只見線

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只見線(ただみせん)は、福島県会津若松市会津若松駅から新潟県魚沼市小出駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線地方交通線)。

概要

絶景の秘境路線であり、その風情と車窓から眺める破間川(あぶるまがわ)・只見川の渓谷美、それにマッチした新緑や紅葉が美しいことで知られ、行楽シーズンは混雑することもある。第一只見川橋梁は、日本の有名な橋梁ベスト3に常にランクインするうえ、2008年10月11日の日本経済新聞によれば、NIKKEI PLUS1 何でもランキング「紅葉の美しい鉄道路線ベストテン」の第1位に選ばれており、過去には、2003年11月29日に「雪景色のきれいなローカル線ベストテン」の第3位に選ばれている。また最近では『旅と鉄道』2016年5月号の「好きなJRローカル線ランキング(東日本編)」で1位に選ばれているほか、中国のSNS微博(ウェイボー)でも「世界で最もロマンチックな鉄道」として取り上げられている。

豪雪地帯を走る路線で、並行する国道252号が福島・新潟県境の六十里越付近は急峻な地形に加えて積雪量が多く雪崩の危険があり、冬季のおよそ半年間(年により異なるが、11月下旬から翌年5月中旬まで)には通行止めとなるため、その間は当路線が福島県只見地区・新潟県魚沼地区間の唯一の交通手段となる。このため、経営上の難がある閑散路線でありながら、国鉄再建法による赤字ローカル線廃止の対象除外とされていた。なお冬季の積雪量によっては只見線も運休することが多い。特に新潟県側は降雪が多く、除雪車がたびたび出動する。また一部の駅には、積雪量を示す目盛り入りの3メートル棒が線路わきなどにある。

会津若松から会津坂下までは会津盆地の南方をU字状に大迂回、その先は山間部に入り、屈曲し小ダムの多い只見川沿いの谷間を、上流へと奥深く遡って行く。田子倉湖付近から長大な六十里越トンネルで県境を越え、破間川沿いに谷を下り、その破間川が魚野川に合流する小出へと至る。沿線の多くは只見川沿いの山村で、会津盆地・新潟県内も含め全線でローカル色の濃い車窓風景が続く。

また、特に中央部は秘境ともいえる地域を縫うように走っており、いくつかの駅は秘境駅と呼ばれる。両端の会津若松駅と小出駅を除き、駅施設にキヨスクなどの売店は無いが、中間駅の会津川口駅構内の「金山町観光情報センター OASIS」では飲食品・土産物類を、只見駅構内の「只見町観光まちづくり協会」では、特産品の土産を中心に扱っており観光情報も提供している。

路線データ

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 区間(営業キロ):会津若松駅 - 小出駅 135.2km(基本計画上は起点と終点が逆転)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:37駅(起終点駅・臨時駅含む)
    • 只見線所属駅に限定した場合、磐越西線所属の会津若松駅と、上越線所属の小出駅[1]が除外され、35駅となる。
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
  • 保安装置:
  • 最高速度:65km/h
  • 運転指令所
    • 会津若松駅 - 只見駅間:仙台総合指令室(会津若松駅 - 西若松駅間は会津若松CTC、西若松駅 - 只見駅間の運転取扱は西若松駅、会津坂下駅、会津宮下駅、会津川口駅、只見駅)
    • 只見駅 - 小出駅間:新潟総合指令室 (CTC)

小出駅 - 大白川駅間は新潟支社管内、只見駅 - 会津若松駅間は仙台支社管内である。正確には、大白川駅と只見駅間の六十里越トンネル内(会津若松駅起点95.7km地点)に支社境がある。

2007年12月11日小出駅午前7時4分着の列車をもって、大白川駅 - 小出駅間はタブレット閉塞式の使用を終了し、特殊自動閉塞式に移行した(2007年12月4日新潟支社発表)。只見駅 - 大白川駅間は2008年9月26日に、西若松 - 会津坂下駅間は2011年10月7日に特殊自動閉塞式に移行している。JRの旅客線で唯一のタブレット閉塞式区間として残っていた会津坂下駅 - 只見駅間についても、2012年9月23日に会津坂下駅 - 会津川口駅間が特殊自動閉塞式に切り替わり[2](会津川口駅 - 只見駅間は2017年10月現在も不通で、閉塞という行為自体が行われていない)、これをもって、災害等で長期運休中の路線の区間はのぞいてタブレット閉塞方式を行うJR旅客路線はなくなった。

平均通過人員

各年度の平均通過人員(人/日)は以下の通り[3][4][5]

  • 会津若松駅 - 小出駅間(全区間)[注釈 1]
    • 1987年度:644人/日
    • 2011年度:316人/日
    • 2012年度:305人/日
    • 2013年度:317人/日
    • 2014年度:304人/日
    • 2015年度:321人/日
    • 2016年度:304人/日
    • 2017年度:290人/日
  • 会津若松駅 - 会津坂下駅間
    • 1987年度:1,962人/日
    • 2011年度:1,314人/日
    • 2012年度:1,277人/日
    • 2013年度:1,315人/日
    • 2014年度:1,234人/日
    • 2015年度:1,315人/日
    • 2016年度:1,250人/日
    • 2017年度:1,191人/日
  • 会津坂下駅 - 会津川口駅間
    • 1987年度:533人/日
    • 2011年度:228人/日
    • 2012年度:218人/日
    • 2013年度:219人/日
    • 2014年度:208人/日
    • 2015年度:222人/日
    • 2016年度:199人/日
    • 2017年度:190人/日
  • 会津川口駅 - 只見駅間[注釈 1]
    • 1987年度:184人/日
    • 2011年度:21人/日
    • 2012年度:21人/日
    • 2013年度:22人/日
    • 2014年度:43人/日
    • 2015年度:35人/日
    • 2016年度:37人/日
    • 2017年度:30人/日
  • 只見駅 - 小出駅間[注釈 1]
    • 1987年度:369人/日
    • 2011年度:102人/日
    • 2012年度:98人/日
    • 2013年度:112人/日
    • 2014年度:109人/日
    • 2015年度:115人/日
    • 2016年度:114人/日
    • 2017年度:113人/日

運行形態

1972年3月15日から1988年3月12日まで急行「奥只見」が運行されていたが、現在は普通列車のみの運行である。使用されているキハ40形の一部にワンマン運転対応車があるが、これは他からの転属によるものであり、ワンマン運転は行われていない。基本的に全列車とも線内折り返しで他線との直通運転はないが、磐越西線や上越線方面からの臨時列車が年に何本か設定されることがある。なお、会津若松駅から小出駅へ向かう方面が下り列車であり、その逆方面が上り列車である。

2011年7月の新潟・福島豪雨災害で、会津坂下駅 - 小出駅間が不通となった。12月3日までに会津坂下駅 - 会津川口駅間・大白川駅 - 小出駅間が復旧し、2012年10月1日に只見駅 - 大白川駅間が復旧した。会津川口駅 - 只見駅間は2017年[6]現在も不通で、2021年度の復旧を目指している。この区間には代行バスが運行されている[7]

1日あたりの列車本数は会津若松駅 - 会津川口駅間が6往復、只見駅 - 小出駅間が3往復となっており、このほかに会津若松駅 - 会津坂下駅間・大白川駅 - 小出駅間の区間列車が1往復ずつ運転されている。

豪雨災害前のダイヤでは、1日あたり会津若松駅 - 会津川口駅間は8 - 9本程度、会津川口駅 - 只見駅(冬季は大白川駅)間は3往復、只見駅(冬季は大白川駅) - 小出駅間は5往復(1往復は大白川駅発着・土曜・休日・休校日は運休)であった。全線通しての運行する場合の所要時間は5時間程度である。

会津若松駅 - 西若松駅間には会津鉄道の列車も乗り入れており、只見線会津川口・小出方面の列車よりも本数は多い。

使用車両

会津若松 - 会津川口間の車両は、郡山総合車両センター(仙コリ)に所属、同センターの会津若松派出所に常駐する。小出 - 只見間の車両は、新津運輸区(新ニツ)に所属する。

キハ40系(郡山総合車両センターの車両は東北地域本社色
2015年5月30日の仙石東北ラインの開通により、小牛田運輸区のキハ40系5両、新津運輸区からキハ40系6両の冷房車が郡山総合車両センターに転出。また新津運輸区に小牛田運輸区のキハ40系冷房車10両が転出することにより、郡山総合車両センターと新津運輸区の非冷房車のキハ40・48形合計15両が廃車、それに伴い只見線の車両もすべて冷房化された[8]
特有の設備として、NTTドコモ衛星電話であるワイドスターが装備され、一部列車無線が通じない区間で使用される。
2010年時点では、すべてエンジン未更新車(DMF15HSA形エンジン)であり、一部冷房車(キハ40 2085, 2140, 2141)、ロングシート車(2010年時点でキハ40 542, 578, 579の3両)もあり、これらは、トイレも完全に撤去されていた。また、キハ40 548, 549, 550, 2025は座席が削減された3列クロスシート車であった。キハ40 550は汚物処理装置が未取り付けで、只見線のキハ40系では唯一流し管が残存していた。

このほかに臨時列車として、真岡鐵道C11形蒸気機関車小牛田運輸区びゅうコースター風っこ等がシーズン中に入線することがある。

また、2007年2月10日 - 11日の只見雪祭り号臨時列車に秋田車両センター所属の元よねしろキハ58系が2連で入線した。2009年と2010年の3月には「ふるさと」を使用した「酒樽列車」が喜多方 - 只見間で運転された。2012年9月22日には新津運輸区のキハ47系500番台2連を使用した「只見線ありがとうタブレット号」が会津坂下 - 会津川口間で運転された。2014年6月28日・29日には「POKÉMON with YOU トレイン」用キハ100系を使用した「ポケモン只見線号」が会津若松 - 会津川口間で運転された。新津運輸区所属のキハ58系が臨時列車に使用されたこともある。

なお、会津若松 - 西若松間を走行する会津鉄道からの乗り入れ車両は、「会津鉄道#気動車」を参照のこと。

歴史

若松(会津若松) - 会津柳津間は軽便鉄道法により計画されたもので、会津線の名称で1928年までに開業した。会津柳津 - 小出間は、改正鉄道敷設法別表第29号前段に規定する予定線「福島県柳津ヨリ只見ヲ経テ新潟県小出ニ至ル鉄道」である。会津柳津からは、そのまま会津線の延長として1941年に会津宮下まで、小出からは1942年に大白川までが只見線として開業した。

戦後は、田子倉ダムの建設のため1956年に会津宮下 - 会津川口間が開業。会津川口から只見を経てダム建設現場までは、電源開発株式会社の専用鉄道として敷設され、1957年から1961年までダム建設輸送に使用された。田子倉ダム完成後は、会津川口 - 只見間を国鉄の営業線として使用するための改良が施され、1963年に国鉄線として開業した。また大白川地区では、1942年 - 1968年の間、珪石の採掘事業が行われ、その運搬用としても利用されていた。全通前の昭和30年代後半 - 40年代前半が最も乗降客数・貨物輸送量数が多かったとされる。

1971年、只見 - 大白川間が開業。会津線の会津若松 - 只見間を同線から分離して只見線とし、小出 - 会津若松間の路線として全通した。

会津線(会津若松 - 只見)

  • 1926年(大正15年)10月15日 : 会津線 会津若松 - 会津坂下 (21.6km) が開業。西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下の各駅新設。
  • 1928年(昭和3年)11月20日 : 会津坂下 - 会津柳津 (11.7km) を延伸開業。塔寺・会津坂本・会津柳津の各駅新設。
  • 1934年(昭和9年)11月1日  : 会津若松-会津柳津間ガソリンカー運転開始[9]。七日町・根岸・若宮の各駅新設[10]
  • 1941年(昭和16年)10月28日 : 会津柳津 - 会津宮下 (12.1km) を延伸開業。郷戸・滝谷・会津檜原(仮停車場)・会津西方・会津宮下の各駅新設。
  • 1942年(昭和17年)6月1日 : 会津檜原仮停車場を駅に改める。
  • 1956年(昭和31年)9月20日 : 会津宮下 - 会津川口 (15.4km) 延伸開業。早戸・会津水沼・会津中川・会津川口の各駅新設。
  • 1957年(昭和32年)12月 - 1961年(昭和36年)12月 : 会津川口 - 只見間 電源開発(株)専用鉄道貨物輸送実施。
  • 1963年(昭和38年)8月20日 : 会津川口 - 只見 (27.6km) を延伸開業。会津横田・会津蒲生・只見の各駅新設。
  • 1965年(昭和40年)2月1日 : 本名・会津越川・会津大塩・会津塩沢の各駅新設。

只見線(小出 - 大白川)

  • 1942年(昭和17年)11月1日 : 只見線として小出 - 大白川 (26.0km) が開業。越後広瀬・越後須原・入広瀬・大白川の各駅新設。 一ツ橋信号場(入広瀬 - 大白川間、専用線発着貨物取り扱い)新設。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月1日? : 藪神・魚沼田中・上条・柿ノ木の各仮乗降場新設。
    • 10月1日 : 藪神・魚沼田中・上条の各仮乗降場を駅に改める。
  • 1954年(昭和29年)
    • 10月1日 : 一ツ橋信号場を廃止。
    • 12月10日 : 黒又川仮乗降場(入広瀬 - 柿ノ木(仮)間)を新設。
  • 1965年(昭和40年)8月15日 : 黒又川仮乗降場を廃止。

全通以降

ファイル:JNR C11 289 on Tadami line 19731103 001.jpg
貨車を牽引するC11-289号機。会津桧原駅-会津西方駅間(1973年11月撮影)
ファイル:JNR C11 289 on Tadami line 19731103 002.jpg
会津西方駅-会津宮下駅間(1973年11月撮影)
  • 1971年(昭和46年)8月29日 : 只見 - 大白川 (20.8km) を延伸開業(旅客営業のみ)。田子倉駅を新設。会津若松 - 只見間を会津線から分離して只見線に統合し、只見線を会津若松 - 小出 (135.2km) とする。
  • 1972年(昭和47年)10月2日 : 客車普通列車を廃止し、旅客列車をすべて気動車化。
  • 1974年(昭和49年)10月31日 : 蒸気機関車が最後の運転。
  • 1980年(昭和55年)
    • 10月1日 : 大白川 - 小出 (26.0km) の貨物営業を廃止。
    • 12月1日 : 会津宮下 - 早戸間で線路に落石があり、上り回送列車が乗り上げ、先頭車が鉄橋脇に転落、2両目が脱線し、運転士が負傷する事故が発生。
  • 1982年(昭和57年)8月1日 : 西若松 - 只見 (85.3km) の貨物営業を廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 : 東日本旅客鉄道が承継(第1種・小出 - 会津若松(基本計画では起点・終点が逆転しているためこの順序))。日本貨物鉄道(第2種・西若松 - 会津若松 3.1km)。柿ノ木仮乗降場を駅に改める。
  • 1996年(平成8年)4月16日 : 会津水沼 - 会津中川間で脱線事故が発生。
  • 1999年(平成11年)4月1日: 日本貨物鉄道が西若松 - 会津若松 (3.1km) の第二種鉄道事業を廃止。
  • 2001年(平成13年)
    • 10月6日 : 全線開通30周年を記念して「SL&DL会津只見号」を会津若松 - 会津川口・只見間で運転(この年から「SL会津只見号」として毎年運行となる)。
    • 12月1日 : 田子倉駅を臨時駅に改める(冬季休業化、時刻表に臨時駅の表示なし)。
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)
    • 3月12日 : 早戸 - 会津水沼間の下大牧付近にて雪解けによる大規模な斜面崩壊が発生、その土砂に下り列車が乗り上げ先頭車が脱線、運転士が負傷する事故が発生。会津坂下・会津宮下 - 只見間が不通となり、バス代行(同年4月8日運行再開)。
      • 事故当時の編成は会津川口側よりキハ40 559とキハ48 549であった[11]
    • 6月9日 : 会津中川 - 会津川口間、只見線を跨いで只見川に架かっていた町道の橋梁の撤去作業中に橋げたが一部ずり落ち、下り列車が接触して屋根が大破する事故が発生。負傷者なし。会津宮下 - 只見が不通となり、バス代行(同年7月1日運行再開)。
      • 上記事故による只見線用車両4両(キハ48 546、キハ48 549、キハ40 2022、キハ40 2024[12])破損のため、2005年(平成17年)7月 - 2006年(平成18年)3月の間、小牛田(キハ40 548)・秋田(キハ48 1507)・八戸(第1次キハ40 558、キハ48 539・第2次キハ40 593、キハ48 1547)各区より車両を借り入れて運行。また、八戸区第2次車両は翌年3月まで只見線で運行された。
      • 2005年は3月の脱線事故と前後の冬の豪雪とあいまって、半年間近くがバス代行という状態になった。
  • 2007年(平成19年)12月11日 : 大白川 - 小出間を特殊自動閉塞化。
  • 2008年(平成20年)9月26日 : 只見 - 大白川間を特殊自動閉塞化。
  • 2011年(平成23年)
    • 7月23日 : 全線開通40周年を記念して「只見線全線開通40周年号」を会津若松 - 只見間で運転[13]
    • 7月30日 : 新潟・福島を襲った豪雨により会津川口 - 会津大塩間で只見川第5 - 第7橋梁が流失、また会津坂本 - 会津柳津間で路盤が流出し、会津坂下 - 小出間が不通となる[14][15][16]
    • 8月7日 : 会津坂下 - 会津宮下間が復旧[15]
    • 8月11日 : 大白川 - 小出間が復旧[15]
    • 8月28日 : 7月23日に続き、「只見線40周年号」を大白川 - 小出 - 長岡間で再び1往復運転[17][注釈 2]
    • 10月7日 : 西若松 - 会津坂下間を特殊自動閉塞化。
    • 12月3日 : 会津宮下 - 会津川口間が復旧[18][19]
  • 2012年(平成24年)
    • 6月7日 : 只見 - 大白川間の復旧工事着手。冬前の復旧を見込む[20]
    • 9月23日 : 会津坂下 - 会津川口間においてタブレット閉塞方式が廃止され、特殊自動閉塞化[2]
    • 10月1日 : 只見 - 大白川間が復旧。不通区間は会津川口 - 只見間となる。ただし、田子倉駅は通過[21]
  • 2013年(平成25年)3月16日 : 田子倉駅を廃止[22]。柿ノ木駅を臨時駅に改め全列車通過とする[23]
  • 2015年(平成27年)
    • 3月14日 : 柿ノ木駅を廃止[24][25]
    • 9月10日 : 台風18号による豪雨により、西若松 - 会津本郷間の大川橋梁[26]で軌道変位[27]が発生。このため会津若松 - 会津川口間で会津鉄道会津線直通列車以外の運転を見合わせ。
    • 9月14日 : 会津若松 - 西若松間および会津坂下 - 会津川口間の運転を再開。西若松 - 会津坂下間でバス代行[26]
    • 9月29日 : 西若松 - 会津坂下間の運転を再開[28]
    • 12月19日 : 冬期間、雪崩・落雪対策として会津若松 - 会津川口間で速度を落として運転するため、会津若松 - 会津川口間の列車と、会津川口 - 只見間の代行バスが冬期間の時刻に変更となる[29]
  • 2018年(平成30年)6月15日:会津川口 - 只見駅間の復旧工事に着手[30][31]

過去に運行された優等列車

多層階建て急行「いなわしろ」

準急「あいづ」として1959年仙台駅 - 喜多方駅間で運行を開始。1965年会津川口駅(1967年から季節列車として只見駅まで延長)・会津線会津田島駅磐越西線喜多方駅の3方向からの列車を会津若松駅で取りまとめて仙台駅へ向かう形態となり、1966年には急行へ格上げされ、1968年からは「あいづ」の愛称が上野駅 - 会津若松駅間の特急に使用されることになり、「いなわしろ」と改称された。

この列車の特色は、気動車の利点を生かして多層階建て列車として運用したことにある。キハ55系等のほか、会津線系統直通には、本来普通列車用だが単行運転可能なキハ52形等が充当された。

併結相手は会津若松駅 - 仙台駅間が急行「あがの」(喜多方駅発の「いなわしろ」が無い号便に限る)、郡山駅 - 仙台駅間が急行「いわき」である。沿線は豪雪地帯のため、冬期間は併結相手が遅延して何時間も来ないこともあったが、主要道の除雪もままならない時代だったことから、地域住民の貴重な足として運行され続けた。1982年東北新幹線開業に伴う大規模ダイヤ改正で廃止された。

多層階建ての列車の宿命として、複雑な運転系統に伴う運用上の錯綜があった。ここではその例として、1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正時の上下の「いなわしろ2号」の場合を挙げる。

  • 下り「いなわしろ2号」
    • 会津川口発の「いなわしろ2号」は、会津若松駅で新潟駅から来た「あがの1号」と併結し、さらに郡山駅で水戸始発の「いわき51号」と併結。この時点で、先頭から「あがの1号・いなわしろ2号・いわき51号」となるが、福島駅で「いなわしろ2号・いわき51号」が切り離され、「あがの1号」は単独で終点の仙台駅へと向かった。
  • 上り「いなわしろ2号」
    • 「いなわしろ2号」は仙台始発であるが、始発時点で水戸行きの「いわき2号」を併結。福島駅で「いわき2号」の福島始発列車を併結し、郡山駅で「いわき2号」と別れて磐越西線に入り、会津若松駅で会津田島行き、会津川口(只見)行き、喜多方行きの3つの列車に分割されてそれぞれの終点に向かった。

「いなわしろ」、「あがの」、「いわき」と行き先が異なる上、それぞれ連結する相手の号便が異なること、多層階になった後も福島駅で分割・併合するなどしたため、時刻表の表記も各駅の乗車案内も難解をきわめた。また、乗客自身も乗っている号車が目的地にたどり着くのか確認することに苦労したといわれている。

冬季運休急行「奥只見」

奥只見(おくただみ)は、1972年10月2日から1988年3月13日(実質1987年11月30日)まで、会津若松駅 - 小出駅間(1982年11月15日からは普通列車として上越線浦佐駅まで延長)に運行されていた列車である。定期列車であったが、利用度および車両運用を配慮して、冬季の12月1日から翌年の3月31日まで運休する措置がとられる特異な列車であった。

表定速度は、只見線の線路条件の悪さ、運転士が1人乗務のためタブレットの通過取り扱いができないことによる交換駅全停車などにより40km/h程度に留まり、全線走破には3時間半程度を要した。

車両は一貫して非冷房のキハ58系で、1985年3月13日(実質1984年11月30日)までは3両編成、1985年3月14日(同1985年4月1日)からは2両編成で運転。本州内最後の非冷房優等定期列車であった。

なお、1971年8月29日から1972年10月1日までは臨時列車として運転され、只見駅から上越線経由で上野駅まで乗り入れていた。上野駅 - 小出駅間では、当時上野駅 - 秋田・柏崎駅間に運転されていた急行「鳥海」・「よねやま」と併結して運転されていた。

2006年7月15・16日には、浦佐駅 - 会津若松駅間で復活運転が行われる予定だったが、大雨の影響により運休となり、同年9月23日に改めて運転された。

この列車を舞台にした小説に、西村京太郎の「急行奥只見殺人事件」がある。

新潟・福島豪雨による長期路線寸断

2011年7月の新潟・福島豪雨により、只見線は小出 - 会津坂下間113.6kmが不通(被害状況は前述)となった。2017年現在、会津川口-只見間の27.6kmは不通のままであり、同区間は代行バスが運行されている。

特に橋梁流失などが複数個所で発生した会津川口 - 只見間は、当初復旧工事が行われず、該当地域には「このまま廃線になるのではないか」と危機感が強まっていた。

2013年1月、福島県知事および周辺自治体首長が、JR東日本に同区間の復旧・存続を要請した。また福島県は国に対し、JR東日本への財政支援を求めた。これはJR東日本が東日本大震災で、路線等に多大な被害を受けたが、同社は2013年当時も黒字経営[注釈 3]であり、黒字経営の会社に鉄道軌道整備法の災害復旧援助が適用されないためである[32]。また福島県は、復旧費用の一部を補助できないかを検討している。こうした動きに対して、2013年5月にJR東日本本社側からは、復旧費用が85億円との試算で着工から復旧まで4年以上かかるとの見通しが示された[33][34](特に第八只見川橋梁の復旧だけで工期が4年かかる見込み)。またJR東日本単独での復旧は困難との見方をしており、福島県や沿線自治体との負担について調整を行った[35]が、難航している。JR東日本は、2014年8月5日に金山町で行われた住民説明会で[36][37]、福島県と沿線自治体から工事費の4分の1の負担を提示していることを明らかにした上で[38]、同区間の復旧の可否を2014年10月以降に判断する方針を示している[39]

今回の只見線橋梁流出等の原因となった洪水被害については、只見線とほぼ平行して流れる只見川に、東北電力電源開発が計10基のダムを建設したが、そのうちの一つ、滝ダムについては堆積する砂が貯水容量の38%に達しており、各ダムの堆積砂による貯水容量の低下により、ダムからあふれた水が、只見川で洪水となり、被害を拡大させた事を所有者の電源開発が認めている[注釈 4]。只見線不通区間に位置する金山町の被災者150名でつくる「只見川ダム災害金山町被災者の会」は、只見川流域の安全対策を怠ったダム災害と訴え、只見線をダムの堆積砂を運ぶ貨物線としても、活用してはどうかとの意見もある[40][41]

只見線復旧に向けて

不通区間の復旧に対しては、福島県庁が復旧・再開に関してPRを行い[42]、これに呼応して福島市に本店を置く東邦銀行が2013年(平成25年)に『福島県只見線復旧基金』へ寄付を行なった[43]。只見町観光まちづくり協会においてもPR及び寄付による復旧費用寄付を募るサイトを出している[44]ほか、新潟県庁公式サイトでも福島県における状況をPRしている[45]
2015年(平成27年)12月福島民報は福島県と沿線市町村は、只見線が運転を再開した場合に生じる赤字分を補填する方向に入り、年明けにJR東日本側に伝える模様だと報じた[46]。また、2016年(平成28年)3月には、前述の「黒字経営会社への鉄道軌道整備法適用の為の法改正を(要旨)」要望する旨が報じられた。記事では、当初約85億円と見積もられていた復旧工事費が資材や人員不足で価格高騰し、100億円を超えるとも報じられた[47]

2016年(平成28年)12月26日開催の「只見線復興推進会議検討会」では、福島県と沿線市町が施設と土地の保有とJR東日本にて車両運行する「上下分離方式」を採用して鉄道で復旧させる方針が決まった。年間の費用負担はJR東日本が7100万円で県や沿線自治体が2億1000万円になる見込み。それを受けて、福島県は2017年(平成29年)1月下旬に第7回検討会議にて前述の上下分離方式の運営方法や、駅など鉄道施設の所有者、施設の維持費2億1000万円の負担割合を協議し、福島県と新潟・会津17市町村で構成する只見線復興推進会議で鉄道復旧方針の成案を年度内に決めるとした。また、2017年(平成29年)1月に福島県や市町村、有識者で構成するプロジェクトチームを設立し、鉄道復旧後の只見線を活用した地域振興策に取り組む方針である。国会では大規模災害における被害が出た鉄道に対し、黒字の鉄道会社においても国が復旧支援が可能となる鉄道軌道整備法の改正案が検討されており、法改正されれば、国が復旧費用の3分の1を負担することも可能になる故に、地元負担額が大幅に減る可能性がある[48][49][50]

また、2016年(平成28年)11月27日に会津若松市で開かれた復興推進会議検討会では、前回の会合で約108億円と提示した復旧費の総額について、只見町の第8橋梁の嵩上げを行わず、補強工事にとどめれば約81億円にまで圧縮できるとし、工期もこれまで示してきた4年から3年に短縮されると説明された。そのうえで、復旧費はJR東日本が3分の1にあたる約27億円を支払い、残りの3分の2にあたる約54億円については、県と会津地方17市町村がこれまで約21億円積み立てた只見線復旧復興基金を充て、残額を新たに支出する方向で一致した[51][52]。ただ、同年11月30日の会津美里町での検討会では会津若松市・会津坂下町の住民から上下分離方式に「半永久的に膨大な費用がかかることが心配」「子どもたちに大変な負担になる」と反対・慎重意見もあった[53][54]

一方、JR東日本では、2016年(平成28年)11月30日から12月1日に市町村住民懇談会で、方針が正式確定していないため、鉄道復旧とバス転換の両方の想定による説明を行っていた[56]

最終的に、2017年(平成29年)3月27日の復興推進会議において上下分離方式での復旧が決定した。行政負担分の年間2億1000万円にも及ぶ維持管理費の負担割合を「県が7割、地元17市町村が3割」とする確認書が了承された[52][57]。同年6月7日に福島県鉄道活性化対策協議会はJR東日本に対し鉄路維持の要望を改めて行い、JR側は「これまでの経緯や地元の思いを重く受け止め、上下分離方式の枠組みなどの検討を進めており、正式決定に向け取り組んでいる」と回答している[58]

2017年6月19日には、JR東日本と福島県の間で基本合意書の締結が行われ、上下分離方式による鉄道復旧が合意された[59][60][61][62][63]。運休区間(会津川口駅 - 只見駅間)の復旧工事はJR東日本が行った上で、施設・土地を福島県に無償譲渡する[59][62]。営業再開までに、福島県が第三種鉄道事業者、JR東日本が第二種鉄道事業者となる許可を取得[59]。営業再開後、当該区間の鉄道施設等は第三種鉄道事業者の福島県が保有し、第二種鉄道事業者のJR東日本が保有車両で被災前の1日3往復を基本に列車を運行する[59][60]。列車を運行するJR東日本が施設保有者の福島県へ線路使用料を支払うことになるが、運行経費が赤字とならないよう減免される[59]。復旧費用の費用負担は福島県が3分の2、JR東日本が3分の1となる[59]。福島県側の負担額54億円は県只見線復旧復興基金で積み立てた21億円を差し引いた33億円のほとんどを福島県が捻出して、会津地方17市町村の負担を軽減する方針[64][63][65]

鉄路維持での理由としては、会津地方では豪雪地帯であるために只見線への住民の信頼が高く、只見町と新潟県魚沼市間の国道252号が通行止めの場合に只見線が代替路となり、防災上の観点から鉄道復旧が適切と判断したためである[64]。また、復旧後は、当該区間を含む只見線全線が厳しい利用状況であることを福島県が理解して、JR東日本と共に主体的に利用促進を行う[59]

復旧工事は、2018年(平成30年)5月中旬から除草などの準備工事を進め、6月より着手される予定で、6月15日に金山町の第7只見川橋りょう付近で起工式が行われる[62][63]。なお第6只見川橋りょうについては、2017年(平成29年)7月に豪雨被害を受けたことから、同年10月から前倒しで一部の撤去工事が行われている[66]

全線開通は2021(平成33年)年度を目指すと報じられており[64][63]内堀雅雄福島県知事も運行再開について「33年度中を目指す」と明言している[61]が、この基本合意において営業運転再開時期は発表されておらず、復旧工事の進捗状況等を踏まえ設定するとしている[59][62]

駅一覧

  • 全列車普通列車(全駅に停車)
  • (臨):臨時駅
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
  • 駅名欄の背景色がである駅(本名駅 - 会津蒲生駅)は平成23年7月新潟・福島豪雨により不通・バス代行となっている区間の駅であることを示す(2012年10月1日現在)。
    • バス代行の停車箇所は当該駅のほか、2012年12月1日より会津川口 - 本名間に「川口高校前」、本名 - 会津越川間に「湯倉入口」、会津蒲生 - 只見間に「叶津」が追加されている[67]
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
会津若松駅 - 0.0 東日本旅客鉄道磐越西線 福島県 会津若松市
七日町駅 1.3 1.3  
西若松駅 1.8 3.1 会津鉄道会津線[* 1]
会津本郷駅 3.4 6.5  
会津高田駅 4.8 11.3   大沼郡 会津美里町
根岸駅 3.5 14.8  
新鶴駅 2.0 16.8  
若宮駅 2.1 18.9   河沼郡 会津坂下町
会津坂下駅 2.7 21.6  
塔寺駅 4.4 26.0  
会津坂本駅 3.7 29.7  
会津柳津駅 3.6 33.3  
柳津町
郷戸駅 3.6 36.9  
滝谷駅 2.7 39.6  
会津桧原駅 1.9 41.5   大沼郡 三島町
会津西方駅 2.2 43.7  
会津宮下駅 1.7 45.4  
早戸駅 5.8 51.2  
会津水沼駅 3.9 55.1   金山町
会津中川駅 3.2 58.3  
会津川口駅 2.5 60.8  
本名駅 2.8 63.6  
会津越川駅 6.4 70.0  
会津横田駅 3.2 73.2  
会津大塩駅 2.2 75.4  
会津塩沢駅 5.5 80.9   南会津郡 只見町
会津蒲生駅 3.0 83.9  
只見駅 4.5 88.4  
大白川駅 20.8 109.2   新潟県魚沼市
入広瀬駅 6.4 115.6  
上条駅 3.1 118.7  
越後須原駅 4.4 123.1  
魚沼田中駅 3.9 127.0  
越後広瀬駅 2.5 129.5  
藪神駅 2.1 131.6  
小出駅 3.6 135.2 東日本旅客鉄道:上越線
  1. 会津鉄道会津線の列車は会津若松駅まで乗り入れる

国鉄・JRの他の駅名と重複しないよう、地方名の「会津」(この地域の旧国名は「岩代」であるが、こちらは使われていない)を冠した駅が非常に多い。根岸駅が根岸線根岸駅と同名なのは、根岸線の駅の方が遅れて開業したことによる。

廃駅

  • 田子倉駅(只見駅 - 大白川駅間) - 2013年3月16日廃止。
  • 柿ノ木駅(大白川駅 - 入広瀬駅間) - 2015年3月14日廃止。
  • 黒又川仮乗降場(柿ノ木駅 - 入広瀬駅間) - 1965年7月15日頃廃止。

脚注

注釈

  1. 1.0 1.1 1.2 運転を見合わせていた路線・区間、振替バス輸送を行っている路線・区間は「参考値」として開示
  2. 只見駅まで運行予定だったが、豪雨災害で短縮運転。
  3. 東日本大震災の路線復旧をまだ一部区間のみ行っているだけで、経費をまださほど支出していないため。
  4. 東北電力は認めていない。

出典

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  3. 路線別ご利用状況(2011〜2015年度) (PDF) - JR東日本
  4. 路線別ご利用状況(2012〜2016年度) (PDF) - JR東日本
  5. 路線別ご利用状況(2013〜2017年度) (PDF) - JR東日本
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関連項目

外部リンク


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