仙山線

提供: miniwiki
2018/8/5/ (日) 10:47時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


ファイル:SenZan Line - length altitude.jpg
JR仙山線各駅の分布(縦軸:標高、横軸:営業キロ)、および、それら各駅を結んだ図(勾配線形図ではない)。

仙山線(せんざんせん)は、宮城県仙台市青葉区仙台駅から山形県山形市羽前千歳駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。

運行系統としては、奥羽本線の羽前千歳駅から山形駅までも含む。

概要

宮城県の県庁所在地である仙台と山形県の県庁所在地である山形とを結んでいる。名称は、仙台と山形から頭文字を1字ずつとって付けられた。日本初の交流電化が行われた路線でもある(詳細は「#交流電化発祥の地」の節を参照)。

起点の仙台駅で東北新幹線および東北本線に、終点の羽前千歳駅では奥羽本線に接続している。羽前千歳からはすべての列車が奥羽本線の山形駅に直通するため、運転系統としての仙山線は奥羽本線羽前千歳駅 - 山形駅間を含んでいる。同区間には軌間の異なる山形新幹線山形線(軌間1,435mm)用とは別に独立した単線が仙山線用に敷設されており、北山形駅 - 山形駅間は左沢線の列車と共用している。

全線が仙台市内と山形市内にあり、東北本線との分岐部分で僅かに仙台市宮城野区、奥新川駅 - 仙山トンネルの間は一部太白区を通るものの駅や信号場などの施設はなく、駅はすべて仙台市青葉区内と山形市内にある。途中で他の市町村を通ることなく県庁所在地同士を直接結び、かつその両都市のみで完結するJRの路線は仙山線のみである[注釈 1]

県境付近は勾配の厳しい山岳区間で、運行車両にもそれに対応する性能が求められるほか、秋季には車窓から紅葉を見ることができる反面、落葉によって車輪の空転が引き起こされ、ダイヤが乱れやすい。車輪が空転する状況が予想される場合は機関車が「落ち葉掃き列車」として走行することがある。この「落ち葉掃き列車」には、当初仙台車両センター所属のED78形電気機関車が使用されていたが、同型式の全廃後はED75形電気機関車に変更され、近年は郡山総合車両センター所属のDE10形ディーゼル機関車や、落ち葉掃き用の装置を仮設したE721系電車が使用されている。

1972年(昭和47年)から仙台市内区間は特定都区市内の対象路線となった。当初仙山線で対象となるのは北仙台駅のみであったが、後の新駅開業及び旧宮城町の仙台市への吸収合併に伴い宮城・山形県境の奥新川駅まで拡大している[注釈 2]2003年平成15年)からは仙台市都心部愛子副都心とを結ぶ仙台駅 - 愛子駅間がICカード乗車券Suica」の仙台エリアに含まれ、2004年(平成16年)からは仙台駅 - 山寺駅間が「仙台まるごとパス」適用区間となった。仙山線の各種案内サインなどに用いられるラインカラーは、黄緑色に設定されている。2014年(平成26年)4月1日からは全線が大都市近郊区間として新設された「仙台近郊区間」となり、作並駅・山寺駅でもICカード乗車券「Suica」が利用可能となった[1]

「仙山線」の定義
区間
山形駅 羽前千歳駅 仙台駅
路線名 奥羽本線 (4.8 km)
google マップ
仙山線 (58.0 km)
google マップ
運行系統 仙山線 (62.8 km)
google マップ

路線データ

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 区間・路線距離(営業キロ):仙台駅 - 羽前千歳駅 58.0km [2]
  • 軌間:1067mm [2]
  • 駅数:18(起終点駅を含む)
    • 仙山線所属駅に限定した場合、起終点駅(仙台駅は東北本線、羽前千歳駅は奥羽本線の所属[3])が除外され、16駅となる。
  • 複線区間:なし(全線単線[2]
  • 電化区間:全線(交流20000V・50Hz)
  • 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
  • 保安装置:
    • ATS-Ps(仙台駅 - 愛子駅間)
    • ATS-SN(愛子駅 - 羽前千歳駅)
  • 運転指令所:仙台総合指令室 (CTC)
  • 最高速度:95km/h
  • 最急勾配:33.0

全線、仙台支社の管轄である。

沿線概況

仙山線は、愛子を境に路線の持つ性格が大きく変わる。仙台から愛子まで(旧仙山東線)は沿線に住宅地が多いことから都市近郊輸送路線としての性格が強く、愛子の先は田園地帯や観光地が広がるローカル線色が濃い。

仙山線の列車は仙台駅の7・8番線から発車する。線路はしばらく東北本線に並行するが、ダンロップスポーツクラブ(旧キリンスポーツクラブ→キッツスポーツスクエア)の辺りから急勾配・急カーブで東北本線を一気に跨ぎ西側へ進路を変え、梅田川を右岸から左岸に渡り、建設当時の仙台市街地の外縁部を走る。この東北本線と分かれて北仙台駅までの区間は歌枕玉田横野」を突っ切る区間であり、東照宮駅を過ぎると梅田川および台原段丘段丘崖との並走区間に入って、崖の斜面や土盛りの上を通りながら、北仙台付近で再び梅田川右岸となる。北仙台では高層マンションが立ち並び、都市部の風景が広がる。北仙台駅を過ぎるとすぐ旧奥州街道と交差し、以後、梅田川と並走しながら北山丘陵北斜面を走る。北山駅を過ぎると北山丘陵南斜面側に移り、国見丘陵南斜面を走って、梅田川流域から広瀬川流域にかわる。丘陵地はマイホーム用の住宅地として開発されているが、東北福祉大前駅と次の国見駅付近には大学、市立高校があり、通勤客と通学客の行き先は反対になる。また、通学・帰宅時間帯には多くの学生で混雑する。トンネルを過ぎると大規模な仙台市葛岡墓園が広がり、住宅開発はあまり見られなくなる。葛岡駅を過ぎると丘陵地から平地に降りて愛子盆地に入り、陸前落合駅、愛子駅と続く。愛子盆地は開発抑制がなされていたが、道路交通の要衝であることから市街化区域用途地域が変更され、人口が急増している地区である。

愛子からは広瀬川や国道48号線と並走し、山と田園の風景が広がる。なお、陸前白沢 - 熊ケ根間にある熊ヶ根鉄橋は深い峡谷に架かるものであり、絶景である。そして、温泉地である作並駅を過ぎると山を越えて広瀬川支流の新川流域に入り、奥羽山脈の山岳風景一色となる。なお、作並 - 奥新川間に2014年(平成26年)3月まであった八ツ森駅臨時駅)は、1970年(昭和45年)まで存在した八森スキー場へのアクセス駅として利用されたが、後に秘境駅の一つとして鉄道ファンに認識されていた。奥新川駅も深い山の中に存在するが、こちらは定期列車が停車する。奥新川駅付近にはかつて秋保鉱山(大正初期 - 1961年)があり、新川森林鉄道(1936年 - 1960年)の発着駅ともなっていたため、人口600人あまりの集落が存在した時期もあったが、現在はブナの森や渓流を楽しむ行楽客が利用する。

奥新川を過ぎると、奥羽山脈を貫く「仙山トンネル」に入る。トンネルを抜けると山形市に入り、面白山高原に着く。当駅は、鉄道でしか訪れることができないスキー場であるスノーパーク面白山ゲレンデの中にあり、駅構内からスキーリフトに乗れる。そのため、冬季には当駅で降りてすぐスキースノーボードができるよう、仙台や山形の市街地の駅から、まるでゲレンデ内にいるようにスキーウェアを着、スキー靴を履いたまま仙山線に乗り込む者がよく見られる。冬場以外では面白山への登山客が当駅を利用する。また、この付近を始め、作並 - 山寺間などで、秋は紅葉によって車窓が華やかに彩られる。

山寺(立石寺)付近は観光地であるため旅館や土産屋が目立つ。山寺を過ぎるとのどかな田園風景が広がる。高瀬付近はスタジオジブリの映画『おもひでぽろぽろ』の舞台である。

羽前千歳から先は、正式には奥羽本線だが、山形新幹線や山形線とは別の狭軌線路を走る。羽前千歳のすぐ先で山形新幹線・山形線の標準軌線路と平面交差して右側に移り、北山形を過ぎると左沢線と合流し、まもなく山形駅に到着する。

運行形態

運転系統としては、仙台駅 - 山形駅間であり、羽前千歳駅 - 山形駅間では奥羽本線に乗り入れる形をとる。この羽前千歳駅 - 山形駅間は1999年山形新幹線山形駅 - 新庄駅間の延伸に伴い、複線の奥羽本線のうちの単線が狭軌(軌間1,067mm)から標準軌(軌間1,435mm)に改軌され、それと同時にもう1本の単線が仙山線・左沢線の乗り入れ用として狭軌のまま残された。それ以降、実質的には仙台駅 - 山形駅間の全区間で独立した単線を持つ路線となっている。仙台駅に近づくほど日中でも利用者が増えていくため、列車は終日にわたり4両または6両編成で運転される。

1937年(昭和12年)の全線開通日の一番列車では、上りが山形駅発5時25分、仙台駅着7時57分で所要2時間32分、下りが仙台駅発5時58分、山形駅着8時34分で所要2時間36分であった。当時は、奥羽山脈を横断する直流電化区間の山寺駅 - 作並駅間では電気機関車で運行し、電化されなかった山形駅 - 山寺駅間、および、作並駅 - 仙台駅間では蒸気機関車で運行したため、山寺および作並では機関車の付け替えが必要だった。それでも、両都市間の移動では当時最速だった。

1957年(昭和32年)に旧・仙山東線が日本初の交流電化されたことで、旧・仙山西線の区間が非電化、奥羽山脈越えの区間が直流電化、旧・仙山東線が交流電化という混在状況になった。1960年(昭和35年)に旧・仙山西線が直流電化され、全線電化が成し遂げられると付け替えが必要なくなった。ただし、この時の山形 - 仙台間の所要時間は2時間かかった。

1968年(昭和43年)に全線交流電化がなされ、さらに技術革新も加わって所要時間は短縮されていき、山形自動車道の整備によって両都市間を結ぶ自動車専用道路が全通となる1991年平成3年)を前にして、1990年(平成2年)には95km/hまで最高速度を上げ、仙台 - 山形ノンストップ特別快速仙山」の所要時間は51分まで短縮された[4]。しかし、1998年(平成10年)7月に笹谷トンネルが山形自動車道に編入されると、同年12月には「仙山」は仙台 - 山形ノンストップではなくなり、最短の所要時間は徐々に長くなった[4]

快速列車

全線を通して運転される都市間連絡列車として快速列車が、朝ラッシュ時から夕方にかけて、1 - 2時間に1本の割合で運転されている。停車駅パターンとしては、

1.全区間で快速運転を行う列車
2.山形駅 - 山寺駅間が各駅停車となる列車(上りのみ)
3.仙台駅 - 愛子駅間が各駅停車となる列車

の3種類がある。1.の列車の途中停車駅は北仙台駅・国見駅・陸前落合駅・愛子駅・作並駅・山寺駅・羽前千歳駅・北山形駅である[5]。主に3.の列車が運転されていて、2.の列車は夕方に1本のみである。

停車駅パターンの種類が最も多くあった時期には6種類あった。このため乗客からのわかりづらいという意見や、停車駅の誤通過も相次いだことから基本的に普通列車を増発することで、停車駅のパターンを大幅に減少することとなった。ところが、その後はダイヤ改正の度に停車駅パターンを頻繁に変更している。2004年10月15日までは3種類であったが、翌16日の改正時点で5種類に増加し、2005年12月10日の改正では4種類に削減され、2012年3月17日には3種類になっている。さらに2014年3月15日の改正では最速達列車が2往復に減少し、仙台駅 - 愛子駅間の各駅に停車する快速が大幅に増えた。さらに2015年3月14日の改正では奥新川駅と面白山高原駅への快速の停車が取りやめとなった[6]

2003年9月30日までは、土曜・休日に途中停車駅を山寺駅と北仙台駅に限定した特別快速「ホリデー仙山」があったが廃止された。また、1999年3月11日までは仙台駅と山形駅をノンストップで結ぶ特別快速「仙山」があった。奥羽本線福島駅 - 山形駅間改軌工事の折、当該区間で列車運行が不可能であったことから、輸送力不足を補うために、455系電車9両編成によるノンストップの特別快速「仙山」の運転も見られた。

天候不良やダイヤの遅れなどにより普通列車の一部が運休になった場合、快速列車の種別にかかわらず仙台駅 - 愛子駅間各駅停車となることがある。

近年では快速列車の運行本数は減少傾向にあり、代わって仙台駅 - 山形駅間の普通列車が増加傾向にある。

普通列車

普通列車はすべての列車が仙台駅発着である。快速列車の運転されない時間帯に仙台駅 - 山形駅間直通の列車があるほか、仙台駅 - 愛子駅・作並駅間の区間運転もある。

仙台駅 - 愛子駅間

1時間あたり2 - 4本の列車が運行されている。仙台の近郊区間であり、通勤・通学利用客が多く、仙台圏のJR在来線では東北本線(白石 - 仙台間)に次ぐ需要がある区間となっている[7][8]

1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正において、仙台駅 - 愛子駅間に北山および国見の両駅が開業したことに伴い、愛子駅に3番線ホームを開設して同区間に区間列車を設定した[9]。これにより同区間の普通列車の本数は急増し、ダイヤ改正ごとに増発が繰り返された[9]。しかしこの区間は最急勾配25[9]の単線である上、交換可能駅が北仙台駅・国見駅・陸前落合駅のみであるため増発は困難になっている。このような過密ダイヤのため、時折設定される臨時快速列車(「ゲレンデ蔵王」「ゴロンとさくらんぼ山形」など)は定期快速列車と比較して停車駅が大幅に少ないにもかかわらず普通列車よりも時間がかかる。根本的な増発対策として、仙台駅 - 北仙台駅間の高架複線化の構想があるが、東照宮付近の景観悪化が課題となって、実現には至っていない[10]

愛子駅 - 作並駅間

通勤需要の多い仙台駅 - 愛子駅間や観光需要の多い作並駅 - 山形駅間と比べると利用者数が少なく、昼時間帯の陸前白沢駅・熊ケ根駅は普通列車が2時間に1本程度停車するのみである。沿線には作並街道沿いに集落が点在しているが、利用シェアは競合する仙台市営バス(1時間あたり2本)に大きく水を空けられており、陸前白沢駅・熊ケ根駅ともに1日平均乗車人員が100人前後の閑散区間である。

かつては仙台駅 - 作並駅間の区間列車が多数設定されていたが、その大半が愛子駅折り返しに見直され、2012年3月17日のダイヤ改正時点で下り作並行き2本・上り仙台行き3本のみの運行となった。さらに2015年3月14日のダイヤ改正で夕方の1往復が愛子止まりとなり、朝の下り作並行き1本と上り仙台行き2本のみとなった[6]

作並駅 - 山形駅間

快速列車の合間をぬうように普通列車が運行されている。1時間あたり1 - 2本程度の運行頻度である。近年は高速バスの台頭により仙台駅 - 山形駅間の通しの客は減少傾向であるが、それほど利用が少ないわけではない。この区間は作並温泉松尾芭蕉おくのほそ道でも有名な「山寺」、スキー場のある「面白山」などの観光地、行楽地があるため、観光・行楽シーズンは混雑する。一部を除く快速の停車しない駅は沿線人口が少なく、愛子駅 - 作並駅間とほぼ同程度の運行頻度である。

他の路線への直通運転

東北本線直通列車は以前は福島駅・松島駅・小牛田駅などあらゆる方向へ乗り入れていたが、2001年以降本数が少しずつ減り、2007年3月18日のダイヤ改正で2本あった東北本線の直通列車は消滅し、すべて仙台駅発着となった。

山形新幹線開業以前は奥羽本線の山形以南米沢方面や羽前千歳以北新庄方面への直通運転も行われていたが、山形新幹線の開業に伴い山形以南米沢方面への直通が不可能となり、奥羽本線への乗り入れは新庄方面のみとなった。さらに、山形新幹線が新庄駅まで延伸されると、奥羽本線とは完全に分離された状態となり、山形側からの直通運転が事実上不可能になった。

また、以前より仙山線の列車が仙台空港線仙台空港駅まで乗り入れ、山形と仙台空港を結ぶ構想がある。しかし、2005年12月に行われた宮城・山形両県知事とJR東日本との会談で、採算性等の面から開業と同時に直通運転するのは困難との見解がJRから示された。2007年4月・5月には団体専用臨時列車として山形・仙台空港間を直通する列車が走ったものの、それ以降は一度も直通運転がなされていない。この件は長期的な課題として、引き続き山形県側が中心となって働きかけを行っている[11]

運行車両

仙台車両センター所属車が運用されている。定期列車はすべて電車で運行されている。

1991年の路盤改良までは作並駅 - 山寺駅間を走行する車両の重量に制限がかかり、また車輪空転の懸念があったため軽量車も原則入線できなかった。また車両の生産には非常に高価となる交流電源による電化方式が原因となり走行可能な車両は後述の455系417系電車、それにキハ58系気動車、ED78形電気機関車しか存在しなかった。417系は少数生産に留まり、717系抑速ブレーキを装備していないため線内での本格的な運用はなされず、同じ線区で30年以上にわたり大量の455系が在籍し続ける結果となった。

2001年の455系の運用撤退以後は一部の運用を除き719系0番台が主力となった。2012年3月17日より一部列車を除いてE721系が主力となる。 また、2017年10月14日のダイヤ改正において、701系が仙山線の運用から離脱し、全てE721系での運用となった。

E721系
2007年4月23日から運用開始。当初は0番台だけで運用されていた。0番台の運行開始当初は一部列車(12往復)に投入されていたが、2012年3月17日より一部列車を除いて同車での運行とされている。2016年12月9日より1000番台(4両固定編成)も運用を開始した。4 - 6両編成で運転される。

過去の運行車両

455系
1968年10月1日 - 2001年3月31日[12]
国鉄時代は急行「仙山」中心の運用であったが、日中の普通列車にも運用されていた。快速に格下げ時も基本的にそのまま運用に大きな変化はなかったが、2ドア車のため1990年代に入るとラッシュ時の輸送に大きな欠陥が生じたため、仙台地区の他の路線よりも一足先に撤退した。3 - 6両編成で運転していた。
1997年から運用離脱までは仙山線専用の塗装の車両が登場し、青をベースに、1編成3両に渡って蔵王連峰をイメージして山なりに抜かれた白地の塗装、前面と側面の「SENZAN LINE 455」のロゴが特徴であった。その後はロゴが消された状態でしばらく運用された。
他にも、沿線大学の学生によってデザインされたパッチワーク塗装やオプティカル塗装が存在した。
701系
2001年4月1日 - 2017年10月13日
10010001500番台の2両編成が用いられた。仙山線での運用は仙台 - 愛子間(運用の都合で陸前白沢まで回送)のみでラッシュ時の上下3本、2両編成で運転されていた。仙台車両センター所属の701系2両編成はE721系ワンマン車と共通運用が組まれているため、稀にE721系ワンマン車が入線することもあり、大学入試センター試験や宮城県前後期高校入試の際には701系同士やE721系と編成が組まれ、例外的に4両編成で運用された。
719系
1990年3月10日 - 2013年3月14日
通常は4 - 6両編成で運転され、2両編成も存在した。455系在籍時は主に仙台駅 - 作並駅間の普通列車を中心に運用され、455系の撤退後は長らく仙山線の主力車両であったが、本形式の軽量なステンレスボディと485系電車からの廃車発生品であった台車は相性が悪く、山間部での車輪空転などによる故障が目立つようになったため、2012年3月17日以降は夕方の快速1往復のみの運用となっていた[注釈 3]
583系
過去に急行「津軽」として山形新幹線開業準備のための福島駅 - 山形駅間改軌工事に伴う迂回運転で入線実績があるほか、2003年より仙台車両センター所属車が臨時列車「ゲレンデ蔵王」「仙山もみじ」として稀に入線していた。2007年11月11日に運転された「仙山全線開通70周年号」もこの車両を使用した。なお、この車両は2011年に秋田車両センターへ転属している。
485系
1991年8月27日 - 1992年6月30日
山形新幹線開業準備への改軌工事対応のため、仙台駅 - 山形駅間で特急「つばさ」として運用していた。なお、仙山線では軌道の手直し無しではこの485系は入線不可だったため、運転開始直前に最高速度を85km/hから95km/hに引き上げる路盤強化工事などを行っている。その後も臨時列車や団体列車で入線することがあった。
417系
1978年8月3日 - 1990年3月9日
朝のラッシュ時に仙台 - 作並間の運用に就いていた。こちらも2ドア車であったため、719系導入と同時に運用が消滅している。
キハ58系
(時期不明 - 1985年3月13日
べにばな」などの急行用の車両であったが、仙台駅 - 作並駅間普通列車での間合い運用も存在した。普通列車として運用する際は勾配対策のため北山駅と国見駅は通過していた。仙山線の急行廃止に伴い、運用消滅。
キハ22形
(時期不明)
普通列車としてキハ58系との併結で使用していた。車両の一部は荷物室として仕切られていた。
ED78形
勾配区間に対応する回生ブレーキを持ち、当時軸重制限があった本路線と奥羽本線共通の専用機として開発され、1993年までは福島運転所(←福島機関区)、以降は仙台電車区に所属し、1998年まで貨物列車の牽引に用いられた。その後も最終増備車の12・13号機が「落ち葉清掃」運用に投入されていたが、2000年に除籍・廃車された。なお、路盤強化工事後はED75形の入線が可能となっている。

このほかに1980年代前半までは主に客車を使用しており、郵便荷物合造車も連結していた。

歴史

1887年明治18年)12月15日日本鉄道(現・JR東日本東北本線)の仙台駅が開業するが、その前年頃より、宮城県仙台区(現・仙台市)と山形県南村山郡山形(現・山形市)とを結ぶ路線の要望が両県からあった[13]。しかし、両県庁所在地の間には奥羽山脈があるため、関山峠二口峠笹谷峠のどのルートで横断するのか、山形の市街地の迂回を北回りとするのか東回りとするのかで意見対立が激しく、「我田引鉄」の様相になった[13][14]

1917年大正6年)に奥羽山脈を横断する陸羽東線が開通したため、既設の陸羽西線および石巻線を経て日本海の酒田港と太平洋の石巻港とがつながり、両県を結ぶ鉄路が初めて開通するが、一方で当線の計画は進まなかった[13][14]

1922年(大正11年)4月11日に公布・施行された(改正)鉄道敷設法別表第20号に当線は規定され、12月27日より始まった第46回帝国議会で路線承認されて1923年(大正12年)の着工が決定されたが、9月1日に発生した関東地震関東大震災)により着工が延期となった[4]

仙山線の区間毎の変遷
仙山線(google マップ 備考
(旧)仙山西線
google マップ
奥羽山脈
google マップ
(旧)仙山東線
google マップ
羽前千歳駅 - 山寺駅 山寺駅 - 作並駅 作並駅 - 愛子駅
google マップ
愛子駅 - 仙台駅
google マップ
1926年 着工
1929年 非電化
蒸気機関車
ガソリンカー
「仙山東線」(1期)開業
1931年 非電化
(蒸気機関車)
(ガソリンカー)
「仙山東線」(2期)開業
1932年 着工
1933年 非電化
(蒸気機関車)
「仙山西線」開業
1935年 着工 全線事業化
1937年 直流電化 「仙山線」全線開通
1957年 交流電化 交流電化 日本初の交流電化による営業運転開始
1960年 直流電化 日本初の交直両用電車の営業運転開始
1968年 交流電化 交流電化 全線交流電化
1984年 ← 区間列車 → 旧・東線(1期)に区間列車運行開始
ファイル:Sendai map circa 1930.PNG
1927年(昭和2年)頃の仙臺市および近郊地図
1929年(昭和4年)開通の仙山東線(建設中だが実線で図示)の市内の駅は仙臺駅のみ。既設の東北本線から分岐して、仙台市街地(当時)を避けて宮城郡原ノ町や同郡七北田村荒巻を通過する当線は、國道4号(旧奥州街道)との交差部近傍の荒巻地区に北仙臺駅を設置した。
1922年(大正11年)開業の仙臺軌道は、まだ北仙臺駅を設置していない。1926年(大正15年)開業の仙臺市電は当時、環状線芭蕉の辻線、および、荒町まで敷いた長町線のみで営業。市電の予定路線は点線で表されており、北仙臺駅まで敷く予定の北仙臺線1937年(昭和12年)開業)も描かれている。
なお、1925年(大正14年)には宮城電鐵(現JR仙石線)の開業、および、秋保軌道馬車軌道から電気鉄道への切り替えもあった。

1926年(大正15年)4月に宮城県側が着工し、1929年昭和4年)に仙山東線(せんざんとうせん)として愛子駅 - 仙台駅間が開業、1931年(昭和6年)には作並駅 - 愛子駅間が延伸された。山形県側は終端駅問題によって着工が遅れ、1932年(昭和7年)9月にようやく着工[4]1933年(昭和8年)に仙山西線(せんざんさいせん)として羽前千歳駅 - 山寺駅間が開業した。ただし、両線はいずれも非電化(当初は蒸気機関車)だった[9]

1937年(昭和12年)に奥羽山脈を横断する山寺駅 - 作並駅間が直流電化で建設され、既存両線と機関車を付け替えて運行する仙山線として開業した[9]。両県の県境区間には全長5,361mの仙山トンネルが建設されたが長大トンネルゆえ、蒸気機関車の煤煙被害を避ける目的で、作並 - 山寺間は開業当初から直流電化された[13]。すると、蒸気機関車と電気機関車ED14形ほか[15])との付け替えが必要になり、両駅には蒸気機関車用の転車台が設置された[13]

1954年(昭和29年)10月より、日本初の交流電化試験が開始された[16]詳細は後述)。1957年(昭和32年)に旧・仙山東線が日本初の交流電化での営業運転を開始したことで、旧・仙山西線の非電化区間、奥羽山脈越えの直流電化区間、旧・仙山東線の交流電化区間に分かれた[9]1960年(昭和35年)に奥羽本線山形駅 - 羽前千歳駅間と同時に旧・仙山西線が直流電化され、1968年(昭和43年)に全線の交流電化が完成した[9]

当初より、仙台 - 山形間の都市間連絡を目的とした幹線鉄道であったため、駅間が長かった。貨物路線でもあったが、旅客では行商の女性たちが主要乗客となり、山形から野菜等を運んで仙台で売り、塩釜港等で揚がる海産物を山形に運んだため、旅客列車も両都市の物流を担った[14](現在では行商はほとんど見られない)。

開業から55年間「愛子駅 - 陸前落合駅 - 北仙台駅 - 仙台駅」の4駅だった(旧)仙山東線(1期)の区間に、1984年(昭和59年)2月1日より「区間列車」の運行が開始された[9]。これは、同年度4月に陸前落合駅付近に開校した宮城県宮城広瀬高等学校への通勤通学需要を取り込む意味と、同年度5月に開通した国道48号仙台西道路を通って愛子盆地各地と仙台市都心部とを従前より短時間で結ぶバス路線が次々新設されたことで、仙山線とバスの競争が激しくなったためである。また同日、陸前落合と北仙台の間に2つの新駅が設置された。これ以降、陸前落合と仙台との間に新駅が相次いで設置され、2007年までに合計5駅が設置された。「区間列車」と新駅設置により、沿線で既に多数造成されたニュータウンから、ラッシュ時の都心部の渋滞を定時性のある鉄道で回避したい通勤者・通学者を取り込み、また、1987年度開業の仙台市地下鉄と乗り換えて利用されるようにもなり、沿線には大学・専門学校・高校なども張り付いて、同区間の輸送密度は飛躍的に増加していくことになった。

仙台空港鉄道仙台空港線2007年開業)の建設にあたって、仙山線の高速化および仙台空港アクセス線との相互直通化の調査を1999年(平成11年)度から国土交通省が行い[17]、各界からも両件実現を望む声が上がった[4][18]。続いて東北運輸局も両件に関して「公共交通活性化総合プログラム[19]」の調査を行った[17]

区間別の一日平均通過人員(人/日)[20]
年度 全線 区間
羽前千歳 - 仙台 羽前千歳 - 愛子 愛子 - 仙台
1987 6,645 5,369 11,983
1992 9,213 6,438 17,030
1997 9,753 5,971 20,403
2002 8,770 4,750 20,089
2007 8,673 3,920 22,058
2012 8,807 3,711 23,157
2017 9,036 3,553 24,473

1987年度(昭和62年度)以降の5年毎の一日平均通過人員(輸送密度)を見ると、全線(羽前千歳 - 仙台)では1997年度(平成9年度)をピークとして減少したものの、その後は横這い傾向になっている[20]。ただし輸送密度を区間別に見れば、営業キロにおいて全線の26.2%でしかない仙台近郊の「区間列車」運行区間(愛子 - 仙台)が大きく上げている一方、全線の約3/4の営業キロを占める同区間以外(羽前千歳 - 愛子)では1992年度(平成4年度)をピークとして減少している[20]。すなわち、仙台近郊「区間列車」区間の輸送密度が、それ以外と比べて6倍以上になっており、これらが相殺されて全線における近年の横這い傾向をつくり出している[20]

バブル景気期以降、全線を通して乗車する利用客が減少傾向をみせる中、2004年(平成16年)からは、東北山形自動車道経由で仙山間を結ぶ高速バス仙台 - 山形線」の増発・運賃競争による旅客争奪戦も強いられてきた[注釈 4]。ただし、両都市間の輸送はもとより、途中駅から仙台・山形両方面へ向かう乗客もおり、引き続き都市間連絡路線としての役割を担い続けている。また、冬季の運休が多く見られる山形新幹線のバイパス路線としても機能している(山形新幹線は大雪や強風での運休が多く、仙山線は大雪の運休が少ないため)こともあり、全線通しでの利用客数は下げ止まっている。また近年は、原油価格上昇によるバス運賃の値上げにより、割引回数券利用の場合はJRの方が安くなっている[注釈 4]。なお、全線通しでの利用以外にも、仙台近郊以外の区間には立石寺山寺駅)や作並温泉作並駅)などがあり、観光目的での途中下車利用も多い(沿線にはかつて面白山高原スキー場八森スキー場仙台ハイランド等があり、各々最寄り駅が設置された)。

他方、愛子盆地の人口増加と国道48号仙台西道路ラッシュ時の混雑により、愛子盆地住民の都心部への自動車・バスによるアクセス時間が延びてきたため、定時性のある仙山線通勤の需要が高まっており、愛子や陸前落合などの当線開業時からの駅の利用客の増加(参照1参照2)が顕著にみられ、仙台近郊輸送に重点を置いたダイヤが組まれている。なお、1999年(平成11年)策定の仙台市の「アクセス30分構想」[21]に基き、仙台市のオムニバスタウン事業において両駅の駅前広場が整備された。

区間別の一日平均通過人員(人/日)[20]

テンプレート:Graph:Chart

年表

  • 1929年昭和4年)9月29日 - 【開業】仙山東線仙台 - 愛子間(15.2km) 【駅新設】北仙台、陸前落合、愛子
  • 1931年(昭和6年)8月30日 - 【延伸開業】愛子 - 作並間(13.5km) 【駅新設】陸前白沢、熊ケ根、作並
  • 1933年(昭和8年)10月17日 - 【開業】仙山西線羽前千歳 - 山寺間(9.3km) 【駅新設】楯山、山寺
  • 1934年(昭和9年)10月1日 - 仙台 - 作並間でガソリンカー運転開始[22]
  • 1936年(昭和11年)1月28日 - 山寺 - 面白山高原間の森岡鉄橋付近で発生した雪崩の影響で橋桁崩落、猛吹雪のため見通しが悪く仙山線建設作業員(62名)を乗せた列車が川に転落した(死亡1名。負傷者多数)。
  • 1937年(昭和12年)11月10日 - 【延伸開業・全通】作並 - 山寺間(20.0km) [23]【線名改称】仙山線仙台 - 羽前千歳間 【電化】作並 - 山寺間(直流1500V) 【駅新設】奥新川 【信号場新設】面白山 【仮乗降場新設】八ツ森、面白山
  • 1950年(昭和25年)7月1日 - 【駅新設】高瀬
  • 1954年(昭和29年)10月 - 旧・仙山東線側で日本初の交流電化試験が開始[16]
  • 1955年(昭和30年)8月10日 - 【電化】陸前落合 - 熊ケ根間(交流20kV・50Hz。交流電化試験線)
  • 1957年(昭和32年)9月5日 - 【電化】仙台 - 陸前落合間、熊ケ根 - 作並間(交流20kV・50Hz。仙台 - 作並間交流電化の営業運転開始)ED45(ED91)型機関車運転開始。
  • 1960年(昭和35年)11月1日 - 【電化】山寺 - 羽前千歳( - 山形)間(直流1500V)。日本初の交直流電車の運行開始。準急「あさひ」「月山」運転開始。
  • 1963年(昭和38年)10月1日 - 準急「仙山」運転開始。
  • 1966年(昭和41年)3月5日 - 準急「あさひ」「月山」を急行化。
  • 1968年(昭和43年)
    • 9月8日 - 【電化方式変更】作並 - 羽前千歳( - 山形)間(→交流20kV・50Hz)ED78型機関車運転開始。
    • 10月1日 - 準急「仙山」を急行化。
  • 1971年(昭和46年) - 熊ケ根駅無人化、交換設備撤去。
  • 1972年(昭和47年)9月1日 - 特定都区市内制度が仙台市に導入され、市内にある当線上の仙台および北仙台にも適用。以後、市内新設駅および市域拡大の際に適用拡大。
  • 1973年(昭和48年)9月8日 - 愛子駅 - 陸前白沢駅間の無人踏切で、動けなくなったトラックに急行「仙山1号」が衝突。列車は5両が脱線、うち1両が転覆。
  • 1978年(昭和53年)10月2日 - ダイヤ改正、愛子に急行「仙山」停車。
  • 1982年(昭和57年)
    • 5月1日 - 急行「あさひ」を「べにばな」に改称。
    • 11月15日 - 急行「仙山」を快速化。急行「月山」仙山線内廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 【駅新設】北山、国見。愛子に3番線ホーム設置。仙台 - 愛子間に「区間列車」を設定[9]
  • 1985年(昭和60年)3月14日 - CTC化。陸前落合、陸前白沢、作並、奥新川、楯山無人化(陸前落合、作並、奥新川はそれ以前から出改札中止)、急行「べにばな」仙山線内廃止、全列車電車化。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月1日 - 北山、陸前落合に仙台駅から職員派遣(事実上の有人化)。
    • 3月20日 - 国見に仙台駅から職員派遣。
    • 3月21日 - 【臨時乗降場新設】西仙台ハイランド
    • 4月1日 - 【承継】東日本旅客鉄道(第一種)・日本貨物鉄道(第二種) 【臨時乗降場→臨時駅】西仙台ハイランド 【仮乗降場→臨時駅】八ツ森、面白山
    • 6月20日 - 国見の列車交換設備供用開始。
    • 11月1日 - 宮城郡宮城町が仙台市に編入合併され、当線の宮城県側区間が総て仙台市内となる。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月13日 - 【臨時駅→駅・駅名改称】面白山→面白山高原。旧宮城町内の駅が全て特定都区市内「仙台市内」の駅となった[9]
    • 11月18日 - 【駅新設】東照宮
  • 1990年平成2年)
  • 1991年(平成3年)
  • 1992年(平成4年)7月1日 - 山形新幹線開業により、特急「つばさ」の迂回運転終了。
  • 1993年(平成5年)12月1日 - 急行「津軽」廃止。
  • 1994年(平成6年)
    • 9月30日 - 豪雨(大雨)により、奥新川駅 - 面白山信号所間の盛土が約100mにわたり流失したため、長期運休[注釈 4]
    • 11月28日 - 9月30日に発生した盛土流出の復旧工事が終了、運転再開した。
  • 1996年(平成8年)3月16日 - 高速貨物列車(仙台 - 山形)運行休止。
  • 1998年(平成10年)10月 - 専用貨物列車(仙台 - 蔵王、漆山)運行休止。
  • 1999年(平成11年)12月 - 山形新幹線新庄延伸。羽前千歳までの複線区間が標準軌と狭軌が併走することになる。
  • 2001年(平成13年)
    • 4月1日 - 休日の快速「仙山」を「ホリデー仙山」とする。
      • これまで仙台 - 山形間で快速列車として運用されていた455系が朝のラッシュなどの対応のため撤退し、これまで主に東北本線で運用されてきた719系へ切り替えられ、ほぼ全ダイヤで719系が運用されるようになる。
    • 12月1日 - 日本全国で初めてATS-SNの拡張版であるATS-Psが仙台 - 愛子間で使用開始。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 【第二種鉄道事業廃止】全線(日本貨物鉄道)
  • 2003年(平成15年)10月26日 - 仙台 - 愛子間でICカード乗車券「Suica」サービス開始。
ファイル:JREAST快速仙山.JPG
快速仙山(2004年3月、山形駅にて撮影)
  • 2004年(平成16年)
    • 3月13日 - すべての快速列車が面白山高原停車となる。
    • 10月16日 - 快速「仙山」「ホリデー仙山」の愛称廃止。この改正で快速列車の停車駅に新たに国見・陸前落合・羽前千歳が加わる。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 - 【駅新設】東北福祉大前。同日のダイヤ改正で2本あった東北本線の直通列車は消滅(すべて仙台発着)。
    • 4月23日 - 仙山線の一部列車にE721系0番台導入。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)3月17日 - 面白山高原駅に停車していた快速が一部をのぞいて同駅通過に。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日 - 719系の定期運用がなくなる。
    • 7月20日 - 奥羽本線北山形駅構内で発生した信号設備火災の影響で、作並 - 山形間が26日まで運休。
  • 2014年(平成26年)
    • 3月15日 - 【駅廃止】西仙台ハイランド、八ツ森[24]
    • 4月1日 - 全線が新設の仙台近郊区間となり、作並駅、山寺駅でICカード乗車券「Suica」サービス開始[1]
    • 12月3日 - 午前7時40分頃、山寺 - 面白山高原間で、雪の重みで傾いた木が架線に触れて停電が発生。上り山形発仙台行快速 (3832M) が、およそ8時間にわたって立ち往生。乗客およそ300人が閉じ込められたが、午前10時20分頃に、ディーゼル除雪作業車使い捨てカイロや食料が届けられたことから、けが人や体調不良を訴える人はいなかった。午後3時35分頃に、運転再開し列車は山寺駅に引き返した。仙台駅行きを希望する乗客についてはバスで輸送した[25][26][27]
  • 2015年(平成27年)3月14日 - 利用客減少に伴い、面白山高原駅に停車していた快速が全て同駅通過になる。
  • 2016年(平成28年)12月9日 - 仙山線の一部列車にE721系1000番台導入。
  • 2017年(平成29年)

交流電化発祥の地

1955年(昭和30年)8月10日、商用周波数による交流電化の試験のため、陸前落合 - 熊ケ根間に日本初の交流電化が実施された。当初は、世界で初めて商用周波数による交流電化を実用化したフランスからの試作機導入を目論んだが不調に終わり、交流を使用して交流整流子モーターを直接駆動する方式(直接式)と、交流を整流器直流に整流して直流モーターを駆動する方式(間接式)の2方式の交流用電気機関車(ED44形ED45形)や電車(クモヤ790形)を日本国内で試作し、各種の試験に供した。1957年(昭和32年)9月5日、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。

作並 - 山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交流と直流の地上切り替えのための設備が設けられた。また、交流電化と直流電化の2つの異なった電化区間を直通運転するため、日本初の交直流両用電車クモヤ491形)が試作され、車上切り替えの試験も実施された。

ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にもに活かされ、さらには新幹線の成功にもつながっていくことになる。

1968年(昭和43年)9月8日、奥羽本線の交流電化延伸により、作並 - 山形間の電化方式は直流から交流に切り替えられ、作並駅の交直流地上切り替え設備も役目を終えたが、同駅ホームには日本初の交流電化を記念する「交流電化発祥地」の碑が建てられている。

駅一覧

便宜上、羽前千歳駅側の全列車が直通する奥羽本線山形駅までの区間を掲載。

  • 停車駅
    • 普通…信号場を除くすべての駅に停車
    • 快速…●:全列車停車、◆・▲:一部停車(▲は上り1本のみ)、|:通過
  • 線路 … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
    • 仙山線内は全線単線であり、奥羽本線区間でも当路線・左沢線用の狭軌は単線。
路線名 駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
快速 接続路線・備考 線路 所在地
仙山線 仙台駅 - 0.0 東日本旅客鉄道■ 東北新幹線秋田新幹線北海道新幹線 東北本線 常磐線[* 1] 仙石線 仙台空港アクセス線 仙石東北ライン
仙台市地下鉄 南北線東西線
宮城県
仙台市
青葉区
東照宮駅 3.2 3.2  
北仙台駅 1.6 4.8 仙台市地下鉄:南北線
北山駅 1.7 6.5  
東北福祉大前駅 1.0 7.5  
国見駅 1.1 8.6  
葛岡駅 1.5 10.1  
陸前落合駅 2.6 12.7  
愛子駅 2.5 15.2  
陸前白沢駅 5.4 20.6  
熊ケ根駅 3.1 23.7  
作並駅 5.0 28.7  
奥新川駅 5.1 33.8  
面白山信号場 - 41.5   山形県
山形市
面白山高原駅 8.7 42.5  
山寺駅 6.2 48.7  
高瀬駅 3.7 52.4  
楯山駅 2.5 54.9  
羽前千歳駅 3.1 58.0 東日本旅客鉄道: 奥羽本線山形線 新庄方面)
北山形駅 2.9 60.9 東日本旅客鉄道: 左沢線[* 2]
山形駅 1.9 62.8 東日本旅客鉄道:■ 山形新幹線 奥羽本線(山形線 米沢方面)
  1. 常磐線の正式な終点は東北本線岩沼駅だが、運転系統上は仙台駅へ乗り入れる。
  2. 左沢線の正式な起点は北山形駅だが、運転系統上は山形駅へ乗り入れる。
  • ※:羽前千歳駅 - 山形駅間は奥羽本線(山形線)
  • 仙台駅 - 東照宮駅間の東北本線との分岐部分で仙台市宮城野区、奥新川駅 - 面白山信号場間で仙台市太白区を通るが、同区内に駅はない。

廃止駅

新駅構想

仙山線の仙台駅 - 愛子駅は、開業当初から1980年代までは仙台・北仙台陸前落合・愛子の4駅のみであった。当時の仙山線沿線の住宅地は現在よりもはるかに少なく、北仙台 - 陸前落合までは山の間を走る路線であった。しかし1980年代のニュータウンブームによって、山であった仙山線沿線も急速に宅地化が進み、住民から新駅設置の要望が相次いだ。このため、請願駅として1984年北山国見1988年東照宮1991年葛岡駅(簡易駅)が相次いで開業した。この頃には小田原3丁目 - 4丁目のキリンビールの敷地(仙台駅 - 東照宮間)に新駅を設置する案が何度か出て、1986年12月には市議会に仮称小田原駅が請願されたが、今のところ実現には至っていない。

2000年代に入ると再び幾つかの新駅構想が浮かび上がった。まず、沿線の東北福祉大学が北山駅と国見駅の中間地点の新駅設置に動き出し、JRや仙台市との間で協議した結果、東北福祉大学が建設費を全額負担することで設置が決定、東北福祉大前駅との名称に決まった。隣接地の仙台市青葉区国見1丁目に東北福祉大学の福祉大ビルが2006年12月に完成した。駅舎自体は2006年3月から工事が進められ、2007年3月18日に供用を開始した。

また、青葉区中江付近から北仙台駅までを高架化し、新石巻街道踏切付近に新駅(中江駅)を設ける構想もある。高架化案に対しては東照宮駅付近の景観を害するものだとして、地元住民から反発の声も上がっている。市議会の議事録における議員や市当局の発言をまとめると、中江付近の立体交差についてはJRも同意しているので、時期は未定だが建設される見込みである。一方で、複線化は難しいとのことである。

脚注

注釈

  1. 同様の路線としてJR以外では、京阪電気鉄道京津線がある。
  2. 1988年の奥新川駅までの指定拡大による影響で仙台市内までの200km以上の長距離切符の場合、運賃計算上の営業キロは仙台駅までとなるため仙山線や山形駅を含む奥羽本線の山形県内の一部の駅に至っても仙台市内までの200km以上の長距離切符を購入し、乗り越し精算をすると奥新川駅からの乗り越しの扱いとなるため山形県内の各駅への本来の経路指定よりも数十円から数百円程度安くなる場合がある。
  3. このため、東北本線では719系への車両変更が相次ぎ、常磐線浜吉田駅 - 仙台駅間でも営業運転に719系が充当されている。
  4. 4.0 4.1 4.2 ただし、1994年9月の災害による長期不通の際は、JRは仙台 - 山形間でノンストップの代行バスを運転したものの、仙山間の旅客は運賃が当時JRより安かった高速バス・仙台 - 山形線に乗客を奪われる結果となった。

出典

  1. 1.0 1.1 Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます (PDF) - 東日本旅客鉄道、2013年11月29日。
  2. 2.0 2.1 2.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「youran」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  3. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 山形県鉄道利用・整備強化促進期成同盟会「山形県の鉄道輸送」 (PDF) (山形県庁)
  5. JTBパブリッシング『JTB時刻表』2016年4月号 仙山線のページを参照。
  6. 6.0 6.1 2015年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道仙台支社、2014年12月19日
  7. <仙石線全線再開>地域再生が今後の課題 - 河北新報(2015年5月31日)
  8. 線路別ご利用状況(2009~2013年度) (PDF) - 東日本旅客鉄道
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 9.9 2011 Tohoku University Festival 大学祭あおば 鐵物語 ―テツモノガタリ― (研究テーマ:仙山線) (PDF)東北大学鉄道研究会)
  10. 景観か渋滞緩和か 仙山線踏切高架化で「東照宮隠れる」 仙台 - 河北新報(2005年2月12日)
  11. 平成25年度JRへの要望事項 (回答書) (PDF) 山形商工会議所
  12. 、2001、「RAILWAY TOPICS - 仙台地区で4月1日に改正 全列車3扉化」、『鉄道ジャーナル』(通巻414号)、鉄道ジャーナル社、2001年4月 p. 91
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 HANDS 019 仙山線 (PDF)公益社団法人土木学会 土木の日実行委員会 土木コレクション小委員会)
  14. 14.0 14.1 14.2 <仙山線 全線開通80年>機能強化望む声根強く(河北新報 2017年11月10日)
  15. <仙山線>さよならあの日の雄姿 電気機関車が解体へ(河北新報 2017年12月23日)
  16. 16.0 16.1 戦後経済成長の礎を築いた鉄道10年の記録 秘蔵鉄道写真に見る戦後史 下 昭和30年代(監修:須田寛 解説:原田隆行、JTBパブリッシング) p.36
  17. 17.0 17.1 平成20年度山形県土木概要 第3章 交通政策 (PDF)(山形県庁)
  18. 仙台都市圏交流基盤に関する懇談会 (PDF)社団法人東北建設協会
  19. 公共交通活性化総合プログラム(国土交通省)
  20. 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 路線別ご利用状況(東日本旅客鉄道)
  21. せんだい都市交通プラン ~百万都市のにぎわいと暮らしやすさを目指して~ (PDF) (仙台市 2010年11月)
  22. 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. 記念スタンプ「逓信省告示第3515号」『官報』1937年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. 仙山線 西仙台ハイランド駅及び八ツ森駅廃止について (PDF) - 東日本旅客鉄道仙台支社、2014年2月14日、同日閲覧。
  25. 車内に300人閉じ込められる…停電で仙山線”. 読売新聞 (2014年12月3日). . 2014閲覧.
  26. JR仙山線:冷え込む列車内に8時間「何とか耐えた」”. 毎日新聞 (2014年12月3日). . 2014閲覧.
  27. 雪で停電、仙山線立ち往生 300人缶詰め 山中道なく”. 朝日新聞 (2014年12月3日). . 2014閲覧.
  28. 「仙山線全線開通80周年」記念イベント開催のお知らせ (PDF) - 東日本旅客鉄道仙台支社(2018年1月25日閲覧)
  29. 「仙山線開通80周年 記念列車が出発 仙台駅などでイベント」『河北新報』朝刊2017年11月12日(ワイド東北面)

関連項目

外部リンク


テンプレート:東日本旅客鉄道仙台支社