仁義なき戦い 広島死闘篇

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仁義なき戦い 広島死闘篇
Battles Without Honor and Humanity:
Deadly Fight in Hiroshima
監督 深作欣二
脚本 笠原和夫
原作 飯干晃一
出演者 菅原文太
千葉真一
梶芽衣子
北大路欣也
音楽 津島利章
撮影 吉田貞次
編集 宮本信太郎
製作会社 東映
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1973年4月28日
上映時間 100分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 仁義なき戦い
次作 仁義なき戦い 代理戦争
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仁義なき戦い 広島死闘篇』(じんぎなきたたかい ひろしましとうへん、Battles Without Honor and Humanity: Deadly Fight in Hiroshima )は、1973年日本映画。『仁義なき戦いシリーズ』の第二部で、製作は東映

解説

第一部撮影中に第二部の公開が決定されたが、週刊サンケイでの連載が追いつかなかったため、脚本を担当した笠原和夫は第一部と重なる1950年(昭和25年) - 1953年(昭和28年)の第一次広島抗争を舞台に、実在した二人のヤクザである山上光治(劇中:山中正治)と村上正明(劇中:大友勝利)をモデルにして、彼らにフォーカスした内容を執筆した。山中と大友という対照的な男の軌跡を描いていることから第一部のような群像劇ではなく、シリーズの主人公である広能昌三(菅原文太)も狂言廻し的役割である[1]1927年生まれの笠原和夫は大日本帝国海軍への入隊経験があるため、世代的に「復員兵である山中に思い入れが深い」と語り[1]、笠原がバイブルとする『人間の条件』(アンドレ・マルロー)のテロリスト・陳(チェン)と[2]、自身が執筆した『日本暗殺秘録』のテロリスト・小沼正[3]、山中のキャラクターに反映させている[2][3]。その一方で笠原より3歳年下の監督・深作欣二は、入隊を免れた世代であることから「欲望のままに行動する、戦後世代の大友のほうに魅かれる」と語っている[1][4]

配役はもともと千葉真一が山中正治、北大路欣也が大友勝利でクランクインするはずだったが、北大路が「山中の方が自分のキャラクターに合っているのでは? それにセリフがどぎつすぎる大友はできない」、「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中のほうをやらせてくれないか[5]」などと言い出し、配役の入れ替えを要求した[6][7][8]。そのためプロデューサーの日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼[5][6][7][8]。セリフを全て覚えて撮影に入る直前だった千葉は[8]、東映と笠原が「小沼を好演して、京都市民映画祭の演技賞を獲得した千葉に、山中を演じさせよう」というキャスティング経緯から[3]、初めは交代に難色を示した[5]。ほどなくして深作欣二が交代に反対していないことを知った千葉は、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考[9]。「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と最終的に交代を了承し[9]、千葉を大友、北大路を山中に入れ換えることとなった。深作は唯一人キャスティング会議で、「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる[10]」と主張していた。大友はシリーズ中1、2を争う名キャラクターとして人気が高く[6][11][12][13]、千葉自身も忘れられない役柄として挙げており、後のやくざ映画でも「仁義なき戦いの千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[6]。大友は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[7]、第四部『仁義なき戦い 頂上作戦』にも登場する予定だったが[14]、千葉は主演映画殺人拳シリーズ』の撮影に入っていたために実現せず[15]、第五部『仁義なき戦い 完結篇』では大友が再登場したものの、宍戸錠が演じた[14]( ⇒ #逸話千葉真一#転機仁義なき戦い#出演者)。

本作で菅原文太の出番が少ないことに笠原和夫は菅原から了解を得ていたが、1週間たったら菅原が「出番が少ないなら出られない」と言い出した。菅原は第一部のプロデューサー俊藤浩滋の息がかかっていたからである。大喧嘩となって笠原は菅原に「お前、表に出てやるか!」と言うと「そっちがやる気なら、やってもいいです」と菅原は言うので笠原は「ふざけるんじゃない。俺がガラスの瓶、パンと割ってお前の顔を傷つけたら、もう役者としてやっていけないんだぞ。それでもやる気があるのか!」と言うと、深作欣二が間に入ってその場は収まり、二部以降は菅原なしでやると決まっていた。そうしたら菅原が「出させていただきたい」と侘びを入れ、続投となった。菅原はこれを機に俊藤と別れたというが、菅原のいないシリーズになっていた可能性もあったわけである[16]。初公開時には主役の菅原文太がチョロっとしか出てこない展開に映画ファンは驚いた[17]

大友勝利が口にした「オメコ」は、日本映画で初めて使われた[18]。山中正治が自決する時と初めて殺人を犯した後の二度口笛を吹く「予科練の歌」は、笠原が広島で取材した当時共政会二代目会長だった服部武から聞いたエピソードが元である[19]

2003年、同じ抗争を題材に製作されたVシネマ『新・広島やくざ戦争武闘派列伝 伝説の広島極道 山上功治の生涯』(辻裕之監督)では、山上光治(山中正治)を小沢仁志、村上正明(大友勝利)を竹内力が演じている。

あらすじ

1950年(昭和25年)、広島市。帰国直後に傷害事件で服役し出所した復員兵の山中正治は、村岡組組長・村岡常夫の姪で未亡人である上原靖子が働く食堂で無銭飲食を働き、大友連合会会長の大友長次の息子で愚連隊を率いる大友勝利のリンチを受ける。勝利の狙いは村岡のショバ荒らしだったこともあり、長次が山中に詫び、その紹介で山中は村岡組組員となる。ふとした事から靖子と男女の関係となった山中は村岡の逆鱗に触れ、若頭・松永の指示で九州へ逃れる。そこで山中は滞在先の組の対立者だった和田組組長を射殺したことから、裏社会で大きく名が轟くこととなり、山中は広島への帰参を許され、靖子との交際も村岡の認める所となった。

一方、それぞれ博徒と的屋上がりで、かつては友好関係にあった村岡組と大友組であったが、村岡組は広島競輪場の警備を請け負うなど日に日に資金力・組織力の差が広がりつつあった。これに不満を持つ勝利は、博徒と的屋の縄張りを頑なに守る長次を無視し、競輪場のトイレをダイナマイトで爆破するなど行動を起こす。そして父と完全に袂を分かった勝利は、村岡の兄弟分の時森勘市を抱き込んで彼の跡目を受けるという形で博徒大友組を結成すると、自ら村岡組に乗り込んで村岡の命を狙い、失敗する。

村岡組に命を狙われることとなった時森は呉の山守を頼り、これを利用して広島に顔を立てたい山守は今は無関係の広能に時森の身柄を預けようとする。最初は断る広能であったが、組の資金が乏しいことから渋々引き受ける。しばらくすると時森の命を狙う山中が広能の元を訪れる。山中は刑務所時代に広能に目をかけられた恩義があるため強引には動かず、広能も広島の争いに呉や自分が巻き込まれることに嫌気がさし、時森を広島で引き渡すことで穏便に片付けようとする。ところが時森がこの動きを事前に察知して広能と距離を置き、また大友にも知られてしまったため、広能は配下の島田に時森を殺させることで広島の抗争が呉に飛び火するのを未然に防ぐ。

時森の死により、後ろ盾を失くした勝利は広島から追放されることとなったが、寺田啓一ら3人を密かに留め置き、村岡組襲撃の計画を立てていた。しかし、計画を事前に察知した村岡は山中をヒットマンとして差し向け、山中は寺田ら3名を射殺する。だが、事件直後に山中は警察に逮捕され、無期懲役の判決を受け服役することとなる。それを見届けた村岡は、靖子を元の婚家に戻し、死んだ亭主の弟と再婚させようとする。刑務所で叔父貴にあたる高梨国松からこの事を聞いた山中は騙されたことを知り、村岡に復讐するために脱獄する。

山中の脱獄を知った村岡は即座に松永に指示し、靖子を婚家から連れ戻させ、何食わぬ顔をして山中と対面する。靖子が広島にいるのを見て高梨の話は嘘だったと思い、山中は村岡を疑ったことを恥じる。松永は山中に自首するよう進めるが、そこに広島に舞い戻った大友が村岡の組員を襲ったという連絡が届き、山中は汚名を返上するべく姿を消すと単身で大友の命を狙い始める。大友による村岡を狙った抗争が激化する中、山中は大友の居所を見つけ出して襲撃するが、左足を撃ち抜くも命まで奪えずに失敗する。しかし、この傷が元で大友組の若衆である中原敬助が村岡組に和解を持ちかけたところから大友の居場所が村岡組にばれ、密告により大友は警察に検挙され、抗争は村岡組の勝利で終わる。

全国指名手配の身で、呉の広能の元に身を寄せていた山中は、村岡から脱獄のきっかけとなった高梨が仮出所したことを知らされる。広島に戻って高梨を射殺し、松永の家に逃げ込んだ山中であったが、そこで松永より高梨の話が事実で、村岡はずっと山中を騙していたことを打ち明けられる。松永の家を飛び出し、再び逃走しようとする山中であったが、警察の包囲網を抜けることはできず、最後は誰も信じられなくなり、独り拳銃自殺をする。

後日、山中の葬儀が村岡組長によって大々的に営まれる。弔問に訪れた広能は、山中を「任侠の鑑」と褒め称えて高笑いする村岡や山守を醜く感じ、悲しく死んでいった山中を偲ぶのであった。

キャスト

広能組(モデル・美能組

  • 広能昌三 - 菅原文太:広能組組長。山守組を離縁(正式な破門ではない)。山中とは刑務所で懇意に。野良犬の肉で晩酌させられる。美能幸三がモデルとなった。
  • 島田幸一 - 前田吟:広能組若衆。広能組長晩酌用の肉を調達。時森を射殺。村岡組長からビールを1杯ご馳走になった後に自首。
  • 岩見益夫 - 野口貴史:広能組若衆。島田とともに広能組長晩酌用の肉を調達。
  • 弓野修 - 司裕介:広能組若衆。

山守組(モデル・山村組)

  • 山守義雄 - 金子信雄:山守組組長。山村辰雄がモデルとなった。
  • 山守利香 - 木村俊恵:山守義雄の妻。山村邦香がモデルとなった。
  • 山守の部下 - 古閑達則

村岡組(モデル・岡組

大友連合会(モデル・村上組)

  • 大友長次 - 加藤嘉:テキヤ大友連合会会長。村上三次がモデルとなった。
  • 倉光俊男 - 中村錦司:大友連合会二代目会長。のちに村岡組の盃を受けて傘下に。

大友組(モデル・村上組

  • 大友勝利[注釈 1] - 千葉真一:大友組組長。長次の息子。物語のもう一人の主人公。大友連合会を破門され時森のノレンを継いで博徒大友組を結成。村岡組と抗争。村上正明がモデルとなった。
  • 中原敬助 - 室田日出男:大友組若衆(幹部)。指を詰めて村岡組若衆頭の松永へ和解を申し入れるが、松永の指示によって村岡組組員に刺殺される。中本敬造がモデルとなった。
  • 池野卓也 - 八名信夫:大友組若衆。
  • 寺田啓一 - 志賀勝:大友組若衆。山中に襲われ死亡。
  • 須賀政男 - 大木晤郎:大友組幹部
  • 神谷英司 - 広瀬義宣:大友組幹部  
  • 三上善輝 - 北川俊夫:大友組幹部
  • 国貞清次 - 北十学:大友組組員    
  • 川口芳夫 - 片桐竜次:大友組組員
  • 大友組組員:福本清三大矢敬典

その他

スタッフ

逸話

作品

山中のモデル・山上光治は銃口をくわえて自殺したが、笠原和夫 (脚本家)はこのシーンを「こめかみに銃口に当てて自殺する」と書いていた。しかし深作欣二は脚本通りではなく、山上の自殺と同じようにした[21]。その理由を「僕は戦争に行った世代ではないが、学校では毎日軍事教練だった。戦地に行ったら『捕虜になるぐらいなら自決しろ』と言われ、戦場での兵隊さんの死に方をいつも教えられていた。日本軍の銃は三八式銃といって、銃身が長く、肩に担いで行進する銃。だから自決するといっても、こめかみに当てて引き金を引くことはできない。みんな銃口をこう…口にくわえて銃身を両手で握り、(靴を脱ぎ)足指で引き金を引くというか…押す形だね。そうやって戦場で散ったのです。山中は特攻隊の生き残りです。だから戦地での自決をやらせたかった[注釈 2]」と語っている。この変更について笠原は「常に間近な『死』がそこにあって『自分で決めたことだ。これから先はどういうことが起きても、後悔はすまい』と考えていた戦時の思いを、山中の自決でやりたかったんで、3歳年下の深作にはうまく伝達出来なかったようだ。戦時中の体験は、僅かな年齢差でも受け止め方が違ってしまうものである」と述べている[22]

その山中が警官に追われるクライマックスシーンの夜間撮影は16mm高感度フィルムで撮影したものにさらに増感処理を施し、ドキュメンタリー的な迫力をたたえた名場面となった[23]

仁義なき戦いシリーズの大半の撮影は京都市内で行われたが、深作が『広島死闘篇』のロケをどうしても広島で撮りたいと希望。しかし「まだ抗争が燻っているので広島には来てくれるな」と断られた。これを聞いた広島出身の岡田茂東映社長が公安に掛け合い、県警に警備をしっかりやってくれと頼んでやっと撮影許可が降りた。ロケの時には私服警官が現場に来てくれたが、暴担当の二課の刑事はごっつい体格に角刈りでヤクザとの見分けはつかず、ヤクザに囲まれて撮影しているみたいだったという[24]

山中と上原靖子(梶芽衣子)の哀しい恋物語は本来は被差別部落の問題が入っていて、笠原も自身が本作でやりたかった主題で「もっと二人の悲しみが伝えられたのにと思ったが、出来ずに口惜しかった」と述べている[25]

出演者

当時の千葉真一ブロマイドの売上げが4年連続No.1であり[7][8][26]、大友勝利の言動は「オメコの汁でメシ食うとるんで」など過激なものばかりであった。そのため千葉は悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[7][8][27]。金玉を掻くシーンでは、深作から「やれ!」と強制されて行った後に、勢い余って臭いを嗅いだら「やりすぎ」と言われた[26]。映画の後半に「山中に銃口を向けられるシーンでは、慌てふためきダンボールで自分の顔を隠すように掲げる」という台本にないアドリブをやった[26]。「相手に自分の顔が見えると撃たれてしまう」と人間のとった、とっさのバカげた行動が、よりリアリティを生んだ瞬間だった[26]。千葉は「こういうのは役者冥利に尽きる[26][28]」、「大友を演じたことにより、脇役悪役にも興味を持ち始めた。私の中で大きな転機となった[7][8][29]」と語っている( ⇒ #解説千葉真一#転機仁義なき戦い#出演者)。

北大路欣也は第一部を仕事先で観て共鳴。シリーズ化の決定を知り、自ら出演を直訴したものの[30]、上述の通り当初キャスティングされた役を拒み、東映幹部に仲介させ、千葉真一と配役を交換させている[6]。北大路が千葉とのキャスト入れ換えを要求したのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて2度目となるが、北大路は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[6]

その他

2005年衆議院議員総選挙菅原文太は広島6区に出馬した国民新党亀井静香の応援に登場し、同じく広島6区に出馬した対立候補の堀江貴文

予告編のBGMには、『三池監獄 兇悪犯』と『日本暴力団 殺しの盃』、『仁義なき戦い』の一部が使われている。

脚注

注釈
  1. 最後のシーンで大友勝利(千葉真一)の髪が赤く、顔もすごく日焼けしているのは、本作品の撮影途中で同年に公開された『ボディガード牙シリーズ』の撮影にも入っていたためである[20]
  2. 深作欣二2001年11月3日に行われた母校・日本大学芸術学部学園祭に招かれた時に、そのトークショーで「山中の自殺が、脚本通りではなく変更された理由は?」という質問への回答。
出典
  1. 1.0 1.1 1.2 東映キネマ旬報 2009年冬号 Vol.13 10-11頁
  2. 2.0 2.1 「鎧を着ている男たち」 徳間書店、1987年6月、232 - 234頁。
  3. 3.0 3.1 3.2 千葉真一 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社、2010年。ISBN 4821142694。
  4. 千葉流 サムライへの道、42頁。
  5. 5.0 5.1 5.2 千葉流 サムライへの道、41頁。
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝」、『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月28日、. 2012閲覧.
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 壬生智裕 (2013年1月13日). “千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす”. シネマトゥデイ. http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 . 2012-1-31閲覧. 
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 “千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に”. 映画.com. (2013年1月12日). http://eiga.com/news/20130112/12/ . 2012-1-31閲覧. 
  9. 9.0 9.1 千葉流 サムライへの道、41 - 42頁。
  10. 千葉流 サムライへの道、42 - 43頁。
  11. 「仁義なき戦い PERFECT BOOK」、『別冊宝島』第833号、宝島社2003年、 12頁、30頁、31頁。
  12. 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方」、『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月28日、. 2012閲覧.
  13. 芝山幹郎 (2009年6月25日). “「極悪非道の千葉真一」2本立て”. 悪党のいるダブル・ビル - 第7回. 映画.com. . 2012-2-2閲覧.
  14. 14.0 14.1 小林信彦 『映画を夢見て』 筑摩書房、1991年、177 - 185頁。
  15. 千葉流 サムライへの道、48 - 49頁。
  16. 『昭和の劇:映画脚本家 笠原和夫』笠原和夫他、p298
  17. ENTAME』、2012年5月号、徳間書店、p83。
  18. 「サルに教える映画の話」井筒和幸バジリコ、2005年10月、p80-81。
  19. 映画秘宝』、2013年4月号、p53
  20. 千葉流 サムライへの道、49頁。
  21. 仁義なき戦い PERFECT BOOK、23 - 24頁。
  22. 笠原和夫ほか 『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』。
  23. 深作欣二・山根貞男 『映画監督深作欣二』 ワイズ出版、2003年7月、272-273。ISBN 4-89830-155-X。
  24. 仁義なき戦い PERFECT BOOK、94頁。
  25. 昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫、312 - 313頁。
  26. 26.0 26.1 26.2 26.3 26.4 「【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病」、『週刊アサヒ芸能』8月2日号、徳間書店、2007年、 206頁。
  27. 千葉流 サムライへの道、43 - 45頁。
  28. 立松和平 「映画主義者 深作欣二」 文春ネスコ、74頁。
  29. 実話ナックルズミリオン出版、2008年4月号、4頁。
  30. 「笠原和夫 人とシナリオ」シナリオ作家協会、2003年、406頁。

外部リンク

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