原子核

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原子核(げんしかく、: atomic nucleus)は、単に(かく、: nucleus)ともいい、電子と共に原子を構成している。原子の中心に位置する核子の塊であり、正の電荷を帯びている。核子は、基本的には陽子中性子から成っているが、通常の水素原子(軽水素)のみ、陽子1個だけである。陽子と中性子の個数、すなわち質量数によって原子核の種類(核種)が決まる。

原子核の質量を半経験的に説明する、ヴァイツゼッカー=ベーテの質量公式(原子核質量公式、他により改良された公式が存在する)がある。

大きさ

原子核は原子と比べて非常に小さく、たとえば最も小さい水素の原子核(陽子)の大きさはおよそ半径 {{safesubst:#invoke:val|main}}(直径にして約 {{safesubst:#invoke:val|main}} = {{safesubst:#invoke:val|main}})である[1]。水素原子核以外では、その狭い空間に正電荷をもった陽子が複数存在するため、互いに大きな斥力電磁気力)を受ける。この斥力に打ち勝って原子核を安定に存在させているのは、中性子の作用である。陽子、中性子の核子間には中間子を媒介した核力が引力として働き、これが電磁気的反発力に打ち勝って原子核を安定化させている。

その他の原子では、原子核の半径 r はその質量数 A のほぼ 1/3 乗、すなわち3乗根に比例することが知られており、定式化すると

[math]r=r_0\sqrt[3]{A}[/math]

となる。ここで、r0 は定数であり、その値は r0 = {{safesubst:#invoke:val|main}} である[2]

安定性

原子核の安定性は、陽子、中性子の数と深く関わっており、特に原子核を安定にさせる魔法数と呼ばれる数が存在することがメイヤーイェンゼンによって発見され、2人はこの法則を元に殻模型シェルモデル)などの仮説を提唱した[3]。ただし、最近の不安定核の研究によって極端に中性子過剰な核などではこれまで知られてきた魔法数の系列が消失することが、液滴モデル集団運動模型などの研究でわかってきている。

全ての核種の中で最も安定な原子核は、ニッケル同位体の1つニッケル62(陽子28個、中性子34個)の原子核である[4][5]

歴史

原子核の存在が理論的に提唱されたのは、1901年ジャン・ペラン[6]および1903年長岡半太郎[7]が最初である。これらの説はあまり注目されなかったが、アーネスト・ラザフォード1911年に実験的に原子核の存在を確認し[8]、注目を集めることとなった。

ラザフォードは1914年に、重い原子核ではα線を接近させてもクーロン力によって弾き返されてしまうが、軽い原子核では原子核かα粒子いずれかの破壊が起こるのではないかと考え、1917年から1919年にかけて、様々な条件下で空気に対してα線を当て、ZnSシンチレーションを利用して破壊の影響で生ずる可能性のある粒子を発見しようと試みた結果、水素の原子核、すなわち陽子を発見した[9]。この水素の原子核は、α線が空気中の窒素の原子核に当たった際に

<ce>{}^4_2He + {}^14_7N -> {}^17_8O + {}^1_1H</ce>

と言う核反応によって生ずるものである。この結果を受けてラザフォードは、翌1920年ロンドン王立協会に於いて行なった講義の中で、原子核を構成する粒子には陽子の他に陽子とほとんど同じ質量で中性の粒子が存在すると予想した[10]

その12年後、ジェームズ・チャドウィックによってラザフォードの予想通り中性子が発見され[11][12]、この事実を受けてドミトリー・イワネンコEnglish版は原子核の構造についての従来の見解を改変し、「原子核の中には中性子と陽子だけが含まれており、電子は存在しない」という説を提唱した[13]ヴェルナー・ハイゼンベルクもこれを支持し、以後の原子核理論の方向性を決める事になったと言われる彼の3部作の論文『原子核の構造について1〜3(Über den Bau der Atomkerne I-III)』[14][15][16]の基本仮定として採用される事となった[17][18]

脚注

出典

参考文献

原論文

書籍

関連項目

外部リンク

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