千代大龍秀政

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千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ、1988年11月14日 - )は、東京都荒川区出身(出生地は葛飾区)で九重部屋所属の現役大相撲力士身長182cm、体重190kg。本名は明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)[1]。最高位は西小結(2014年9月場所、2018年3月場所)、血液型はA型[2]。好物は寿司(特に光もの)、焼肉カルピス。嫌いなものは納豆あんこ。趣味はトレーニング。好きな言葉は「温故知新」。都立高校出身者として初めての関取でもある[3]

来歴

入門前

小学6年生の時にわんぱく相撲の大会で1回戦負けして帰ろうとしていたところ相撲を習うよう勧誘されて白鳥相撲教室で相撲を習い始める。当時の稽古の様子を本人は「白鳥公園に土俵がある白鳥相撲教室では、屋根が土俵の上にしかないので、雪が降ったら土俵はぐちゃぐちゃ、雨が降ったら滑って泥まみれ。だからみんなが必死に土俵際で粘って強くなった」と後に振り返っている。葛飾区立大道中学校でも相撲を続けたが本人曰く当時は「体が小さかったので一番弱く、中学時代はずっと補欠」だった。その後東京都立足立新田高等学校時代から身長が伸びて試合でも勝てるようになり[4]、卒業後は日本体育大学体育学部武道学科に進学。阿武松部屋大道は中学校の先輩にあたる。高校時代までは目立った実績を残していないが日体大相撲部監督・齋藤一雄の指導で頭角を現し、2010年国体成年個人優勝、第88代学生横綱という実績を手にし、個人戦アマチュア5冠の経歴を刻んだ。特に学生横綱を獲得した大学4年時の全国学生相撲選手権大会では決勝戦で佐久間貴之と対戦している[5]。他にも2010年の全日本相撲選手権大会では3位入賞を果たし、幕下10枚目格付出まであと一歩というところまで奮戦した。主に日体大では出し投げや廻しを切る技術を磨いて器用さを身に着けたという。[6]2011年1月24日九重部屋に入門した。幕下15枚目格付出の資格を持ち、2011年春場所初土俵予定だったが、大相撲八百長問題のため、3月5日に新弟子検査を受けたが初土俵が延期になった。明月院は5月場所も開催されなければ「親と相談する」とし、力士を断念した場合は教師になる可能性も示唆したが[7]「(相撲を)やめることはしません」と4月5日に発言している。[8]

初土俵から新入幕まで

初土俵となる2011年5月技量審査場所前に所要1場所での十両昇進を宣言した際は、八百長問題で17人の現役関取が引退に追い込まれた直後で、全勝優勝すれば十両昇進の可能性が高かった[9]。結局1番相撲から2連敗し、5日目から右下腿蜂窩織炎のため途中休場した。幕下付出力士の初土俵場所途中休場は戦後初。7月場所は東幕下46枚目、9月場所は西幕下16枚目でそれぞれ6勝1敗と大きく勝ち越した。

入門後の力士養成員に履修が義務付けられている相撲教習所において、出席日数が不足して落第し、再教習を受けることになった。「休みすぎて卒業できなかった。10月も来なさいと言われました。1日も休まず行きます」とコメントした。[10][11]

同年の11月場所は東幕下3枚目で4勝3敗と勝ち越し、2012年1月場所での新十両昇進を果たし、四股名を千代大海龍二にちなんで日体大相撲部監督の齋藤一雄が命名した「千代大龍」に改名した[12]。新十両の際の九重による評価は昇進会見での「ほめるところは一つもない」という極めて辛口なものであった。同場所では西十両13枚目で13勝2敗の成績を挙げて十両優勝、前場所のに続き2場所連続での新十両優勝となった。2場所連続での新十両力士の優勝は1997年11月場所の若の里、1998年1月場所の金開山以来史上2度目。翌3月場所は東十両筆頭となり、勝ち越せば新入幕が見える地位で11勝4敗。12勝3敗で十両優勝の皇風に敗れるなどして連続十両優勝はならなかったが、翌5月場所で新入幕(西前頭10枚目)。

新入幕後

2012年

2012年5月場所は新入幕の場所であったが、場所前の春巡業での傷を悪化させたため9日目より途中休場(9日目は不戦敗、5勝4敗6休)。
ようやく小さいを結って迎えた7月場所では、師匠からの度重なる叱責が応えたためか、西前頭15枚目の地位で引き・叩きを一切決まり手に絡めず8勝7敗と千秋楽に勝ち越しを決めた[13]が、この場所11日目の阿覧戦で右大腿二頭筋を断裂する大怪我(全治4週間)をしており、7月場所後に行われた夏巡業は休場した。

2012年8月26日に都内のホテルで行われた幕内昇進祝賀会では同月上旬に糖尿病に罹っていたことを明かした[14]。9月場所発表では前場所からマイナス20kgの158kgまで体重が減り、取り分け強みである上体の筋肉が落ちてしまった。この場所は東前頭12枚目だったが病気の影響もあって6勝9敗で終えた。11月場所は西前頭15枚目の地位で臨み、体調への懸念もあったが10勝5敗の好成績を挙げた。

2013年

2013年1月場所は運よく最高位を西前頭8枚目まで更新。この場所は日体大の先輩でもあり千秋楽に殊勲賞と勝ち越しがかかる妙義龍を引き落としで下して2場所連続10勝5敗で取り終えた。

2013年2月10日大相撲トーナメントの3回戦でまだ本場所での対戦のない白鵬に外掛けで破り殊勲の星を挙げたが、準々決勝で琴欧洲に敗れた。

2013年3月場所は自己最高位を更新する東前頭2枚目に躍進。4日目の日馬富士を前に「みんなビビってるだけじゃないっすか?自分はカチ上げとかやりますよ」と豪語し相撲の組み立てまで予告。実際に左でカチ上げて即引く相撲で圧勝。[15]横綱初挑戦で初金星の快挙を成し遂げたが、6日目の白鵬との取り組みで足の骨を折り、7日目から途中休場(7日目は不戦敗、3勝4敗8休)[16]。翌5月場所は休場明けの影響で相撲勘が鈍り、前半はなかなか引き技が決まらず流れで勝つ相撲に終始したが、徐々に引き技が決まるようになり、最終的に10勝5敗。千秋楽に勝てば敢闘賞を受賞できたがこれは叶わなかった。[17]

2013年6月1日、師匠の九重に結婚を報告する。この時点で婚約者は妊娠1ヶ月であった。入籍は7月場所前後に行う予定と報道され[18]、同年9月10日に婚姻届を提出。[19]2014年1月に第1子となる長女が誕生する予定となった[20]

2013年7月場所は、5日目に綱取りの稀勢の里を破り、8日目に日馬富士から再び金星を奪う活躍を見せたが、最終的には終盤に4連敗して千秋楽で7勝8敗と負け越した。続く9月場所は6勝9敗と負け越したが、9日目に稀勢の里を突き出して2場所連続で破った。この頃から師匠の助言を守って「何があっても頭から当たる」と心に決めたためにぶちかましの深度が増していった。[21]

2013年10月、左目の網膜剥離と両目の緑内障発症が発覚して手術を受けた[22]。さらに、11月場所のため福岡入りした後には右目の網膜剥離も発覚して再び手術を受けた[23]。本人曰く「まだ視界が狭い」状態であり11月場所を休場する可能性もあったが11月6日から稽古を再開し、医者から判断を委ねられた上で強行出場する意向を示した。[24]しかし、開き直ったためか、押し相撲が冴えて11勝4敗と好成績を挙げ、自身初の三賞となる技能賞を受賞。[25]翌2014年1月場所は幕内上位から三役にかけて好成績者や負け越し点の少ない力士が多かったことや琴欧州が関脇に陥落したことが影響して番付運に恵まれずわずか4枚上昇の東前頭2枚目に甘んじ、結局自己最高位更新も果たせなかった。

2014年

翌2014年1月場所は背中の痛みに襲われ立合いが上手く決まらなかったことで初日から6連敗と絶不調。7日目の旭天鵬戦でようやく初白星を挙げたが、その後も調子が上がらず、結局4勝11敗と大きく負け越した。[26]同年3月場所は7日目まで2勝5敗と大きく出遅れるも、11日目の天鎧鵬戦で得た不戦勝を含めて中日から14日目まで7連勝したことで最終的に9勝6敗の勝ち越しを収めた。この場所の14日目には、勝ち越せば年6場所制定着(1958年)以降史上最速記録となる初土俵から所要7場所での新三役を果たす可能性のあった遠藤に負け越しを確定させる黒星を与える活躍を見せた。[27][28]翌5月場所は自己最高位タイの東前頭2枚目だったが、11日目に負け越しが決定し、最終的に4勝11敗。翌7月場所は9日目に照ノ富士と2分59秒の熱戦を演じるなど良い所を見せた上で10勝5敗の好成績。[29]翌9月場所は西小結の地位で迎え、本人は新三役昇進会見で「全く上がると思ってなかった。奇跡」と番付運の良さに喜びの意を示していた。[30]東京都からの新三役は、1997年7月場所の栃東以来。しかしこの場所は4日目の取組以外白星に見放されて9日目に負け越しを確定させただけでなく、11日目から「右ひざのじん帯のけがでおよそ3週間の治療と安静が必要」と診断されて途中休場の憂き目に遭った。[31]

2015年

2015年1月場所は初日から5連敗のスタート。6日目で初白星を挙げたが、7日目より両足血行障害のため休場した[32]。このため翌3月場所では新入幕以来初めて十両に陥落し、しかも負け越した。5月場所は西十両2枚目まで番付を下げたが、9勝6敗と勝ち越した。再入幕を果たした7月場所では11日目に早々と勝ち越しを決める好調ぶりであったが、8勝目を挙げた大砂嵐戦で負傷し、「左足足底筋膜損傷」の診断書を提出して12日目から途中休場した[33]。休場明けの9月場所は負け越し、11月場所も初日から4連敗と極めて不振であったが、5日目より打って変わって6連勝。終盤に再び負けが込んだものの1年を8勝7敗の勝ち越しで締めくくった。

2016年

2016年7月31日九重親方が死去した際には「ずっと叱ってくれた。九重部屋に入ってよかった」とコメント[34]。2016年9月場所は5日目の大輝戦で左ひざを負傷。全治2、3週間の怪我であったが強行出場。本人いわく 「先代師匠が生きていたらダメでしたね。稽古場に降りれない段階で休めと言われましたよ」。初日から6連勝したが、7日目以降は10日目と12日目以外白星を挙げることができず、場所を8勝7敗の成績で終えた。なお、6日目の取組前に自身を負傷させてしまった大輝から謝罪を受けたが、本人は「ふざけんなってね。勝負事で謝りに来るんじゃないって言いましたよ」とはねつけた。[35]9月場所は幕内に成績不振者が多かったこともあって、11月場所は運良く6枚上昇の西前頭14枚目となり再入幕を果たした。

2017年

1月場所は幕内で負け越して3月場所は十両で勝ち越し、5月場所には再入幕を果たした。5月6日には九重部屋に出稽古に来た稀勢の里と稽古を行った[36]。千代大龍の方にこれと言った見せ場はなかったが、千代大龍や千代鳳と合わせて16番の稽古をした稀勢の里は復調をアピール[37]。5月場所は9日目に十両の旭秀鵬に敗れるなど幕内残留に不安を抱かせる場面もあったが、13日目から残りを3連勝して9勝6敗となり、これにより自身8場所ぶりとなる幕内での勝ち越し。場所7日目の取組を終えた際には「5勝で三役復帰が見えてきた?いきなり高い山は登れないでしょう。まずは高尾山から(笑)。いつかはマッキンリーです」と三役復帰を果たす意欲があるかのようなコメントをしていた[38]。7月場所は好調であり、10勝5敗と2014年7月場所以来丸3年ぶりの幕内2ケタ白星。前5月場所中の三役復帰に意欲を示すコメントが現実へと近づいた。千秋楽の支度部屋では「実感はない。三年間、何をしていたのかな。落ちていたから仕方がないけど」と淡々と話していた[39]。なお、この場所の9日目に白鵬が13代九重が残した通算白星1045の記録に並んだ際には「悔しいとは思わない。すごい記録だと思うし、時間の問題だと思っていた」と控えめのコメントを残している[40]。9月場所は丸3年ぶりの幕内上位となる西前頭3枚目の地位を与えられた。この場所は糖尿病が快方に向かっており、午前4時からジムへ行き、肉を毎日1kg食べて体を作り、190㎏まで増量して場所を迎えた[41]。場所中の記事では、14代九重から上位で取る千代の国と千代翔馬を指して「うらやましくないと思うなら辞めた方がいい」と叱咤されて「遊んでいたから。幕内筆頭も16枚目も、給料は一緒。このままでもいいかと…」と考えていた千代大龍が心機一転した様子が伝えられている[42]。場所では立ち合いの威力に磨きがかかり、一気に相手を起こして勝つ相撲で序盤から星を伸ばした。5日目に豪栄道、6日目に日馬富士と大関以上には敗れたものの、それ以降も白星を重ねて10日目に勝ち越しを果たし、この時点で1敗の豪栄道を唯一1差で追う位置につけるなど優勝争いにも絡んだが、11日目から残りを全て負けて終わってみれば8勝7敗。この場所は混戦であったため14日目に6敗目を喫するまで優勝争いに加わっていた。10日目の栃ノ心戦では相手十分の右四つを許しながら勝っている[43]

2018年

2018年1月場所は初日から5連敗と序盤戦の調子は最悪で、特に4日目には史上初となる同一力士による3度目のつきひざを経験。2日目の取組を終えた際に支度部屋で「相撲は難しいです。次からはまわしを取りません。思い切りかち上げていきます」とユーモアを交えたコメントを残している[44]。それでも6日目の稀勢の里戦で不戦勝にあずかるなど幸運に恵まれ、中日からは11日目の取組を落とした以外はすべて白星と後半の勢いの良い追い上げがあって8勝7敗の勝ち越し。2018年3月場所は8勝7敗での2枚半上昇とやや幸運な形で小結に復帰。2017年5月場所中に目指していることを示した三役復帰が現実と化した格好となった。西十両4枚目からの三役復帰はこの時点で下位からの三役復帰記録としては10位の記録[45]。三役に復帰した3月場所は4勝11敗と壁に跳ね返された。9月場所は西前頭2枚目の地位で上位総当たりとなったが、この場所も5勝10敗と力及ばずであった。ただ、この場所は稀勢の里戦で金星懸賞41本を獲得しており、千代大龍は「僕がイナしたタイミングがよかっただけ。たまたま勝っただけです」と謙虚に語り、懸賞の使い道について「子供のために貯金します」と語りながら満面の笑みを浮かべた[46]

合い口

いずれも2018年9月場所終了現在

  • 横綱・白鵬には9戦全敗。
  • 横綱・鶴竜には10戦全敗。鶴竜の横綱昇進後は6敗。
  • 横綱・稀勢の里には3勝6敗(うち不戦勝による1勝を含む)。稀勢の里の横綱昇進後は2勝1敗(うち不戦勝による1勝を含む)。直近の勝利は2018年9月場所で、決まり手は押し出し。稀勢の里から獲得した金星は1個。
  • 大関・豪栄道には6勝6敗。豪栄道の大関昇進後は3勝4敗。直近の勝利は2018年5月場所で、決まり手は押し倒し。
  • 大関・高安には3勝9敗。高安の大関昇進後は4敗。直近の勝利は2016年1月場所で、決まり手は押し出し。
  • 大関・栃ノ心には2勝5敗。栃ノ心の大関昇進後は1敗。
  • 元大関・琴奨菊には1勝10敗。琴奨菊の大関在位中は1勝5敗。直近の勝利は2013年3月場所で、決まり手は引き落とし。
  • 元大関・照ノ富士には1勝1敗。照ノ富士の大関在位中は対戦なし。直近の勝利は2014年7月場所で、決まり手は押し出し。
  • 元横綱・日馬富士には2勝4敗。初顔合わせから2度続けて勝利し2個の金星を獲得したが、その後は4連敗だった。
  • 元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に対戦して2戦全勝。
  • 元大関・琴欧洲には1勝2敗。唯一の勝利は2013年3月場所で、決まり手は下手捻り。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 2 7 朝赤龍 1 2 安美錦 1 3 阿覧 0 3(1)
7 5 逸ノ城 3 4 隠岐の海 6 4 魁聖 3 10
旭天鵬 5 4 琴勇輝 6 2 正代 1 4 宝富士 6 7
豪風 6 8 玉鷲 9 5(1) 栃煌山 4 3 豊ノ島 2 7
御嶽海 4 5 妙義龍 5 6 嘉風 7 6(1) 若の里 1 3
小結
遠藤 7 6(1) 阿武咲 3 1 臥牙丸 6 3 常幸龍 6 2
松鳳山 6 2 貴景勝 2 4 時天空 1 3 豊真将 1 0
若荒雄 2 1
前頭
明瀬山 0 1 朝乃山 0 1 旭日松 1 1 東龍 2 0
阿炎 1 1 阿夢露 2 2 荒鷲 3 4 石浦 2 2
大砂嵐 1 1 鏡桜 1 1 1 2 北太樹 6 2
木村山 1 0 旭秀鵬 4 2 旭大星 0 1 佐田の海 4 5(1)
佐田の富士 6 0 里山 1 1 翔天狼 3 1 青狼 2 0
蒼国来 4 6 大栄翔 6 1 大翔丸 4 4 貴ノ岩 4 1
隆の山 2 0 天鎧鵬 2(1) 0 德勝龍 5 4 栃乃若 1 2
豊響 8 6 錦木 4 0 英乃海 1 3 富士東 3 1
寶智山 1 0 北勝富士 1 5 舛乃山 2 1 豊山 2 2
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年9月場所終了現在、現役力士

人物・エピソード

  • 中学、高校時代はやんちゃで、地元ではかなり有名だったという[47]
  • 2012年7月場所初日の西幕内土俵入りの最中に、右隣の若の里に話しかけている場面がテレビに映し出され、一部好角家から態度の悪さを指摘された。[48]
  • 入幕からしばらくは主に日体大のシンボルマーク六つの花弁のさくらのマークの化粧廻しをつけていたが、2013年7月場所から「キン肉マン」の化粧廻しを締めて幕内土俵入りに参加するようになった。本人はこの化粧廻しに思い入れがあるようであり、2013年7月場所7日目の白鵬戦で黒星を喫した直後に記者へ「明日はみなさんお楽しみの『キン肉マン』の化粧まわしなんで」と饒舌に話す、同場所8日目の日馬富士戦で2つ目の金星を得た際には「クソ力が出た」などと作品のネタになぞらえて心情を語るなどの発言を残した。[49][50]
  • 2014年7月場所初日前日にはアニメ『秘密結社鷹の爪』の着流しを後援者から贈呈された。アニメキャラの染め抜きは元小結千代天山のデビルマン以来だが、背面すべてにキャラが描かれたものは今回が初めて。一般的には約50万円といわれる染め抜きだが、後援者によると「販売するなら200万円から300万円」という[51]
  • 2013年1月場所8日目の若の里戦につきひざ、2014年1月場所12日目の豊響戦に勇み足での黒星を喫しており、初土俵から3年足らずの間に複数種の非技での黒星を記録するという珍しい土俵歴を持っている。
  • 後述のふてぶてしさ、不摂生とは裏腹に関取昇進後は給料の半分を仕送りする孝行息子である[52]。2013年11月場所に技能賞を獲得した際には、賞金200万円を「子供が生まれたので子供のために使う」と話した[53]
  • 2014年5月場所3日目から5日目にかけて平幕(東前頭2枚目)の立場でありながらも3番連続で結びの一番に出場し、いずれの日も横綱と対戦した(3日目から鶴竜、白鵬、日馬富士と対戦するも全て黒星)。5日目の日馬富士戦を終えた後に「やっと拷問から解放される」とその割運の悪さを表現した。[54]
  • 2014年7月場所中日に遠藤を下して13本の懸賞を受けた千代大龍は魁聖から「おめでとう。たくさんもらったんだから1本ちょうだい」とねだられ、これに対して「あとでね」と返答した。魁聖はこの日に東龍を下したが1本も懸賞が設定されていなかった。[55]
  • Facebookを利用している。
  • 自身の26歳の誕生日でもある2014年11月場所6日目には旭天鵬と対戦して寄り切りで敗れ、旭天鵬はこれにより通算900勝目を記録した上にこの場所の幕内残留を確定させた。旭天鵬は「これで年を越せる。まずはそこを考えていた」とコメントし、千代大龍が26歳の誕生日だったと聞くと「あいつ泣いてるよ。でも26歳で落ち込んでいるのは早い」と豪快に笑い飛ばしていた。[56] 
  • 2016年1月場所7日目の御嶽海戦で白星を収めた際には、約4年前から通う部屋近くの寿司屋に最近通い始めた御嶽海に関して「負けたら店で会った時に気まずいから絶対勝とうと思った」とコメントした。[57]
  • 妻は福岡県太宰府市出身者であり、結婚して以降の千代大龍にとって九州場所は準御当地場所となっている。2015年11月場所中は白星を挙げた日に限って妻の実家に帰省することを九重から許可されており、千代大龍はそれに発奮して見事場所を勝ち越しで終えた。[58]
  • 2017年3月場所中、2017年のワールド・ベースボール・クラシックで日本が準決勝敗退を喫したことに関して、足立新田高の同級生でもあるWBC日本代表の秋吉亮に対して「(準決勝で)2人抑えたくらいで調子に乗るなよ、と送りましたよ」と明かした[59]
  • 2017年11月場所6日目、全勝であった豪栄道と対戦したが、突き合いながら互いに引くタイミングを探る攻防の末に突き出しで破り、取組後には「大関は引きといなしがうまい。前に出るのが怖かった。調子のいい大関に勝ててうれしい」と連敗を3で止める2勝目を喜んだ。場所中の11月14日が29歳の誕生日。「糖尿でケーキも食べられないけど、4歳の娘から動画のメッセージのお祝いが届きました」とデレデレだった[60]
  • 2018年1月にSmartFlashが開催した千代丸、千代ノ皇との初鼎談では、九重部屋は番付社会なので力士同士の仲は悪いと話しており、九重部屋の力士同士がトークを行う機会自体普通はないと言っていた。また「三役はね、自分それを目指してるわけじゃないですから。男を磨くために相撲やってますから」と、自分が若手時代よりも相撲に真摯であるかのように強調するようなコメントもあった。さらに、入門してすぐに自分が関取になり、風呂もちゃんこも先で雑用もやらなくよい立場になったことが周囲のやっかみを生み、それが却って部屋の力士達の発奮に繋がったと振り返っている[61]
  • 白鵬が立合いに見せるかち上げ、張り手が2018年1月場所に自粛を求められた件について千代大龍は「張り手やかち上げで隙ができるのでこちらとしては嬉しいが、攻めの速さや引き出しの多さのおかげでそれでも勝てるのが白鵬の強さ」という趣旨のコメントを残している[62]
  • 先代九重からは、「稽古しないで病院ばかり行っている」と稽古不足と怪我の多さを指摘されている。

MSP(明月院スペシャル)

入門当時の取り口は高校時代からの引き・叩きに偏っており、十両優勝した2012年1月場所の決まり手のうち叩き込みが6回、引き落としが1回、特に合計7回中6回が中日までの連勝に絡んでおり、あまりの露骨さに師匠の九重親方からも「相撲をなめている」と酷評されてしまった[63]。当初は九重から引き癖を厳しく叱責されることがままあったものの、本人は「特待生でもないのに学生横綱になった自分は、こういう相撲でここまで来た。誰かに言われて相撲を変えたら、自分を否定することになる」と譲らなかった。[15]引き主体の相撲故その相撲ぶりが皮肉られることが多く、主に「2ちゃんねる」などのインターネット掲示板で引き技が本名の「明月院」からMSP(明月院スペシャル)という異名をつけられたり[64]正攻法の相撲が「奇襲戦法」と皮肉られたりしがちである 。上述の初金星の際も、2ちゃんねるでの皮肉たっぷりの記述をもとにしたスポーツ記事が数件出て話題になり、本人も「あれがMSPです」と答えていた。[65][66]それでもかち上げぶちかましの威力が注目を浴びるようになってからは、次第に九重や北の富士から引き技も合わせて評価されるようになった。後年経済系メディアが「照ノ富士の大関昇進前に『次の大関は誰か』という議論になると彼の名前が出るほど将来性を買われていた」と千代大龍が期待されていた時期を振り返る記事を出している[67]。網膜剥離を発症してからはあまり頭で当れなくなっている。一発の当たりは強いが引く癖があるため、2016年の文献で北の富士は「一度や二度、三役に顔を出せばいいところかな」と辛めの評価を下している[68]。典型的に相撲が速い力士であり、2017年5月場所などは5秒以内で終わった相撲が15番中11番、2秒以内が6番であった[69]

ふてぶてしさ

  • 大胆不敵な人物であり、2013年7月場所6日目の白鵬戦を前に「結びでの白鵬関との一番。本当に楽しみ。横綱は連勝記録がかかっているんですよね。ぶっつぶします」と発言する強気さを見せたことがある。この発言が同時点で36連勝していた横綱に対するものであったため話題になった。[70]また翌9月場所7日目のNHK中継では結びの1番である対白鵬戦を前に刈屋富士雄が「千代大龍は勝負を楽しむと言っていた。」と話し、それを聞いた解説の北の富士は「僕の時は横綱戦を楽しむとか無かった。」と千代大龍の強心臓を評価した場面も見られた。
  • 新入幕の2012年5月場所6日目に立合い変化で碧山を破った一番について「体が勝手に動いた。飛ぶのは大学時代から大好き」と胸を張って話し、その日に九重から「勝手に動いた?ウソに決まってる。姑息な変化をしやがって!!伸びるか、適当なところで終わるか、自覚しないと」と激怒されたという経験もある。[71]
  • 取組前に準備運動を一切せず[72]に支度部屋で居眠りする様は「623人いる力士の中で、千代大龍だけだ。」と朝日新聞の記事でも話題にされ、2013年9月場所7日目の白鵬戦では付け人が「3回の塩撒きが準備運動みたいです」と呆れる様子が報道された。同場所9日目の稀勢の里戦では取組直前に稀勢の里を目の前に土俵上で大あくびする常識破りの図太さを見せ、そればかりか電車道で稀勢の里を破る活躍を見せるなど実力も大いに発揮した。[73]
  • 新三役となった2014年9月場所2日目を終えて「今場所は1勝14敗くらいかな。三役で15戦全敗した人がいないの?僕が歴史に名を残せるかも」と冗談とも自己分析ともつかない自虐話を披露した。なおその後10日目から途中休場し、その場所は1勝10敗4休。[74]
  • 2017年7月場所12日目の支度部屋では、好調の阿武咲に勝って勝ち越しを決めて「2敗の人を3敗にして、僕の役割は終わり。優勝を狙う人に千代大龍、よくやってくれたと思ってもらえれば、僕は満足です(笑)」とコメント[75]
  • ある時「緊張はしない。99パーセントの実力と、1パーセントの努力でこれまでやってきた。人生で緊張したのは、麻雀で大四喜をテンパった時です」と言い放ったという[47]
  • 2018年7月場所13日目、12日目に千代の国と対戦して千代の国を途中休場に追い込んだ玉鷲との対戦が14日目に決定し、千代大龍は「明日の相手はクラッシャー玉鷲か。犠牲者にならないように気をつけます。敵討ち?かち上げてウランバートルまで飛ばしますよ。逆に俺が(地元・東京)町屋の駅前にいるかも」と笑いながら敵討ちを誓った[76]

糖尿病との闘い

糖尿病に罹る前は1食に白米をどんぶり7杯たいらげ、デイリースポーツによると「原液7割・水3割」のカルピスを愛飲するという食生活を送っていた。[77]加えて日刊スポーツでは、2013年3月場所前に自己最高位の番付に対し「99%の才能と1%の努力でやってきた」と豪語するなど稽古嫌いを自認しており、カルピスについても「原液で飲んでいた」という説が伝えられた上、糖尿病にかかった後の千代大龍の様子を見て「子供のような甘いミルクコーヒーが好きだったのに、ブラックを飲むようになって驚いた」と話した母の証言まで掲載された。[78]カルピスは枕元に置くほど愛飲しており、そのイメージからいつか自分がカルピスのCMに抜擢されるのではないかと思っていたという[61]。だがこうした食べ過ぎと稽古不足が祟って2012年8月には空腹時血糖が480を測定する糖尿病に罹ってしまった。それから1年余り経過した2013年11月には糖尿病を起因とした両目の網膜剥離と緑内障という力士として致命的である傷病に襲われてしまった。この時千代大龍は25歳を目前としており、三役目前の力士がこれほどまでに若くして緑内障を発症するケースは珍しい。他にも焼き肉が大好物で2013年11月場所中の夕食は「半分以上焼き肉」であったといい、これは糖尿の悪化により緑内障を発症した直後の場所の発言であったため注目を浴びた。[79]2015年1月場所には両足血行障害を発症する憂き目に遭い、ここまで糖尿病が悪化した原因として一説に「数値が改善されるとすぐにインスリン注射を怠っていた」という本人の落ち度が伝えられている。

主な成績

2018年9月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:311勝299敗33休(45場所)
  • 通算勝率:.510
  • 幕内成績:232勝249敗29休
  • 幕内勝率:.482
  • 幕内在位:34場所
  • 三役在位:2場所(小結2場所)
  • 十両成績:63勝42敗(7場所)

三賞・金星

  • 技能賞:1回(2013年11月場所)
  • 金星:3個
    • 日馬富士:2個(2013年3月場所・2013年7月場所)
    • 稀勢の里:1個(2018年9月場所)

各段優勝

  • 十枚目優勝:1回(2012年1月場所)

場所別成績

千代大龍秀政
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2011年
(平成23年)
x 八百長問題
により中止
幕下付出15枚目
0–3–4[Basho 1] 
東幕下46枚目
6–1 
西幕下16枚目
6–1 
東幕下3枚目
4–3 
2012年
(平成24年)
西十両13枚目
優勝
13–2
東十両筆頭
11–4 
西前頭10枚目
5–4–6[Basho 2] 
西前頭15枚目
8–7 
東前頭12枚目
6–9 
西前頭15枚目
10–5 
2013年
(平成25年)
西前頭8枚目
10–5 
東前頭2枚目
3–4–8[Basho 3]
東前頭10枚目
10–5 
東前頭3枚目
7–8
西前頭3枚目
6–9 
東前頭6枚目
11–4
2014年
(平成26年)
東前頭2枚目
4–11 
西前頭7枚目
9–6 
東前頭2枚目
4–11 
東前頭8枚目
10–5 
西小結
1–10–4[Basho 4] 
東前頭9枚目
9–6 
2015年
(平成27年)
西前頭5枚目
1–6–8[Basho 5] 
西十両筆頭
7–8 
西十両2枚目
9–6 
西前頭13枚目
8–4–3[Basho 6] 
東前頭11枚目
6–9 
東前頭13枚目
8–7 
2016年
(平成28年)
東前頭12枚目
8–7 
西前頭8枚目
3–12 
東前頭16枚目
6–9 
西十両2枚目
7–8 
西十両4枚目
8–7 
西前頭14枚目
7–8 
2017年
(平成29年)
西前頭14枚目
6–9 
西十両筆頭
8–7 
西前頭14枚目
9–6 
東前頭10枚目
10–5 
西前頭3枚目
8–7 
東前頭2枚目
7–8 
2018年
(平成30年)
東前頭3枚目
8–7 
西小結
4–11 
東前頭4枚目
6–9 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
5–10
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

  1. 右下腿蜂窩織炎のため5日目(5月12日)から途中休場。
  2. 右足関節剥離骨折及び右大腿四頭筋肉離れのため9日目(5月14日)から途中休場。
  3. 右第二中足骨骨折のため7日目(3月17日)から途中休場。
  4. 右膝内側側副靱帯損傷のため11日目(9月24日)から途中休場
  5. 両足血行障害のため7日目(1月17日)から途中休場
  6. 左足足底筋膜損傷のため12日目(7月23日)から途中休場

改名歴

  • 明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)2011年5月技量審査場所 - 2011年11月場所
  • 千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)2012年1月場所 -

脚注

  1. 千代大龍(九重部屋公式サイト)
  2. 中日新聞2012年9月8日朝刊おまけ星取り表より。
  3. 『相撲』2012年1月号
  4. 金星挙げて次は三役になるぞ! 大相撲力士 千代大龍秀政さん 広報かつしか 2014年新年号
  5. 大空出版『相撲ファン』vol.06 p72
  6. 『相撲』2012年5月号14ページ
  7. 夏場所中止なら力士断念も 角界デビュー延期の明月院、2011年3月10日 47NEWS
  8. 明月院がチャレンジ宣言…相撲やめない 2011年4月6日 デイリースポーツ
  9. 学生横綱・明月院 史上初“全勝Vで十両昇進”誓う Sponichi Annex 2011年4月28日 06:00
  10. 明月院が相撲教習所落第 2011年9月30日 中日スポーツ
  11. この失態は本人も気にしていたようであり、2013年9月24日の『朝日新聞』15面記事において「新十両会見で引退発表したら伝説になると思った。」と冗談を飛ばしながら振り返っている様子が報道された。
  12. 明月院改め千代大龍はじめ新十両に4人2011年12月1日 日刊スポーツ
  13. 但しこの場所5日目の佐田の富士戦では変化をしており、解説の北の富士が「言っている事とやっていることが違う。」と苦笑した様子が『相撲』2012年8月号29頁の記事で報告されている。
  14. 千代大龍に試練 糖尿病だった…9月9日秋場所初日 スポーツ報知
  15. 15.0 15.1 2013年3月14日朝日新聞「東西トーザイ」
  16. 千代大龍が右足骨折で休場 右太もも痛の栃乃若も2013年3月16日 MSN産経ニュース
  17. 千代大龍三賞逃すも10勝「満足」/夏場所 nikkansports.com 2013年5月26日20時43分
  18. 中日スポーツ:千代大龍が結婚
  19. 千代大龍 9月10日に結婚!挙式は三役が条件? Sponichi Annex 2013年8月31日
  20. 勢&千代大龍が募金活動「大切なこと」 nikkansports.com 2013年12月23日18時17分
  21. 『日本経済新聞』朝刊 2013年7月15日
  22. 中日スポーツ:千代大龍 網膜剥離を手術
  23. 中日スポーツ:千代大龍は右目も手術
  24. 千代大龍「まだ視界狭い」が強行出場 日刊スポーツ 2013年11月8日9時51分 紙面から
  25. これ以前は丸1年半に渡って境川部屋所属力士以外が技能賞を手にすることが無い状況であった。
  26. 『相撲』2014年2月号61頁
  27. 遠藤8敗目…千代大龍に屈し負け越し決定 nikkansports.com 2014年3月22日18時53分
  28. 『相撲』2013年12月号32頁には遠藤本人が「大学時代には千代大龍と10回以上対戦しているがその内2回しか勝っていない」と述懐をしたという趣旨の記述が存在する。
  29. 千代大龍「2分59秒」制す nikkansports.com 2014年7月22日8時46分 紙面から
  30. 一気の昇進に千代大龍「奇跡」 8枚目から小結 MSN産経ニュース 2014.9.1 13:07
  31. 小結・千代大龍 きょうから休場 NHK 9月24日 11時10分
  32. 千代大龍が休場 秋場所以来5度目 nikkansports.com 2015年1月17日15時52分
  33. 千代大龍が左足痛め休場 大相撲名古屋場所12日目 日本経済新聞 2015年7月23日(2015年7月28日閲覧)
  34. 千代の富士の弟子たちが師匠への思い語る…千代鳳「“親孝行”したい」 SANSPO.COM 2016.8.3 19:28
  35. 千代大龍、強行出場も初日から6連勝「どんなに汚い相撲でも勝ち星がないと休めない」 2016年9月16日17時34分 スポーツ報知
  36. 岩手日報 2017年05月06日
  37. 稀勢の里、夏場所「出るつもりだから」異例の出稽古で本格始動 2017年5月7日6時0分 スポーツ報知
  38. 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p23
  39. 『大相撲中継』2017年8月12日号 p7
  40. 先代師匠の前九重親方の記録に並んだ白鵬に千代大龍「時間の問題だと思っていた」 SANSPO.COM 2017.7.17 19:49
  41. 思い切り踏み込み…千代大龍が3連勝 毎日新聞2017年9月12日 20時32分(2017年9月24日閲覧)
  42. 日刊スポーツ 2017年9月19日
  43. 千代大龍、珍しく四つ相撲で勝利 毎日新聞2017年9月19日 20時11分(2017年10月7日閲覧)
  44. 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.19
  45. 『相撲』2018年3月号 p.52-53
  46. 『相撲』2018年10月号 p.61
  47. 47.0 47.1 大相撲西前頭3・千代大龍 99パーセントの実力と、1パーセントの努力でこれまでやってきた ニッポン放送 2017/09/20 10:00 (2018年1月15日)
  48. 土俵入りの先頭は初めてであったため、所作を聞いていたという。
  49. 千代大龍“キン星”まわしパワーだ!/名古屋場所サンケイスポーツ 2013年7月15日
  50. 朝日新聞 2013年7月15日15面記事
  51. 千代大龍 ド派手染め抜き 背中に「鷹の爪」アニメキャラ 中日スポーツ 2014年7月13日 紙面から
  52. 千代大龍1度も引かず5連勝/名古屋場所 nikkansports.com 2012年7月13日11時15分 紙面から
  53. 技能賞の千代大龍 賞金200万円は「子供に使います」 Sponichi Annex 2013年11月25日 05:30
  54. 支度部屋=大相撲夏場所5日目 時事ドットコム  2014/05/15-19:09
  55. 魁聖ご機嫌初日…千代大龍に懸賞おねだり nikkansports.com 2014年7月20日21時12分
  56. 大相撲:40歳・旭天鵬900勝!通算勝利歴代5位「いい感じや」 毎日新聞 2014年11月15日
  57. すし屋の常連対決、千代大龍に軍配 朝日新聞DIGITAL 2016年1月16日21時36分
  58. 千代大龍27歳誕生日に白星、平成の猛牛豊響を一蹴 日刊スポーツ 2015年11月14日20時28分
  59. 千代大龍、同級生の侍・秋吉に“激辛”のねぎらい「勝ち越せばエールになるかもね」 2017年3月23日7時0分 スポーツ報知
  60. 千代大龍、豪栄道に土つけた「調子のいい大関に勝ててうれしい」/九州場所 SANSPO.COM 2017.11.18 05:01(産経新聞社、2017年11月23日閲覧)
  61. 61.0 61.1 九重部屋の三銃士が初鼎談「強烈なライバル意識が強さの秘密」 SmartFlash 2018.01.13(2018年1月15日閲覧)
  62. 相撲技術の進歩を止めないか?張り手封印で思うこと 日刊スポーツ 2018年2月2日10時0分(日刊スポーツ新聞社。2018年2月26日閲覧)
  63. ベースボール・マガジン社発行「相撲」2012年2月号
  64. 闘牙進の引き技に対して用いられていた「TSP」(新・NHK大相撲中継を100倍楽しむ!実況用語辞典)が大元であり、その後千代大海に対して「CSP」などと呼称されるようになった
  65. 千代大龍 初挑戦で金星 中日新聞 2013年3月14日
  66. 必殺MSP 自慢のパワーで引き落とし スポーツニッポン 2013年3月13日
  67. 若手、意外な平幕力士、そして日馬富士…誰もが「強さ」と「弱さ」を見せた九月場所 Business Journal 2017.09.26(文=西尾克洋、株式会社サイゾー、2017年10月19日閲覧)
  68. 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P111-112
  69. 『大相撲中継』2017年6月18日号 p57-73
  70. 大龍不敵「白鵬ぶっつぶす」/名古屋場所 nikkansports.com 2013年7月13日9時24分 紙面から
  71. 九重親方 千代大龍へ「バカ野郎」メール Daily Sports Online 2012年5月12日
  72. 同じように準備運動を行わない力士として魁聖がおり、『相撲』2013年11月号54頁には「準備運動をやると緊張する」と魁聖が発言した様子が記述されている。
  73. 朝日新聞2013年9月24日15面
  74. 【白星黒星】千代大龍「三役で全敗した人がいない?歴史に名を残せるかも」 SANSPO.COM 2014.9.15 21:36
  75. 『大相撲中継』2017年8月12日号 p49
  76. 千代大龍が勝ち越し 14日玉鷲戦へ「かち上げてウランバートルまで飛ばす」 Sponichi Annex 2018年7月20日 20:10(スポーツニッポン新聞社、2018年10月1日閲覧)
  77. 千代大龍が初金星 糖尿病を克服 2013年3月14日 デイリースポーツオンライン
  78. 千代大龍、初挑戦で日馬1秒殺/春場所 記事を印刷する nikkansports.com 2013年3月14日8時48分 紙面から
  79. 千代大龍、焼き肉パワーで9勝/九州場所 nikkansports.com 2013年11月21日9時42分 紙面から

関連項目

外部リンク


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