刊3面。
  39. 2013年1月25日 旧丸井ビル、年度内解体着手 13年度中に完了へ(2013年3月5日閲覧)
  40. 2013年2月14日 福島民報 あぶくま妙『【郡山駅前再開発】ビル解体後の計画急げ(2月14日)』(2013年3月5日閲覧)
  41. 2014年10月25日 福島民報 『郡山丸井跡地に複合商業施設 216室、テナント15区画』(2014年11月18日閲覧)
  42. 名古屋・栄で開発推進中の都心型商業施設「WV SAKAE(ウーブ サカエ)」平成19年1月20日(土)開業 - 三井不動産ニュースリリース
  43. 商調協。自治体・商店街・出店企業が出店をめぐって調整・協議する場
  44. 44.0 44.1 『わが国クレジットの半世紀』社団法人 クレジット産業協会
  45. 102本という本数については、静岡・福島地区のローカル番組及びローカル提供も含まれる可能性がある(ノート参照)。
  46. 在京局が関東ローカルとして制作した丸井一社提供番組を同時もしくは時差ネットしていたケースもある。
  47. この番組については、当時開局から間もなかった静岡第一テレビでも丸井の一社提供で同時ネットされていた。
  48. 『ニューヨーク情報』は放送時間が平日21:55からという、在京他局で放送されていた丸井一社提供番組と比して放送時間がかなり早いものであった。ちなみにテレビ神奈川で放送されていた『SPOPS』も比較的早い時間の番組であった。ちなみにバブル前後で早かったのはテレビ東京の『東京グラフィティ』が8:54からの実質2分番組(本編は45秒でCMが1分、15秒が提供クレジットであった)で、8:57は 花王の「女のコラム」で当時テレビ東京では平均視聴率が8パーセントから9パーセントと高かったとされている(理由は他局が前分8時54分代は地上波は教育を含め6局ともニュースだったからである)。ただし視聴率調査は15分以上の番組が公開されるので定かではない。ちなみに『ニューヨーク情報』関連として、池袋店に紹介商品の一部を展示する”New yorking"のミニコーナーが当時設けられていた。
  49. 1987年(昭和62年)には、丸井の一社提供枠がこの番組から『CNNヘッドライン』へ移動したことに伴い、スポンサーも富士通へ代わった。富士通の番組提供は、その後枠番組である『世界の車窓から』に引き継がれ現在に至っている。
  50. テレビ東京では月曜から日曜までの15分番組であったが、福島中央テレビでは10分での放送、それ以外の一部局(静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ)など)向け番版では『DAY OFF』とタイトルを改題し、番組枠はさらに短くなり5分番組となっていた(番組放送当時は「丸井旅行センター(現PTS)」のCMがこの番組のみで放送されていた)。
  51. ただし、昭和50年代の静岡地区では在京局制作の一社提供番組について、番組内でのCM差し換えをせず、そのまま放送されていたため、試写会の告知CMも見ることができた。
  52. CD『niagara CM Special』に「Marui Sports」として収録。
  53. 「マルイウェブチャネル」単独プロモーションもあれば、同一内容の商品CMを出店エリアでは「マルイ」名義で、未出店エリアでは「マルイウェブチャネル」名義でプロモーションを行うこともある。
  54. “博多駅中央街南西街区における開発計画の概要及びテナントの一部決定” (PDF) (プレスリリース), 日本郵便株式会社, (2013年10月29日), http://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2013/00_honsha/1029_01_01.pdf . 2013閲覧. 
  55. “2016 年春の開店へ向け、株式会社丸井は 博多開店準備室を開設いたします。” (PDF) (プレスリリース), 株式会社 丸井グループ 広報室, (2014年4月24日), http://www.0101maruigroup.co.jp/pdf/settlement/14_0424/14_0424_2.pdf . 2014閲覧. 
  56. “丸井グループのエポスカードとハウステンボス(株)が協業 「ハウステンボスエポスカード」を発行します。” (PDF) (プレスリリース), 株式会社エポスカード、ハウステンボス株式会社, (2014年5月9日), http://www.0101maruigroup.co.jp/pdf/settlement/14_0509/14_0509_2.pdf . 2014閲覧. 
  57. “2016年春、マルイ 博多駅前にオープン 店名は「博多マルイ」に決定” (PDF) (プレスリリース), 株式会社 丸井グループ 広報室, (2015年7月23日), http://www.0101maruigroup.co.jp/pdf/settlement/15_0723/15_0723_1.pdf . 2015閲覧. 

外部リンク

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